第1話

文字数 722文字

潮風の匂いがする。
海のさざ波の音が聞こえる。
月明かりのもとで水面はキラキラと輝いていた。
「獲れたぞー!」
玄関から大きな声が聞こえて来た。
きっと三郎の声だろう。
「匠希(しょうき)が寝てるから静かにしなさい……」
三郎の妻の義子がそう言った。
顔が喜びに満ちていた三郎も、少し声のトーンを下げた。

三郎の職業は漁師である。
代々、家の前から見える海の中で生計を立てて生きてきた。
荒波に揉まれながらも自然を相手にして戦う仕事には誇りを持っている。
三郎には妻と一人息子がいる。
妻の名前は義子。
三郎とは高校時代に出会い、そのまま恋に落ちていった。そして、二十二歳という若さで義子と結婚した。
十年以上苦楽を共にして来ており、誰よりも三郎のことを知っている。
この二人の間に生まれた子供が匠希である。
二人は結婚してからしばらくして、後継を残そうと考えていた。
しかしなかなか子宝に恵まれなかった。そんな中で誕生した匠希には、男の子だったこともあり、大きな期待を寄せていたのだ。

「ぎゃああああ」という大きな声が寝室から聞こえて来た。
あーもう、という表情を浮かべて義子が苦笑いをした。
天気が良ければ休日でも船を出しているので、子育ては義子が一人で担っていると言っても過言ではない。
苦笑いをする義子とは裏腹に、三郎は嬉しがっていた。
「こんなに大きな鳴き声を上げる子供なら将来は絶対に大物を獲るに違いない」
義子もかすかに頷いた。
早くご飯にしますよ、という顔をしている。
三郎は日が暮れてから船を引き返してくるため、家に帰ってくる時間が遅いのだ。
ただもうこの生活にもだいぶ慣れて来ていた。
街と子供が寝静まった頃、聞こえてくるのは三郎と義子の小さな談笑と、瀬戸内海の波の音だけだった。
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