第3話 アカデミズムとジャーナリズムの弁証法的止揚

文字数 2,785文字

3 アカデミズムとジャーナリズムの弁証法的止揚
 確かに、マルクスはジャーナリストであり、その経験が彼の知的作業に及ぼした影響は小さくない。ただ、彼は一般的なジャーナリストと違う認知も持っている。ジャーナリストは、概して、事件が起きると、価値評価を差し控えつつ、その事実・背後関係を記事にする。ところが、マルクスは、それに加えて、事件を歴史的に位置づけている。ジャーナリストの認知が比較的ピンポイントであるのに対し、マルクスは流れの中で捉えようとする。

 好例がゴールド・ラッシュをめぐるマルクスの分析である。彼は、1850年1月31日、「さてアメリカだ。この国に生じた最も重大な、二月革命よりもっと重大な事実は、カリフォルニヤ金鉱の発見である。発見後せいぜい十八ヶ月の今日、既にこれがアメリカの発見そのものよりも遙かに大規模な結果を齎(もた)らすだろうことを思わせる」と記している。それは世界の海洋派遣が大西洋から太平洋へ移ることを意味する。

 歴史学者の服部之総が『汽船が太平洋を横断するまで』(1931)の中で引用しているこの時評を以下で孫引きする。

「三百三十年の間、太平洋に向うヨーロッパの全商業は、感心すべき気永(きなが)さであるいは喜望峯を、あるいはケープホーンを迂回(うかい)して行われてきた。パナマ地峡開鑿(かいさく)の提案はすべてこれまで商民の偏狭な嫉妬心に妨げられて来た。
 カリフォルニア金鉱が発見されてから十ヶ月になるが、すでにヤンキーはメキシコ湾方面から鉄道と大国道と運河の工事(1)に着手した。ニューヨークからチャグレスへ、パナマからサンフランシスコへ、汽船はすでに定期航路についている。太平洋の商業はいまやパナマに集中した。ケープホーン迂回航路は古くなった。
 緯度三十度にわたる海岸、世界で最も美(うる)わしい最も豊饒なそれでいてこれまで無人の境と選ぶところがなかったこの海岸が、みるみる富裕な文明国と化した。ヤンキーからはじめてシナ人、ネグロ、インディアンならびにマレイ人、欧洲系米人(クレオーレン)、黒白混血種メスチーゼンさてはヨーロッパ人にいたるありとあらゆる種類がここに密集した。
 カリフォルニアの金は奔湍(ほんたん)となってアメリカ中に、さらに太平洋のアジア沿岸に溢(あふ)れ出る。そして頑固な蛮民を世界商業に、文明にひきいれる。世界商業のうえに再度新方向が到来した。
 古代でチルス、カルタゴおよびアレキサンドリアが、中世でゼノアとヴェネチア、そしてきょうが日までロンドンとリヴァープールが世界商業の中心であったように、いまやニューヨークおよびサンフランシスコ、サンジュアン・ド・ニカラグアそしてレオン・チャグレスおよびパナマがそれとなるだろう。
 世界交通の重心は中世ではイタリー、近代ではイギリスだったが、今日では北米半島の南半である。旧ヨーロッパの産業と商業は一大奮発の必要がある――もし十六世紀以降のイタリーの産業商業と同じ浮目を見たくなかったら! もしイギリスとフランスが今日のゼノアと同じ運命に立到たちいたりたくなかったら!
 数年ならずしてイングランドからチャグレスへ、チャグレスおよびサンフランシスコからシドニー、広東カントンおよびシンガポールへ、汽船の定期就航を見るにいたるだろう。
 カリフォルニアの金とヤンキーの不撓ふとうの精力のおかげで、太平洋の両岸はたちまちのうちに、今日ボストンからニューオルリーンズにいたる海岸同様の人口を持つこととなり、商業の天地と化するであろう。
 そのときこそ太平洋は、今日大西洋がそして古代中世に地中海が演じた同じ役割を――世界交通の大水路たる役割を演ずることとなるだろう。同時に大西洋は、今日の地中海同様の単なる内海の役割にまで没落してしまうのだ。
 そのときヨーロッパ文明諸国が今日の、イタリー、スペインおよびポルトガルの轍(てつ)を踏んで産業的、商業的および政治的従属状態に陥らないで済むための唯一のチャンスは、社会革命にある。すなわち、間に合うならば、生産および交通方法を近代的生産諸力から生じつつある生産要求そのものに従って変革し、よってもって新生産諸力の発現を可能にするのである。かくするときはじめてヨーロッパ産業の優越は確保せられ、地理的状態の損失も埋め合わされるにいたるだろう」(『遺稿集』第三巻四四三頁)。

 マルクスはゴールド・ラッシュとそれに関連する同時代の出来事を歴史の流れの中に置く。大航海時代において欧州人が地中海の外の航路を開拓し、海洋覇権は大西洋に移動する。大西洋を中心にアメリカが極西、日本が極東と位置付けられる。ところが、ゴールド・ラッシュはその覇権がさらに太平洋に移る契機である。1850年当時、太平洋の定期航路はない。

 1853年、日本の浦賀沖にアメリカから黒船が来航する。これをきっかけに、日本は開口・開国へと政策を変更していく。それは世界が東西の極を持つアースから球体のグローブへと変わったことを意味する。世界は丸い。しかし、世界の海の中心はもはや大西洋ではない。太平洋だ。実際、第一次大戦と第二次大戦の戦間期、太平洋を挟んだ米中間の太平洋貿易が世界最大となっている。このようにマルクスの予言は的中している。さらに、21世紀の今、米中は世界経済の二巨頭である。

 アカデミズムは主に過去を研究対象にする。一方、ジャーナリズムは現在を扱う。アカデミシャン志望だったマルクスはジャーナリストになっている。それはマルクスに関心・思考法・レトリックの変化をもたらしている。しかし、彼はアカデミシャンとしての認知を捨てたわけではない。弁証法的に両者を統合・止揚している。それにより、マルクスは現在を過去と関連させ歴史の流れの中で把握する。その認識から未来を予想している。それは現在も未来によって規定されることを意味する。

 マルクスは世界史に最も影響を与えたジャーナリストである。彼は現在を過去や未来と関連させ、歴史の流れの中で位置づける。マルクス自身も歴史の中で捉えられ、顧みられている。マルクスの現在はつねに歴史的である。
〈了〉
参照文献
ジョン・K・ガルブレイス、『不確実性の時代』、斎藤精一郎訳、講談社学術文庫、2009年
服部之総、『汽船が太平洋を横断するまで』、青空文庫、2010年
https://www.aozora.gr.jp/cards/001263/files/50359_39395.html
Karl Marx, ‘Free Trade and Monopoly’, “Marx Engels Archive”,
https://www.marxists.org/archive/marx/works/1858/09/25.htm
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