最も低い、俺
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勉強ができないわけではないし虐められているわけでもない。
友達……はいないわけじゃないからぼっちでもないよ。ほんとうだよ。
だから俺はぼっちではないよ。断じてぼっちなどではない。
単純にあの夢をもう一度思い出したくない気持ちも大きかったけれど。
浜岡先生の単調でゆっくりとした話し方は寝不足の頭を夢の世界に誘うにはうってつけだった。
ウトウトと船をこぎながら俺はまたあの妙な夢を見なければいいなと考えた。
珍しくこの時はイエス様のお側に誰もおらず俺とイエス様の二人きりだった。というのもイエス様自ら俺と話しがしたいとおっしゃったのだ。
正直に言って俺は浮かれていた。
ただでさえお忙しいイエス様が十二使徒の一人ではあるが一番下っ端の俺なんかと話しがしたいなんてこんなに有り難いことあるだろうか。
二人きりだなんてあの仔猫を差し上げた夜以来だ。多くの人々がそれこそ高い地位の方から貧しい民までこぞってイエス様のお説教を聞きたがっているというのに!
敬愛するイエス様からのお話を独り占めできるなんて幸せでどうにかなりそうだ。
まるで想い人に呼び出された乙女のようにソワソワとしてしまうのも無理からぬことだった。
まるで飼いならされた犬のように俺は彼からの愛を享受する。
本当に、イエス様のためならなんでもできる気がしていた。
ああ、なんて麗しい。
心も姿もこれほど美しく気高く尊いお方はおられないだろう。
この方を見て、神の御子ではないと疑う人などいるだろうか。
しかし、うっとりとイエス様を見上げる俺にイエス様はこの上ない残酷な言葉を放った。
思わずイエス様のお姿を探して周りを見渡すと教室のみんなが俺の方に驚いた顔を向けていたのが目に入った。
そして再び浜岡先生の顔が視界に入る。
そうだ。ここは教室だ。俺はようやく状況を理解して青くなった。
浜岡先生が動揺からいち早く立ち直って若干不自然な笑い声を上げた。
もう俺には分かっていた。
これは夢ではなくて現実に起きた実体験の記憶なのだと。そうこれは。
俺の前世の記憶だ。
何度も、何度も師に呼んでいただいたあの名前は……っ!!
そしてはっきり分かっていたのは、俺がイエス様を殺したという事実だった。
教室の連中は驚きと戸惑いから脱してひそひそと話している。中には面白そうにこちらを覗き込んでいる者もいた。でもその時の俺にはそんなことどうでもよかった。
俺がなにをするべきか、もう心は決まった。
俺は教室を飛び出した。
先生が声を荒げていたが一度も立ち止まらなかった。はやく。はやく。はやく。
心の声が俺を急かす。
たどり着いたのは屋上で、普段運動もろくにしない癖にこの時は何故か全力疾走のあとも座り込みもせずにフェンスに手をかけていた。
三階からの眺めは普段見ている教室と少し違って新鮮だった。
なあ、みんなは自分の一番大切な人を殺してしまったらどうする?
俺は、こうする。
びゅうと音を立てて風が俺の体に吹きつけた。
ああ、イエス様。
ごめんなさい。愛してます。
許されないこの罪をせめてこの命で少しでも贖えるのなら……。
俺は何もない宙に足を踏み出した。
さようならみんな。
良い一日を。