5  ウィルズ公演(後編)

文字数 12,737文字

『クロード!!』
 キリハは元の体勢を崩さないまま叫んだ。目の前に倒れたクロードの背中からとめどなく血が流れている。客席に居たエルシオも、居ても立ってもいられずクロードの傍らへ駆け寄る。
「クロード殿!」
 同じく駆け寄ったシフォンに、手が血塗(ちまみ)れの二人目の男が笑いながら近寄る。シフォンの後ろに居たウィルズ達は、スタッフが警戒しながらステージ袖に誘導していた。
「元はと言えばてめぇが!」
 クロードの容態を見ていたシフォンが、血塗れの刃物を再度振りかざした男に気付いて見上げた瞬間、シフォンが防御態勢を取るより早く男はその場から消えていた。
 ゴッッ!
 ドゴォン!
 風のような衝撃波を受けたと思って、次にその男を認識したのはステージ後ろの壁際だった。壁には何かが激突したような跡がある。壁に激突した衝撃か、はたまた別なダメージか、既に男は白目をむいてその場にくず折れて意識を失っていた。
「と、父ちゃん⋯」
 いつの間に居たのか、キリハの目の前に立っていたハシムが、キリハを退けて下の男の胸ぐらを掴んで吊るし上げた。
「誰かヒーラー探してくれ。クロードとその壁際のヤツの治療出来る人をな。やり過ぎた」
「離せ!」
 まっすぐ睨んでくるハシムに、片手で軽々と掲げられた男が足をばたつかせて抵抗するが、やはりビクともしない。
「大人しくしろ。俺は今イラついてるからな。あっちの男みたくなりたいか?」
 ハシムがさらに睨みつけると、男はようやく抵抗をやめて大人しくなった。ハシムはフンッと鼻を鳴らすと、駆けつけた警備兵に向かって男を投げた。
「クロード!クロード!」
「⋯マジか⋯」
 クロードの傷口を抑えて止血を試みるシフォンの横でエルシオが必死にクロードに呼び掛けるが、一向に返事はない。更にその半歩後ろで、汗だくのクロエが生気が抜けたように立ち尽くしていた。
「エルさん何か⋯薬とか持ってない?」
 焦るキリハの問いかけにエルシオは首を振る。
「例え持ってたとしてもこの刺し傷を治す程の薬はないよ⋯」
「あ!そうだ司祭!教会の司祭が居たよな!」
 そう言って客席を見回したキリハは絶望した。もうほとんど人が居ない。遠巻きに見ている人は居たが、力になりそうな者は誰一人居なかった。
「司祭は教会の子達を先導して早々に避難した。子供達に何かあってはいけないからな」
シフォンの手もどんどん血に染まっていく。
「傷が深いな⋯血が止まらない」
「クソッ!王宮の回復兵はまだか!」
 ハシムも焦りと苛立ちから口調が荒くなる。相変わらずクロエは放心状態で立ち尽くし、追いついたリーナに肩を支えられてやっと立っていた。そのリーナも涙を浮かべて心配そうに見守っている。
「そうだ、オレ⋯ウィルズとかスタッフに教団側で誰か居ないか掛け合ってみる」
 そう言って立ち上がろうとしたキリハの元に、ダリアが申し訳なさそうな顔で駆け寄ってきた。後ろからブルーベルが追いかけてくる。
「ちょっとダリア!」
 制止しようとするブルーベルを振り切ってダリアもクロードの傍らに膝をついて手をかざした。
「ごめんなさい!助けてくれたのに何も出来なくて⋯。私の魔力じゃなんの足しにもならないけど⋯」
 必死に力を込めて治癒を試みるが、容態が良くなる様子はない。ダリアだけではなく、ウィルズは回復魔力が低いことを公言している。この場にいる殆どの者はやるせない気持ちで見守るしかなかった。
 舞台袖からもウィルズの残りメンバーが心配そうに見守る中、マリーゴールドがフォレスに詰め寄る。
「何とかなりませんかフォレス様ぁ!」
 フォレスは客席を一瞥した後、小さくため息をついて無言でクロードの方へ歩いていった。
「アンタ、教団のヒーラーか?随分悠長に出てきたな」
 フォレスに気付いたハシムが誰何する。フォレスは苦笑いを浮かべてかぶりを振った。
「期待させてすみませんが、僕に治癒は出来ません。回復魔力がウィルズと同等なんで。同行スタッフも同様で、あくまで広報担当なので実働教徒とは違うんですよ」
「その服着てるのにか?」
 ハシムはフォレスの幹部服を顎で示唆する。フォレスは自嘲気味に笑って両手を上げた。
「これはただの縁故です」
 舌打ちをするハシムに嫌な顔こそしなかったが、難しい顔に変わったフォレスは続けた。
「僕達はともかく⋯王宮のヒーラーが来てもその傷の完全回復は難しいかもしれませんね。⋯呪われているので」
「何だと⋯?」
 聞きなれない症状に、ハシムのみならず、その場の一同が驚きの表情で顔を上げる。
「どうもあの刃物に呪いがかかっていた様です。解呪しないと永遠に傷が塞がらない」
 みんな絶句するしかなかった。
「街の司祭程度では解呪は無理でしょうし、教団に解呪できる者の派遣を要請して⋯到着するまで治癒行為を続けるしか助かる道は⋯」
 フォレスの言葉に更に絶望の色が濃くなる。
「教団に要請って一体何日かかるんだ⋯」
「傷が塞がらないのに、この刺し傷を何日も治癒って⋯王都内のヒーラーかき集めても追いつかないんじゃ⋯」
 そこへ、ようやく王宮騎士の回復兵が到着して息も荒いまま跪く。
「遅くなりまして申し訳ありません!シフォン様、代わります!」
 回復兵はシフォンと場所を入れ代わり、手をかざして治癒をし始めた。同時にステージ壁際の犯人の男も、意識が無いまま別の回復兵から処置を受けていた。
「ん⋯?全然塞がりませんね」
 回復兵が一向に良くならない傷口に戸惑う。傷口が少し閉じてもまたすぐ開くのだ。
「呪われているんだよ。一応聞くけど、王宮に解呪できる者は居る?」
「⋯()りません」
 フォレスの問いに暗い表情を見せるが、回復兵は手を止めないで治癒を続けた。
「やっぱ闇雲に探すより本部に要請するのが確実かな⋯⋯と、⋯ったく、遅いよ」
 フォレスは話の途中で何かに気付いた様で、フッと笑った。その場のみんなが視線を追うと、その先に長身で銀髪の人物が、膝に手をついてゼーゼー呼吸をしていた。
「そ、その様子じゃ、やっぱ何かあったんだ。戻ってきて良かったっゲッホ!」
 汗だくで息も絶え絶えにみんなの方へ寄ってきた人物は、疲労困憊だろうが関係ないほど端正な顔立ちをしていた。流れる汗すら長い睫毛や肌を飾る珠のようですらある。服装は一般的な物でフォレス達の様な教団服ではないが、その顔を見ればほとんどの者が分かる人物だ。
 ダリアはその顔を見るなり、その場にへたりこんで両手で口を抑えて涙を流していた。
「⋯メアス様⋯!」
「心配かけたかな?ごめんね」
 メアスはダリアの頭に軽く手を置くと笑顔を見せた。そしてすぐクロードの元へ駆け寄る。
「さっきそこでのびてた男に刺されたんだけど、刃物に呪いがかかっててね、傷口が塞がらないんだよ」
「分かった。その刃物どうした?」
「警備兵が犯人と一緒に持ってった。呪い自体は一回限りのヤツだからもう普通の刃物だよ」
 フォレスは端的にメアスに現状を報告し、それを聞きながらメアスは回復兵の手元を見ている。
「大丈夫そうだね、代わるよ」
「え、は、はい⋯」
 メアスに肩に手を置かれた回復兵は、戸惑いながらも場所を譲る。メアスはクロードの傍らに膝をつくと、傷口に直接触るように手を置いた。すると、手の隙間からドス黒く禍々しいモヤのようなものが出てきた。
「解けろ」
 メアスの言葉に反応したように、モヤは一瞬で発生した光と共に飛散した。そのままメアスは目を閉じ、みんなが固唾を呑んで見守る中、一分と経たないうちに手を離して息をついた。
「もう大丈夫だよ」
 手についた血をハンカチで拭いながらメアスが発したその声を合図に、キリハとエルシオがクロードを覗き込む。
『クロード!』
「⋯⋯え、何?うっさ⋯」
 クロードは潰れたカエルの様にうつ伏せのまま応えた。何やら手足はモゾモゾと動いているが、起き上がる事は(おろ)か、顔すら上げられないようだった。その様子を見てキリハとエルシオはまた心配そうな顔をするが、それを察してメアスは苦笑いで説明した。
「傷はもう大丈夫だけど血が半分くらいしか戻ってないからね、暫く安静にさせて。血を増やすような物を食べさせてあげてね」
「な⋯なんや、誰が言うてんの?王宮の人?」
「メアスさんだよ。クロードを助けてくれたんだ」
「えっ!!?⋯う、クラクラする。み、見たい」
 しょうがなくキリハがクロードを起こしてやる。
「嘘やん。本物や⋯」
「どうも、本物です」
 ほうけるクロードの頭に優しく手を置いて、メアスはニッコリ笑ってみせた。
「う⋯あかん、眩しすぎて目が潰れる」
 更に目眩が増したようにフラつくクロードに、キリハやエルシオのみならず、その場の一同がようやく安堵した。クロエはリーナとその場にへたりこんでいる。
「それじゃあ私はこれで」
「ありがとう、本当に助かった」
「私からも感謝の意を述べる。何か礼がしたいんだが、王宮へ寄ってもらえないだろうか」
 立ち去ろうとするメアスに、ハシムとシフォンがそれぞれ礼を言う。その後ろでリーナとクロエも続く。
「これが私の仕事なのでお気になさらず。では先を急いでおりますので」
 メアスは微笑んで軽く手を振って、ウィルズの方へ向かった。
「みんな、最後はちょっと残念な事になっちゃったけど、ステージ素晴らしかった。感動したよ、頑張ったね」
『メアス様!』
 メアスの言葉にウィルズの面々は泣き笑いのような表情を浮かべる。ダリアは先程からずっと泣きっぱなしだ。
「これからも応援してる。それじゃあ」
「お待ち下さいメアス様!」
 やはり早々に立ち去ろうとするメアスをダリアは呼び止めた。
「もう教団にはお戻りになられないんですか⋯?」
「⋯そこまでのつもりはないんだけど⋯」
「ジェームズ様も心配されてます」
 メアスは逡巡した後、きっぱり答えた。
「今は戻るつもりはない。悪いけど、もう探すような事はやめてもらえないかな」
「っ⋯ごめんなさい」
 表情こそ柔和だが、強めの語気にダリアは謝るしか出来なかった。
「ごめんね、責めてるわけじゃないから気に病まないで。ただ私を探す時間が勿体ないってだけだよ。じゃあ行くね」
 しゃくりあげて泣いているダリアの肩をブルーベルが優しく抱いて、足早に立ち去るメアスをダリア達は見送るしか出来なかった。


 日が傾き、街の家々から夕飯の匂いが漂い始めた頃、ウィルズ一行は撤収作業を終えて帰りの馬車に乗り込もうとしていた。事件が起こったのがラストの曲中だったという事もあり、あれから結局ライブを再開することもなく公演は終了した。

 メアスが去った後、駆けつけた兵士らやスタッフによって会場は閉鎖され、関係者の事情聴取や撤収作業が行われた。
 その間、肩を落とすウィルズメンバーにキリハの胸は痛んだ。自分がもっと早く対処していればここまでの大事にならなかったのかもしれない。そう思うと居ても立ってもいられなくなってウィルズの元へ向かった。
「⋯君はさっきの⋯」
 ブルーベルが近くに来たキリハに気付いた。他のメンバーも注目する。
「あ、あの⋯ホントにすいませんでした⋯。オレが一人目の制圧をグズグズしてたせいでこんな事に⋯」
「君のせいではないでしょ?」
 ブルーベルは柔らかく微笑んで応えた。
「むしろ助けてもらって感謝するわ」
「そうだよ!一人目をすぐ捕まえてくれたおかげで私達には怪我人出なかったんだから!」
「マリー!」
「あっ⋯ごめんなさい」
 ブルーベルはクロードの事に気を遣ったのだろう、マリーゴールドを軽くたしなめた。
「どっちかって言うとこっちの方こそごめんなさいだよねー。ライブ最後まで観せれなくてー」
「あ、いや、とんでもないです。最後まで観れないのは確かに残念でしたけど⋯」
 申し訳なさそうな顔で言うリラに、キリハは慌てて手を振った。そのキリハの手をぎゅっとダリアは握って、泣いて赤いままの目で見上げた。
「ダ、ダ、ダリアたん⋯」
「お友達の事、ホントにごめんなさい!そして助けてくれてありがとう!」
「い、い、いや、オオレはな、何も⋯」
 思いがけない出来事に、キリハの顔は真っ赤になって果てしなくどもった。
「今回は大変な事になっちゃったけど、また必ず公演しにくるから⋯そしたらまた観に来てくれる?」
「もももももちろんだす!!」
 シフォンと同じ噛み方をしてしまったが嬉しいので気にしない。
「ありがとう」
 涙目で微笑むダリアの眩しさに、キリハの心拍数は最高値をたたき出していたに違いない。
「キリハ、せっかく一生懸命書いたファンレター渡さないの?」
「ハッ⋯!」
 いつの間にかすぐ後ろにいたエルシオの声で我に返ったキリハは、エルシオから手渡された自身のリュックからピンクの封筒を取り出した。
「ぅあああ、あの、これ⋯もし良かったら受け取ってもらえませんか?」
「もちろん!ありがとう!」
 おずおずと差し出されたキリハからのファンレターをダリアは笑顔で受け取る。
「ちょーーーっと待ったぁぁあああ!!」
 ちょっと離れたところから聞こえた叫び声の方に目をやると、シフォンが物凄い勢いでこちらに走ってきた。向こうで警備兵とやり取りしていたはずのシフォンだが、視界の端に捉えていたのか、はたまたキリハの動向を見張っていたのか、間髪入れずにダリアの前に立った。
「私もダリアたんに贈り物が!」
 そう言って懐から、こちらもピンクの封筒と可愛く包装された小さいプレゼントを取り出した。
「ダリアたんに似合うと思って⋯指輪です」
(おっも!!!)
「おっも!!!」
 キリハとエルシオは辛うじて心の中でつっこんだのに、やはりいつの間にか後ろに居たクロードは口から出ていた。まだフラついている。
「えと⋯なんか高価そうだけどホントに貰っても良いのかな?」
 ダリアは中を見て若干困惑気味に確認した。
「ダリアたんが貰ってくれないと捨てるだけです。私の指には細すぎるので」
「もう脅迫やん」
「じゃあ⋯遠慮なくいただくね。でも、あんまり高価な贈り物は困っちゃうから、次会えた時はもっと手軽な物の方が良いな♪」
「ふぁい!」
 シフォンはまた噛んだ。
「ダリアたん!俺のも受け取ってくれ!」
「私のも!」
「マリーちゃん!」
「リラー!!」
 気が付けば規制線の外側に何人かのファンが戻ってきていた。キリハ達のやり取りを見て自分達もと声を上げている。ウィルズはそちらへ近寄り、各々快くファンからの贈り物やファンレターを受け取っていた。遠巻きにそれを見ていた三人だが、キリハはある事に気付いた。
「なんか⋯ダリアたんへのファンレターがピンクの封筒だらけなんだが⋯ダリア柄の⋯。めっちゃ被ってる!!」
「文具店の店員、やたら同じレターセット売れる思うたやろな」
「クソー!神チョイスだと思ってたのに!」
「みんな思うてたんやろな」
 頭を抱えながら(ひざまず)いて嘆くキリハを見下ろしながら、クロードはキョロキョロと周りを見渡した。
「そういやオカン達は?」
「クロエさんはリーナさんが家まで送ってった。ハシムさんは警備兵と犯人の取り調べに同行するって」
「ほーん」
「クロードも戻って休んだ方が良いんじゃない?顔色まだ全然悪いよ?送っていくからさ」
「そうだな。ウィルズと離れるのは名残惜しいが⋯」
 キリハも嘆いたまま同意する。
 そこへ、人の輪から外れてオリーブが一人キリハ達の元へやってきた。
「?」
「私達、ここで一番良い宿に泊まってるんだけど~、王都撤収するの夕方なんだ~。君達には助けられたし~良かったら見送りに来てよね~。あ、食べ物のお土産大歓迎~。それと君~」
 突然の申し出に目を丸くする三人だが、オリーブはキリハの顔を覗き込んでじっと見つめた。
「君達三人共に兆候が見えたけど~⋯君に特に光が見える⋯。きっと何か世界をガラッと変えるような出来事に⋯?」
「え?」
「出会うのか⋯起こすのか⋯何か凄そうな~?」
「???」
「オリーブさんは占いが得意なんでしたね」
 ただただ不思議そうな顔のキリハにフォローするように、エルシオが説明する。
「まぁね~。君達のはあんまりはっきり見えないけど~凄そうだよ~」
「す、凄いとは⋯何が⋯?」
「わかんな~い。じゃあね~」
 それだけ言うとオリーブは行ってしまった。
「え⋯何?」
 全くどういう事か理解できなかったが、クロードが今にも倒れそうな顔色なので、三人はその場を後にした。

 クロード家への道中、先程のオリーブの話が気になった一同ではあるが、何となく勇者職に関わってきそうで、誰もそれに言及する者はいなかった。
「嫌やなぁ、男の背中は硬いなぁ、嫌やなぁ」
「んな事言うなら降りろよ!」
「今のわたしを歩かせるとか鬼や、鬼嫁や」
「誰が鬼嫁だよ」
 家まで延々ボヤくクロードを背に、キリハは呆れながらも安堵していた。隣のエルシオも同じなのだろう、いつもと変わらないクロードに、穏やかな表情を浮かべている。
「オレ達、後でウィルズの見送り行くけど、お前どうする?つーか行けんのか?」
「夕方までに改善するとも思えんし遠慮するわ。どうせメアスもおらんし」
「クロードはメアスのファンだったんだねぇ」
「言うてへんかったっけ?」
「そんなファンとは誰も知らねーぞ」
「せやったっけなぁ?」
 そんな会話をするうちにクロードの家に着いた。家に先に帰ったはずのクロエが居ない事から、恐らくフラワー亭でまだリーナと一緒に居ると思われる。
「何気にクロードの部屋に入るの子供ん時以来じゃね?」
「まぁフラワー亭で事足りるさかい」
「お邪魔しまーす」
 クロードを背負ったままのキリハを気遣い、エルシオが先んじてドアを開ける。すると、二人には想像もしてなかった部屋の光景に、思わずドアの前でフリーズしてしまった。
「なんや、はよ入ってや」
『⋯』
「人の部屋見てドン引きとか失礼な連中やで」
「あ、いや⋯お前⋯オレより何かアレだな⋯」
「ちょっと流石にビックリした」
 部屋の壁にはメアスのポスターやブロマイドが所狭しと貼ってあり、更に部屋の奥には祭壇のような一角があった。そこにはバッチリ決まった顔のメアスの大きな写真立てが中央に飾ってあり、周りにはメアスに関連しそうな物、イメージカラーの白藍色のグッズ、この間買っていた【異端児異世界異聞】の全巻まで小洒落た感じに飾ってあった。
「ガッチガチだなお前⋯」
「メアスかっこええやん。憧れやで。本物えげつなかったわ。昔()うた時と全然変わってへん」
「まぁ確かにかっこ良かったね」
 部屋の様子に面食らった二人だが、本来の目的を思い出してクロードをベッドに寝かせた。そこへ丁度クロエが帰ってきた。
「おんや、三人お揃いか。まあクロード居るなら丁度良いわ」
「お邪魔してます」
 エルシオが丁寧に頭を下げる。クロエはさっき放心してたと思えない程いつもの調子に戻っていた。
「おばさん、その瓶何?」
 キリハはクロエが持っている赤黒い液体が入った瓶が気になって率直に聞いた。するとクロエは、したり顔で瓶を顔の横まで上げて告げる。
「スッポンの生き血」
 三人は返す言葉もなく黙り込む。嫌な予感しかしない。
「丁度フラワー亭に仕入れたばっかりって言うからさ、リーナと一緒に〆てきたわよ。クロードあんたラッキーよ」
 何が?
 三人の頭に同時に浮かんだ。そしてキリハは恐る恐る用途を聞いてみる。
「⋯それどうすんの?」
「クロードが飲むのよ」
「絶対嫌や!!」
 答えを察していたのだろう、クロードは食い気味に叫んだ。
「血を増やすんでしょ?効くらしいわよ」
「そんな絶対生臭くて不味いもん誰が飲むか!!」
「生き肝より良いでしょうよ」
「どっちも嫌じゃ!」
「えーと、それじゃあクロード、ちゃんと休めよ」
「お大事にー」
 二人はこの後の展開に恐怖を感じ、早々に別れの挨拶をする。
「待たんかい!逃げんなや!」
 ゾンビの如くベッドから這い出そうとしているクロードの叫び声は聞こえなかった事にして、二人はそそくさと退室した。
「あっぶね、あのまま居たら道連れに飲まされそうでこえーわ」
「みんなで飲めば怖くないとか、どっちかが言い出しそう⋯」
 二人はため息をつきながらフラワー亭に入った。
「あら、おかえり」
 フラワー亭ではリーナが何かの片付けをしていた。恐らくさっき聞いたスッポン解体の後始末だろう。
「クロ君は?」
「部屋に置いてきた。多分これから修羅場だな」
「?それにしてもクロ君、助かって良かった~。あの時は心臓止まるかと思ったわよ」
「⋯まぁね」
「キリ君も、いつまでも気に病まないでね」
「⋯別にそんなんじゃねーし⋯」
「それよりお腹減らない?折角だからスッポンの素焼きでもやろうかと思うんだけど」
「うっ、素焼きはちょっといいかな⋯」
「えー、意外と美味しいのよ?エル君は?」
「僕もちょっと⋯」
「もー、じゃあこれは夜にでもハー君に調理してもらおっか」
「それがいいと思う⋯」
 リーナはあまり料理が得意ではない。不味い物を作る訳ではないが、簡単な物やただ焼いただけといった物しか出来ないのだ。
 そうこうしてるうちにハシムも帰ってきた。
「ハー君おかえりなさい」
「おう。クロード大丈夫そうか?」
「今頃おばさんとスッポンの生き血で揉めてると思う」
「は?うん、まぁ揉め事してんなら平気か」
「それで、犯人どうでした?」
 エルシオが問いかけると、ハシムは適当な椅子に腰掛けてため息をついた。
「どうもこうも、逆恨みだよ」
「ウィルズに?」
「ウィルズとシフォン殿に」
「?」
「あの二人組、ウィルズ公演の為に徹夜して並んでたとこをシフォン殿にしょっぴかれて、解放されたのがライブ終盤で、全然観れなかった腹いせの凶行だそうだ」
「そういや徹夜組三人だか捕まえたって言ってたな」
「そもそも徹夜すんのダメだったんだろ?スタッフに聞いたら徹夜組は元々入れないつもりだったらしいし、てめぇらの自業自得じゃねぇか、なあ?」
「まぁね。違法まではいかないにしてもルール違反ではあるからな」
「んで、仕返ししてやろうぜってなって、ステージ裏手に丁度落ちてた刃物でビビらすつもりだったのが、次第に頭に血が上って⋯後は知っての通りだ」
「え⋯刃物落ちてたやつなの?」
「嘘くせーと思うよな。でもホントに落ちてたとか言うんだよ」
「そんな事あんのか?」
 ぐぅ。
 その時腹の虫が鳴いたキリハは、腹を擦りながらハシムにお願いをした。
「⋯流石に腹減ったな。父ちゃん何か作って」
「そうだな、昼とっくに過ぎてるもんな。朝のハンバーガーの材料が結構残ってるから、朝と同じでいいならすぐ出来るぞ」
「おー、それでいい。あれ美味かった」
「お?そうか、待ってろ」
 ハシムは嬉しそうに厨房へ向かった。

 ファンとのささやかな交流の後、ウィルズも警備兵に事情を聞かれたが、ウィルズの場合はただの目撃と大差ないので、すぐ終わって宿に戻る事になった。ステージ衣装から着替えて荷物をまとめた頃、最後まで警備兵やスタッフから話を聞いていたフォレスがウィルズの元へやってきた。
「僕はここでお別れだ」
「えー!一緒に本部まで帰らないんですか!?」
 マリーゴールドが残念そうにフォレスに詰め寄る。
「僕もこう見えて忙しい身でね。開演前に言ってた知り合いにも挨拶しときたいし、それ以外にもまぁ色々とね」
「⋯知り合いってメアス様ですか?」
 ダリアが珍しく怖い顔で訊ねる。
「メアスはさっきどっか行ったじゃん。これから会うのは知り合いの子供だよ」
「⋯メアス様にもやっぱりペンダント渡したんですよね⋯」
 ダリアは胸元のペンダントトップを触りながら重ねて訊ねた。
「そりゃね。あの顔がそこら辺うろついてたら色んな意味で大変だし」
「それじゃあ私達にはどう逆立ちしても見つからない訳ですね⋯」
「だからやんわり探さなくていいって言ったじゃん?」
「⋯⋯もっとはっきり言って欲しかったです⋯」
 ダリアは暗い顔で(うつむ)き、それっきり黙ってしまった。
「という訳で、僕ももう行くよ。みんな道中気を付けてね~」
 フォレスはその場に満ちた暗い空気を気にもせず、手をヒラヒラと振ってさっさと行ってしまった。
「フォレス様達、何か隠してるよね⋯。前にメアス様がなぜ居なくなったのか、フォレス様に聞いた事があるけどはぐらかされて分からなかった」
「テオドール様も怖くて聞けないしね。外面は良いけどー」
「リラ!」
 リラはマネージャーに咎められてわざとらしく肩をすくめてみせた。
「上層部の詮索をしても私達にはどうしようもない事よ。それより私達に出来る精一杯を頑張りましょう?」
 マネージャーはメンバー一人一人の顔を順に見て微笑んだ。
「そう⋯ですね。私、今まで以上に頑張ります!」
 ダリアは俯いていた顔を上げ、握り拳を振り上げて叫んだ。
「メアス様を探せないなら、メアス様がどこに居てもそこに届くような活躍をすれば良いだけだわ!」
「そう、その心意気よ!」
 ウィルズは意気込みも新たに宿へ戻った。

「メールちゃんっ♪」
「きっしょ。気安く呼ぶなよ。抱っこもすんな」
 教会近くの路地裏、全く人気の無い場所にフォレスはメルを連れ出していた。教会の司祭に関係を聞かれるのは面倒なので、物陰からメルにだけ見えるように合図を送って呼び出したのだ。その路地裏に入るなりフォレスはメルを抱き上げた。
「ヤバ、久々に見るけど造形が神がかってるな。服も超似合ってるし可愛すぎじゃね?」
「てめぇの趣味だろうが、このロリコン」
 メルは特に抵抗する様子はないが、言葉はずっと刺々しい。フォレスはメルを見つめながら、片方の手でメルの頬に手を添える。
「可愛すぎるからチューしていい?」
「マジキモいからいい加減やめろ」
 フォレスはフッと小さく笑って、近くに積んであった木箱の上にメルを下ろして座らせた。二人の視線の高さが同じになる。
「やだなー、久しく会ってなかった友人とのスキンシップじゃん。ロリコンは認めるけど流石に手は出さないって。そういう対象はまた別だしー」
「どうだか」
 おどけるフォレスにメルはため息で応えた。
「ま、冗談はさておき」
 フォレスは一転して真面目な顔で腕を組んだ。丸眼鏡の奥の眼からも軽薄さが消えている。
「今回はビックリしたね。あのイケメン眼鏡の若造もあわや、ってとこだったし」
「ホントだよ、助けられて良かった」
「呪い付きの剣だけど、供述通り落ちてた⋯捨てられてた?らしい。それっぽい物を目撃した者が何人か居たよ」
「何かキナ臭いなぁ」
「な。呪いなんて自然発生するもんでもないし、そもそも解ける人間が少なすぎるからね。どうにか出処をつきとめたいとこだけど⋯」
「嫌な予感が的中しないことを祈るばかりだな⋯」
「ホントそれな」
 二人は黙って思案する。
「そういやあのイケ眼鏡、ウィルズの変装解いたヤツだって聞いた。(すなわ)ち、僕以上の魔力の持ち主という事だ」
「へぇ⋯居る所には居るんだなぁ」
「まぁ、例の魔道士の家の子らしいけど」
「あーなるほど、確かに。ここゼイレアだもんな。ん、て事は⋯あのキリハって勇者の子か?」
「御明答。動きが只者じゃなかったしね」
「⋯なんか、二人ともどこにでも居る若者と変わらんなぁ」
「前回の魔王討伐から約三百年経ってるわけだし、存外そんなものなのかもね」
「ふむ⋯」
 また黙って思案し始めたメルを、フォレスは壁に寄りかかって見つめていた。
「僕、立つの明日なんだよね」
「ん?そうか。相変わらず忙しそうだな」
「忙しいよ。だから今晩くらいはゆっくりしようと思ってさ」
「良いんじゃないか?明日見送りに行くよ」
「いや~、それより今晩泊まりに来てよ」
「あ?司祭になんて言うんだよ」
「親戚とか何とか言えばいいじゃん」
 そこまで言うとフォレスは不意に微笑んだ。
「一人旅の話、聞きたいな~⋯もちろん二人きりで」
「⋯分かったよ。司祭に話つけておくから⋯ウィルズが宿出るのいつ?」
「夕方」
「じゃあそのちょっと後に宿に行く」
「了解~。それまで僕はゼイレア観光してるよ」
 教会に戻るメルを見送ると、フォレスは街へ向かった。


「あっあの!み、皆さん、今日はホントにお疲れ様でした!」
「君はさっきの⋯見送りに来てくれたの?」
「私が催促したの~」
 馬車に乗り込む寸前のウィルズに、勇気を振り絞ってキリハは声をかけた。後ろにはエルシオも控えている。驚くダリア達に、オリーブはピースをしてニッと笑った。
「あの、これ、良かったら道中で食べて下さい。ウチの父ちゃんが作った物ですけど⋯」
「わっホントにお土産持ってきてくれたんだ~ありがと~」
「えっなになにー?」
 オリーブが受け取った袋を、マリーゴールドも興味津々で覗き込む。
「わわっ、とっても美味しそうなハンバーガーだ!やった~♪」
「やった~!」
 袋の中の包みを一つ開けて中身を確認したオリーブは、横で見ていたマリーゴールドと一緒になって喜ぶ。
「もー、お行儀悪いよ」
 ダリアが二人を苦笑いで軽くたしなめた後、キリハに向き直って頭を下げた。
「見送りだけでも嬉しいのに、お土産までわざわざありがとう!」
「ひぃええ、ととととんでもないです!オレなんかにそんな、滅相もない!」
「そんなに卑屈にならなくても」
 慌てふためくキリハの様子に、ブルーベルとリラも後ろで笑っている。
「あの眼鏡の少年は大丈夫だった?」
 ブルーベルが言っているのはクロードの事だろう。
「あっ、まだフラついてだけど大丈夫です」
「そ?なら良かった」
 和んだ空気が流れる中、マネージャーが宿から出てきてウィルズに号令をかける。
「さ、そろそろ出るわよ。あんまりゆっくりしてると夜までに次の宿に着けないわ」
 そう言うと、マネージャーはさっさと馬車に乗り込んだ。
「あ、ひ、引き留めてすみませんでしたっ。これからも応援してます!」
「お土産とお見送りありがとう!またね!」
 ダリアを最後に、ウィルズは馬車に乗り込んで窓から手を振ってくれた。キリハとエルシオも馬車が見えなくなるまで手を振って見送った。

「は~、ダリアたん⋯スッピンでも可愛いってどゆこと?信じられない」
「なんか色々あったけど、ウィルズ公演終わっちゃったねー」
 キリハとエルシオは、ダラダラと話しながら夕暮れの街をフラワー亭に向かって歩いた。
「マジでさぁ、色々ありすぎて疲れた。ダリアたんとライブは最高だったけど」
「明日からはまた平穏な日々だねぇ」
「そうだなぁ⋯ウィルズもまた来るって言ってくれたけど、流石にそうそうすぐは来ないだろうし、【いたいぶん】の新刊もこの前出たばっかだしな~。暇な日々だな~」
「ブッ!」
『 ?』
 二人のすぐ後ろで吹き出す声が聞こえて振り返ってみると、そこにはメルが笑いをこらえて立っていた。
「ん、メルとかいう子供」
「あ、ごめん、会話の内容聞こえちゃって」
 頭をかしげるキリハに、気にしないでとメルは笑う。
「君ら暇なんだって思うとなんかおかしくてさ」
「む。暇人で悪かったな」
 大して気を悪くした様子はないが、キリハはむくれてみせた。
「そういえば、後から聞いたんだけどクロード君大変な目に遭ったんだって?大丈夫?」
「ああ⋯今頃スッポンの生き血で復活してんじゃないか?」
「スッポン⋯?なんかダイナミックな復活方法だね」
「お母さんにね、あれは多分逆らえないよね」
 言いながら二人は思い浮かべて笑う。その様子をメルは優しい眼差しで見ていた。
「あ、そうだ、行かねば。それじゃ!」
「ん?ああ、さよなら」
 あっという間に居なくなったメルに、特に何の感慨もなく別れの言葉をかける。ウィルズ公演が終わったら王都を出ると言っていた気がするので、もう会う事もないだろう。二人はまた歩き出した。
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