ハッピーバーゲン(2)

文字数 3,498文字

「おい、ポッチー急げ、見つかる」

 という声に手を引かれてその小さな扉から暗闇の中に引き摺り込まれ、ギィと音が鳴ってその扉は完璧に閉められた。まさに真っ暗。動揺して、混乱する。ちょっとまって怖いんだけど!
 暗闇の中で小さな四角がぱちっと光った。あ、ナナオさんの携帯か。携帯は薄ぼんやりと光ってナナオさんの顎を下から照らしていて、それも少しホラーだったけどかえっておかしくてちょっと冷静になれた。

「レストランだけっていったじゃん」
「ごめんごめん、なんか勢いでさ。で、探検でいいだろ? もう入っちゃったし」
「うう、もう仕方ない感じ。それにしても真っ暗だね。スイッチとかないのかな」

 手探りで壁を探して突起を見つけてカチリと音を立てる。しばらくジィーという低く震える音がして天井が点滅した後、蛍光灯が瞬いた。よかった。でも今どきLEDじゃないんだ?
 見上げた蛍光灯はすっかり埃にまみれていて、というかこの階段の両端は埃だらけで、長年人が入っていないんじゃないかなと思わせた。

 そこは変な場所だった。幅2メートル半くらいの階段スペース。デパートの階段って普通は折り返しで上下の階がつながっているものなのに、7階に降りる方とは全く繋がっていない。分厚いコンクリート壁できっちり塞がれている。9階まで上がってみたけど同様で、10階への折り返しには繋がっていなくて分厚いコンクリートの壁で阻まれていた。

「他の階ってどうだっけ」
「とうだったかなあ?」

 記憶としては、フロアとは別に踊り場的なスペースが階段部分に設けられていて、普通に折り返して上下の階に移動できた記憶がある。作りとして何か変だ。ここって非常階段だよね。例えば火災が起こった時、上下階に移動して逃げようと思っても、この作りだと8階と9階の間はいったんフロアに出ないと他の階に移動できない。ようは8階と9階が火の海だった場合逃げられない。
 でもこういう大きな建物って構造を階によって変えたりしないよね? だから多分防火シャッターの位置が8階と9階だけずれているのかな。わざと?

 なにかやっぱり、嫌な予感がする。
 それで結局僕らは見つけた。というか見つけるまでもなくそこにあった。8階と9階の間の踊り場にある横穴を。横穴というか少し高いところに開けられていた空気孔なのかな。ただし金網がかけられて入り口が塞がれている。そして僕は気がついてしまった。その金網に埃がついていない。不自然にそこだけ奇麗な金網。ということはここは人手が入っている。横穴の空気孔に? 何の用で?

「あの、ナナオさん、戻ろう? 嫌な予感がする」
「え? せっかくきたのに?」
「だってあの金網」

 僕が金網を示そうとすると、ジジジと音がなって突然蛍光灯が切れて、再び真っ暗闇が落りてきた。

「えっなんで!?」
「まずい、逃げよう! ナナオさん早く!」

 心臓から溢れ出す嫌な予兆。携帯の明かりをつけて階段を走り降りる。入ってきた小さな扉を求めて携帯の明かりを左右に揺らす。

 あれ!? おかしい。扉がない!? さっきここから入ったよね?

 そう思っていると背後の暗闇でキィと錆びた扉が開く音がした。続いてずるり、ドサっと何かが少し高いところから落ちる音。瞬間、背筋が凍る。
 背後からべちゃり、べちゃり、と階段を一歩ずつ這い降りてくるような悍ましい音がする。湿った何か。そう思うと、かすかに排水溝のようなカビ臭い匂いまで漂ってきた。

「なんで!? 扉どこなの!? さっき入ってきたばっかなのに!?」
「ボッチー落ち着け」

 ナナオさんが携帯をライトモードにして防火シャッター全体を照らす。けど、そこは灰色の壁が広がっていた。
 扉なんか形跡も何もない。
 思わず壁を叩く。けれどもドンドンという沈んだ音が響くばかり。この向こうには空間なんてないという実感が押し寄せる。閉じ込められた。そのことに僕は気づいて真っ青になる。恐怖。
 その間にもピタリ、ピタリと妙な音を滴らせながら何かが近づいてくる。

「助けて! 誰か助けて!」

 大声を上げても周囲の声に反響するばかり。

「落ち着けボッチー」
「そんな、落ち着けないよ! どうしたら!?」
「逃げられないならなんとかするしかない。なんか武器になるようなものは持ってるか?」
「えっ武器!?」

 目を素早く落とす。僕の持ち物、ボディバッグ、その中に携帯、財布、ええとそれからそれから。ナナオさんの携帯で照らして鞄を漁ったけど、半分くらい入ったコーラのペットボトルくらいしかなかった。ナナオさんが持っているものも財布と携帯が入る程度の小さなポーチだけ。無理。

「ボッチー、下がダメなら上から逃げよう。9階まで走って出口を探す、おっけ?」

 上に行っても下と同じように扉はなくなっているかも。そんな予感がしたけど他に道はない、道。あの、この何かが出てきた排気、口? 無理無理無理!
 それならまだ上に賭けたほうがいい!

「わ、わかった!」
「じゃ、あ、照らすよ?」

 床を照らしていたナナオさんのライトがそぅっと上に持ち上げられ、それがライトの丸いエリアに入った時、僕はのけぞってパニックに陥った。足が震えて動かない。だってそれ、階段の真ん中で頭を下に、まるで口兄怨のイ加耶子みたいに降りてきていたもの。表情は見えないけどぼさぼさな長い黒髪、どこか古びた灰色に汚れたワンピース、そして目立つ骨が張り付いたような白い肩と裸足のくるぶし。
 だから、だから階段の両端に埃は積もっていたけど真ん中には積もっていなかったのか。これがずり落ちてやってくるから。
 でもでも、でもでもでもなんとかしないと。
 ソレは怪談の丁度真ん中を降りてきている、つまり両脇にすき間がある。

「僕がなんとか注意惹きつけるからその間に脇を抜けて!」
「そういうわけにいかないだろ!?」
「ダメ、時間がないからいちにさんで。いいね! いち、に」

 けれどもソレは僕が2まで数えるうちにゆっくりと立ち上がり、通せんぼするように両手を横に広げた。
 これじゃあ横を通れない!? どうしたら!?
 隣でナナオさんが息を呑む空気を感じる。

「ど、どうしよう?」
「……あれ?」

 あれ!? どれ!?

「お前カナちゃんか!?」

 カナちゃん!?

◇◇◇

 結論、幽霊? はカナちゃんだった。
 ナナオさんはすっかり忘れていたけど、ナナオさんの友達で春先に行方不明になった人。春先?
 
 カナちゃんも何かで噂を聞いてここの8階の防火シャッターからこの空間に入って、あの排気口から出てきた何者かに捕まってあの穴に引きずり込まれて意識を失ったらしい。僕らがここに立ち入って騒ぐ声を聞いて急に目が覚めたから出てきたとか。

「カナちゃんはうちらを襲うつもりだったん?」
「ンーソンナンジャナインダケドー。ナンカ声ガ聞コエタカラ出テキタッテイウカー」
「なんか最初すっげー怖かったぜ? エクソツストみたいで」
「アー狭イトコニズットイタカラ体ガウマク動カナクッテー。ナンカカチコチ?」

 カナちゃんはなんていうか、古びていた。
 経年劣化感。春先から3ヶ月半くらい。着っぱなしで排気口に転がってたから埃だらけで薄汚れていて、皮膚もなんだかパサパサカサカサ。水も飲んでなかったんだよね。ていうか、死んでるの? 死んでるよね? 多分。

「カナちゃん引っ張り込んだヤツっでとんなヤツなんだ? コックさんなのか?」
「ウウーン、ドウダッタカナァ?」
「とりあえずここ、どうやって出るんだ?」
「エエー? 扉カラ?」
「扉が見つかんねぇんだよ」
「ソウナノー?」

 カナさんは容姿に反してわりといい人っぽい。
 実際に9階に行っても防火シャッターじゃなくてコンクリート璧みたいになっていて、外に続く扉はなかった。

「ンンー、ジャア排気口カナァ」
「あの、僕あそこに入りたくないんだけど、正直」
「でも他に方法ないなら仕方がないだろ」
「うーん、まぁ。カナさん、あの中ってどうなってるの?」
「ウーン、ワカンナイ。音ガシタ方ニマッスグ来タダケダカラ」

 そうするとカナさんが詰まっていた足側の状況は全くわからない。でも仕方がない、僕が行くしかない。ナナオさんに行かせるわけにはいかないし。
 ゴクリとつばを飲み込みながら観察した排気口は1メートル半くらいの高さのところにあった。高さは50センチくらい、幅は80センチくらい。入ったら前進か後退が辛うじてできる範囲の広さしかない。
 でも、他に方法はない。意を決して真っ暗な穴に頭を差し込む。カビ臭い据えた香りがした。喉の奥が埃っぽくなる。携帯を持つ腕を前に伸ばして、にじり、にじりと前進する。
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