彼女(足)の恋愛事情

文字数 2,134文字

 パタパタと走り回るのは、六畳一間の小さなアパートの彼の部屋。彼が買ってくれた若草色のスリッパに、ワンポイントのピンクの花が可愛らしい白い靴下。ふんわりと漂う、彼のために用意した夕食を前にそわそわと彼の帰りを待つ。
 こんな幸せな日が来るなんて、あの日までの私には思いもつかなかった。
 そう、毎日駅のホームに一人佇み続けるしかなかった私には――

 ぼんやりと足下の黄色い線を見つめる。線路とホームを分けるその線が、今は私とその他の人々を区別する境界線のように思えてならない。

『重いんだよ、お前って。なんていうか、一緒にいても息苦しくて……。正直、疲れる』

 そう告げられたのは、久し振りに遠出したデートの帰りだった。
 さっきまで笑っていたのに。楽しいねって笑い合っていたのに!

『――別れて欲しいんだ』

 理由を訊ねようと震える唇を動かすも、動揺と絶望で乾き切った喉からは音も出なかった。そのまま去って行く後姿を、ただ呆然と見つめ続ける事しかできなかった。
 その日、その時、その場所で。私は自分の命を絶った。絶望から解放されたくて線路の上へと投げ出した筈の私は、どんな因果か今現在こうして自殺したホームの境界線を毎日見つめる存在になっていた。
(――何て事だ!!!!)
 正直頭を抱えている。これはアレだろうか。俗に言う“地縛霊”みたいなやつだろうか。開放されたくて線路に飛び込んだのに、そこに縛られるって本末転倒じゃないか。

「ねぇ、ねぇ、ここでしょ?足だけの幽霊が出るって噂の駅!」
「ああ、知ってる~。黒いパンプスの足を下から見上げて行くと、全身血だらけの女が見えるってアレでしょ~?怖いよね~」

 目の前をそんな話をしながら通り過ぎて行く女子高生に、思わず挙手したくなった。
 間違いない。それ私のことじゃん!
 そんな怖い見た目で相手には映っていたのかと、最近目のあった人の怖がり様を思い出して納得した。電車に轢かれてほぼバラバラになってしまった手前、血だらけと言うのも致し方ない。しかし、しかしだ。これだけは声を大にして言いたい。
(私は、断じて!怖がらせたくて目を合わせたわけではないんだ!!ここから助け出して欲しくて、目を合わせているんだよ!!!!)
 思わず叫んで拳を握る。もちろん、私の叫び声も姿も周囲の誰一人として見えてなどいないのだけれども。 
(はあぁぁぁっ……)
 がっくりと肩を落とし、トボトボと何度も往復しているホームを歩く。コツコツと、足にはいた黒いパンプスの音が耳に響く。それに、目の前のベンチに座っていた若いスーツ姿の男性が緩く視線を上げた。どこかげっそりとした青白い表情と、心なしかヨレついた姿に何処かのブラック企業にでも勤める可哀そうなお兄さんかなと意識を向けた。
 「お疲れ様です」と聞えない労いの言葉をかけつつ通り過ぎようとした。その瞬間、お兄さんの血走った目がクワッと音が聞こえそうなほど見開かれた。
(!?)
 思わずビクッと体が震えてしまった。
 その目が、ゆっくりと前を通り過ぎようとした私の足を追ってくる。
(この人、見えてる)
 そう確信した瞬間、ピタリとお兄さん前で足を止めていた。
(今度こそは、失敗しない。ここから私を助けて欲しいって、必ず伝える!何としても!!)
 意気込み見下ろす私の前で、彼の体がまるで怒られた子供のように縮こまっている。微かに震える体に、胸の中に焦燥感が広がった。自分の息巻く思いが、威圧感を知らずに与えてしまったのだろうか。
 慌てて身を引こうとした目の前で、彼の視線がゆっくりと上り私を見上げた。
 しっかりと合った視線の先の彼の顔に、驚きと恐怖の表情が一瞬で走る。
(ああ、今回もダメだった……)
 絶望感が意識を支配する。眉を顰め俯いた私の足を、あろうことか男性の両手ががしりと掴んだ。
(んなっ!?)
 あまりの出来事に、思わずその手を凝視する。すり抜けなかったなとか、どうして掴めたんだとか。そんな事を取り止めもなく考えるほど混乱する私を、再度彼が勢いよく見上げた。
 そして、
「素晴らしい!正に俺の理想の足!お願いします!付き合ってください!!」
と、恐怖とは真逆な思いを告げられていた。
 その真剣な瞳と、必死な姿にずっと忘れていた感情にキュッと胸が締め付けられた。
 この人は、私のことを必要としてくれている。こんなにも真っ直ぐに真剣に。その思いが嬉しくて、ぽろりと瞳から透明な涙が零れていた。
(こんな私で良ければ――)
 顔に集まる熱を心地良く思いながら、私はゆっくりとその言葉に頷いた。

 あれから私は、彼の部屋に同棲している。
 付き合って初めて知ったことに、彼は極度の足フェチだった。
 常に可視できる私の足を、うっとりと眺めては褒めちぎる毎日だ。傍から見れば奇妙に映る関係かもしれないけれど、あのホームに縛られていた日々に比べればそれも些細な事。
「ただいま~」
 玄関から聞こえて来た彼の声に、一目散へそちらへと走り寄る。
(おかえりなさい!)
 聞えなくても、精一杯声と足の動きで嬉しさを表現すれば、疲れた表情の彼が蕩けるような笑みを浮かべてくれた。
「ふふっ。労ってくれているんだね、ありがとう」
 私は今、最高に幸せだ。

END

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