魔王になった蛙のお話
文字数 2,982文字
むかぁし、小さな村があった場所に、古ぼけた井戸が一つ、ありました。
誰も使わなくなった井戸に、何時の頃からか、一匹の蛙が住み着きました。
蛙といっても、蛙ではありません。
頭部に大きくて美しく光る紅玉石を持つ、蛙に似た魔物でした。
宝石は綺麗でしたが、その蛙自体は色合いが汚泥色で、不気味に光る瞳と、イボに包まれており、気色の悪いものでした。
大人の拳程度のその蛙は、時折落下した虫や、水中に生えた苔を食べて生活していました。
たった一匹で、その井戸の中に身を潜めていました。
ある日、大雨が降りました。
どんどん水嵩が増して、井戸を満たしていきます。
その蛙は、泳ぎながら身を委ねていました。
やがて井戸から水が溢れ、そのまま流れ出ました。
小さく、低く鳴きました。
鳴きながら、何処へでもなく、跳んで行きました。
外の世界は食料が豊富にあったので、蛙は腹が一杯になるまで、虫を食べました。
小さかった身体は、大人の人間の頭部程度にまで成長していました。
一層、イボが醜く感じられました。
触れるだけで、皮膚が爛れてしまいそうなほどに、禍々しいモノでした。
ある日の事。
森の中で虫を捕らえ食していたその蛙は、絹を裂くような悲鳴に硬直しました。
暫くすると、蛙から見ても美しい娘が、倒れこんできました。
後から、数人の男達がやって来ました。
悲鳴を上げる娘は「助けて!」と懇願しました。
けれども、男達はそれぞれ手にした武器で、薄笑いを浮かべながら無慈悲にも娘を切り刻み始めました。
蛙は、石の振りをしてその場にじっと留まりました。
男達は、ばらばらになった娘の身体を美味そうに食べ始めました。
食べている男達の様子が、徐々に変わり始めるのを、じっと、蛙は見ていました。
先程まで痩せこけていた男は、急に若返り美しい青年になっていました。歓声を上げて、飛び跳ねていました。
太っていた男は、容姿は変わりませんでした。しかし、両の手を天に翳し、何本もの落雷を森に落としました。発狂するように高笑いをし、自分の腕を見つめていました。
数人の男達は、何かしら変貌しており、悦び合っています。
蛙は、巨体を揺すってゆっくり近づきました。
地面には、娘の血液が染みていました。
それは甘い花の蜜のような香りがして、蛙は吸い寄せられるように血液を舐めました。
あまりにも美味しかったので、蠢きながら血を啜りました。
男達が食べ残した肉片を見つけては齧り、食べることが出来ず捨て置かれた骨をも、バリバリと音を立てながら食べました。
気がつくと、蛙のさらに膨れ上がり、両手足が伸びて二足歩行が出来るようになりました。
蛙は小さく鳴くと、同じ様な甘い香りを求めて旅立ちました。
蛙は、魔性ともいえるそれに、魅了されてしまったのです。
それから、蛙は甘い香りのする娘や青年を食べていきました。
後程知ったのですが、それは“エルフ”という種族でした。
その血肉を体内に取り入れると、何かしら能力が飛躍出来るというのです。
エルフ達も弱くはありませんでしたが、貪欲な人間や魔族、魔物達に集団で襲われて絶滅に瀕しておりました。
けれども嗅覚が優れていたのでしょうか、香りを辿っておこぼれを食べていた蛙は、何時の間にか大人の人間ほどの背丈と、肥えた身体になっていました。
自分でエルフを狩ることが出来るようになりました。
食べたエルフが所持していた杖を奪い、金品宝石を奪い、美しい布を身に纏い続けました。
そして、蛙はこの惑星で最も多くのエルフを食べたモノになったのです。
貪欲に接種し続け、ついに魔法も扱う事が出来るようになっていました。
動きは鈍足ですが、類稀な魔力に多くの人間や魔族が平伏しました。
こうして、元々井戸に住み着いていた小さな蛙の魔物は、ついに魔王になったのです。
その惑星のエルフを全て狩り喰らい、魔力を肥大させ魔物を引き連れた蛙、いえ……魔王は人間の城や街を襲いました。
エルフがいなくなってしまったので、食べる目的を失い、人間達を面白半分に殺し始めます。
やがて、退屈を持て余したその魔王は、知識も得ていたので他の惑星へと移住することを思いつきました。
他の惑星ならば、まだエルフがいるかもしれない。
そうしたら、また美味いモノを味わえるし、強くなれる。
二つに割れた紫の長い舌先を邪悪に動かし、嗤って、魔王は移住します。
移住した先の惑星には、別の魔王がおりました。
その魔王は元蛙とは違い、とても美しい青年でした。
銀髪は長く艶やかで、気品があります。
また、他の惑星からもそれぞれ魔王が二人、やってきました。
その二人も元蛙とは違い、美しい青年でした。
ですが、容姿など気にしない元蛙の魔王は、自分こそが魔王の中の魔王であり、こんな奴らには負けはしないと奢っておりました。
さて。
移住した先の惑星の美男子魔王には、美しい恋人がおり、相思相愛でした。
事もあろうに、その恋人こそがエルフだったのです。
正確には魔族との混血でしたが、時折見かけると風に乗って甘い香りが漂いました。
蛙の魔王は、その恋人がどうしても食べたくなりました。
やがて、勇者がやってきました。
やってきた、と言っても自ら来たわけではなく、彼女に一目惚れをした他の魔王が攫ってきたのです。
まだ幼いながらに、美しいその勇者。
彼女からも、甘い香りがしておりましたし、勇者の動きを探っていた蛙の魔王は知っていました。
勇者の血液を偶然舐めた吸血鬼が叫んだ言葉を、聞き逃しませんでした。
魔力が増幅した、と。
エルフの血に似ている、と。
蛙の魔王は、他の魔王達が大事にする娘らを喰らう事を生き甲斐に、密かに蠢きました。
しかし、悪企みもそこまででした。
魔王の恋人であるエルフは喰らったのですが、勇者であった娘の前に敗北したのです。
膨れ上がり、山一つ分もありそうな巨体になった蛙の魔王に、気の毒そうに勇者は何か告げました。
ですが、最早力を求めることしか出来なかった蛙の魔王は、彼女が何を言っているのか、理解することが出来ませんでした。
エルフの血を摂取しすぎて、脳が退化してしまったのです。
暴れることしか出来ない、哀れな蛙が一匹。
その勇者は、止めを刺しました。
静まり返ったその場所に、ひっくり返っている小さくてみすぼらしい蛙がいました。
瞳を閉じ、すでに死んでいる蛙の頭部には紅玉石。
勇者に倒され、元の蛙に戻ったのです。
あぁ、もし。
あの井戸から出ることがなかったら、こんなことには、ならなかったのに。
あぁ、もし。
あそこでエルフの血を啜らなければ、こんなことには、ならなかったのに。
勇者は非常に気の毒に思い、その元魔王の蛙の為に穴を掘って埋め、魔法を唱えました。
すると、様々な花が地中から顔を出しました。
さわさわと、花が風に揺れました。
※イラストは頂き物です(*´▽`*)