2  王女と勇者と魔道士と

文字数 16,257文字

 カシャンカシャン。
 午前の仕事の準備をする人々の、視線と礼を()る態度を適当にやり過ごしながら、身に(まと)った傷一つ無い白銀(しろがね)の鎧を鳴らして農業地区へ向かう。背中のマントにはゼイレア王国の紋章が揺れている。その道中、店の壁に見つけたウィルズのポスターに足を止めた。
「ふんっ、どいつもこいつも嘆かわしい」
 そう吐き捨てると、鎧に掛かる切り揃えられた美しい髪を後ろへ捌いて、また目的地へと歩き始めた。そのすぐ後には、兵隊のような格好と体躯の厳つい女性が黙って着いてくる。
 本来、目的地には城の裏手から出るとさほど時間はかからないのだが、城下の情勢や流行りを見る為にも遠回りをしていた。
「平和なのは良い事だが⋯緊張感の欠けらも無いな。魔族がいつ攻勢に転じるかもしれないというのに。アイドルに浮かれている場合か」
「ゼイレアは前線から最も離れていますし、三年も何も無ければ民も元の生活へ自ずと戻るでしょう。ずっと緊張しているというのはとても疲れます故」
「そんな事は分かっている!しかし脅威が去った訳ではない!そもそもそれを取り除くべき存在があれでは⋯」
「胸中お察しします」
 怒りにワナワナと震える主人に冷静に返す。いつもの事なのでまともに返していたらきりがない。
 その調子で二人はエルシオの店の前も通過した。その際、エルシオが店の外に置く特設テーブルを運び出している最中だったが、こちらには全く気付かずに、その後もせっせと商品の運び出しをしていた。何となく物陰からその様子を見守る主人に、見かねて後ろから声をかける。
「普通にご挨拶なされては?」
「⋯買い物に来た訳では無いのだ、迷惑になろうが」
「長居でもするというのならともかく、挨拶程度では迷惑になどなりますまい」
「うっうるさい!もう行くぞ!」
 そう言うと、さっさと目的地に向かってまた歩き出した。
「こういう時の積極性は相変わらず皆無ですね」
 余計な一言を言いつつも、置いていかれないように歩調を合わせながらついて行った。

「ウィルズが来るまで後三日か?」
 朝食を食べ終えたキリハは、一息ついてクロードに確認する。
「なんやかんやもうそんなやで。なんぼなんでもそろそろアレ出来(でか)さんとと思うて持ってきたわ」
 そういうとクロードは、脇に置いていた手提げ袋から作りかけの応援グッズを取り出した。
「んぁー、やるかぁ」
 ウィルズが来ると聞いてすぐは情熱的に応援グッズを作っていた二人だが、凝った装飾をしようと時間をかけているうちに飽き始め、ついには公演日近くなったらやろうと中断していた。しかし、いざ再開するとまた凝った物を作りたくなってきて熱が入る。
「なぁ、ウィルズにプレゼントとか渡せるかなぁ?」
「無理ちゃう?片田舎の町ならともかく、王都やで?どうやったって人仰山(ぎょうさん)集まるやろ」
「くぅ~そうだよなぁ。何とかならんかなぁ。握手とかしてみたいなぁ」
 グッズを作りながらキリハは年相応の願望を口にする。
「昔、メアスが王都来た時はそんなんしとったけどな。わたしも頭ポンポンしてもらった記憶あるわ」
「あれは十年くらい前だったか?つーか、今のウィルズの感じと全然違うだろ。今もっと教団がちゃんと規制してる」
「メアス、途中女共にめっちゃもみくちゃにされとったりしたからなぁ。無法地帯やったわ」
 クロードはそろそろ仕上げの作業に入る。
「どうにかしてウィルズ⋯特にダリアたんと接触出来んかなぁ。なんかこう、ツテとかコネとかで」
「わたしらが持ってるものなんて勇者の威光くらいや。そんなもんあるか知らんけど」
 クロードは自分で言っといて鼻で笑う。
「どうも、オレが勇者です、ってか?胡散臭いにも程があるだろ」
 キリハも自分の言葉に嘲笑した時だった。
「そんな事で勇者の名を語るな!!!」
 開けっ放しの食堂入り口から怒号が轟く。二人が目をやると、腕を組んだ仁王立ちの鎧と大きい二人の女が立っていた。
「出た、おっぱいオバケ」
 いきなり悪口を言うクロードを睨みつける鎧女だが、すかさずその後ろから声がかかる。
「またご成長なされました」
「そいで鎧新調したんか。使いもしない鎧作んなや」
「余計なことを言うなシフォン!それにクロード貴様、その言はれっきとしたセクハラだ!そもそも人の容姿について悪くいうのは人として最低だぞ!」
「朝からうるっさいのぅ」
 クロードは心底嫌気がさした顔で返した。その向かいでキリハは既にげんなりしている。
「そもそも私にはユメリアという名がある!ちゃんと名前で呼べ!そもそも貴様らには勇者と腹心の魔道士という自覚が無さすぎる!」
「そもそもそもそもうっせぇわ。そもそも怪人か」
 ユメリアの剣幕に負けないクロードに、更にユメリアのボルテージが上がる。
「貴様らがのうのうと遊んでいる間にも、前線に近い国の者達は魔族や魔物の驚異に晒されてるというのに!」
「せやからハーダンとかと共同戦線組んどんのやろ?専門家に任せとったらええやん」
「己の使命を忘れるな!!!」
 クロードの無責任な物言いに、ユメリアはつい叫んだ。
「何だ何だ、騒がしいぞ⋯げっ!」
 忘れ物を取りに来たハシムは、ユメリアの姿を見るなり本音が漏れる。
「こ、これはユメリア様⋯ごきげんよう⋯」
 冷や汗をダラダラ垂らしながら取り(つくろ)うハシムにもユメリアは矛先を向ける。
「ハシム殿も呑気に農作業か?父親がそんなだから示しがつかないのでは?」
「いやぁ、ただ家に居るのもアレなんで⋯ずっと武術とかの訓練もあの⋯暑苦しいというか⋯いえ!決して嫌というわけではなくて!ずっとやってると⋯そう!集中力が!切れますヨネ!!農作業は気分転換と鍛錬同時に出来るので!」
 しどろもどろのハシムを、より一層鋭く睨みつけてユメリアは続ける。
「そもそも副業をせずとも、一家が暮らせる十分な額が貴殿とクロエ殿の家には王宮より支給されてるはずだが?代々使命に支障が出ぬようにと」
「またそもそも言うた。なんや、そもそも聞きすぎておもろなってきたわ。何やねん、そもそもて」
 クロードの茶々は無視する。
「い、いやぁ⋯ご存知の通り、キリハもクロードも最早我々が教えるまでもなく、既に親をゆうに超える能力を持ってますので⋯」
「ならば何故いつまでも()かさんのか!」
「俺⋯私からも毎日重々言い聞かせておりますが、あの、この有様で⋯」
 ハシムは汗を拭きながら二人に視線を向けるが、やはり二人は聞く耳持たず作業に徹していた。その様子に、ユメリアは心底呆れかえる。
「勇者がこのような腑抜けとは、歴代最強が聞いて呆れる」
 その言葉にキリハは思わず舌打ちをして反論した。
「歴代最強とか⋯死んだ爺さんが勝手に言ってただけじゃねぇか。いいとこ、自分が知り得たせいぜい四~五代分くらいの比較だろ?魔王討伐したっていう三百年前の勇者の事なんて知らねぇじゃん。オレなんて比較にならねぇくらいの強さだった可能性も十分あるのに」
「それがなんだと言うのだ。居ないものを比較してもどうしようもない。お前が使命を放棄している理由にはならない」
「比較の話を持ち出したのはそっちだろうが」
 不機嫌なまま、話を打ち切るようにキリハは手元に視線を戻した。
「フンッ、これならば本当にハシム殿が覚醒した方が良かったな」
「なんたってエクスカリバーが火を噴くからな」
「んなー!あん時お前寝てたんじゃないのか!?つーかよく覚えてたな!??」
 口を挟んだクロードにハシムは間髪入れずに詰め寄った。
「?エクスカリバーとは何の事だ」
「なっなんでもありません、酔った席での戯言です」
 ユメリアは怪訝そうにハシムに尋ねたが、真っ赤になりつつも冷静に訂正した。その姿にフンッと鼻を鳴らし、気を取り直してキリハ達に向き直る。
「とにかくだな、今年こそは貴様らには魔王討伐に旅立ってもらうぞ。とうの昔に用意してある支度金も既に埃を被って待っている」
 返事すらしない二人に、またユメリアが逆上しかけた時だった。
「なんか騒がしいわね」
 外からリーナが入ってきた。
「エクスカリバーの犠牲者や」
「やめんかぁあ!チクショー!」
 クロードの言葉に、涙目でハシムは叫びながらリーナの横を飛び出していった。
「あら?ユメちゃんじゃない。こんにちは」
「あっ、こんにちは、リーナさん⋯」
 ハシムの行動に苦笑いを浮かべていたリーナだが、ユメリアに気付くなりにっこりと微笑んだ。途端にしおらしくなったユメリアに、キリハ達はケッと鼻白む。
 幼少時に母親を亡くしたユメリアには、幼い頃から実の子供同然に世話を焼いてくれたリーナは母親同然だった。王宮にも身の回りの世話をしたり話を聞いてくれる者はいたが、リーナは精神的な支えとなった部分が大きい。
「今さっき、裏のおばあちゃんからクッキー頂いたとこだったんだけど、ユメちゃん達お茶していかない?」
「あっ、はい。ご馳走になります」
「今お茶入れてくるから、シフォンちゃんも座っててね~」
「ありがとうございます」
 リーナに促された二人は、キリハ達とは逆側に並んで腰かける。その様子を見ながらキリハ達は「うげっ」となりつつも、何とか口には出さなかった。中断していた作業を再開する二人を視界の隅に入れつつ、お茶を待つ間、ユメリアは暫し昔の事を思い出す。
 三百年前より、親密度に多少の違いはあれ代々密接な関係にあった三家は、今に至っても例外ではなく、キリハ達が幼い頃には特に、兵士に特訓をつけるハシムにくっついてよく王宮に来ていた。そこで折角ならばと王様の計らいで、礼儀作法を含む諸々の教育をユメリアと共に受けさせていたが、元々おしとやかにしているタイプではないユメリアは、本来必修ではない武術訓練も二人と共に受けた。始めた頃こそ二人より二つ年上のユメリアが先輩風を吹かせながらアドバイスや手本を見せる余裕もあったが、それもすぐに無くなった。武芸ではキリハに、魔法ではクロードに全く勝てなくなったのだ。周りからの称賛とは裏腹に、負けず嫌いのユメリアはそれでも二人のレベルに食らいつこうと必死になったが、日に日に差は開いていくばかりで、やがて魔王に対抗する程の血筋との差をやっと受け入れた時には、二人の夢はおかしな方を向いていた。
 その頃には三人ともアカデミーで、より高度で専門的な教養や実践を学び始めた。しかしキリハとクロードは、己の専門であるはずの学科には興味を示さず、対極にあるような学科を学ぼうとした。戦いにおいて、自分以外の職や役割を学び熟知する事は決して悪いことではないと感心すらしたものだが、そうではないと気付いてからは、己の使命に専念できるように禁止した。
 自分がどれだけ努力しても手に入れられない能力を有しながら、それを活かさないどころか疎んでいるような言動がユメリアには到底理解できないもので、使命を全うしないどころか日々遊んでいる姿には尋常ではない憤りを覚える。そんな鬱憤を時折癒してくれたのがリーナだ。今でこそ回数は減ったが、幼い頃フラワー亭にもよく来ていたユメリアを、時には甘えさせてくれたり、また、愚痴もよく聞いてくれた。そんな自分の子供と分け隔てなく振る舞ってくれるリーナをユメリアは尊敬し慕っていた。
「⋯キリハ達だけ戦場へ送るのは私だって心苦しさはある。リーナさんは絶対心配するからな⋯。出来ることなら私だってついて行きたいのだ」
「流石にそれは⋯」
「分かっている」
 周りに聞こえないように神妙な面持ちで話すユメリアにシフォンは同意しかねる。いくら強くても大国の、しかも一人しか居ない王女を戦場へ送るわけにはいかない。
「とはいえ、魔王に対抗出来るのが連中しか居ない限り、嫌でもやってもらうしかない。苦しくとも、それを成し得れば平穏が待ってるからな。それに⋯、二人ならば可能だと私も信じているのだ」
「ユメリア様⋯」
「⋯絶対に二人には言うなよ」
 少し照れた表情で締めくくった。
「おまたせ~」
 タイミング良くリーナがお茶とクッキーの乗ったトレーを運んできた。ティーカップからはハーブティーの良い香りが漂っている。
「二人はハーブティー大丈夫だったよね?」
「はい、好きです」
「あの子達もハー君も飲まないからいっつも一人で飲むしかなくて寂しかったの。クロエちゃんはお酒しか呑みに来ないし~」
 苦笑いを浮かべながらテーブルに次々と並べる。
「それじゃあいただきましょ」
 満面の笑みを浮かべるリーナにつられるように、ユメリアははにかんでティーカップに口をつけた。

     *

(さすが大陸一の王都、かれこれ十日程滞在した気がするけど⋯見るとこ結構あるし全然飽きないな)
 赤と黒のフリフリのワンビースで魔女っ子然とした少女が、カフェのテラス席でまったりと道行く人々や街並みを眺めていた。
(⋯⋯それにしても⋯マジで平和だな。これじゃあハンターギルド断られてもやむ無しか。どっちにしろ年齢で断られただろうけど⋯はぁ)

───数日前。
「お嬢ちゃんが登録したいの?」
 厳つい風体(ふうてい)の男がカウンター越しに聞き返す。
「そうだよ、ちょっと頼りなく見えるかもしれないけど」
「お嬢ちゃん一人かい?親は?」
「孤児だから居ないよ。逞しく一人で生きていかないといけないからね、ちょっと稼がないとね」
「攻撃魔法出来るっつったか」
「うん。まぁ⋯攻撃魔法がちょっとアレって言うなら回復魔法でも役に立てるというか⋯そっちのが何なら⋯」
 ごにょごにょと歯切れの悪くなる少女の話をよそに、厳つい男は、う~んと唸って頭を()いた。
「お嬢ちゃんの年齢的にも問題はあるんだがそれ以前に⋯、見ての通り閑古鳥が鳴いてる状態でなぁ。紹介できる仕事もパーティもねぇんだよ」
 言いながら視線を移した壁の掲示板には、本来なら貼ってある依頼が一枚も無かった。
「マジか⋯」
 王都までの道中、一度も危うさを感じなかった事で薄々思ってはいたが、ここまで何も無いのかと絶句する。
「三年前に魔王覚醒した時によ、さぞ魔物も活性化すんじゃねぇかって立ち上げたギルドだが⋯蓋を開けてみりゃあこの有様よ」
「えぇ⋯いや、良い事だけども⋯」
「一応いつ何時(なんどき)魔物が活性化するか分かんねぇからって、王宮から継続の要請もあって畳むに畳めず⋯。しかも治安も良いから盗賊や悪漢退治の類もほとんどねぇ」
 王都に滞在して思った事はまさにそれだった。飲食店で座席の確保に財布を置いていた光景に、他人事とはいえ少しドキドキして見守ってしまった事を思い出す。
「もうどうしようもねぇから、体力や腕っぷし活かして配達とか何でも屋みたいになってんだ」
 筋骨隆々の腕を見せて苦笑いする男を相手に、少女は苦笑いを返すしかない。
「食い扶持に困ってんなら教会でも頼ってみたらどうだ?お嬢ちゃんくらいの歳なら無条件で色々融通してくれると思うぜ」
「⋯そッスねー⋯」

(あれから結局観光がてらブラブラしてるが⋯教会と言われてもな⋯)
 ぼんやりと店内の方へ目を向けると、壁のウィルズのポスターが目に入る。
(頑張ってるなぁ⋯折角だから公演も見てみるか)
 少し残っていたケーキを口に入れる。
(うーん⋯うーん!子供じゃ普通の仕事も出来ないんだよなぁ。はぁぁ⋯)
 少女は暫し頭を抱えて逡巡した後、意を決したように店を出た。

     *

「まだ居やがる」
 他愛ない会話で盛り上がり、さながら女子会の様相を見せるユメリア達三人を見てキリハは吐き捨てるように言った。
「わたしらの周りはゴリラ女子ばかりやな。姫ゴリラ近衛(このえ)ゴリラ母ゴリラ、ゴリラだらけ。え、意味わからん、ゴリラて何やねん!」
 クロードは自分で言った事に混乱し始めた。キリハは気にせず続ける。
「もう昼だっつーのに」
「グッズもようやく完成したなぁ」
 クロードも気にせず手元の自作応援グッズをしげしげと眺める。
「ただい⋯ヒェッ」
 そこへ昼休憩に一旦帰ってきたハシムが、入ってくるなりまだユメリア達が居る事に一瞬驚いて小さく悲鳴をあげる。
「おかえりあなた、ごめーん、お昼の準備全然してないの」
 申し訳なさそうに手を合わせて立ち上がろうとするリーナを、軽く手で制してハシムは応える。
「良いよそのままで、俺が軽く作るから」
「ありがとう」
 ホッとした様子でハシムはそそくさと奥の厨房へ消える。
「ユメちゃん達もお昼食べて行くわよね?」
「あっいえ、私たちはもうそろそろ⋯」
 微笑みかけるリーナに、ユメリアは申し訳なさそうにやんわり断る。
「お忙しい中御足労いただいた姫様がようやくお帰りやで。盛大に見送ろか」
 嫌味くさいクロードをユメリアが睨みつけた時だった。
「お疲れ様でーす」
 荷物を小脇に抱えたエルシオが入ってきた。
「あっわっえっ」
「あれ、ユメリア様、来てたんですね。こんにちはー」
 穏やかに微笑むエルシオを前に、ユメリアは言葉にならない声を漏らしながら真っ赤になる。その様子を半目で眺めるキリハとクロードだが、気を取り直してエルシオに問い掛ける。
「お疲れー。配達?」
「そそ。ハシムさん奥?」
 確認するや否や、エルシオは一旦奥に消えるとすぐ戻ってきて、キリハ達と同じテーブルに着いた。
「今日はお昼ご馳走になってく」
「!」
 同じ店内で会話が聞こえたユメリアは、あわあわしながらリーナに先程の言葉を訂正する。
「あっあの、私達もやっぱり⋯あの、お昼頂いてもよろしいでしょうか?」
「もちろん!あなたー!ユメちゃん達の分もお願ーい!」
 奥へと叫ぶと、「もう作ってる」と返ってきた。そのやり取りをシフォンは生暖かい目で見守っていた。
 間もなく出来上がったパスタをリーナは手早く皆に配り、一同は一斉に食べ始めた。
「いただきまーす」
 すると、黙々と食べるユメリアが視界に入ったキリハは、少しだけ日頃の恨みを晴らしたくなってきた。
「そういえばエルさんさ、この前女の人と一緒に居なかった?」
 問いながら視界に入れていたユメリアの顔色は、見る見るうちに青くなっていく。
「ん?そんな事あったっけ」
「ほら、先週くらい。なんかスラッとしたキレイめな感じの人」
「んん~⋯あ」
 最早ユメリアの手は完全に止まって、こちら側の会話に聞き耳を立てているのがあからさまだった。同じテーブルのシフォンもリーナも分かっているので黙って食べ進めている。
「なんだ、見られてたんだ」
 心なしか少し照れたように見えるエルシオを見たユメリアは、既に涙目になっている。
「今流行りの物とか注目のお店なんかの取材してる人だって。ウチの店取り上げたいからって話しかけられたんだよ」
「なるほど、そうだったか」
 実はキリハも以前、断ったが取材依頼を受けたことがある人なので知っていた。横を見ると安堵した様子のユメリアは、また黙々と食事を再開していた。
「あ、エルさん。応援グッズやっと出来たんやけど、エフェクト加工してもらうのん夜の方がええ?」
「オレもさっき出来た」
 話題を変えるクロードにキリハも続く。着手から結構な時間を要した二人に、エルシオは笑いながら返答する。
「やっと完成したんだ。エフェクト加工はすぐ出来るから食べ終わってからで大丈夫だよ」
 そう言うと早くも食べ終えて、ほぼ同時に食べ終えた二人の食器も片付けて帰ってきた。テーブルには二人が作った応援うちわとペンライトが既に置かれている。
「オレのはピンクのハートが点滅するようにしてくれ!あとこのダリアの字も浮き出るようにして欲しい」
「わたしのは全体的にキラキラさせてくれたらええわ」
「わかったー」
 エルシオは了承して、グッズの一つの表面をなぞる様に魔法をかけると、言われた通りの仕上がりになった。
「クロードの魔法もそうだけどさ、エルさんも詠唱とかしないんだね」
 次々と仕上げていくエルシオを見ながらキリハは疑問を口にした。
「詠唱は魔力を高める為のものだし、この程度の加工に要らないよ」
「そんなもんなのか。オレの周りで詠唱してる人見ないから知らんかったわ」
「そも熟練しとったら要らんし、あんなもん、よっぽど慣れない大掛かりな魔法でも使わん限りやらんで。それかええかっこしいか」
「ええかっこしい⋯。そんな事言われると、今度から詠唱してるヤツ見る度そう見えてしまいそうだな」
「出来たよー」
「うおぉスゲェ!ありがとう!」
「おおきに~」
 二人は満足そうに仕上がったグッズを眺める。その様子を見ながらエルシオも満足そうな笑みを浮かべて腰を上げた。
「そろそろ行くよ。また夜来るねー」
「ういー。ありがとねー」
 軽く手を上げて出ていくエルシオをユメリアはうっとり見送った。
「ユメリア様、我々もそろそろ⋯」
「⋯ハッ!そうだな」
 シフォンに促されて、少し残っていたパスタをかき込むと、口を拭いてユメリアは立ち上がった。そのまま食器を片付けようとするユメリアをリーナは止める。
「いいよいいよーそのままで。長く引き留めてゴメンね」
「いえ、長居したのはこちらですから⋯。ありがとうございました」
 深々と頭を下げて(きびす)を返した二人にリーナは手を振って見送った。
「また遊びに来てねー!」
「やっと帰ったか⋯。いくらか寿命が縮んだぜ」
「もうっ」
 いつの間にか隣にいたハシムの発言に、リーナは苦笑いで返すしかない。
「ユメリア様のあれは、まぁ母親譲りだな」
「若くして亡くなられたお(きさき)様ね。私は少ししかお会いする機会がなかったけれど、あなたは幼馴染みだったわね」
「全く今のあいつらを見てると、俺達の若い頃のまんまだぜ。まぁ、そん時ゃまだ魔王覚醒も無かったからもっと気楽だったが」
 言いながら農具を手にする。
「昼飯の後片付け頼むな」
「うん、任せて。行ってらっしゃい」
 リーナはまた手を振って見送った。

     *

────翌日。
 今日は久しぶりに昼から飲むつもりで、クロエはフラワー亭に訪れた。家には昨夜から徹夜で何かの本の一気読みをしていたクロードが転がって寝ていた。あれはまだまだ起きないだろう。我が息子ながら「大丈夫かコイツ」と思ってしまう。しかし、ぶっちゃけ生涯無職だったところで食うには困らないどころか、普通に生活する分には申し分ない金額が王宮から支給されているので、その辺はあまり心配はしていない。ただ肩身が狭いだけだ。むしろ、紙防御力のクロードも魔王討伐メンバーである事の方が、不安といえば不安である。あいつ、ホントにいつか討伐に行くのかなぁ?などと考えながら店内に入った。
「チーッス、酒くれー」
「ダメ人間みたいに入ってくんじゃねぇよ」
 昼食中のハシムと苦笑いのリーナが目に入る。
「おんや、キリハどーした」
「昼前に街に行ったわ。買い忘れがどーのこーのって。ったく」
 苦い顔でハシムは応える。
「あと二日っつったか。ウィルズ公演とやらが終わるまでポンチキだな、アイツは」
「元からポンチキじゃない」
 クロエは勝手に酒を持ってきていつものカウンター端の席に座る。
「今日はアカデミー休みか?」
「テストなので非常勤のわたしに出番は無いのデース」
「あっそ」
「クロエちゃんお昼食べた?」
「ちょっと前にパン食べたから要らない。それよりつまみちょうだい」
 はいはい、と面倒そうに奥に行ったハシムは、程なくして何種類か少量の料理が載ったワンプレートを持ってきた。
「余りもんだけどな」
「十分十分」
 それをつまみながらちびちび飲み始めるクロエを見て、ハシムは何か忘れてるような気がしたが思い出せない。そのまま昼食を終えた二人は、食器を片付けながらクロエに声を掛けた。
「それじゃあ私達も出掛けるね」
「ん?そうなの?」
「ハー君は兵舎で私は街で買い物あるから」
「ほー。いてら〜」
 適当に手をヒラヒラさせてその場で二人を見送った。それから暫く一人で呑んで居ると、何やら店外から賑やかな声が聞こえてきた。
(⋯このオバン共の声は⋯)
 気楽に良い気分で呑んでいたクロエは、途端に気分が悪くなってきた。
「あらっ、クロエちゃんじゃない!」
 元気の良い第一声が聞こえてゲンナリする。
(やっぱり⋯。ハシ兄のクソ野郎が、ババア共が来るならそう言っとけよ!)
 初老前後の女性達がどやどやと店内に入ってくると、中央辺りのテーブルを二つ繋げて周りに腰掛けた。その間もずっと騒がしい。
「クロエちゃん今日学校お休みなの?クロードは?」
「⋯クロードは家で寝てる。アカデミーは今日テストだからわたしは休み」
 最低限の返答だけして関わらないようにしようとしたクロエだが、女性達は尚も質問してくる。悪気は無いのだろうが、自分達の興味本位だけでズバズバ話しかけてくる彼女達がクロエは苦手だった。
(くっ⋯ほっといてよ。自分らの用事で集まってんじゃないのかよ。しかも今日に限ってここに集まるとかどんだけついてないんだわたしは)
 ここら辺の農家の奥様方の彼女達は、普段はお互いの家に行ったり外で立ち話をしているが、人数が多くなると稀にこうしてフラワー亭に来る。おやつの類は本人達が持ち寄って来た物を既に広げている。
「クロエちゃんまだ結婚しないの?」
「クロエちゃん美人だから引く手数多でしょうに」
「子持ちなのがあだなのかしら。クロードもなかなかクセがある子だし」
 憶測も混ぜて自分らの物差しで好き勝手に言っている姿に虫唾が走る。彼女達には結婚こそが女の幸せで、そういう人も居るだろうからその考え自体を否定する気はないが、それが女の総意であるかのように押し付けるのはやめてほしい。
「それともクロードのお父さんにまだやっぱり未練があるの?」
(またそれか)
「⋯何度も言ってるように、クロードの父親が誰かなんて覚えてないんだって。ベロベロに酔ってたから」
 真実だった。若い頃、祭の日に若さも相まって浮かれて深酒をし、前後不覚寸前の辺りに意気投合した男が居た事はうっすら記憶にある。しかし、相手も相当へべれけで全身白い服の若い男だったという事以外、名前どころか容姿も覚えていない。気持ち悪さで起きた翌朝、既に相手の姿はなくなっていた。
「結局父親探し全然してないの?」
「してない。別にいらないわ」
 実際、父親がいないからといって食うに困るでもなし、酩酊状態とはいえ、行きずりの相手を妊娠させるなどとてもろくな男とは思えない。ならば下手に関わらない方が得策ではないか。結婚に特に興味はなかったが子孫は残したかったクロエは、むしろ丁度良かったのかもしれないとさえ思っていた。
「それにしてもあの時はホントに大変だったわねぇ。ハシムが『 どこのどいつだ!ぶっ殺してやる!』なんて息巻いてねぇ」
「ホントホント!みんなでなだめてねぇ。当のクロエちゃんはしれっとしてるしね」
「クロードの魔力から察するに、相手も相当な魔力量よね。クロエちゃんと同等以上の」
「それ考えたら、いくら祭りで人が沢山居たとはいえ、ある程度絞れそうな気もするけどねぇ」
(何回同じ話すんのよ。わたしもババアになったらこうなるのか⋯?)
 クロエは何もかも嫌になって酒とつまみを持って歩き出した。
「あれ、クロエちゃんどこ行くの?」
「ちょっと用事思い出したから帰る」
(だって絶対長いもん。折角の酒と休みが不味くなる)
「あらそう、またねー」
(一人一人は悪い人達じゃないんだけどな、集まるとめんどくさいんだよねー)
 クロエは振り返りもせずに、足早に店を出た。

     *

 珍しく一人で街に来たキリハは、ちょっと遅めの昼食を終えたところだった。ウィルズメンバーで最推しの、ダリアに渡すファンレター用のレターセットを買い忘れていた事を思い出し、昼前に街へ来たところまでは良かったが、エルシオの店では目ぼしい物は無く、文房具専門店で散々悩んで買い物を終えた時には既に昼を過ぎていた。
 さすがに腹が減ったキリハは、以前エミリーが『 もっとちゃんと美味しくてオシャレなカフェ』と言っていた店を見に行ってみた。あわよくば一人で先に利用して、クロードを羨ましがらせられないかという期待は店の前に着くなり崩れ去った。
「か、完全に女子の巣窟やん⋯」
 あまりの店の混みように、我知らず独り言が出てしまうほど驚愕して、結局二軒隣の、客が近所の働くオッサンだらけの食堂に入ったのが先程の話だ。
 会計を済ませて外に出たキリハは虚しさにため息が出る。
(クロードならあれでも物怖じしないで入るんだろうな。オッサンだらけの方が落ち着くとか⋯我ながら情けねぇ)
 キリハはトボトボと家の方へ歩き出すと、繁華街を少し抜けた辺りの教会で、見覚えのあるフリフリスカートが目に入った。
(ん、あれはこの前サンドイッチくれた女児では?)
 教会の敷地内の木陰に置かれたテーブルで、赤と黒のフリフリのワンピースにツインテールの少女は、他の子供達の勉強を見てあげているようだった。小さな子には文字の読み書きを、自分より大きな子には歴史などを丁寧に教えていた。
(あんなちっさいのに頭良さそうだな。強力な魔法使えそうだけど、ろうそくがどうのこうの言ってなかったか?本職は攻撃魔法じゃない系か?いや、そもそも素の魔力が低いとか?)
 あれこれ考えながらぼんやり眺めていると人影が近付いてくる。
「あの子のお知り合いですか?」
 この教会の司祭らしき中年男性が尋ねてきた。
「え?あ、いや、全然。この前たまたま居合わせた店で少し会話しただけで⋯。服が目立つから目に入ったんだけど⋯」
「左様でしたか」
「親がいないって言ってたけど、この教会の子だったんスね」
「いえ、昨日来たばかりですよ」
 キリハが(いぶか)しげな顔をしたせいか、司祭が語り始めた。
「なんでも、親が居なくなってから引き取られた先とあまり折り合いが良くなかったらしく、いっそ飛び出して親の遺産で一人放浪してきたとか。さすがにこのまま貯金だけで生活するのも不安だそうで⋯」
「それで教会に来たという訳か」
 セントウィル教団ではゼイレア王国のみならず、各地の教会で生活困窮者の支援をしている。特に孤児には手厚く、希望する者や保護の必要がある者には、教会で生活できるよう居住スペースも設けられていた。
「あの、キリハさんですよね?勇者の」
「へぁっ!?」
 司祭が唐突に、想像もしなかった質問を投げかけてきたので、驚いて変な声が出た。
「ぅあ⋯まぁ⋯そうだったかも⋯」
 次に何を言われるのかビクビクしながら身構えていると、司祭は察したのかニッコリ微笑んだ。
「ああいえ、警戒なさらないで下さい。ただハシムさんにかなりお世話になっているもので」
「⋯父ちゃんに?」
「ええ。ハシムさんにはここと、王都の反対側のもう一つの教会に多大なご寄付をいただいておりまして」
「えっ」
 初耳だった。
「王宮からの手当以外にも農業でかなり稼いでるからと」
「そ、そういえば周りのオッサン達から、ウチは父ちゃんの体力がえげつないおかげで豪農だって聞いたことはあるけど⋯」
 何となく、農業で稼いだ分はフラワー亭のどんぶり勘定で消えてると思っていた。言われて思い返してみると、確かにあの収穫量と見合ってない気がする。
「教団から支援に十分な支給は来ておりますが、ハシムさんのおかげで王都の子達は更に充実した生活を送れているんです」
「⋯⋯」
 キリハは驚きで言葉を失った。ちゃらんぽらんだと思っていた父親が、存外ちゃんと社会貢献などしていた事に良くも悪くもショックを受ける。
「ハシムさんからはキリハさんの魔王討伐の共の要請を受けた事もあるんですよ」
「っ」
 うげっ!と出かけた言葉を辛うじて飲み込む。
「私ももう一つの教会の司祭も、そこまで大層な回復魔法が使える訳ではないので辞退させていただきましたが⋯」
 そう言って司祭は自嘲気味に頭を搔いた。
「もしその時が来れば、王宮騎士団か教団本部から然るべき適任者が選出されるでしょうし」
「は、はは⋯」
 キリハは乾いた笑いで誤魔化すのが精一杯だった。確かに代々魔王討伐に定められた血筋は、勇者と魔道士の二家だけで、ヒーラー役については特に決められた血筋というのは聞いたことがない。三百年前の決戦時も、その当時、回復魔法の最高峰だったセントウィル教徒だったと習った。
(その時とか来てほしくないんだよなぁ⋯)
「あれ、君はこの間の⋯?」
 閉口していたキリハに尋ねる声があった。例の少女がこちらを見上げている。
「ああ、うん、この前はありがとう」
「良いってことよ!」
 少女はニッと笑った後、司祭の方を向いた。
「なんか助祭が呼んでたよ」
「おや、ありがとう」
 少女に軽く礼を言うと、司祭はキリハに会釈をして敷地内に戻って行った。残された二人の目が合う。
「さっき司祭から聞いたけど、貯金切り崩してる身だったんだな。なのにサンドイッチもらって悪かった」
 少女は目を丸くした後、プッと少し吹き出した。
「腹いっぱいだからって言っただろ。むしろ、もらってくれなかったら勿体ない事になってただけだから」
 気にすんな!と思いっきり背中を叩かれる。意外な豪快さに困惑したキリハに少女は続ける。
「司祭がどんな言い方したか知らんけど、蓄えはまだまだ十分あるから、別に困窮してここに来た訳じゃないよ。でも人生何があるか分からないからね、節約できるとこはしとこうかな、ぐらいだよ。それに、この歳で長期の宿屋暮らしというのも周りの目が気になってさ⋯」
 少女は少し困った様子で頬を掻いた。小さい子が長期間、金銭の不自由なく一人で居るというのは周りからすれば色んな意味で心配だろう。いくら治安が良いとはいえ、よからぬ事を考える輩も居ないとも限らない。
「それにあんま長居する気はないんだ。ウィルズ見たらまた旅に出ようかなって」
「お?君もウィルズのファン?」
 キリハは興味深い話題に食いつく。
「あっごめん、特にファンて訳じゃないけど、頑張ってるとこ見てみたくて」
 キリハの熱量を察した少女は慌てて訂正する。しかしキリハはめげない。
「いや~見たら絶対ハマると思うよ!めっちゃ可愛いからね!」
「お、おう」
 キリハの勢いに少女が怯んだ時だった。
「司祭様いらっしゃいますか!!」
 突然バタバタと、切羽詰まった様子の男が敷地内に駆け込んできた。格好から王宮騎士団所属とわかる。
「司祭ならさっき奥に⋯」
「呼んでもらえませんか!」
 驚いて対応した少女に男は詰め寄る。
「どうなさいました?」
「司祭様!」
 騒ぎを聞きつけた司祭が教会から出てきた。男の青ざめた顔を見て、ただならぬ事が起きていると先を促す。
「どなたか怪我でも?」
「同僚が警邏(けいら)中に、子供を庇って馬車に轢かれちまったんです!子供は無事だったんですが、同僚の足が折れて⋯。一応王宮にも使いをやりましたが、こちらの方が早いかと」
「それは大変です、すぐ行きましょう!すみませんが、この事を助祭に伝えておいてもらえませんか?」
 司祭は少女に言伝(ことづて)を頼もうとしたが、少女は周囲を見渡すと、一番近くにいた子に向かって叫んだ。
「タチアナー!司祭と一緒に出てくるからって助祭に言っといてー!!」
 疑問符が浮かんだまま了承したタチアナと呼ばれた少女は、そのまま教会へ入っていった。フリフリの少女は司祭に真面目な顔で向き直る。
「私も行きます。何かお手伝い出来る事があるかもしれないので」
「⋯分かりました、急ぎましょう」
 急を要するせいか、特に言及せずに司祭は少女の同行を許す。急ぐ二人にキリハも何となくついて行った。もし力仕事が必要な場面があれば、自分でも手伝える事があるかもしれない。
 駆け込んできた男の案内で大通りまで来ると、そこからは言われなくても人集りで何処が事故現場か分かった。駆け寄ると、わんわん泣いている子供達が近くの大人になだめられている。中には怪我人を励ますような声も聞こえる。顔面蒼白で立ち尽くしているのは馬車の主だろうか。
「悪いが通してくれ!」
 男が司祭の為に道を開ける。間もなく、中で足を押さえ、呻きながら横たわっているもう一人の王宮騎士が見えた。
「ぅわっ」
 その姿を見たキリハは小さく悲鳴を上げて意識が飛びかける。押さえている方の足が、完全にあらぬ方向に曲がっていた。
「皆さん下がってください!」
 司祭は周りへ一言言うと、片手で首に下げている教団シンボルがあしらわれたアクセサリーを握り、もう片手は折れた足にそっと触れた。
「大丈夫、まだ間に合う」
 言いながら司祭は、足に置いた手はそのまま、触れるか触れないかのギリギリで探るように動かす。すると、司祭の顔が突然曇った。
「中で骨が複雑に砕けている⋯これは私の力では⋯」
 司祭が手を離しかけた時だった。近くに立っていたフリフリの少女が、周りに聞こえないように司祭に耳打ちをしたのを、同じく近くにいたキリハには聞こえた。
「そのまま続けて」
 そう言った少女は男を覗き込むフリをして、男に触れている司祭の腕に触れる。
「!」
 司祭は一瞬驚いた顔を見せたが、そのまま治療を続ける素振りをした。みるみる本来の姿を取り戻していく騎士の足に、周りから感嘆の声や歓声が上がる。気付くとほんの数秒で、騎士の足はすっかり真っ直ぐになって苦悶の表情も消えていた。
「ありがとうございます!」
「いえ、私は何も⋯」
 騎士達から素直に向けられる感謝の意に戸惑いながら、司祭は少女に目をやる。その視線に気付いた少女は、唇に人差し指を当て「しー」の仕草の後、更にウインクまでして見せた。
 事の顛末は、子供の飛び出しであった。驚いた馬が急には止まれず、もう一人の子供の方へ暴走し、それを近くにいた騎士が庇った。馬車の主には特にお咎めはなく、飛び出した子供と、後から駆けつけた保護者に厳重注意のみでその場は収まった。
 司祭達三人が教会まで戻ってくると、改めて司祭が少女に向き直る。
「君は回復魔法のかなりの使い手のようですね」
「へっ?いや、たまたまッスよ☆」
 少女はペロッと舌まで出してあからさまに誤魔化した。
「茶化さないで下さい。相当粉々になってた骨があの短時間で全くの元通りなんて⋯。年齢を考慮すれば修行を積んだにしても限度があるでしょうし、そうなるとやはり遺伝でしょうか⋯。孤児と(おっしゃ)られてましたが、ご両親はさぞかし高等魔力の⋯」
 途中から独り言のようになった司祭が、何か思いついたのか、はたと顔を上げる。
「ここからは大分遠いですが、セントウィル教団本部に行かれてはどうでしょうか!紹介状も書きますよ!」
 これは良い!と、一人盛り上がる司祭とは裏腹に、少女の表情は死んでいた。
「将来有望な君なら、教団本部でもかなり優遇してもらえるでしょう。今からその腕なら幹部も夢じゃありませんよ!」
「ちょっちょっちょーっと待って下さいよ!私にはそのつもりないので!」
 勝手に話を進める司祭を見かねた少女は止めに入った。
「私はアレですよ、攻撃魔法で身を立てたいんで、回復魔法の腕前をひけらかすつもりないデス。それにセントウィル教団は何かこう、私の肌に合わないっていうか⋯」
(何かスゲーどっかで聞いたような話だが、凄腕ならそっち極めりゃ良いのに)
 キリハは自分の事を棚に上げる。
「えええ!?勿体ない!その腕があればいくらでも人助けが出来るのに!今でこそ魔族も大人しいとはいえ、暴れだしたらヒーラーなどいくらでも必要に⋯⋯。⋯⋯いえ、無理強いはいけませんね」
 司祭は熱っぽく語っていたが、キリハをチラッと見ると急に失速した。
(確かに⋯)
 キリハはドキッとした。
「出来る事とやりたい事が必ずしも一致するとは限りませんからね。非常に勿体ない事ではありますが⋯でももし、将来に迷う事があれば、ヒーラーの道も選択肢の一つとして考えていただければ幸いです」
「安心してよ、さっきみたいに急を要する場合とか、他に誰もいない時は私も力を惜しまないつもりだから⋯」
 小さく息を吐いて応える少女に、司祭は柔らかに微笑んだ。
「キリハさんもお疲れ様でした。良ければお茶でも飲んで行きませんか?」
「あっ、大丈夫ッス。もう帰るんで」
 キリハは我に返ったように誘いを辞退した。
「それは残念です。良かったらまた遊びに来て下さいね」
「ははっどうも⋯」
「⋯さっき見た事、言いふらさないでね」
 気のせいかもしれないが、少女の笑顔から圧力の様なものを感じる。
「別に誰にも言わないよ⋯」
 キリハは二人に適当に会釈をして帰路についた。
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