1  日常

文字数 13,772文字

 十二年後────。


 頭がガンガンする。目眩が酷い。
 二階住居の下、もはや寄合所の色合いが濃くなったフラワー亭端のテーブルに、突っ伏しながらキリハは、風に揺れるミルキーブロンドの頭を抱えていた。
 いくら身体が頑丈とはいえ、昔から寝不足の不調には適わない。
 翌日の体調不良が分かっていながら明け方近くまで起きていたのは、昨日発売の【異端児異世界異聞】の最新巻を読み終えたかったからだ。
 通称【いたいぶん】と呼ばれるこの小説は、二年ちょっと前に出版されてから瞬く間に大ベストセラーとなった。それまで本といえば大人向けの難しい書籍か、小さい子向けの絵本が主だったが、若年層にも読みやすい文章と、空想の世界ながら見てきたかのような描写、魅力的な登場人物の挿絵も入っていて、老若男女問わず人気がある。
 しかし、キリハが続きが出る度に貪るように読んでいるのは、第一巻からの熱烈なファンというだけではない。最新巻発売翌日の、幼なじみの容赦ないネタバレ対策でもある。
「キーリッハくん、遊びましょ!」
 開けっ放しの食堂の入り口から、長身の幼なじみのクロードが入ってくる。サラサラと風になびく銀髪が少しかかった切れ長の目には、神経質そうな眼鏡がよく似合っていた。清潔感のある小綺麗な格好の、色白で線の細いこの青年は、本人を知る者のない街ならば、さぞや異性の目を引くだろう。
「来たか⋯おはよう」
「なんも早ないけどな。もっとはよ来たろ思ったけど、オカンにおつかい頼まれてなぁ」
 クロードの個性的なこの口調は、【いたいぶん】の登場人物の【カンサイジン】に由来する。彼が最も好きな登場人物だ。小説の中で使われてる口調を真似てるだけなので、正直合っているのか分からない。
「で、昨日の読んだ?」
「読んだ読んだ」
「あのバンジージャンプて何やねん。魔法も使えんのに、足に紐(くく)りつけただけで崖から飛ぶとか頭おかしいやろ」
 クロードはキリハの向かいに腰掛けながら、愉快そうに感想を話し始めた。キリハも負けじと感想を述べる。
「そこも最高だったけど、それより激辛チャレンジのがヤベェって。しかも丸一日耐久とか」
 思い出すだけで笑いが止まらなくなる。クロードも一緒になって笑い合いながらまた次の感想を言っていると、そのうち喉が渇いてきて、食堂奥に向かってクロードは叫んだ。
「おっちゃーん!何か飲みもんちょーだい!」
 すると、間もなく水を注いだコップを手に、不機嫌そうなハシムがズカズカとこちらへ近づいてくる。キリハ達の横に立つなり、コップを勢いよくテーブルに置いた。
「いい加減、魔王討伐に行ってくれませんかねぇ!」
 呆れと怒りの入り交じった表情のハシムを前にしても、二人はまるで意に介した様子もなく、出された水を飲み始める。
「いや、ご近所さんへの文句を旦那に頼む奥さんみたいに言われてもなぁ。魔王やで?そない気軽に言わんといてや~」
 クロードの軽口を横目に、キリハはコップを置いて欠伸をした。ろくに話を聞かない息子の態度に、ハシムは今日もイラつきを隠せない。
「昨日今日聞いた話みたいに言うな!魔王覚醒した三年前から言ってる事ですけど!?十分準備期間ありましたよね!??」
 ハシムの怒鳴り声に二人は思わず耳を塞いだ。しかし、(ひる)まずキリハは反論する。
「だからさ、言ってるじゃん。魔王に対抗できるだけの魔力備わってからだって。大魔道士までもうちょいかかりそうだって」
「だからさ!言ってるじゃん!あなたに魔力無いんだって!大魔道士どころか、一生ロウソクに火すら付けられないんだって!」
 すかさず倍のトーンで反論するハシム。
 この世界でその容量や威力、性質に違いはあれど、誰しも魔力は備えていた。
 キリハとハシムを除いては。
「この話も十歳の誕生日にはしましたよね!?お前は勇者の血筋だから魔力一生ゼロですよってね!?代わりに誰も敵わない強靭な肉体と腕力あるよって!」
「おっちゃん元気やな」
 他人事のように様子を眺めながらクロードは野次を飛ばす。
「お前も勘定に入っとるんじゃあ!!」
 思わずクロードにも叫ぶ。
「お前らが全然旅立たないお陰で、兵舎行く度「今年はそろそろご出立ですかな?」とか「討伐に丁度良い体格になられた」とか、マジで悪気のない曇りなき(まなこ)で言われるんじゃ!」
「王宮騎士団てほんまアホの集団よな」
 そこに居ない者達へクロードは憐れみを向けた。
「かと思えば、ユメリア様には遭う度嫌味を言われ⋯」
 わなわなと震え始めたハシムに、キリハはトドメの一言を放つ。
「そんな言うなら父ちゃん行けば⋯」
「それ言ったらアカンやつや」
 ブチッと何かが切れた音が聞こえたような気がした。
「うわぁあ!そこまで言うなら俺が行ったるわい!!」
 最早ハシムは涙目で怒っている。
「まあまあ、そこまでにしましょ?」
 音もなく現れたキリハの母、リーナに一同は面食らう。リーナは周りの反応を気にも止めず、持っていた大皿の料理をテーブルに置いた。
「もうお昼よ、みんなお腹空いてるでしょ?」
 そう言うなり、目にも止まらぬ速さで次から次へと料理を運び込み、テーブルはあっという間に皿でいっぱいになった。
「いや、食いきれねぇって⋯」
 ゲンナリするキリハをよそに、クロードは既に食べ始めていた。
「お!ちょうど良かったか!」
 近所の農家仲間達が、汗を拭きつつ入ってきて、各々好きなように料理を取り分けて行った。
「さ、アナタも」
 リーナに促され、苦虫を噛み潰したようなハシムは、渋々席について食事を始めた。ここで逆らうと後が怖い。
 作物の生育状況や体調の話題などでにわかに賑やかになった店内だが、キリハとクロードはまた別な話をしていた。
「今日この後どないしよ?何かボードゲームもする?」
「ボードゲームなぁ⋯二人だとイマイチつまんねーんだよなぁ。せめてエルさん居てくれたら良いんだけどな」
「魔王討伐行きなさいよ!」
 横から時折茶茶が入るも、二人は気にせず会話と食事を続けた。

 すっかり食べ終えた頃、周りの大人達は既に帰って、リーナも奥で洗い物をしている。先程より落ち着きを取り戻したハシムが、キリハに向かい真面目な顔で口を開いた。
「⋯本当にお前どうするつもりだ?魔王が覚醒してしまった以上、勇者として覚醒したお前以外、魔王討伐は叶わない」
「⋯⋯」
 魔王の覚醒は、同時に勇者の覚醒でもある。
 三年前、突然全身から光を放ったキリハは、それまで以上の能力が備わったのを感じた。
 そこから一年程は、まだあどけなさの残る息子を、自身も知らない激闘の予想される戦いの場へ送る事は躊躇われ、ハシムも二人を黙って見守っていた。
 だが、二年目以降も旅立ちどころか準備の類の様子さえ見せない息子達に、次第にヤキモキし始めた。
 そして三年目、やる気の一欠片も見せないどころか、本気か嘘か、幼い頃に無理だと言い聞かせた大魔道士への夢まで語る始末に、この日常がある。
「魔王討伐から逃げたままで、この先どうやって生きていく?」
 穏やかとも厳しいとも取れるような表情で、ハシムはキリハを真っ直ぐに見つめた。
「お疲れ様ですー」
 場の空気を知りもしない気の抜けた声が入口から聞こえ、同時にエルシオが荷物を手に入ってきた。
「せっかくのキメ顔が台無しやな」
 思いっきりコケているハシムに、クロードは無情な言葉を投げかける。ハシムはよろよろと立ち上がった。
「もう、いいもん!」
 言うが早いか、ハシムは農具片手に泣きながら飛び出して行った。
「え、あれ?⋯もしかして何かタイミングまずかった?」
 少しだけ呆気にとられた表情で、エルシオがハシムの出ていく様を見ていた。
 背が低い上に童顔なせいか、よく子供に間違われるエルシオだが、キリハ達より七歳上の大人だ。何事にも滅多に動じる事はなく、常に半目で穏やかな表情を崩さない顔からは、あまり感情の機微は分からない。
「これ、ハシムさんに頼まれたスパイス類なんだけど⋯。しょうがないな、後で渡しておいて」
「了解。それよりこの後ボードゲームしない?」
「あーごめん、まだ仕事ある。夜なら大丈夫だけど」
「ほんなら晩飯食った後にしよ。どうせここ来とるし」
 二人より少し年の離れたエルシオだが、お互いの食堂と店で顔を合わせているうちに打ち解け、趣味嗜好が近い事から次第に仲良くなっていった。
「それじゃ、また夜にねー」
 エルシオを見送った二人は、夜までどうやって時間を潰そうか話し合った。

     *

 エルシオが仕事を終えてフラワー亭に着いたのは、まだ辺りが暗くなったばかりの頃だった。中に入ると、キリハとクロードの二人はいつもの席で夕食をとっていた。
「お疲れー」
「うっス」
 言いながらキリハ達と同じテーブル席に着く。
「エル君、同じもので()ーい?」
「お願いしますー」
 カウンターにいたリーナは、返事を聞くなり奥から料理を持ってきた。
「昼間はハー君がうるさくてごめんね。今もだけど」
 困り笑いを浮かべながら視線をやった先には、ハシムが仲間達と既に酒盛りで盛り上がっている姿があった。
「僕は平気ですよ」
 穏やかに微笑み返すエルシオに安心し、リーナはまたカウンターに戻った。
「そういやエルさん【いたいぶん】読み終わった?」
「まだー。半分もいってない」
「なんや、忙しそうやん」
 流石のクロードも、働いているエルシオには気を遣ってネタバレは避ける。
「それがねー、ちょっとにわかに店の発注陳列が立て込んでてね」
「何か新作の発売とか?人気作の復刻とかあったっけ?」
「ふっふっふ」
 珍しくわざとらしい含み笑いをするエルシオに、二人は怪訝な面持ちで続きを待つ。
「ついに王都にもウィルズが来るよ」
 ガタッ!
 何とか叫ぶのをこらえたキリハだが、つい勢いよく立ったせいで椅子が倒れてしまった。
「ウィルズが⋯!」
「ウィルズかぁ~」
 意気込むキリハに比べ、クロードは少々不本意そうだ。
「ウィルズのグッズは教団専売だからウチでは取り扱えないけど、応援するためのグッズとか材料とか大量に仕入れたよ」
「うおー!買いに行く!誰よりも目立つうちわ作ろ!」
「ほんならわたしはそれより目立つ横断幕作ったろ」
「いや、お前、大してファンでもない上に、その身長でんなもん持ってたら周りに迷惑だろ⋯」
 エルシオは二人のやり取りを見守りながら、最後の一口を食べ終えた。
「それにしても、教団も様変わりしたよねー。テオメアの頃までは、もうちょい威厳とかある感じだったけど」
「わたしはその頃のが好きやったけど。てか、そもそもあの二人アイドルちゃうやん。なんやかんや教団ですら【いたいぶん】の影響、少なからず受けとるんやな」
「まぁ、ちょっと前まで応援グッズなんて無かったしな。え、【いたいぶん】偉大すぎじゃね?」
 喋りながらもエルシオは三人分の食器を片付け、代わりにボードゲームを持ってきてセッティングする。
「ちなみにウィルズが来るのは十四日後だって」
「ふっ⋯、俄然やる気が出てきた。これは前哨戦だぁっ!」
 三人は定番のボードゲームをし始めた。

     *

 翌朝、キリハとクロードは早々に繁華街の方へ出掛けた。
 ここ、ゼイレア王国の王都は大雑把に分けて、王城の裏手から西側に農地、表から東側に城下町があり、城下町の中でも城の正面付近は、特に商業で賑わう繁華街だ。エルシオの実家が営む雑貨屋は、繁華街から通り一本隣にある。
 店の前まで来た二人は、外からでも分かる程、既に混んでる様子に少々げんなりした。いつもは置いてない、店の入口付近に設置した大きめのテーブルには、若い女性客が何人か集まって盛り上がっている。
「あっ二人ともーおはよー」
 その客達の間から、エルシオは二人を見つけて軽く手を振った。
「はよッス」
「いやもう、めっちゃ混んでるやん!」
 ジロリ。
「⋯コホン」
 不快さを隠さない物言いのクロードを女性客達は睨みつけた。居たたまれなさにキリハは思わず小さく咳払いをするが、クロードは気にした様子もない。
「えっと⋯このテーブル何?」
 既に女性客達はキリハ達に興味を失って元の盛り上がりを見せているが、何となく邪魔にならないように、小声でキリハはエルシオに問いかける。
「これね、応援グッズにデコしたりエフェクトかけたりする様の特設スペース」
 確かにテーブルには色とりどりの紙やシール、ペン、その他にもグッズを派手に飾れそうな素材が並んでいる。後ろの店の壁には、デコレーションやエフェクトのサービス料金表と、完成品が見本としていくつか飾られていた。
「へ~エフェクト良いな」
 キリハが注目した見本品のうちわやペンライトからは、立体的なシャボン玉やピンクのハート型の光が、淡く出ては消えるを繰り返していた。
「見本と同じでも良いけど、イメージ教えてくれれば他の形も出来るよ」
「こんなん、みんな自分でしたらええやん」
「んー、デコは結構みんな自分でやるけどね、エフェクトは頼まれる事が多いかな。加減が難しいみたい」
「お前⋯さも自分でやれそうな口調だけど出来んの?」
「ムリ★燃えちゃう♡」
 知ってて聞いた事とはいえ、クロードの満面の笑みにキリハは呆れる。エルシオは苦笑いを浮かべながらフォローした。
「誰でも得手不得手あるからね、そういうお客さんの為のサービスだよ」
「わたしも後で頼もうかね。超デカくてド派手な花火みたいなん」
「いや、だから他のファンの迷惑になるから!」
 ふざけている二人に、エルシオはコソコソと他の客に聞こえないよう耳打ちをした。
「営業時間外で良ければ二人には無料(タダ)でやってあげる」
「おっ。」
「やったゼ★おおきに」
「すいませーん、エフェクトお願いしまーす!」
「はーい!」
 三人が話していると、先程の女性客から声がかかり、すかさずエルシオは対応する。
「それじゃあオレ達も店内見てくるね」
「ごめんねー、ゆっくりしていって」
 接客するエルシオを横目に、二人は店内へと入る。
 エルシオの実家のこの店【雑貨ケミスト】は、元々薬師の資格を持った曾祖父が始めた薬屋だった。それが、父母の代には他所であまり取り扱いのない調味料やスパイス類を取り扱い始め、エルシオに至っては、その都度、自身の好みや流行りの物を入荷して置いていたので、既に薬屋というよりは趣向の偏ったよろず屋と化している。
 外の特設コーナー同様、十分広い店内も、既に応援グッズ目当ての若い客でいくらか混んでいた。外には居なかった男性客もチラホラ見える。
 エルシオが担当している商品棚のある、店内右奥の方へキリハ達が進んだ時だった。
「んあっ?キリハとクロードじゃん」
「ん?」
 逆側のスパイスコーナーから掛かった声の方を見やると、キリハ達と同世代の男性客三人がこちらを見ていた。
「なんや、3バカやん」
「おめーにバカって言われたくねーよ」
「おっす、久しぶりだな」
「君らもグッズ買いに来たの?」
「うむ。ウィルズが来るとなっては黙っておれまい」
 3バカと呼ばれたやんちゃそうなマシュー、育ちの良さそうなカーター、ふくよかなネイサンの三人は、各々再会の挨拶を交わしながら、既に購入して手提げ袋に入れていた応援グッズを見せ合った。
「ケミスト行くならスパイスも買ってこいって母さんに頼まれて今ココ」
「それ買ったら帰る系?お前らはエフェクト自分でやんの?」
「いやームリムリ!オレ達にはあんな絶妙な装飾系の技術魔法使えねーわ。エフェクトは後日でもやってくれるって言うから帰ってゆっくり作るつもり。外のテーブル女子ばっかで居場所ねぇし⋯」
「ああ⋯」
 キリハは先程の特設コーナーの様子を思い出して共感する。
「それよりお前らアカデミーもう来ねぇの?」
「う~ん⋯行かねーなぁ」
 キリハは歯切れの悪い返事をした。
「別にアカデミー自体は嫌いじゃないけどさ⋯」
「おっぱいオバケうるさくてかなわんしな!」
「お前ら⋯他所の国なら不敬罪に問われかねん事普通に言うよな⋯」
 口を挟んだクロードに、マシューは呆れながら言った。
「なんぼ王女様ったって、ユメリアも普通に同じ人間やで?わたしらと何も変わらんやん」
「普通じゃなくて王女様なんだよなぁ⋯」
「良くも悪くもクロードってそういう区別しないよねぇ」
 カーターとネイサンも、感心半分、呆れ半分で頷いた。
「ま、とにかく気が向いたら来いよ。お前ら居た方が面白いし」
「うぃー」
 そう言うと三人は店から出ていった。
「今更学ぶ事も無いんだよなぁ⋯」
「押し付けられた専攻以外は、わたしらの聴講すら許さへんしな!おっぱいオバケが!」
 苦い顔で二人はその場から離れ、元の目当ての場所へ移動した。

 エルシオ担当の商品棚は、普段から置いてある本人イチオシのゲーム類や書籍類の他に、外以上のデコレーション用品が所狭しと並んでいた。他の客をかき分けつつ、キリハとクロードは自分が作りたいものをイメージしながらそれに合った物を選んでいく。他の客も、仲間同士で相談しながら楽しそうに品物を選んでいた。
 そんな中、まだ悩んでいる友達を待っている、既に買い物の終わったらしい数人の女子が、壁際で会話していた。
「も~ウィルズ超カワイイ!特にセンターのダリアたん激エモ♡」
「えー!マリきゅんだって負けてないしー!」
 盛り上がる視線の先には華やかなポスターが飾ってある。ポスターには五人の女子が、スカートからチラリと覗くパニエの色こそ違えど、白を基調とした揃いの服に眩しい程の笑顔で写っていた。
【ウィルズ ─セントウィル教団─】
 更にポスターの下方には可愛らしいフォントでそう記されている。
「公演終わったらこのポスターもらえないかなぁ?」
「えームリじゃない?テオメアのポスターもまだ貼ってあるくらいだし」
 隣のやや色褪せたポスターに視線が集まる。こちらにはタイプの違う二人の眉目秀麗な青年が揃いの白い教団服で写っていて、同じ様に下方にはセントウィル教団と記されている。長いゴールデンブロンドで柔和そうな青年には『テオドール』、ホワイトシルバーの髪に切れ長な瞳のクールそうな青年には『メアス』と各々の名前も記載されていた。
「⋯なんか⋯メアス様が行方不明って噂聞いたんだけど、あれホントかな?メアス様の事も好きだから心配⋯」
「ただの噂じゃない?ほら、もうウィルズと世代交代みたいになったからさ、本職忙しくて単純に公の場にあまりお出にならないとか。そもそもお二人は、見目がよろしいからなし崩し的に広告塔になったって聞いた事があるわ」
「どっちにしろゼイレアじゃ教団本部から遠すぎて、今回みたいに公演でもない限りお見掛けすら出来ないけどね~」
「お元気なら良いんだけど⋯」
 聞くともなしに女子達の会話が聞こえていたキリハだが、使うシールの色味に迷って声をかけようとクロードに目をやると、普段見ないような真剣な顔で、先程の会話に耳を傾けているようだった。
「なんだ、どした?なんか気になる事でも聞こえたか?」
「あ?いや別に何でもない」
 明らかに何か気にしているのを誤魔化した様子だったが、キリハは大したことでもないだろうとすぐに忘れた。

「ふぃ~買った買った。後は作るだけだな」
「せやな」
 二人は手提げ袋の中身を確認しつつ店を後にした。
「どうする?折角こっち来たからどっかで食って帰る?」
「せやなぁ。この前近所のオッサンらが言うてた話題の店でも覗いてみよか」
「マジかよ。見映え重視のオシャカフェだろ?女子の巣窟じゃねぇか」
「別にええやん、女子専用やなし。キリハは人の目気にしすぎやで」
「べっ別にそんなんじゃねぇよ⋯」
 苦し紛れの反論すらろくに出来てないキリハを捨て置いて、クロードは(くだん)の店の方へ歩き出す。一人で帰る気にもなれず、渋々キリハもついて行った。
 暫く歩いていると、明らかに周りと違う雰囲気の店の前に辿り着いた。
「なんや、ホンマにここか?大層混んどるっちゅー話やったけど、人っ子一人おらんやん」
「でもここら辺に他にそれっぽい店なんてないぞ」
 全体的にパステルカラーの外観、看板にはファンシーな文字の店名、入口ドア付近にはこれまたパステルカラーのハートや星の風船なんかがリボンで束ねて飾ってある。その横に大きい窓があるが、いくらか見える中からは、外同様に賑やかな雰囲気は(うかが)えなかった。
「ま、百聞は一見にしかずや。入ってみよ」
「え~マジで入んのか」
 最後まで渋りつつも、クロードに引き続きキリハも店内に入る。中にはやはりほとんど人はおらず、奥の方で十歳くらいの少女が一人食事しているだけだった。
「いらっしゃいませー。お好きな席にどうぞー」
 店と同じ雰囲気の服の店員が、やる気のない声で二人を案内する。真ん中辺りに着席した二人は、店員が持ってきたメニューを見て驚愕した。
「ぅえっ!たっか!!」
「こっこら⋯!」
素直な感想を口にしたクロードをすかさずキリハはたしなめる。ちらっと店員を確認したが、気を悪くするどころか、客には無関心な様だった。
「どれもこれも他所の倍くらいすんで」
「実は量も倍くらいあるんじゃ⋯?」
 値段に動揺しすぎて根拠の無いことを口にしたが、しかしすぐに、先程目に入った少女が食べていた料理が特別多いものだとは思わなかった事を思い出す。
「⋯クロード金足りる?」
「ギリギリやな。デザートはムリや」
「スイーツが料理と同じくらい高い⋯。オレどれも無理そうだから半分こしよ⋯?」
「何が悲しくて野郎と半分こせなあかんねん。ドリンクにしたらええやん」
「腹減るじゃねぇか」
「半分取られたらわたしも不十分なるで」
 二人が悶着していると、不意に脇に人影を感じた。メニューから目を移すと、先程奥にいた少女が皿を持って立っている。
「これ、良かったら食べてくれない?調子こいて色々頼んだら、食べきれなくて途方に暮れてたとこなんだよね。手は付けてないから安心していいよ」
 そう言ってテーブルに置いた皿には、ファンシーなユニコーンのピックが刺さったサンドイッチが乗っている。
「さっきの会話聞こえてさ、ちょうどいいやと思って持ってきたんだけど⋯いらない?」
 そう言った少女は、赤を基調として黒のパニエが覗くフリフリスカートのワンビースと、艶やかな黒髪のツインテールの頭には、いかにも魔法使いといった様な赤いとんがり帽子が乗っている。こういう服ってどこで売ってるんだろう⋯とキリハがぼんやり考えていると、クロードが口を開いた。
「女児のわりにえらい気が利くやん。おおきに」
「なんだそれ、カンサイジンか」
「せやで。お嬢ちゃんも【いたいぶん】好きなん?」
「フッ⋯最新巻まで三周はしてる。因みに私はツガールが好きだ」
 少女は得意気に言った後、少し店内を見回す仕草をして続ける。
「それにしても、やっぱこの店高いんだな。ゼイレア王都の物価ってこんなもんなのかと驚愕しかけたよ」
「君、余所から来た子?一人で?」
 キリハは思わず疑問を投げかける。
「え?ああ、うん。親は居ないから⋯何と言うかその⋯武者修行的な?」
 どことなく歯切れが悪い。
「そのわざとらしい格好、攻撃魔法使いなん?」
「わざとらしい⋯いや、これは私の趣味では⋯。あ、いや、うん、そうそう。最近やっとロウソクに火がつくようになったんだ!」
 途中でテンションの上がり始めた少女に、二人は適当に相槌を打つ。
「そうかーえらいなー。魔王も復活?覚醒?したもんなー」
「フハハ、ゆくゆくは私の攻撃魔法で魔王もイチコロだよ」
 凄む少女を二人が生暖かい目で見つめた時だった。
「あの、そろそろ注文いいですか?」
 少女のすぐ後ろで店員がだるそうに伝票を持って立っている。
「あっすみません。その注文終わったら私の会計お願いします」
 少女はすかさず避けて自分の席に戻った。
「ん~ほんじゃ、オムライスで」
「じゃあオレはカフェラテで」
 店員は注文を取ると一度奥へ引っ込み、また出てきて少女の会計をした。
「じゃあね」
 少女はキリハ達に軽く手を挙げて店を出ていった。
「色んなのが()るもんやな」
「そうだなぁ」
 二人がしみじみしてるうちに、店員が皿とグラスが乗ったお盆を運んできた。ケチャップでハートが描かれただけのオムライスと、グラスが可愛いカフェラテが二人の前に出される。
「ごゆっくりどうぞ」
 店員の心のこもらない言葉と出された料理に、二人は小さくため息をついて食事を始めた。

「可もなく不可もなく⋯。オシャレかどうかもよく分からん」
「ただのぼったくりカフェやったな」
 店から出るや否や、二人は素直な感想を口にした。
「もう全然客もいないし、潰れるのも時間の問題では?」
「オッサンらの情報なんやったんや」
「そこ、先月からもうそんなだったよ」
 不意に声をかけられた方を見ると、スラッとした若い女性が立っていた。どことなくエルシオに似ているが、背はこちらの方が高い。
「エミリーちゃんやん」
「先月って、そんな前から閑古鳥鳴いてたの!?」
「出来始めこそ物珍しさで混んでたけどねー。向こうの通りにもっとちゃんとオシャレで美味しいカフェ出来たんだよ。値段もこっちより安いし」
「オッサン達、同じ王都住みとは思えん情報の遅さやな」
「それ以下なんだがな⋯オレら」
 キリハはやれやれと(かぶり)を振る。
「それにしても、さっきエミリーちゃんケミストにおらんかったやん」
「あんたらニートと違って真面目に学校行ってたからねー」
 頭の後ろで腕を組んでハハハと笑う。
「3バカとも会ったけど⋯」
「実践クラスは今日休みらしいよ」
「なるほど」
 それ以上会話の続かない二人に、エミリーは笑顔のまま続ける。
「ユメリア様も大変だねー。お立場上、例え勇者がニートでもほっとく事も出来ないんだもん」
「ハハッ、エミリーちゃん厳しいなァ」
 軽口を叩くクロードを一瞥(いちべつ)する。
「生活費の支給も受けてんのにその神経凄いわー」
 また笑顔を見せるエミリーと一緒になって無神経に笑うクロードを横目に、キリハは苦笑いが精一杯だった。

     *

 その日の夜、既に食事を終えたキリハとクロードは、早速いつもの食堂奥で、昼間買った材料を使いせっせと応援グッズを作っていた。
「今日は色んなやつに会って何気に疲れたな」
「おっぱいオバケには遭遇しなくて良かったなぁ」
 時々お互いにアドバイスしながら作業を続ける二人の元に、仕事帰りのエルシオが合流する。
「お疲れ~。二人とも精が出るねぇ」
「うぃっス、お疲れ様。奥にオムライスあるよ」
「わたしなんて昼も夜もオムライスや」
「昼にクロード食ってんの見たら食いたくなってリクエストしちゃった」
「気の利かんやっちゃで」
「あー、ぼったくりカフェの話」
 エルシオは吹き出さんばかりに笑った。ひとしきり笑った後、少し申し訳なさそうに二人に向き合う。
「妹がまた嫌味ったらしかったみたいでゴメンね。ユメリア様を敬愛しすぎてちょっとアレなんだよ」
「いやもう慣れたで。ハシムのおっちゃん、ユメリア、エミリーちゃんで嫌味3コンボや。嫌味三銃士や」
「向こうからしたら慣れんなって話だろうけどな」
「その通りだよォ」
「うぉっ!」
 にゅっと皿を持って割り込んだハシムに三人は驚きの声を上げる。既に出来上がっているハシムの目は座っているが、エルシオには笑顔を見せる。
「エル君お疲れ様~。こんなボンクラ共といつも仲良くしてくれてありがとうねぇ」
 ねちっこく感謝を述べながら、オムライスをエルシオの前に置いた。
「いえいえ別に大したことでは。むしろ僕の方がいっつも料理タダで出してもらって感謝してますよ。いただきます」
 軽く頭を下げて料理に手をつける。その様子を満足そうに見届けて、ハシムは仲間達の席に戻って行った。
「おっちゃん、嫌味ったらしいけど料理の腕は確かなんよなぁ」
 オムライスを頬張るエルシオを眺めながらクロードはしみじみと呟いた。
「ぼったくりカフェより美味しかった?」
「全然美味かったわ」
 悔しそうなクロードにエルシオはまた笑ってしまった。

 三人の様子を、カウンター席の端からクロエは呑みながら眺めていた。黒いローブにロングストレートの黒髪がかかっている。クロードが少し歳を重ねただけの顔には、やはり眼鏡がよく似合っていた。そのカウンターを挟んだ向かいでリーナは洗ったグラスを拭きながらクロエの相手をしていた。
「なんやかんやあの子らも十七か、あっという間ねぇ」
「このままスクスク育って欲しいわね~」
「え、まだそこ願うの?これ以上育ったらクロードなんて巨人になっちゃうけど」
「そっか~それもそうね」
 テヘヘと笑うリーナを横目に、クロエは小さくため息をついた。
「⋯ねぇ、リーナはさ、魔王討伐どう思う?わたし行かなくていんじゃね?とか思うんだけど」
「⋯実は私もそう思う。大きい声じゃ言えないけどさ、キリ君もクロ君もいくら強いって言ってもまだ子供だし⋯。そもそも我が子を戦場に出したい親なんて稀だと思うわ」
 頬に手を当てて困り顔のリーナにクロエは真剣な面持ちで続ける。
「クロードが旅に出たらパシリが居なくなるわ」
「そこなの~!?」
「コホン⋯冗談抜きで、前線から要請もきてないみたいじゃん?」
「あまり冗談にも聞こえなかったんだけど⋯。でもそうみたいだよね。前線て、ゼイレアとハーダン公国とセントウィル教団の合同で敷いてるんだよね?戦闘と回復のスペシャリストばかりだろうし、もう軍隊の人達だけで大丈夫なんじゃ?」
 どんな考えの人に聞かれるか分からないので、二人は顔を近づけながら喋った。いつの間にか、リーナの手元にも酒の入ったグラスがある。
「ハー君やユメちゃんの言い分もわかるけど⋯」
「わたし、あの()苦手なのよね」
「王女様を小娘扱いするのクロエちゃんだけだよ。二人ともちょっとうるさい感じするけど、責任感が強いがゆえだよ」
 苦笑いするリーナをクロエは一笑に付す。
「王女様を近所の子扱いするあんたに言われたかないわよ。あの二人は嫌味体質なだけでしょ。ハシ兄にはなんやかんや昔から世話になってるけど、ユメリア様は昔からガミガミガミガミ」
「大陸一の王国だし、成長するにつれ気負う事も多いんじゃないかな。元よりあの性格だし、王女様じゃなかったら多分もう前線行ってると思うわ」
「あの()、クロードより腕力も体力も全然ゴリラだし、魔法もそれなりに使えるから前線行ってもやってける。行ったらいいと思う。活躍出来ると思う」
「フィジカル面はともかく、攻撃魔法じゃ誰もクロ君に敵わないけどね⋯」
「それ言ったらキリハなんてゴリラ遥かに通り越してバケモンじゃない」
 お互いに結局墓穴を掘る形になって閉口した。
「⋯キリハ、早く魔法使えるようになったらイイネ」
「クロ君の回復魔法凄いよね!上達したよね!」
 二人は乾いた笑い声を発しながらグラスの酒を(あお)った。

「オレそろそろ部屋戻るわ。眠い」
 もう少しで日付けが変わるという頃合で、キリハはカードゲームの手を止めた。
「キリもいいし今日はここまでにしようか。僕も帰るよ」
 テキパキと遊んでいたカードを片付けながらエルシオも同意する。
「わたしはもうちょい居る。あそこでベロベロになってるオカン連行せなアカンし」
 視線の先、先程ハシムが仲間たちと居た場所で、クロエとハシムがへべれけになっていた。
「うぇっ。じゃあな」
 二人に絶対絡まれたくないので足早に退室したキリハに続き、間もなくエルシオも帰っていった。そのタイミングでクロードはカウンター席に移る。
「クロ君何か飲む?」
「もうすぐ帰るから大丈夫」
 いつもよりポワンポワンしたリーナだが、こちらは正気を保ったままのようで、しっかり食器の片付けをしている。クロードはへべれけの二人を眺めながら、帰るタイミングを探っていた。
「だからよぉ、クロードが魔法なんて誰でも使えるとか言わなかったら良かったんだよ」
「何年前の話よ!実際ほとんど誰でも使えるじゃん。自分達だけ使えないって、生まれた時から刷り込まなかったからダメなのよ」
「それ言ったらクロードだって変わんねぇだろうが。なんだあの回復魔法は?全身使ってやっと擦り傷治る程度じゃねぇか」
「ちょっとー、クロードそこに居んですけどー。傷付くんですけどー」
「そんなタマかよ」
 二人はクロードの方など見ずに好き勝手言っているが、本人には全て聞こえている。だがやはり、クロードは何を言われても気にするタイプではなかった。それどころか、今になって一昨日の読書による徹夜が祟ってきたらしく、親達のどうでもいい話も相まって、ついにはカウンターに突っ伏してしまった。
「俺が若い頃なんて、そりゃもうあっちこっち魔物狩りしてまわったもんだ。おかげでモテてモテてなぁ!行く先々で俺のエクスカリバーが火を吹いたぜ、二重の意味で」
「きっっっも!!」
 ドヤ顔でかつての武勇伝を語るハシムに、クロエは心底軽蔑した眼差しで吐き捨てた。
「あっちこっちって、どこの辺境よ。ちょっとやそっとの山道くらいじゃ魔物なんてろくに出ないから、討伐職の類もそれだけじゃ食ってけないってのに。アンタがモテたってのも辺境のゴリラ相手にじゃないの?よくリーナ捕まえられたね、ゴリラハンター」
「なにおぅ?!」
 キリハとクロード同様、小さい頃からこの地で兄妹の様に育った二人に、良くも悪くも互いへの遠慮はない。口喧嘩の様相の二人を、クロードの頭を撫でながらリーナはニコニコ眺めていた。
「仲良いなぁ」
『どこが!?』
 思わずハモった二人にリーナはまた笑顔になる。
「さぁさ、今日はもう遅いしお開きにしましょ。二人とも送るよ」
 リーナはそう言うと、突っ伏していたクロードをまるで小さな子の様に軽々と背負った。そしてそのまま、こちらも寝落ちしそうなクロエを軽々と小脇に抱えて食堂を出る。
「うっ⋯い⋯いつも⋯うぇっ⋯悪いわね⋯ゴリーナ⋯」
 リーナの腕が段差でみぞおちに入る度、クロエは小さな(うめ)き声をあげる。
「隣に行くだけなんだから気にしないで」
 微笑んだリーナはそう言うと、食堂から百メートル程離れた隣家まで二人を送る。クロエをベッドに寝かせる時、いつもより少しだけ手荒だった。
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