第1話

文字数 2,262文字

 その日『白龍ラーメン』の店主である、後藤は悩んでいた。
 厨房で寸胴鍋に入ったスープをかき混ぜながら、もう一時間以上、誰もいない店内を虚ろな眼で眺めている。
「……今日もお昼時に四人しか客が来なかったな。昨日は五人、この前なんか二人って時もあったし。これで夜が忙しければ問題ないんだが、そっちもさっぱりなんだよな。どうすればいいんだろう」客がいないことを良いことに、独り言がとまらない。「味には自信あるんだけどな、味には。二年前にオープンした時には、この店だって賑わっていたんだが、一年もしないうちに閑古鳥が鳴き始めやがった。やっぱり飽きられちゃったのかな。最近は新しい店が次々に出来るものだから、どうしてもそっちに目移りしちゃうんだろうし。あ~あ、脱サラしてまでラーメン屋なんて始めなきゃよかった、どうしたもんかな……」
 朝から何度目の溜息だろう。最近薄くなってきた頭を掻きむしりながら、後藤はしきりに顔を歪めていた。
「ただいま戻りました」アルバイトの古賀が、買い出しから帰ってきた。
 彼はオープニングスタッフの一人。明るく真面目な好青年で、大学に通いながらこの店で働いていた。最初は四人もいたアルバイトも、今や彼一人だけ。その上、最近はシフトも段々と短くなっているのに、文句ひとつ漏らさず、いつも笑顔で頑張ってくれていた。後藤はいつも感謝しており、そんな彼の為にも、なんとか店を盛り返したかった。
「古賀君。客が増える方法ってないかな」これは後藤の口癖だった。
「そうですね。味はいいと思うんですけど……」この返事も定型句だ。
「この前メニューを増やしたけれど、ちっとも効果が無かったしな」
「でも、月に一度の半額の日は満員になるじゃないですか」
「その日だけはな」
「そういえば、この前の半額デーに、一人だけ冷やし中華を頼んだお客さんいましたよね」
「ああ、あの時はラーメンしか用意していなかったから焦ったよ」
「あの人、平静を装っていましたけど、絶対半額に気づいていなかったですよね」
「そうかもな」
「でも、他の日がこのありさまじゃ、目も当てられないですね」そういうと、古賀は話はこれまでと言わんばかりに、たいして汚れていないテーブルを拭き始めた。
 手持無沙汰になった後藤はカウンター席に腰かけると、隅に置かれたスポーツ新聞を広げる。タイガースファンである彼は、連敗続きの縦じま打線に苛立ちを憶えていた。
「そうだ、店長!」
 おもむろに古賀が声を上げた。
「何だ」後藤は新聞を広げたまま返事をした。
「インスタ映えって知ってます?」
「インスタ映え?」新聞を降ろした後藤は首をひねる。「……そういえばテレビで見たことがある。詳しくは知らないが、最近若者の間で流行っているヤツだろ? それがどうかしたのか」
 腰に手を当てた古賀は、唾を飛ばし、熱弁をふるう。
「最近インスタグラムなどのSNSで、見栄えのいい物――例えばファッションとか風景とかをアップして、リア充をアピールするのがトレンドなんです。僕の友達もハマっている人、結構多いんですよ。特に女子の間で」
「インスタ何とかで見栄えがいいから『インスタ映え』か。でも、それと集客と、どう関係あるんだ?」
「インスタ映えの中でも、特に食べ物に関するものが人気らしいです……この間、隣町にできた『ダフネ』というカフェで提供しているインディアンパフェというフルーツパフェも、かなり話題になっているみたいですよ」
「そうなのか。ということは、うちでもインスタ映えするメニューを出せばいいんだな」後藤はパン! と手を叩いた。
「どうです? やってみる価値はあると思いますよ」
「よし、早速やってみよう」しかし、後藤は直ぐに頭をかしげた。「……でも、実際にどんなメニューを出せばいいんだ? うちはラーメン屋だから女性の客はほとんど来ないし、パフェみたいな女子受けするメニューは作れんぞ」
 そこで古賀は顎に手をやりながら言った。
「別にパフェを作る必要はありません。よくあるのが大盛ですね」
「大盛なら前からやっているじゃないか」後藤はメニューをチラ見する。
「それが普通の大盛じゃなくて超大盛なんです。一般的にデカ盛りっていうらしいんですけどね。店にも寄りますが、通常の五倍くらいの量を盛り付けています」
 あきれ顔の後藤は思わず口を尖らせて反論する。
「大食い大会じゃないんだから、そんなの出しても完食する人なんていないだろ。普通のラーメンを五杯とかじゃダメなのか?」
「デカ盛りだから意味があるんです。注文して出てきた時のインパクト、まさにそれに尽きます。それをスマホで撮影し、コメントをつけてアップすれば、それでオーケーなんです。例え食べ残したとしてもちゃんと代金は頂くし、なにより宣伝と思えばいいんです」
「そんなもんか」
「そんなもんです」
 だが、後藤はそれでも納得がいかない。
「器はどうする? そんな大型のどんぶりなんてウチにはないぞ。売ってあるのも見たことないし、どうやって手に入れるんだ?」
 古賀はしたり顔で答える。
「店によってはどんぶりじゃなくて、大きめのすり鉢だったり、小ぶりのタライを使っているところもあるようです。ですから、そこも問題なしです」
 そこまで聞いた後藤は、ようやく納得して、「なるほど。食べ残し前提ってのが気に掛かるが、背に腹は変えられないか……」
「店長! その意気です!」満面の笑みをこぼし、古賀は後藤の肩をがっしり掴んだ。
 その夜から、二人は閉店後に、デカ盛りラーメンの試作に取り掛かった……。
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