面倒臭い女
文字数 3,385文字
「面倒臭い女は嫌いだ」
大学時代に付き合っていた彼が、別れ際に言った言葉が忘れられなくて、私は今もその言葉に縛られている。
そもそも、面倒臭い女って何?
彼の視線の先をいちいち気にする女?
言葉尻を取って詮索する女?
女友達をチェックする女?
細かく連絡を催促する女?
今度いつ会える? と、毎回訊ねる女?
自分の中で考えられる「面倒臭い女」というものを想像し、そんな女にならないようにと、私は今までずっと細心の注意を払ってきた。
はずだった……。
「夏って。ホント面倒な女だよな」
溜息まじりに零された彼からの言葉に、心臓が止まるかと思った。
あれほど面倒臭い女にだけはならないようにと気をつけていたはずだった。実際、面倒臭い女になっているつもりも全くなかったのだ。
なのに、今目の前にいる彼は、私にそんな言葉を投げかけている。
衝撃的すぎて言葉が出ない。
人間、余りにありえない言葉を投げつけられると、頭が真っ白になるようだ。
言葉の出ない私は、ただ黙って彼のことを見続けていた。
そうやっていればどうにかなるなんて事は微塵も思わないけれど、ショックが大きすぎてそれ以外できないのだから仕方ない。
上がるコーヒーの湯気が、靄 のように目の前にいる彼の顔をぼんやりと霞 めていく。
面倒臭い女にならないと決めたのは、大学に入りたての頃だった。
大学に入るために、勉強以外のことには目もくれなかった高校時代。私の知らないところでガリ勉なんてあだ名がついていたかもしれない頃、周りでは彼ができた。キスをした。喧嘩をした。浮気をされた。そんな会話が日常茶飯事に繰り広げられていて、教科書やノートに視線をやっていようが、イヤでも耳に入ってきた。
実際、羨ましかったのは言うまでもなく。耳がダンボになるのを、どれほど堪えていたことか。
それでも大学へ行きたいという比重が勝っていた私は、羨ましいと思う感情に必死に蓋をし続けたのだ。
そうして晴れて大学に合格し、清々しい気持ちで送るキャンパスライフが始まった。
大学内を見渡せば、素敵な男性がこんなにも大勢いたのね。目移りしてしまう。ふふ。なんて、毎日ウキウキであちこちに目を奪われていたくらい。
そんな浮き足立った毎日の中で、私の心をあっという間に埋め尽くす相手が現れた。
人を好きになるってこんなにも幸せなんだと、彼への想いで胸をいっぱいにさせていた私だったのだけれど。人を好きになるというのは幸せな気持ちだけじゃないことを、彼と一緒に過ごす日々の中で気付かされていった。
少しずつ顔を見せ出す私の嫉妬心。
彼が女の子を見るたび。
女の子と話をするたび。
私の中にある醜い感情が顔を出す。
結局。
「お前。マジ面倒臭さいよ。面倒臭い女は、嫌いだからっ」
当時付き合っていた彼に名前さえ言ってもらえず、吐き捨てるように面倒臭さいと切り捨てられてしまった。
初めてした恋は、残酷な迄に私を打ちのめした。
どれほど傷ついたかなんて、言葉にできないくらい傷ついて、恋は辛いことだと学習した。
それからの私は、面倒臭い女を卒業すると固く誓った。
どんなに付き合った彼の言動が気になっても、絶対にしつこく問い詰めない、さっぱりした女で居続けた。
なのに……。
どうしよう、また私は気づかないうちに面倒な女に成り下がっていたらしい。
何がまずかったのだろう?
一緒にいる時に他の女の子に向かって「可愛い」と彼が視線を向けても、そうだねと笑みを浮かべ。メッセージを送って返事がなかなか来なくても、辛抱強く待ち続け、絶対に催促しなかった。彼の携帯の中に、いくつも並ぶ女の子たちの名前にも何も言わず。女の子がいるコンパみたいな飲み会に行くと言っても、いつも笑顔で送り出した。何日も忙しいと逢えなくても、しつこく逢いたいと縋ったりもしなかったし、仕事と私どっちが大事なの? なんて定番みたいなセリフも言わずにきた。
他に私の何が面倒だったのだろう?
考えても考えも解らない。
彼の友達に「彼女」と紹介してくれた時も、彼のいいところは話したけれど余計なことは何も言っていないはず。
だけど、自分で気がつかないだけで、彼の気分を害するようなことをしていたのかな。
ああ、神様。
私は、これ以上何をどうすればいいのでしょう?
こんなにも彼を愛しているのに、私は“面倒”という言葉で、大学の時と同じように今まさに彼から切り捨てられそうになっています。
大好きな彼が、ほら、もう口を開けて私に別れの言葉を告げようとしている……。
「なんでいつも、そんなにあっさり構えてられんだよ」
そう言って、彼はまた溜息を零しています。
これ以上彼が溜息を吐き続けたら、私はその海で溺れて浮き上がれないまま窒息してしまうでしょう。
「俺が何やっても笑顔で許してくれてさ。女と話しても怒んないし。合コン行っても楽しかった? なんて訊くし。友達はメッチャいい彼女じゃんなんて言うし」
早口に捲くし立てると、酸素が足りないみたいに息を吐いている。
もしかしたら、私という面倒臭い女を前に、彼も窒息しそうになっているのかもしれない。
なんにしても、彼は怒っている。
テーブルの上では彼の両手がぎゅっと握られていて、怒りがそこに凝縮されているみたいだった。今その手をパッと開いたら、全てが滅亡してこの世の終わりが来てしまうかもしれない。
「不安なんだよっ」
抑え込んだ声音で彼が私に怒りをぶつけると、胃の辺りがキュッとなる。
怒っている彼の目を見続けるのが辛くて、次第に私の視線はテーブルの方へと落とされていった。ジワジワと追い詰められていくこの状況に、耐えられなくなっていく。
いっそのこと、早く別れを告げてくれたらいいのに。
そしたら一人悲しみに暮れ、熱いシャワーを浴びながら涙をたくさん流し、あったかいミルクで気持ちを慰めよう。次の恋なんて考えられなくなっている心を抱きしめて、深い眠りにつこう。寒くなってきているし、ふかふかの羽根布団にくるまって、心が温まるまで冬眠するみたいにじっとしていよう。しばらく一人という時間を過ごすのは、失恋の治療になるだろう。時間が悲しみを薄れさせてくれるに違いない。
そんな風に俯いたまま現実逃避をして、彼からの別れの言葉を待っていた。
「俺の話、聞いてんのかよ」
俯いたままの私に向かって彼が零した。
頭の上から降ってきたような声にハッとする。
視線も合わせない私を、きっと彼は睨みつけているのだろう。
怒っている彼の顔を想像してしまえば怖くて仕方ないけれど、最後の言葉を聞くために私は勇気を振り絞って顔をあげた。
恐る恐る顔を上げた先の彼は、私を優しくて穏やかな目で見つめていた。
怒って……ない?
それよりも、不安そうな瞳が私のことを捕らえて放さない。
「もっと俺のこと見てよ。もっと俺を好きになって欲しいんだよ。こんな面倒臭いこと、男に言わせんなよ」
切実でいて誠実な訴えをこぼす彼は、怒りの塊が収まっているはずの両手を徐に解いた。
さっきまで爆発寸前の怒りの塊をぶつけられると怯えていたけれど、彼が握っていた掌の中に怒りの塊などは微塵もなく。代わりに幻かと思うほどに店内のライトを受けて輝く指輪が現れた。
綺麗な輝きに目を奪われていると、彼の手が私の手に伸びてくる。
輝く綺麗な石の付いた指輪が、少しだけ震えている彼の指によって私の指へとはめられた。
「こんないい女、誰にも渡したくないんだ。こんなに好きになれる女は、夏しかいない。ずっと一緒にいて欲しい」
指輪のハマる私の手を彼が優しく握る。
そこにあるのは怒りなんてものでは全くなくて。寧ろ、深い深い愛情。
ああ、神様。
私の誓いは間違いじゃなかった。
彼を怒らせるどころか、私は彼との未来を手に入れることができました。
それどころか、私はもうひとつ学習することができました。
面倒臭い女でも、さっぱりし過ぎると不安にさせてしまうのですね。
プロポーズを受けながら、適度な嫉妬心も必要だと心に刻んだ私です。
大学時代に付き合っていた彼が、別れ際に言った言葉が忘れられなくて、私は今もその言葉に縛られている。
そもそも、面倒臭い女って何?
彼の視線の先をいちいち気にする女?
言葉尻を取って詮索する女?
女友達をチェックする女?
細かく連絡を催促する女?
今度いつ会える? と、毎回訊ねる女?
自分の中で考えられる「面倒臭い女」というものを想像し、そんな女にならないようにと、私は今までずっと細心の注意を払ってきた。
はずだった……。
「夏って。ホント面倒な女だよな」
溜息まじりに零された彼からの言葉に、心臓が止まるかと思った。
あれほど面倒臭い女にだけはならないようにと気をつけていたはずだった。実際、面倒臭い女になっているつもりも全くなかったのだ。
なのに、今目の前にいる彼は、私にそんな言葉を投げかけている。
衝撃的すぎて言葉が出ない。
人間、余りにありえない言葉を投げつけられると、頭が真っ白になるようだ。
言葉の出ない私は、ただ黙って彼のことを見続けていた。
そうやっていればどうにかなるなんて事は微塵も思わないけれど、ショックが大きすぎてそれ以外できないのだから仕方ない。
上がるコーヒーの湯気が、
面倒臭い女にならないと決めたのは、大学に入りたての頃だった。
大学に入るために、勉強以外のことには目もくれなかった高校時代。私の知らないところでガリ勉なんてあだ名がついていたかもしれない頃、周りでは彼ができた。キスをした。喧嘩をした。浮気をされた。そんな会話が日常茶飯事に繰り広げられていて、教科書やノートに視線をやっていようが、イヤでも耳に入ってきた。
実際、羨ましかったのは言うまでもなく。耳がダンボになるのを、どれほど堪えていたことか。
それでも大学へ行きたいという比重が勝っていた私は、羨ましいと思う感情に必死に蓋をし続けたのだ。
そうして晴れて大学に合格し、清々しい気持ちで送るキャンパスライフが始まった。
大学内を見渡せば、素敵な男性がこんなにも大勢いたのね。目移りしてしまう。ふふ。なんて、毎日ウキウキであちこちに目を奪われていたくらい。
そんな浮き足立った毎日の中で、私の心をあっという間に埋め尽くす相手が現れた。
人を好きになるってこんなにも幸せなんだと、彼への想いで胸をいっぱいにさせていた私だったのだけれど。人を好きになるというのは幸せな気持ちだけじゃないことを、彼と一緒に過ごす日々の中で気付かされていった。
少しずつ顔を見せ出す私の嫉妬心。
彼が女の子を見るたび。
女の子と話をするたび。
私の中にある醜い感情が顔を出す。
結局。
「お前。マジ面倒臭さいよ。面倒臭い女は、嫌いだからっ」
当時付き合っていた彼に名前さえ言ってもらえず、吐き捨てるように面倒臭さいと切り捨てられてしまった。
初めてした恋は、残酷な迄に私を打ちのめした。
どれほど傷ついたかなんて、言葉にできないくらい傷ついて、恋は辛いことだと学習した。
それからの私は、面倒臭い女を卒業すると固く誓った。
どんなに付き合った彼の言動が気になっても、絶対にしつこく問い詰めない、さっぱりした女で居続けた。
なのに……。
どうしよう、また私は気づかないうちに面倒な女に成り下がっていたらしい。
何がまずかったのだろう?
一緒にいる時に他の女の子に向かって「可愛い」と彼が視線を向けても、そうだねと笑みを浮かべ。メッセージを送って返事がなかなか来なくても、辛抱強く待ち続け、絶対に催促しなかった。彼の携帯の中に、いくつも並ぶ女の子たちの名前にも何も言わず。女の子がいるコンパみたいな飲み会に行くと言っても、いつも笑顔で送り出した。何日も忙しいと逢えなくても、しつこく逢いたいと縋ったりもしなかったし、仕事と私どっちが大事なの? なんて定番みたいなセリフも言わずにきた。
他に私の何が面倒だったのだろう?
考えても考えも解らない。
彼の友達に「彼女」と紹介してくれた時も、彼のいいところは話したけれど余計なことは何も言っていないはず。
だけど、自分で気がつかないだけで、彼の気分を害するようなことをしていたのかな。
ああ、神様。
私は、これ以上何をどうすればいいのでしょう?
こんなにも彼を愛しているのに、私は“面倒”という言葉で、大学の時と同じように今まさに彼から切り捨てられそうになっています。
大好きな彼が、ほら、もう口を開けて私に別れの言葉を告げようとしている……。
「なんでいつも、そんなにあっさり構えてられんだよ」
そう言って、彼はまた溜息を零しています。
これ以上彼が溜息を吐き続けたら、私はその海で溺れて浮き上がれないまま窒息してしまうでしょう。
「俺が何やっても笑顔で許してくれてさ。女と話しても怒んないし。合コン行っても楽しかった? なんて訊くし。友達はメッチャいい彼女じゃんなんて言うし」
早口に捲くし立てると、酸素が足りないみたいに息を吐いている。
もしかしたら、私という面倒臭い女を前に、彼も窒息しそうになっているのかもしれない。
なんにしても、彼は怒っている。
テーブルの上では彼の両手がぎゅっと握られていて、怒りがそこに凝縮されているみたいだった。今その手をパッと開いたら、全てが滅亡してこの世の終わりが来てしまうかもしれない。
「不安なんだよっ」
抑え込んだ声音で彼が私に怒りをぶつけると、胃の辺りがキュッとなる。
怒っている彼の目を見続けるのが辛くて、次第に私の視線はテーブルの方へと落とされていった。ジワジワと追い詰められていくこの状況に、耐えられなくなっていく。
いっそのこと、早く別れを告げてくれたらいいのに。
そしたら一人悲しみに暮れ、熱いシャワーを浴びながら涙をたくさん流し、あったかいミルクで気持ちを慰めよう。次の恋なんて考えられなくなっている心を抱きしめて、深い眠りにつこう。寒くなってきているし、ふかふかの羽根布団にくるまって、心が温まるまで冬眠するみたいにじっとしていよう。しばらく一人という時間を過ごすのは、失恋の治療になるだろう。時間が悲しみを薄れさせてくれるに違いない。
そんな風に俯いたまま現実逃避をして、彼からの別れの言葉を待っていた。
「俺の話、聞いてんのかよ」
俯いたままの私に向かって彼が零した。
頭の上から降ってきたような声にハッとする。
視線も合わせない私を、きっと彼は睨みつけているのだろう。
怒っている彼の顔を想像してしまえば怖くて仕方ないけれど、最後の言葉を聞くために私は勇気を振り絞って顔をあげた。
恐る恐る顔を上げた先の彼は、私を優しくて穏やかな目で見つめていた。
怒って……ない?
それよりも、不安そうな瞳が私のことを捕らえて放さない。
「もっと俺のこと見てよ。もっと俺を好きになって欲しいんだよ。こんな面倒臭いこと、男に言わせんなよ」
切実でいて誠実な訴えをこぼす彼は、怒りの塊が収まっているはずの両手を徐に解いた。
さっきまで爆発寸前の怒りの塊をぶつけられると怯えていたけれど、彼が握っていた掌の中に怒りの塊などは微塵もなく。代わりに幻かと思うほどに店内のライトを受けて輝く指輪が現れた。
綺麗な輝きに目を奪われていると、彼の手が私の手に伸びてくる。
輝く綺麗な石の付いた指輪が、少しだけ震えている彼の指によって私の指へとはめられた。
「こんないい女、誰にも渡したくないんだ。こんなに好きになれる女は、夏しかいない。ずっと一緒にいて欲しい」
指輪のハマる私の手を彼が優しく握る。
そこにあるのは怒りなんてものでは全くなくて。寧ろ、深い深い愛情。
ああ、神様。
私の誓いは間違いじゃなかった。
彼を怒らせるどころか、私は彼との未来を手に入れることができました。
それどころか、私はもうひとつ学習することができました。
面倒臭い女でも、さっぱりし過ぎると不安にさせてしまうのですね。
プロポーズを受けながら、適度な嫉妬心も必要だと心に刻んだ私です。