第4話

文字数 1,246文字

船に取り付けられている柵から顔を出した。
強い風を感じる。
やがて船が停まった。
三郎が手際よく網を用意し始めた。
三郎が得意としているのは底引網漁である。
海底に網を投げ入れ船でそれを引いて行く。
一時間から二時間ほど待機してから網を引き上げる。
この作業を四回から五回ほど繰り返す。
早朝から出航して夕暮れまでこの作業が続くのでとても肉体に響く。
本来は匠希がまだ寝ている時間に仕事を始めているが、今日は匠希を連れて行くことを決めてい
たので日が昇るまで待っていた。
「おい、匠希。お前も俺みたいに作業してみろ」
三郎の傍で見ていたらお前も働け、と言わんばかりな声がした。
三郎は軽々しく網を投げていたが、思った以上に重い。
弱音を吐きそうになるが三郎の前で弱みを見せたくはない。
力を振り絞って網を投げれるかと思ったが、やはりそこまで甘くないようだ。
ため息をついて網を手から離しそうになり、三郎の方を見て助けを求めた。
しかし、三郎は動じなかった。
ついには力尽きた匠希は網を手放して甲板へ落としてしまった。
こら、という怒鳴り声かと思ったら、もういい、という一言だけだった。
何か語りかけて来る三郎の背中を見て、匠希は何かを感じた。
まだ小学生の語彙ではうまく言葉にすることが難しかった。

そして作業が終わり、一時間ほどの空き時間が出来た。
船の中には気まずそうな雰囲気が流れていた。
耐えられずに言葉を発したのは匠希だった。
「父さん、俺漁師が向いてないと思う」
三郎は俯いている。
「網も一丁前に用意できないなんて、俺は大山家の人間として生きられない」
重そうな口を開けて三郎が喋り始めた。
「親父に向ける顔がないだろう。親父は誇りあるこの家業を受け継いできた」
「俺の代で簡単に途絶えさせるわけにはいかん」
匠希は決められたレールの上に居る事に怒りを覚えて、鋭い視線で三郎を睨みつけた。
三郎が立ち上がって遠くの方を見つめた。
「俺だってそう最初から上手くできたわけじゃないよ」
懐かしむように話している。
「親父によく叱られたもんさ。当時は生活も苦しくてね。二郎兄さんの学費を捻出し
ながら、家計も自転車操業だから早く俺が働くことを期待してたんだよ」
匠希の視線が変わった。
「親父も俺も頑固者なのさ。だから後継ぎを頑張って育てようとしている。俺の気持ち
も少し感じたか?」
二つ返事は出来なかったが、なんとなく頷いた。
そうやって少しずつ話して行くうちに時間は経っていた。
「よし、引き上げるぞ」
合図とともに網が引き上げられ始めた。
網の中にはカレイやらヒラメやら蟹やらが入っている。
いつもは煮付けや刺身で食べる魚が跳ねたりしているので、不思議な感覚だった。
全て引き上げたらいつもはこの後数回繰り返すが、今日は匠希を連れているので船を戻した。
初めての体験は匠希を確実に強くした。
しかし、上手く動けない自分にも苛立ちを覚えた。
慣れていくしかない、と感じたが自分には漁師の才能があるのだろうか。

“頑固者”、三郎のその言葉が家まで帰る途中にずっと繰り返されていた。
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