第1話

文字数 1,867文字

「知らない間に荷物って増えるもんだなあ」
 そう言いながら、士郎は自分の腰をトントンと叩く。
「ほんとだね」
 入籍して二年。士郎と暮らして、そんなに増やしたつもりはないのに、随分と物が増えた。
 引越し業者さんからもらった薄紙を重ねて食器を包みながら時計を見ると、もう1時を過ぎている。
「お昼どうしよっか」
「ちょっと休憩がてら、なにか買って川べりで食べようよ」
 恋人時代から二人でなん度も歩いた川辺。もう桜が咲いてるかな。綺麗だろうな。しばらく来られないだろうし——もしかしたら、もう来ることもないのかもしれない……。わからないけれど、気持ちいいあの川辺を歩きたい。

 新しくできたパン屋さんで美味しそうなパンを買い、川辺のベンチに腰掛けた。持って来た水筒からコーヒーを注ぐと良い香りと湯気が立った。

「ごめんね」
 士郎は手に持ったパンの袋を開けたまま、遠くの山を見ている。
「なにが?」
「仕事のこと。辞めることになって」
「もうその話はいいよ。何度も言ったでしょ。もともといつかはフリーでやってみたいと思ってたから」
「本当に?」
「本当だって。なかなか踏ん切りってつかないし、いい機会なんだよ、本当に」
「ありがとう」
「うん。この街を離れるのはちょっと寂しいけど」
「そうだね。いい街だもんね」

 士郎はきっと、私の嘘に勘付いている。

 この春、士郎の転勤が決まり、その先が私の地元だった。私は十年以上働いたデザイン会社を退職し、士郎とともに地元に帰ることを決めた。私の両親も喜んでいる。

 地元の友達とは連絡を取っていない。連絡を絶っているわけではないけれど、地元で暮らしている友達のほとんどはもうお母さんになっていて子育てに忙しい。話題も合わなくなって、自然と連絡し合うことも減った。すでに年賀状だけのやり取りになっていたけれど、コロナ禍を経て年賀状もフェードアウトできてしまった。

 愛花(まなか)
 数年前の年賀状にはかわいいお子さん二人の写真に「やっと帰って来ました!」の言葉が添えてあった。

 私と愛花は中学三年生の時に同じクラスになり仲良くなった。高校は別々で、ほのぼのと田舎じみた私の高校と違って、愛花の高校は大人っぽい子が多かった。愛花はその雰囲気に染まっていった。
 しばらくして愛花から連絡があった時には、愛花はもう「大人」になっていた。妊娠したと、愛花は言った。私はどう答えていいかわからず、ただただ愛花の話を聞いた。「親に知られるわけにはいかない」「お金がいる」ついこの間まで一緒に過ごしていた同級生なのに、全然違う人のように感じた。

 その後連絡は減り、私は地元を離れて進学した。愛花は地元の大学に進学し、地元で就職。結婚して隣の県に住んでいた。最後にもらった年賀状は家族で地元に越して来たという知らせだった。

 私は直人と付き合っていた。中学二年生から付き合い始めて、同じ高校に入って、バカみたいにいつか直人と結婚すると思っていた。地元の大学に進む直人を残して、遠距離恋愛なんてへっちゃらとたかを括って上京し、半年で直人から別れを告げられた。

 直人は就職で地元を離れたと人づてに聞いた。

 誰と誰が付き合っていた。誰々の彼女を、彼氏を、誰が盗った。あいつは三股をかけていた……。

 地元をほじくり返せば、そんな話で溢れている。

 みんな、上手に忘れたふりをして暮らしているのかな。

「桜、まだちっとも咲いてないね」
「まだちょっと早いんじゃない?」
「咲くところ、見てから行けるかなぁ……」
「どうだろう」

 桜は私の地元でも咲く。
 過去を振り切ってがむしゃらに生きてきたこの街の桜より、やさしく見えるのかな、冷たく見えるのかな……。

「そろそろ帰って荷造りの続き、がんばろうか」
「うん」

 彼女の忘れたい友達。
 私はきっとその一人だ。

 士郎と来た道を歩きながら、桜の木を見上げると膨らんだ蕾がいくつもついている。

「暖かくなったら一気に咲き始めるのかな」
「沙絵の地元には桜の名所、ないの?」
「桜が丘っていう町名があって、そこに立つ樹齢300年の桜がすごく綺麗だよ」
「樹齢300年の桜か。楽しみだな」

 士郎と出会う前の私が生きていた場所。
 今の私も、過去の私もどっちも嘘ではないけれど、一度そっとふたをしたものを、本当ならわざわざ開けたくない。

 離れたっきり、そこで暮らしたことがないから、どんな心持ちで暮らせばいいのか計りかねてしまう。

 私も上手に忘れたふりをして暮らしていけるのだろうか。

「あっ、咲いてる」

 士郎が指差したその先に、ふんわりと一輪の桜が花開いていた。
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