運命の恋人のお話

文字数 5,679文字

 向日葵のような長い髪を高い位置で一つに縛り、元気な声で花を売る女性がおりました。
 その世界では比較的大きな街の片隅に、彼女の家はありました。
 庭中に咲き乱れる花を切り、時には鉢ごと台車に積んで毎日売り歩きました。
 特に美人というわけではありませんでしたが、彼女の声はとても柔らかく、聴いているだけで心地が良いものでした。
 また、始終笑顔でしたので、疲れを癒してくれると評判の女性でした。
 庭は広大でしたが、温室もあり、家はこじんまりとしていたので窮屈です。
 それでも彼女は、毎日が幸せでした。
 花に囲まれて生活出来ることが、何より楽しかったのです。
 両親がおりましたが、花屋の経営は彼女が行っておりました。

 そんなある日、花屋の前に一人の男が立っていました。
 猫背で、伸び放題の前髪に隠れて表情は見えませんでしたが、時折髪が揺れるとニキビだらけの皮膚が見えます。
 瞳は伏せ目がちで、黄色く光っておりました。
 お世辞でも清潔とは言えない男は、じっと庭の花を見つめています。
 通りすがりの街の人達は、気味が悪いと男を避けていきました。
 花を売り終え、岐路に着いていた女性に、街の人達は大慌てで告げました。

「貴女の家の前に、不審者がいるよ! 気をつけて」

 女性は首を傾げ、家の前に立っている男を観察しました。
 確かに身なりは汚いのですが、悪い人には思えません。

「あの、何か御用でしょうか?」

 ですので、彼女は躊躇うことなく話しかけたのです。
 男はその声に飛び上がると、数歩後退し、もじもじと身体を動かします。
 彼女が近寄ると、何か男は呟いていました。
 蚊の鳴くようなか細い声の為、聴き取るのに苦労をしました。

「き、綺麗なお庭だなぁと、おも、思いまして」
「あら、お花が好きなのかしら? ……庭弄りをしていた手をしているのね!」

 男を注意深く見ていた彼女は、彼の傷だらけの手に気づきました。
 そして、そっと手に取り微笑みます。  
 自分のゴツゴツとした手が柔らかく包み込まれて、男は一気に顔を赤くしました。

「私の手と一緒だわ! 貴方も花屋を?」
「は、はい、以前の街で……。ですが、職を失くしてここへ来ました。す、すみません。眺めてしまって」

 慌てて手を振り払うと、男は深く頭を下げ、立ち去ろうとします。
 彼女は、呼び止めました。

「待って! ねぇ、うちで働かない? 人手不足なの。給料は安いけど、庭の小屋でよければ貸すから住み込みでどうかしら?」
「え、えぇ!?」

 彼女は、曇りなく微笑むと男に駆け寄りました。
 自分でも何故そんなことを言ったのか解らず、驚いていました。
 見ず知らずの人間でしたが、どうしても彼が悪い人には思えなかったのです。
 それどころか、知っている気がしました。

「私は、ウルスラ。貴方のお名前は?」

 ウルスラに手を掴まれ慌てふためいた男ですが、身体を大きく震わせて静かに名乗りました。

「ミラボーと、申します」

 聞いた途端、ウルスラは息を飲み瞠目しました。
 小さい頃、一緒に居た不思議な蛙と同じ名前だったからです。
 そういえば、瞳の色や、動きが鈍そうなところも似ています。
 ですが、まさか蛙と同じ名前だと言われて喜ぶ人などおりませんので、ウルスラは敢えて言いませんでした。

 両親はやって来た不気味な男に、露骨に眉を顰めました。
 けれども、ウルスラは叱咤します。

「人を見た目で判断してはいけないって教えてくれたのは、お父さんとお母さんでしょう!?」
「で、でもなぁ、ウルスラ……」

 居心地の悪いミラボーでしたが、結局ウルスラが両親を説き伏せ、埃だらけの庭の小屋で寝泊りすることになりました。
 固い床の上に、ウルスラが持ってきてくれた毛布にくるまって寝るだけでしたが、ミラボーは感激しました。
 身なりが不気味で誰も雇ってくれず、途方にくれていた為です。

 こうして、花屋での生活が始まりました。
 ミラボーは男でしたが、ウルスラより力が弱く、肥料を運ぶのも一苦労です。
 また、外見が不気味な為に、通りかかった人々はミラボーを指差して嘲笑しました。
 その度にウルスラは激怒し、怒りを懸命に堪え唇を噛み締めます。
 ウルスラは、知っていました。
 確かにミラボーは上手く仕事を進めることが出来ませんが、花達へ愛を惜しみなく注いでいました。
 優しく水をやり、丁寧に肥料も与え、毎日話しかけていました。
 切り花にする時は「痛くしてごめんね」と常に謝罪をしていました。
 不器用なだけで真面目な人だと、ウルスラはミラボーを見守っていました。

 暫くして、ようやく仕事が暇になりました。
 思い切ってミラボーを改造することにしたウルスラは、悲鳴を上げて逃げ回る彼を強引に椅子に座らせ、伸びきった茶色い髪を切ります。
 人の髪を切るのは初めてでしたので、上手く出来ず、かなり短くなっていました。
 すると、今にも泣き出しそうな幼いミラボーの顔が出てきます。

「あら、意外と若いのね……って失礼ね私。一体幾つなの?」
「ぼ、僕は今年で十八歳です」
「若い! 私は三十六歳よ。やだぁ、二倍も長生きしてるのね」
「そ、そうですか。美しい方なのでもっとお若いかと」
「あら、煽てても何も出ないわよ?」

 腹の底からせり上がるようなくすぐったさを感じながら、ミラボーの髪を整えていきます。

「うん、顔立ちは悪くないわ。ミラボー、ほら、目を見て話すの。ここね、ここ。人の鼻の頭を見て話す癖をつけましょう。あと、言葉ははっきりと! 口を大きく開けて!」
「む、無理です。僕はウルスラさんのように美しくないので、人と目を合わせるなんて、そんな、そんな、心臓が止まりそうなことっ」

 美しい、と言われて頬を染めたウルスラは、照れ隠しでミラボーの背を強く叩きながら、会話の練習を始めました。
 その日から、視界が開けたミラボーは懸命にウルスラに言われた事を頭の片隅において生活しました。
 腹から声を出すようにしたので、すぐにお腹が空き、ご飯をよく食べるようになりました。

「お、おかわりください!」

 元気よく茶碗を突き出すミラボーに、ようやく両親も打ち解けて、笑顔でご飯をよそってくれました。
 髪が顔にかからなくなったので、顔の吹き出物は徐々に少なくなりました。
 たくさんご飯を食べるようになったので、身長が伸び、身体を懸命に動かして筋肉もついてきました。
 何より、まだ俯き気味でしたが、頑張って人の目を見るようになったので、好感度が上がりました。
 ウルスラと共に花を売りに行くと、声を出して売り込みます。
 若くて照れ屋な男が花を売っているという口コミは、次第に広がっていきました。
 その頃には、身体は若干細長いものの、筋肉が程好くついており、ミラボーは普通の好青年になっておりました。
 その為、少女や中年女性から熱い視線を向けられるようになりました。
 異性に囲まれて困惑気味のミラボーを、ウルスラは複雑な気持ちで見ておりました。
 大事な弟が盗られてしまったような、やるかたない気分です。

「やあウルスラ! 今度の休みに出かけないかい、二人で」
「駄目よ、花屋は忙しいの」
「若いのが入ったんだろ? 任せて遊びに行こうよ」

 ウルスラも、歳はともかくよく働くし、笑顔も可愛らしく気立ても良いので、異性から毎回声がかかりました。
 その度にミラボーは、控え目にそちらを見ておりました。
 こちらも、大事な何かが奪われてしまいそうで、意気消沈しておりました。

 ある日、新しく入荷した肥料を運んでいたウルスラは、あまりの重さに大きく溜息を吐きました。

「重いものは僕が運びますよ、無理しないで。ウルスラさんは女性なのだから」

 そう言って、ミラボーが運んでくれるようになりました。
 最初、ウルスラは拒んでおりましたが、最近は素直に甘えるようにしました。
 何時の間にやら逞しい青年になったミラボーを、眩しく見上げるウルスラ。
 短髪が似合う、評判の青年です。真面目で、笑みを絶やさない、人気者になりました。

「ミラボーは良い子ね」
「また子供扱いしましたね」
「子供……じゃないか、もう立派な大人よね」

 笑うウルスラに、ミラボーも笑います。
 どちらも、胸に住み着いた同じ想いを言い出すことはありませんでした。
 歳が離れすぎていたのです。
 笑いが途切れると、気まずい雰囲気になります。
 恋愛初心者の二人は、どうして良いのか解らず、沈黙したまま庭の花を見つめておりました。

「……花は、綺麗ですね。花を愛する人も、とても綺麗です」
「そうね、人を癒す不思議な力があるよね。私、子供の頃、すっごく美しい花畑に行ったの。そこで、不思議な蛙さんを拾って、一緒に暮らしていたのよ。その蛙は、珍しい事に頭に宝石がついていたの」

 しんみりと呟いたウルスラに、ミラボーは静かに相槌をうちました。

「実はね、気を悪くしないで。……貴方と同じ名前だったの。蛙のこと、“ミラボーちゃん”って呼んでいたの」

 その、瞬間でした。
 ミラボーの脳裏に、はっきりと記憶が甦りました。

『見て、この蛙さん。ここに綺麗な宝石が埋まっているの。きっと、この花畑の守り神様よ!』
『ミラボーちゃん。見て、またお庭にお花を植えたの。美味しいかな、美味しいかな!』
『ミラボーちゃん、死んじゃったの……?』

 仰天し、大きく瞳を開くと立ち上がります。
 手にしていたスコップが、手から滑り落ちました。
 ミラボーは、幾度も瞬きをして庭を見つめます。
 思い出したのです、以前は蛙で、花畑に住んでいたことを。
 そして、可愛らしい少女が見つけてくれて、彼女の庭に住んでいた時の事を。
 あの日庭で咲き誇っていた花々と同じ花が、ここでも咲いていました。
 そして、山奥の花畑にあったような花々も、ここで咲き乱れています。
 だから、ミラボーはこの庭先で無意識のうちに足を止めたのです。
 懐かしくて、心が震えて、あの少女に逢いたくて、泣きそうになって。
 
「ミラボーです……。僕がその、蛙のミラボーです!」

 叫んだミラボーは、反射的にウルスラを抱き締めました。
 小さく悲鳴を上げたウルスラでしたが、悪い気はしませんでした。

「あの時、泣いてくれてありがとう! お墓を作って、花で囲ってくれたよね。見ていたよ、そして、後悔していた。護った筈なのに、君がずっと泣いていたから。本当に嬉しかった、あんな醜い僕を拾ってくれて、凄く感謝した。
 今度こそ、貴女の笑顔を護りたい。どうか、護らせてくれませんか。大好きな貴女の笑顔を護り抜くよ。僕はきっと、ウルスラという花を護る為にココまで来たんだ」

 一気に捲し立てるミラボーですが、ウルスラには何が何やらわかりません。
 けれども、ウルスラはミラボーの胸の鼓動を聴きながら、心地良くて思わず頷いていました。

 ……目の前の青年が、あの、蛙?

 混乱していますが、同時に素直に受け入れた自分もいました。
 何故ならば、確かに何処かで逢ったような気がしていたからです。
 力強く抱き締められ、ウルスラは戸惑いがちに、それでもそっとミラボーの身体に腕を回しました。

「愛しています」

 ミラボーは、迷うことなく、快活に告げました。
 その瞬間でした。
 パン、と何かが爆ぜたような音がして、二人は唖然と庭を見つめます。
 二人を祝福するように、何処からともなく薄い桃色の花弁が降ってきました。
 そして、庭中の花が一斉に開花し、光の粒子を放出します。
 甘い香りが、二人を包み込みました。
 眩い光に気づいた近所の人達が、何事かと一斉にウルスラの家に集まって来ました。
 花の中で佇み、頬を染めて寄り添い、和やかに微笑む二人は、見ている者が幸せになれる雰囲気を醸し出しています。
 穏やかな気持ちになった皆は、知らず、拍手を贈っていました。

「今、解ったよ。君の仕業だね……有り難う」

 ミラボーは、唇を小さく動かし、とある少女の名を告げました。
 すると、応える様に、庭に咲いていたマリーゴールドの花が一瞬だけ、大きく揺れました。

 醜い蛙は、欲した物をついに見つけました。
 それは、甘くて温かい、寄り添って護り抜く、たった一人の恋人です。

 ここは、惑星クレオ。
 ドゥルモという街に、小さな花屋がありました。
 花々は誇らしく咲き誇り、常に人々の目を癒してくれます。
 経営しているのは向日葵の様に明るい女性と、その彼女の傍で常に微笑み続けている青年でした。
 二人の愛情で育つ花は、今日も見事に開花しております。



 ※素敵すぎるミラボーちゃんとウルスラのイラストを、この話を気に入ってくださったということで、ほたる恵様が描いてくださいました(´;ω;`)!
 是非皆様にもご覧頂こうと!
 あたたかい、向日葵のようなイラストです。
 著作権は、ほたる恵様にございます。
 無断転載・使用等一切禁じます。

★お読みくださり有り難う御座いました。
さてさて、これにて蛙のミラボーちゃんのお話は、完結でございます。

尚、ミラボーちゃんは私の代表作である“DESTINY”に登場する魔王です。
本編をお読みの方には、一部ネタバレとなってしまいますので、ご了承くださいませ。
作者、登場する四人の魔王の中で、この蛙が二番目に好きだったりします。

ここまでお付き合いくださり、誠にありがとうございました(深礼)。
「あなたにも、素敵な出逢いがありますように……」
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