第1話

文字数 6,805文字

 「金なしのマジシャン兼探偵 前編」

 小さな公園には子供たちの人だかりができていた。年代は小学校低学年くらいが大半だが中には中学生くらいの子供もいる。子供たちの視線の先には一人の男性の手元にある。
「ねーおじさん、早く次のマジックやってよー」
「はいはい待ってろよ。あとおじさんじゃなくてお兄さんな」
 軽口をたたきながら男性は子供たちに向き直った。不揃いに切られた濃くて短い茶髪が帽子の下からのぞいている。帽子と同じ色のくすんだ黄土色のトレンチコートとワイシャツと黒の長ズボンはところどころ擦り切れたりしていた。浮浪者のような見た目の彼の首元には目をひくような赤いスカーフが巻かれている。
「じゃあ最後はこれだ。まず一つの玉があるだろ?」
 男性の手には言葉通りピンポン玉くらいの玉がある。
「次は空高く玉を投げてみると」
 軽く上に放り上げる。しかし玉はいつまで経っても落ちてこない。
「ねえ、ボールはどこへ行ったの?」
「ボールが消えちゃったよ」
 子供たちから声があがる。すると男性はわざとらしく首をかしげた。
「さあなあ~、どこに行ったのやら。じゃあ呼び戻してみようかね」
 おどけたように笑いながら自分にはタネもしかけもないことを証明する。
「見ての通りポケットにもない。手元にもない。ところがこうすると――」
 おどけた表情を崩さないまま口角を上げた。実に楽しそうな目元は帽子に隠れて見えない。
「さん、に、いち!」
 男性が指を鳴らす。すると空中から軽い破裂音と共に花吹雪が降り注いだ。その光景に子供たちから歓声があがる。
「とまあ、途中で消えた玉の中身は花吹雪でした、と」
 にこやかに笑う男性の手元には半分に割れた玉があった。
 浮浪者な見た目の男性の正体はマジシャンであった。今日も自分のマジックを見てくれた観客たちの笑顔に満足そうに目を細めていた。

 子供たちが帰ったあと、男性は慣れた様子でマジックの道具を手持ちのカバンに詰め始める。
「今の魔法? どうやったの?」
 大人の女性、いや高校生くらいだろうか。黒髪ロングのストレートヘアでクリーム色のカーディガンを羽織っている。大勢の観客から少し距離をおくようにして自分のマジックを見てくれていたことを男性は思い出した。
「正確にはマジックね。ま、どっちでもいいか」
 男性はにこやかに笑いながら片付けをしていた手を止め女性に向き合う。
「この公園では見かけないな。もしかして初めて見たのか?」
「……ここでマジックをやっている人がいるって聞いて」
 男性の質問に女性はややうつむき加減でぼそぼそと答える。それを聞くと男性は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そっかそっか。初めてなんだな。よかった、また見てくれる人が増えた」
 ちょっと待ってろと男はポケットの中から名刺を取り出した。
「俺マジシャンだけじゃなく探偵もやってるから困ったら連絡してね」
 帽子をかぶり直しにこやかに名刺を差し出す。名刺には「マジシャン兼探偵 新藤 英之」と書いてある。名前も連絡先も手書きで手作り感満載だった。
「初めてマジックを見てくれた人にはこうして配ってるんだ。だがら君も」
「そんなの必要ありません。からかわないでください」
 冷徹な女子生徒の返答だった。

「まいったな、最近の女性はあんなドライなのか? 名刺だって頑張って作ったのに……」
 片手にマジック道具を詰め込んだカバンをぶら下げながら不平不満がボロボロ出てくる。
(依頼人が増えなきゃ金が増えん。となるとそろそろ……ん?)
 新藤が自宅のアパートに行くと入口では小さな老婆がほうきを持っていた。老婆は新藤の姿を見つけるとわざとらしくにっこり微笑む。
「おかえり、新藤。今日は早かったんだね」
「やあ、大家さん。部屋の付近まで掃除ですか?」
 老婆は新藤が住んでいるアパートの大家である。本気で仕事がなくなったらこの大家のように不労所得でのんびり暮らすのもいいかもしれないと新藤はたまに思うことがある。
 グレーの長い髪を後ろで一つに結んでいる大家は今年八十四歳らしい。しかし年齢を感じさせることなく日々パワフルに動き回っている。
 今の新藤にとって最も会いたくない相手ではあったが。
「お前、あたしに何か言うことあるだろう?」
 わざとらしく大家は言う。表情は笑っているが滲み出る雰囲気が尋常ではない。なんだか例えるならばにこやかに笑いながら人体を解剖する人みたいな。
(これ、出方ミスったら俺殺されるパターンだな)
大家の表情を見ながら新藤はあごに手をあて考え込む。さてどうやってこの場を切り抜けるか……。
「よ~く、考えてみな? このあたしが今のアンタに一番してほしいことさ」
 するとはっとしたように新藤は手を打つ。
「大家さん、ただいま戻りまし――」
「さっさと家賃払えやこの無職野郎があああ!!」
 声とともに新藤の体が外に投げ出された。
「よくもまあ呑気にただいまなんて言えたもんだねえ。ええ?」
 アパートの入口付近に大家はほうきを構えながら仁王立ちする。周囲に人はいない。新藤は倒れた体を起こしながら冷汗が止まらなかった。
「お、大家さん、ほうきはね、少なくとも人を殴る物ではないと思うんですが……」
「お黙り! 半年たまった家賃、今ここで耳揃えてキッチリ出しな!」
 眉間にしわと血管を浮き上がらせほうきで床を叩く大家。
(これ武器がドスとかだったら間違いなくヤクザの親分じゃないすか……)
 本人に言えばほうき殴りだけでは済まなくなるので言わないけど……。
 なんとか話題を変えようと新藤は声を絞り出す。
「あ、あの~最近真緒さんはお元気ですか?」
 実の孫の名前を聞くと大家の攻撃はピタリと止んだ。更にどこか雰囲気も柔らかくなった気がする。
「……まあ元気でやってるみたいだよ。ストーカー被害もすっかりなくなって今のところ大きな悩みもないってさ」
「そうですかそうですか。それは大変よかった」
 大げさなくらい首を縦に振りながら新藤はにこにこと笑う。
「じゃあ彼氏さんとは同棲中ですか? いやあ幸せそうで何より」
「近いうちに結婚式を挙げるそうだよ。……全く脳内はお花畑だよ、あの子は」
 振り上げていたほうきを降ろし大家はどこか嬉しそうに顔をほころばせる。畳み掛けるように新藤は言葉を続けた。
「俺がこうして格安でここに住んでいられるのも大家さんの器の大きさと真緒さんの優しさのおかげですよ。俺はただちょ~と真緒さんのストーカー被害への手助けをしただけだと言うのに」
 あなたたちがいなかったら俺は路上でくたばってました、と今にも涙を流しそうな勢いで新藤の熱弁が始まる。しばらく黙って大家は真顔で熱弁と言う名の言い訳を聞いていたが、やがて溜息を吐いた。
「……そうかい。よくわかった」
「わかってくれましたか? じゃあ今日のことはこの辺で」
 帰ります、と言おうとした新藤の頭上に鉄拳が飛んできた。
「全く、孫の頼みがなかったらお前みたいなやつすぐに追い出すんだけどね」
 吐き捨てる大家の台詞を聞きながらこの人本当に八十代なのか新藤は再度考えることになった。
 痛む頭を押さえつつ新藤が立ち上がろうとするとこちらに向かって猛ダッシュしてくる人物が見えた。
「先生―! あなたの愛しい助手が今日も来ましたよー!」
 声とともに現れたのは丸眼鏡をかけた男子中学生だった。いつもの学ラン姿ではなく私服だった。
「……ハチ、今日は普段着なんだな。制服はどうした?」
 色々ツッコミたいところは満載だが、いの一番に気になったところをまず指摘しておく。
「だって今日は土曜日ですよ? さすがに休日まで学ラン着ませんって」
「まじか、今日は土曜なのか……」
 年中休日感覚の新藤はもはや曜日感覚は曖昧だ。公園に子供が集まりやすい日ならわかるが……。
「あら小林くん。また来たのかい」
 大家は少年――ハチの姿を見ると笑みを浮かべた。ハチと言うのは新藤しか呼ばない彼のあだ名だ。本名は小林直人と言い現在中学一年、とあることから新藤の探偵助手になった。新藤のところに通ううちにここの大家とも今ではすっかり顔馴染みだ。
「こんにちは大家さん! 今日は先生の家に泊まりに来たんです!」
「は……? 何それ聞いてないんだけど?」
 困惑する新藤をよそに大家とハチはどんどん話を進めていく。
「この前クラスの人が友達の家でお泊り会したみたいなんですよ。だから僕も先生の家に泊まりたいなあって」
 両親の許可はちゃんと取ってきましたと嬉しそうにハチは大きなリュックサックを見せる。
「あらそうなの。よかったじゃないかい」
「はい! 新藤先生は僕にとっての憧れの人なので!」
「なんでそこは友達の家じゃないんだよ……」
 なんで友達の家に泊まりたいじゃなくて俺の家なんだ? あと両親もよく許可したな。
「僕、先生に助けてもらったおかげで友達もできたんですよ。でも一番は先生と一緒がいいです!」
「……ああ、そうか。もう勝手にしろ。ただし明日の朝には帰れよ?」
 諦め半分、やけくそ半分、新藤は泊まりの許可を出した。まだガスや水道などの生活に必要な物は止まっていない。……そのうち止まりそうだけど。
「ほんとこんなかわいい子がなんでアンタみたいなのと。どうやって手なずけたんだい?」
「いや俺はコイツを助手にしたわけじゃ……」
 そもそも勝手についてきたのは向こうだし。するとハチは不満そうに口を尖らせる。
「僕にとって先生は大恩人なんです! 返せないほどの大きな恩を返すまで絶対に離れませんよ!!」
「……大げさなんだよお前。俺はただちょ~と手助けしただけだろ?」
 お世辞にも新藤はよくできた人ではない。そんな人間の傍に純粋無垢な少年を長年おいておけば……少年の将来が心配でならない。
(頼むから一刻も俺から離れてくれ……! お前の将来に悪影響を及ぼしちまう!)
 新藤はろくに定職につかず酒やギャンブルに溺れていく将来のハチを想像して身震いした。
「先生! 僕は先生のためならば地獄の底へでもおともします!」
「嫌だよ! また俺が誘拐犯と誤解されるだろ!?」
 初めてハチとともに大家に会った時のことを思い出す。
 ――アンタ前からろくでもない奴だと思ってたけど、とうとう児童誘拐にまで手を染めたのかい!?
 ――ち、違うんだ! こいつがどうしても離れてくれなくて……!
 ――僕はこれからの人生を先生と共に歩いていきます!(探偵と助手的な意味で)
 ――共に歩いていくって、新藤アンタ中学生と結婚するのかい!?
 ――俺は変態じゃねえ! あとなんでそう言う発想になるんだ!?

「先生! 僕夕飯は松阪牛のサーロインステーキがいいです!」
「それ俺だって食いてぇは! あとなんつうもんリクエストしてんだてめえ!」
 結論、夕食はふりかけご飯(すきやき風味)になった。

「さて、ちょっとでも金稼いできますか……」
 結局のところ現金一万円札と引き換えにもう少しだけ支払いを待ってもらうことができた。精神的な寿命は引き延ばせてたが肉体的な寿命は縮んだ。ほんのわずかな気分転換と仕事獲得のため、今日も新藤は子供たち相手にマジックを行う。
 その日も新藤はいつも通り近所の公園で子供たちにマジックを披露していた。華やかなマジックが行われるたびに子供たちからは歓声が上がる。
「はい、じゃあ今回は終了だ。また見に来てくれよ」
 季節は冬に近づいており、夕日が遠くに見える。はしゃぎながら走り去っていく子供たちに向かって新藤は軽く手を振る。すると新藤の元に近づく人物があった。
「また来てたんだ。えっと確か名前は……」
「野崎です。野崎スミレ」
 いつかの女子生徒が今では顔見知りになっている。新藤が大家にしばき倒された日から毎回来てくれているようだ。
「君も毎回飽きないで来てくれてありがとう。野崎……さんでいい?」
「下の名前でいいですよ。どうせ大した名前じゃないですから」
 野崎……ではなくスミレは言いながら溜息を吐いた。
「素晴らしいマジックの腕でしたけど、もしかしてプロの方だったりします?」
「はは、まさか。プロだったら毎月の家賃に困りはしねえよ」
 乾いた声をあげながらでも、と沈んだ声で続ける。
「もう捨てたけど、一時期はプロ目指してたんだぜ?」
「なぜ、辞めたんですか? プロになれないと思ったから?」
「それは――」
 新藤は口を開こうとした。でもまだ彼女には言えない。一番近くにいるハチにさえ教えていないのだ。
「悪い、それ以上は言えねえ」
 ごまかすようにしてマジックの道具を仕舞い込んだ。
「こんなにすごい技術を持っているのに、お金はもらわないんですか?」
「んー、どうしてもって相手からはもらう時もある。最高額で千円くらい」
 新藤の発言にスミレは疑問を込めて首をひねる。何かを成したらそれ相応の報酬をほしがる物じゃないのか?
「家賃に困るほどだったら次回から有料にすればいいじゃないですか」
「そんなの、金持ってない人たちは楽しめないだろ? 俺は自分の金を他人のために使いたいんだ」
 矛盾しているようで理屈の通った考えにスミレはますます彼のことがわからなくなった。それでも気を取り直して、本来の目的を口にする。
「新藤さんって探偵もやってるって本当ですか?」
「まあ一応な。ほとんど猫探し専門みたいなところあるけど」
 フィクションの世界だと警察と協力して事件を解決したりするイメージだが、現実の探偵と言えば浮気調査や小さなトラブルの解決が大半だ。
「じゃあ探してほしい物があるんです」
 スミレの手にはスマホ、いやスマホケースについている古びた紐があった。
「私の大切なキーホルダーを探すのを手伝ってもらえませんか? 三日くらい前から紐だけ残してどこかに落としちゃって」
 スミレの依頼内容を聞いた時、一瞬聞き間違いではないかと思った。キーホルダー探し? そんなのまずは友達なり家族なりを総動員して探すのが先じゃないのか。
「なあまずは周囲の人に協力を仰ぐなりして――」
 すると新藤の返事を待たずにスミレはその場で深く頭を下げた。
「お願いします! 私、あれがないといけないんです! 大切な人からもらった思い出の……!」
 下に下がった髪の毛の間からこぼれた涙を見て新藤は失くした物が彼女にとっていかに大切な物かを感じだ。ただ気に入っていた物を落としただけで泣きながら他人に助けを求めたりしない。
「最初に会った時の態度は謝ります! ですからどうか力を貸してください!」
 大切な物がなくなったらどれだけ辛いか、新藤はよく知っている。だから儲からなくても探偵の仕事に手を出したのだ。
「わかった。依頼は受ける。俺もできるかぎり力を貸す」
 だから泣かなくていい、その想いを込めてポケットからハンカチを差し出した。
(どうも俺、昔から涙に弱いんだよなあ)
 スミレが落ち着くのを待ちながら新藤は首元のスカーフを握りしめた。

「あの、これ一応」
 ひとまず落ち着いたスミレは財布から千円札を出そうとする。しかし新藤は手で制した。
「俺、子供からは極力金取らないようにしてんの」
「あたし、もう十八ですけど」
 むっとするスミレだった。それでも新藤はひらひらと手を振った。
「いーのいーの。俺の中では子供だもんねー」
 さてそうかっこつけたのはいい物の……。
(今月の家賃どうやって払おっかな……)
 使う予定だった金銭が消えた。残りのわずかな米もどこまで持つか。
(まあ今そんなことはどうでもいい。それより依頼者だ)
 割り切って考えると、まずは協力者に電話をかけた。幸いこの時間帯ならちょうど下校時間だ。
「ハチ、ちょっと仕事手伝ってくれ。できる範囲でいい」
 電話でそう告げると小躍りしている情景が思い浮かぶほどはしゃいだ声がした。
「わっかりましたー! 先生ちっとも僕に仕事くれないんですもん! 助手なのにひどいです!」
「……お前まだ中学生だろうが。まあ今回は数があった方がいいし」
 風で帽子が飛ばないよう片手で押さえながら新藤は溜息を吐く。
「で! 依頼内容はなんですか!? 殺人事件の調査ですか!? それとも名のある怪人から予告状が届いたとか!?」
 ひゃっほう、テンション上がってきたー!! 突如聞こえてきたテンションマックスの声に新藤は思わずスマホを耳から遠ざけた。
「俺は警察じゃないっての。あと怪人二十面相も出て来ねえから」
 少年が愛読している小説の題名が思い浮かぶ。新藤は小説に出てくる名探偵のように優れた洞察力も推理力も持っていない。ただできることと言えば――。

「依頼内容は『大切なキーホルダーを探してほしい』だそうだ。詳細はあとでまとめて送る」

 マジシャンのように相手を笑わせることだけだ。新藤の首元で赤いスカーフが揺れた。

                                  続く
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