陽太-4

文字数 3,982文字

陽太は夢を見ていた。そこは船の中。ものすごい速さで高度を上げていく。陽太は何かの透明なケージに入れられているようで、身体が重く動かない。地表が遠ざかり、雲を抜け、大きな窓から見える景色はどんどん暗くなっていった。やがて暗闇に浮かぶ、自分が生まれ育った地球。しかし海は土砂で濁り、陸を侵食していた。大地にはいくつも赤い亀裂が走り、緑は焼き尽くされて、星は煙に覆われていた。声がしたためかろうじて眼球を動かすと視界の端で子供たちが輪になって座っているのがわかったが、話の内容までは聞こえなかった。再び曖昧になる意識。夢はぷつんとそこで途切れた。

「もうかなりを思い出してしまっている。」
台座に横たわる陽太の額から指を離して、少年はそう言った。赤い宝石のような瞳、ひざまで伸びた銀色の髪、内側から白く輝く透明な肌。確かに動いているのに、生きているのかわからない、そんな少年の声は、聞いた者の知性を刺激するような、凛とした響きを伴っていた。
「2回目になるからね…記憶がさらに深く定着してしまっている。彼の心にかなりの負荷をかけることになるよ。」
真珠の色をしたケープの裾を揺らしながら、少年はゆっくり歩みを進める。歩いているのだから床はあるはずだけれど目には見えない。足元も、周りも、そして見上げても、全ての方位にどこまでも闇とその中に浮かぶ無数の銀河が広がっている。少年の歩みの先には、椅子に座り手を握り締めて俯く瀬名の姿があった。
「僕のせいだ、僕のエゴで陽太君を助けてしまったから…いけないとわかっていたのに、陽太君に近づいてしまったから…」
そう話す瀬名の背中は震えていた。少年は歩みを止め、哀れみを含んだ眼差しを瀬名に向けて答える。
「ミツル、僕はあの時、君に警告したはずだよ。彼に姿を見せてはならない。君がどれだけ注意しようと、互いを傷つけることになると。」
瀬名は僅かに顔を上げ、目線の先の闇を見つめる。目の下には隈ができ、もともとの無精ひげは更に伸び、数日間思いつめていたことが伺える。
「陽菜はあの時には既にだめだった。僕が好きだった陽菜は汚い大人たちに汚されていた。あれ以上生かしておくのはかわいそうだった。」
遠くで彗星のような光線が走り、キーンという乾いた音が空間にこだまする。瀬名の瞳には涙が溜まっていた。
「でも陽太君はそうじゃなかった。助けなきゃいけないと思ったんだ。今の世界で陽菜の分まで、永遠に子供でいて欲しいと願ったんだ。」
瀬名は搾り出すように言った。少年は再び歩き出し、瀬名に問いかける。
「それが、僕の話も聞かず、彼の前に姿を現した理由かい。」
「そうだ…でも、理想郷に、理想を求める者が干渉してはいけなかったんだ…自分でどんなにごまかしても、僕達はもう大人だ。子供に影響を与えずに共に過ごすなんてできなかった。」
少年は眠る陽太の姿と自らの指を見比べ、少し考え込んだ後、こう問いかけた。
「彼の気持ちには気づいていたのかい。」
その瞬間、空間から彼ら以外の一切の音と光が消え、冷たい沈黙が満ちた。その沈黙からもう一度世界を生み出すように、瀬名が口を開いた。
「ああ、怖かった…陽太君も陽菜の様になってしまうんじゃないかって。」
空間に呼応するように、瀬名の声も少しずつ温度を失い、震えは無くなっていった。
「でもそれ以上に自分が不気味だった。どこかでそれを求めているとわかってしまったから。」
それを聞いた少年は、少しあきれたような苦笑を浮かべ、瀬名の横に立って言った。
「大きな犠牲を払って、僕達は今の世界を手に入れた。でもどうやってその世界を動かしていけばよいかわからなかったから、この星で一つの可能性を試していた。これからどうするのかは、ミツル、君に任せるよ。僕はただ、人類に場所を提供したにすぎないからね。」
瀬名は横を向き、少年をまっすぐ見つめながら言った。
「ムラサキ、この星でのテストを次の段階に進めよう。時間はかかるかもしれないが、完全な子供だけの理想郷を作るんだ。」

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最初に見えたのは無機質な白い天井。ぼやけた視界がはっきりするのを待って、首を横にすると、白いカーテンが風で揺れていた。反対側を向くと、いくつかベッドが並べられていて、ここが病室だとわかる。
思考が朦朧としている。なぜ病院のベッドで寝ているのか、今が何月何日なのか、思い出せない。ただ、窓からかすかに聞こえる波の音と海鳥の声が、心を穏やかにしてくれていた。
ふいに廊下から慌しい足音がしてそちらを見ると、中学生ぐらいの少女が看護服を着て病室に駆け込んできた。
「小海さん、気がついたんですね! 良かった~今簡単に検査しますから。」
少女に追走して医療ロボットも病室に入ってくる。
「えーっと、まずここを押して… これがここに繋がって… あれっ、ここはどうだったっけ…」
慣れない手つきで少女はロボットから伸びるセンサーを陽太の身体に付けていく。画面上の指示を何回も確認して、やっと検査が始まった。
「あの…僕、なんでここに…」
画面とマニュアルを交互に凝視する彼女には悪いと思いながらも、陽太はたずねた。
「あっ、ごめんなさい、その説明が先でした! ちょっと待ってくださいね…」
経験が足りないことを考慮しても、少しそそっかしい性格のようだ。大丈夫かな…陽太は心の中で苦笑いをしてしまう。少女はいったん検査を中断し、ベッド脇の椅子に腰掛けて説明を始める。
「昨日の夕方、小海さんが図書館の中で倒れていたところを、たまたま訪れた人が見つけて運んできてくれたんです。軽い熱中症でしたので身体を冷やして、栄養剤を点滴しました。そのあと1日近くずっと眠ってて…」
陽太はうっすらと思い出す。そうだ、図書館での書架整理作業中に倒れてしまったのだ。改めて耳を澄ますと、波の音をかき消そうと競うように蝉が鳴いているのに気づく。屋内とはいえ、夏も盛りの時期に水分を取らずに作業を続ければ当然そうなってしまう。それにしてもあの誰も来ない図書館に来訪者がいたとは…後でその人の住所を聞いてお礼をしよう。
「そうでしたか…ありがとうございました。でもすごいですね、中学生で、こんな難しい仕事についていて。」
陽太は素直に思ったことを少女に伝えた。医療や教育等、難易度が高い職業は、汐見町でも子供はアシスタントとしてしか雇われていなかったはずだ。何か理由があるのだろうか。
「今はこんな状況ですからね…」
少女は少し声のトーンを落として続ける。
「これまでみたいに大人に頼れないですから、子供でも、できることは少しずつ覚えていかないと。」
「…こんな状況って、何のことですか…?」
陽太には少女の言っていることが理解できなかった。すると、少女のほうが不思議な顔をして陽太を見つめる。
「えっ、ほら、小学校でも話があったと思いますけど…。大人たちが働きに行っているコロニーで事故があって、船がこっちに帰ってこれなくなっちゃって…。救援のためにこの町からもお医者さんとか大人が沢山向こうへ行ってしまったから…」
そうだ、思い出してきた。それで今汐見町は以前にもまして大人が減って、子供の役割が大きくなっているんだ。自分には両親がいないからあまり気にしていなかったのだろうか…そう陽太はぼんやり考える。
「そうでした、ごめんなさい変なことを聞いてしまって…。」
「いえいえ、起きたばかりでちょっと混乱してるんですよ、きっと。それよりも、小海さんは図書館でしたよね、いいな~私も座り仕事がよかった。」
「あはは、でも図書館も意外と大変ですよ。毎月、本部から新しい本が送られて来て、それと一緒に書架を整理しないといけないんです。誰も借りる人がいないのに、何で来るんだろうって不思議なんですけど。」
ロボットからビーと警告音が鳴る。少女は慌てて立ち上がり画面を確認すると、大きなため息をつき、とても申し訳なさそうに陽太のほうを見た。
「すいません…あの、止めたと思ったのに検査してたみたいで…もう1回、最初から取り直してもいいですか…」

検査が終わり、少女が出て行くと、病室は再び静かになった。少し暑いからとつけてもらった扇風機の風が、時折陽太の前髪を揺らす。退屈しのぎにと少女が置いていった雑誌の束から適当に1冊を抜き取って開いた。
どこか技術の発達した星で発行されたらしいその雑誌には、のどかな汐見町では誰も気にもとめないような、最先端の研究結果や論文が並んでいた。『銀河系全域で観測されている二次性徴の遅れについて』というページが目に留まる。使われている用語が難しくあまり理解できないが、子供の身体に異常が起きていて、いろいろな星の科学者たちが共同で研究を進めているということらしい。
雑誌の横に置かれていた汐見町の広報にも目を通す。ここは、表面の99%が海に覆われ、わずかな陸地にこの街だけが存在する、銀河系の辺境の惑星。今後、労働力の不足が深刻化することを見越し、町の行政にも中学生や高校生が関わっていく方針が伝えられていた。また、従来日常生活をなるべく人間主体で送ってきたこの町でも、警察等すぐに子供が取って代わることが難しい仕事をロボットやAIに代行させることについての検討が始まったそうだ。
僕の図書館は、何か役割を果たすことができるだろうか。陽太は考える。今は誰も来ないさびしい建物だけれど、いつかみんなに必要とされる場所になって、この町に貢献したい。何かが大きく変わろうとしている。人類はより幸福になるのか、それとも不幸になるのか。窓から吹き込む風に少しだけ心躍る香りを感じ、陽太はベッドから立ち上がるのだった。
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