文字数 5,517文字

 4 

 会社の同期だった伊崎砥呂(とろ)は勤続三年目の夏、青年海外協力隊の現職派遣制度で会社から金をもらいながらガーナに行って、期間が終わったら帰ってくるつもりが向こうで知り合った日本人の女の子と結婚して、そのままガーナに住むことにして今は雑貨屋「No.3」をやっている。
「なんでナンバースリーなんだよ?」
「アカン語で『とろ』は3を意味するから」
 と、正面に座る砥呂はよくぞ聞いてくれたって顔してビールを一気に飲み干す。腹立つ!
 家を飛び出してなんとなく最寄り駅の方向に向かって歩いているときに電話をかけてきたのが伊崎砥呂だった。
「よお、久しぶり。なにやってんのよ?」
「なにやってんのよって、今ガーナから帰ってきてんの?」
「そうそう、先週。今日、ひろ何してんのよ? 仕事?」
「いや、今日は休み。いつまでこっちいるの?」
「来週の木曜に帰る予定。だから暇な日あれば飯でもと思ったんだけど……今日とか暇?」
「お、いいよ全然」
 いいのか? 義父母は置いといても圭太があの状況で俺はいいよ全然なのか? 
 しかし、俺は堀之内から京王線に乗り稲田堤。そこから南武線に乗り換え、武蔵小杉のすぐそばの雑居ビル六階にあるイタ飯屋「ジョバンニ」に行く。
「なんで帰ってきてんの?」
「親父が死んでさ」
「まじ?」
 カプレーゼのモッツァレラをぱくつきながらいきなりあっさり言うけど、あっさりしすぎだ。
「だから家族みんなで帰ってきてる」
「親父さんいくつ? 」
「六十五。肝臓癌だった」
「若いねえ」
「酒ばっか飲んでたから。特に俺があっち行ってからは相当な勢いで飲んでたらしくて。完璧アル中だって」
「親父さん、たしかお前のガーナ行き反対だったんだよな?」
「縁切るとまで言われた」
 中堅電機メーカーの社長である砥呂の親父さんは、砥呂を他の会社で武者修行させ、良い頃合いになったら自分の会社に戻し、ゆくゆくは二代目社長にって考えだったとは聞いていた。その親父さんが亡くなった、と。
「子供見せられなかったことがちょっとあれなんだよなあ」
「何歳だっけ?」
「二歳」
「つーかこんな時に俺と飯なんて食ってていいわけ?」
「一応法事関係は昨日で終わったから」
「いやそれでも……」
「だって居心地すげー悪いんだもん。お袋はまあそうでもないけど、親戚とかねえちゃんとか兄貴まじぶちぎれてるし。俺にね」
「なんでお前に切れるんだよ」
「俺がガーナ行っちゃったから親父は酒にハマる事になっちゃって、みんな親父が死んだの俺のせいだって思ってるから」
「大変だねえ……」
 という空気吸って吐くみたいなコメントしかできない俺は馬鹿なんじゃないだろうか。もっと気の利いたことを言えねえのか友人として。
 ここに来るまでの間、圭太の傷のこととかさっき家であったことを話そうと思ってたけど、砥呂だって辛いだろうし、自分からそういう悩みを告げる空気じゃないなと思って自粛していると、
「今日平日なのになんで休みなの?
 あ、もしかして会社辞めた? はははっ」と笑って言ってくれるので、「いや、実はさ……」と俺は自分の話をするきっかけを与えてもらえる。というか、俺はやっぱりしゃべりたくて、ガーナに吹く乾いた風のような砥呂の笑い声に甘えてしまう。ガーナに吹く風が乾いているか知らないけど。
 圭太の膝に白いたまごが出来たこと、そしてお義母さんがやってきて魔法のアホ水をもってきたこと、そして家を飛び出してしまったことを説明。
「それお義母さんはよかれと思っそやってるところがまた批判しづらいよね」
「そこなんだよね」
「そういうとき婿養子的な遠慮が出たりするの?」
「そりゃあ多少はね。普段はあんま考えてないけど。そういうの考え始めたら止まらないし。いったいどこまで気を使えって話で」
 もう「婿養子なのに」って言われたしね。というのは、ぎりぎり喉までかかるが堪えた。こんなの言ったところでお義母さんの悪口なだけだ。別に俺は彼女を悪者にしたいわけじゃない。
 三杯目のワインを飲み干した砥呂が俺に尋ねる。
「で、ひろはどうしたいの?」
「どうしたいって?」
「そういう疑似科学的なことに頼るのは嫌なんだよね? たとえそれでプラシーボ効果が生まれるかもしれないとしても」
「そりゃそうだよ。あんなうさんくさいもんに金出すのは馬鹿げてるし、だいたいプラシーボ効果で完治するくらいなら、それって何もせずほっといたって完治するってことだよ。あと子供にもそういうものを無批判に良きことと教えるのも、俺としてはどうかなって思うし」
「で、その先は?」
「その先って?」
「だから裕史が到達したい最終的な場所!」
 砥呂はため息をつきながら飽きれ顔で赤ワインをグラスに注いでるのだが、なんのこと? 最終的な場所? わからん。
「おまえさあ、家出てきちゃったけど別に離婚とかそういうのは考えてねえんだろ?」
「考えるわけねえだろ、こんなことで!」
「だったらなんで出てきちゃうんだよ。ちゃんと説明したの? 自分がどう思ってるか」
「……そりゃしたよ」
「説得もした? 納得してもらえるように」
「……」そこまで言われると自信がない。「でも、ああなっちゃうと絶対聞かない人たちだし……」
「なに言ってんだよ、それでもだよ!! 何も言わずに家飛び出すとか中学生か馬鹿。いいか? 人が言葉で気持ちを伝えることを放棄したら何が残るんだっての。今後もずっと一緒に暮らしてくわけだろ? しかも家を飛び出してきちゃうほどお前にとってそれは許せない大事なことなんだろ? だったら、だからこそ言葉でちゃんと伝えろよ馬鹿!」
「……」
「まあ、裕史の立場もあって言いにくいとかあるだろうけど……それでもヒヨリ過ぎ。『婿養子のくせに』とか言われてんじゃねえの?」
 俺はそれを隠そうとピザに手を伸ばす。生地が薄くてカリカリしてて俺好みのピザ生地に。
「まあ、いいよそこは答えなくて」完全にばれてる。「でももしそういうことお義母さんに言われてるんだとしたら、それは多分お義母さんなりの愛情だよ。遠慮せずに言ってこいってことだと思うぜ。もう家族なんだから婿養子も何もかんけーねえだろってことの裏返し」
「裏返し……? どこをどう裏返すとそんな解釈できるんだよ」
「うるさい! いいか? お前の伝えるべきことはだ、まずちゃんと言葉を使って丁寧にその水に対して思ってることだったり、お義母さんの考えに対しての自分の意見を言うことと。ね? ここまではいい?」
「うん。てか、それやったし」
「いややってない。相手に理解してもらおうとは思ってなかっただろ? スピリチュアルきた時点で、論破してやるってなってただろ」
「……」
「原因と結果がわかってるし、どこに向いたいのかわかってんだからシンプルだよ、ちょーシンプル。重要なのはこのあとで、今後も一緒にやってくんだろ?」
「そりゃ、ね」
「だったらそれをちゃんと言うの。一緒にこれからも暮らしていきたいし、意思のすれ違いをなくしていきたいからこういう話をするんだってことを」
「別にいまさら」
「絶対言わなきゃだめ。みんなと仲良く暮らしていきたいからこういうことを話すんですって言え。じゃあ聞くけど、言ったことによってなんかデメリットあんのかよ?」
 と、俺に尋ねるように言うけど、砥呂は俺の答えを待ってはいない。
「恥ずかしいし、とか幼稚なこと言うんじゃねえぞコラ」当たってる。言わない理由なんてそのくらいしかない。「伝えなくてもお互いわかってるとか、日本人はそういうこと言わなさすぎなんだよ。全然伝わってないぜまじで」
 それはわかる。言葉にして伝えたところで、多分自分の言いたい三割も伝わっていないこととかってざらにある。ましてやそれを口にしなければ、だ。
「家族四人がこれからも一緒に仲良く暮らしていくために俺は言います、ってちゃんと相手の目を見て言わなきゃだめ! そのために俺は今から話すんだぜっ、てな」
 今日の砥呂はいつになく熱っぽい。前から熱くるしい男だとは思っていたが、こんな激しい砥呂は初めてだ。ガーナに行って性格変わった?
 ここで俺が「お前、なんか性格変わったなあー」とへらへら笑っちゃいそうになるのは、砥呂が言っていることが全て正しくて認めざるをえなくて、青臭くてそれを正面から受け止めるには恥ずかしくてもう若くなくて、ごまかしたいのだ。
 言い合いになったとき、相手と自分のずれてる部分をすり合わせて納得できる部分は頷き、無理な部分は無理と主張してその上で妥協案も含めて話し合うってはずなのに、だんだん相手の意見を否定し完璧に論破することが目的になってしまう場合がある。
 誰の話かって、俺だ。砥呂の言う通り、魔法のアホ水を持ってきたお義母さんたちを俺は論破しようとしていた。
「俺どうすりゃいいんだろ」
「自分で考えろ、馬鹿」
 はぁ? ここでそんな突き放し方ねえだろって顔しちゃうけど、久しぶりに会ってしかも自分の悩みにつきあわせておいてそれはないよな、と思い直す。
「言いにくいとか言いやすいとかじゃなくて、これからも長くつきあっていかなきゃいけない相手だったらなおさらそこは知ってもらうべきじゃない? 一緒に暮らしていく人とか長い付き合いになる人のことで知るべきなのは、好きなこととかモノとか趣味とか『好きな何か』じゃなくて、その人が一番許せないことの方だろ? HUNTER×HUNTERとか読め。俺が思うにそれだけだよ、人とのコミュニケーションで大事なことなんて。はい、行きなさい」
「行きなさいって、あはは」
 笑ってワインを口に運ぶ俺に「それ置けって」と砥呂は突然口調が強くなる。
 砥呂は真剣な顔して俺を見つめると、話し始める。
「親父が死んで思ったのは、まあ親孝行は生きてるうちにやっとけってのももちろんそうだけど、あー俺今からほんっと当たり前のこと話すからな?」
 砥呂は力なく笑う。さっきとは打って変わってその表情はすごくやわらかい。
「もっとちゃんと色々話した方がいいぞってこと。ほんと人って、いつぽっくり逝くかわからないから。お前の奥さんだってお義母さんだってお袋さんだってほんといついなくなるかわかんねんだからな? いくら日常で伝えたいことを伝えてたって、そのときが来たらこれ言っとけばよかったとか、あれしとけばよかったってのは必ず出てきて後悔するんだろうけど、それでもなるべくなら少なくしておきたいじゃんそういうこと」
 俺は腑に落ちる。今日、砥呂が熱く俺に思いをぶつけてきているのはそう言うことなのだ。
「後悔の数と規模は小さい方が絶対いいから」
 なるほどねー。と思うものの、数はいいとして、規模ってなんだよ。
「なに、うまいこと言ったみたいな――」
 砥呂は俺を言葉を無視して表情を変えない。
「それと、タイミングね」
「タイミング?」
「何かを言わなきゃいけないとき、気持ちを入れて言葉を発するときには、その言葉が発せられるタイミングってのがあんだよ」
「はあ」
「いや……違うな。そのタイミングじゃなきゃ伝わらない言葉ってのがあんだよ。で、ひろが言うべきそのタイミングってのが今」
「今……?」
「俺が今こうやってひろにしゃべっている言葉も、今日の今まさにお前に伝えるべき言葉なんだよ。昨日でも明日でも一時間後でも一時間前でも駄目。今じゃなきゃ届かない言葉なの」
「で、俺が家族に説明するタイミングも今日ってこと?」
「そう。だからすぐ家帰れってって言ってんの」
 まったく論理的ではないし、よくわからん理屈だけど、俺は妙に納得してしまい頷く。今砥呂が俺に言ってくれた言葉は今のタイミングじゃなきゃだめな言葉だったし、俺が自分の気持ちを伝えるのも今日じゃなきゃ駄目なのだ。
「よし! これで俺の役目も終わったわ。俺はこれを言うために今日ひろと会う運命だったんだって感じで、ははははっ、すげーすっきりした」
「なに自分だけすっきりしてんだよ」
「だからこれもタイミングなんだって」
「タイミングね……」
「なに浮かない顔してんだよ。お前の顔これ以上見てたら、すっきりした気持ちも沈んじゃいそうだわ。つかマジで早く帰れ」 
 砥呂は笑って言いながら「授業料」と俺の胸ポケットにレシートをねじ込む。
「ん~なんか、よくわかんねえけど……ありがと。とりあえず帰って俺の言いたいこととか言ってみるよ」
「いいか、ロジックで説得しようとか思うなよ。そういう話じゃねえんだから。感情でいけ、感情で!」
「なんか……せっかく会ったのにこんな感じで申し訳ないわ」
「気にすんな。俺も言いたいこと言えたしいいんだっての」
「じゃあ、また」
「ひろ!」
「なんだよ?」
「一生、友達だぜっ!」
 砥呂の澄んで乾いていてよく通る声が店に響き渡る。恥ずかしいから止めろよバカ。
 って、今のもお前が俺に言うタイミングなのか?
 いつまでも俺に手を振る砥呂を残して店を出る。
 一階に向かうエレベーターの中で、駅に向かうまでの歩道で、電車の窓から外を見ながら、俺は砥呂の言った「タイミング」ってやつについて考えている。
 言葉には、言葉を発するべきタイミングがある。すごく感覚的な話だ。
 あいつの言葉を信用してみる。
 それと同時に、今、俺の中にも湧き上がってくるこのタイミングだ! という気持ちを信じる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み