奈由紀-3

文字数 7,899文字

一人で川岸の遊歩道を歩く。5月に入って日差しはだいぶ暖かくなり、並木は新緑に輝いていた。雲ひとつ無い青空をぼんやりと見上げながら、悠は自分の灰色の心と向き合う。
教室から逃げたあの日から、悠は菜由紀と話せていなかった。いや、話せるわけが無かった。菜由紀の教室の前を通ることさえ避けていた。何もできずに時間が過ぎていく。人づてに聞く状況に耐えられず、もう大人に相談するしかないと思ったが、教師には相談したくなかった。悠も、当時の小学校の担任に打ち明けたことがある。しかし、暴力から逃げられたのはほんの1,2週間だった。再び始まった時、中学生達は学校に言いつけられた怒りをぶつけ、暴力は更に過酷になり、悠は担任に相談したことを心底後悔した。
「てことは、お母さんか…」
母親は研究や学会で忙しく、殆ど家でゆっくり話せることは無かったが、ちょうどその日は政治家との会食がキャンセルになったらしく、久しぶりに夕食を一緒に取れることになっていた。今までのことを考えると、相談しただけで問題が解決するとは思えないが、何かヒントは見つかるかもしれない。木々の葉が風で音を立てる中を、少し早足で悠は進んでいった。

「「かんぱーい」」
母親はワインの入ったグラスを、悠は同じグラスにオレンジジュースを入れて、テーブルの中央でかちんと鳴らす。
「ごめんね、悠。最近全然ご飯一緒に食べれてなくて。」
「ううん、大丈夫だよ。忙しいのにありがとう、お母さん。」
テーブルには母親が作った料理が所狭しと並び、リビングは上品でかつ食欲をそそる香りで満たされていた。ハンバーグ、パスタ、ポタージュ…夕方大慌てで帰ってきて作り始めたにしては、見た目も綺麗でどれも手が込んでいる。どう考えても今日一晩では食べきれない量だから、きっと今後2、3日の悠の食事になるのだろう。
「中学校はどう?」
サラダを小皿に移しながら母親が尋ねる。
「全部通信で予習したところだから、簡単だよ。特に数学と英語は今中2のところまで先取りしてるから。」
母親が一番最初に確認することは、勉強が問題ないかだ。それを知っている悠は、用意してきた答えをすらすらと喋る。
「そう、良かった。頑張っていて偉いね。委員会は何になったの。」
悠はサラダがよそわれた小皿を受け取る、トマトとちりめんじゃこ、クリームチーズを手作りのドレッシングであえたお気に入りのメニュー。
「えっと、学級委員は他の子にとられちゃって、体育委員になった。」
「あらら、そうなの…悠は本当に運動が好きね。」
最後は少し呆れたような口調だったが、娘が中学で自分の教えたことを守って生活していることを聞いて、母親の機嫌は良さそうだった。悠の目を見ながら諭すように続ける。
「学校の勉強ってつまらないと思うかもしれないけど、今頑張っておけば、大人になったときに楽よ。それに委員会や部活でチームワークを学ぶのも大事。なるべく委員長とかを目指して、今のうちから色々なことを経験しておいてね。」
「うん、わかった。」
悠は笑顔で返事をする。母親の教育に対する意識は高いが、決して勉強一辺倒というわけではない。中学も、小学校の間はのびのび遊んでほしいという理由で、受験をせず公立に入ることになった。仕事が忙しくて頻繁ではないが、こうしてたまに家族の時間も作ってくれる。だから悠もこういった話をされるのを億劫に感じたことはなかったし、できるだけ彼女の期待に沿いたかった。
今度はためらいがちに口を開く。
「あのね、お母さん…菜由紀ちゃんって覚えてる?」
以前菜由紀が家に遊びに来た時に、何回か顔を合わせているはずだ。
「えっ…あぁ、月島奈由紀ちゃんね…」
そう答える母親の声はさっきよりも少しだけ上ずっていたが、悠は気に留めず話を続ける。
「うん。でね…」
奈由紀の両親のこと、学校での出来事を、ゆっくりと話していく。小学生の頃、自分は母親に話せなかった。全てを話し終えて、最後に言った。
「…ねぇ、どうしたら奈由紀ちゃんを助けられるのかな。」
そのまましばらく返事を待っていると、優しい声で母親が話し始めた。
「悠、仲の良かった友達がそんなことになってショックなのはわかるけど…いじめはどこにでもあるわ。子供の間だけじゃなくて、大人になっても。」
「…うん…」
「奈由紀ちゃんには可哀想な言い方かもしれないけど、みんなと違ったり、弱かったりする子はどうしてもターゲットにされちゃうのよ。社会ってそうやって誰かの犠牲があって成り立っている部分もあるから…悠にはまだちょっと難しいかしらね。」
母親は慎重に言葉を選んで話していたが、それが逆にその言葉の裏にある無機質な世界観を浮き立たせ、悠を不安にさせた。
「それに、早いと思うかもしれないけど、そろそろ自分の高校受験のことも考えてほしいの。奈由紀ちゃんのお家は、その…色々とあるみたいだから、あんまり関わると、悠の学校生活にも影響があるかもしれないし…」
先ほどまであんなに美味しかった食事の味がわからなくなり、悠は皿の上の掃除をするように口に物を運んでいく。
「お母さんは悠に、いじめられる方にならないためにどうすればいいのか、考えて欲しいわ。」

放課後、悠は同じ1年生の体育委員数人と昇降口に向かっていた。6月の体育祭に向けて、色々な話し合いや準備が日が落ちるまで続くことも珍しくなかったが、その日は担当教師の用事で早めに終わり、その開放感から会話が盛り上がっていた。
「はー体育委員選ぶんじゃなかったー。入学してすぐ体育祭だもん」
軽く伸びをしながらそう言ったのは、奈由紀と同じクラスの佐々木だ。
「しかも先輩うざいの多くね?」
「そうそう、なんか体育委員だけに体育会系っていうか」
それに続いて周りの女子が小声で話す。
「九重さんは?なんか運動得意そうだし、体育委員って感じがするけど。」
佐々木に突然話題を振られ、慌てて悠は愛想笑いを浮かべる。
「そんな、全然だよ。小学校の時体育の成績悪かったし。それに、私もうちの先輩苦手、かな…」
「だよねだよね、特にあの白井っていう人…」
とにかく周りの言うことに賛同し、自分が周りと違う存在でないことを強調する。それが中学生になって悠が学んだルールの一つだった。話題は先輩への不満や悪口へと移っていく。委員会だけではない、部活でも普段の学校生活でも、小学校のときよりも上下関係が意識されるようになった。中には高圧的な要求や嫌がらせをしてくる上級生もいて、最下級生の彼女たちの心には行き場のない憎しみが渦巻いていた。
昇降口の靴箱の前に一人だけ生徒が立っていた。
「あっ」
佐々木はまるで店のショーウィンドウに気に入った服を見つけたかのように、その生徒に近づいていく。ほかの少女たちもそれに続く。悠はどうすればよいかわからず、顔を伏せてその場に留まった。
「月島さん元気~?どうしたのこんな時間に?」
靴を履き替えようとしていた奈由紀は、その声に身を強張らせる。中学に入ってからこんな遅くに奈由紀の姿を見るのは初めてだった。保健室で休んでいたのかもしれない。
「あれっ、月島さん一人で帰るの?友達は?」
後ろで別の生徒が「友達って」とクスクスと笑う。奈由紀は慌ててぼろぼろのスニーカーを床に置き、その場から逃げようとする。
「待ってよ、まだ話終わってないから」
ぐしゃり。誰かの足がスニーカーの片方を潰す。
「そういえばさ…」
佐々木が悠の方を振り返る。
「九重さんって同じ小学校じゃなかったっけ。月島さんに友達いたの?」
いつの間にか手のひらが汗ばんでいる。奈由紀に教えてもらいながらなんとか手芸部の作品を作れたときの嬉しさ、お互いの家でどんな中学生活を送りたいか話し合ったときの胸躍る気持ち…みんな本当にあったことなのに、煙がかかったようにぼやけている。
「えっと…あんまり知らない、かも」
その悠の返事を聞いて、奈由紀の体がびくっと震えた。今彼女の表情を見てしまったら思い出の全てが嘘になってしまう気がして、悠は視線を向けることができない。
「うわー、存在感なさすぎで誰にも覚えてもらえてないって、かわいそー」
少女たちはどっと笑い、更に奈由紀を囲む輪を狭くしていく。一人が奈由紀の鞄を無理やり剥ぎ取ろうとする。
こんな時なのに、いつかの母親との夕食を思い出す。それまで音だけだった母親の言葉から、意味がじわりと染み出してくる。みんなには、抑圧された鬱憤を晴らすことができる誰かが要る。それはたまたま不幸が重なって奈由紀になってしまったけど、自分かもしれなかった。自分も鬱憤を晴らす側なんだって、みんなに知ってもらわなければ。ちゃんと、大人になって、上手にやらなければ。
でも、これに加わることなんて、私にはできない。みんな、もう帰ろうよ。そう言おうと佐々木たちに近づいたとき、引っ張られて傾いた奈由紀の鞄から、何かが音を立てずに床に落ちる。白いマスコット。裏返っているが、それがニワトリであることを悠は知っていた。
「何これ、汚い」
誰かが靴で踏みつけ、生地に跡が付いた。
「あ…やめて…」
奈由紀が小さな声を出して、床に手を伸ばす。別の誰かが軽く蹴って、それは悠の足元に表向きに落ちる。
「九重さんごめんね~こっちにパスしてくれる?」
そう言う佐々木を見ようとして、その後ろの奈由紀と目が合う。
…助けてよ、ゆうちゃん…
すがるような視線。恐怖よりも、その感情のほうがずっと強く悠に伝わってきた。この場に、奈由紀を助けられるのは自分しかいない。でも助ける方法が思いつかない。いや、思いつかないんじゃなくて、もしかしたら、もう自分は…
「…あれ、何か書いてあるみたい…」
佐々木が近づいてマスコットを見ようとした時、悠は足元のそれを、床にあったすのこの下に押し込めた。
「うわっ九重さんひどっ」
「ないすぷれー」
また笑いが起こる。しばらくして、少女たちは満足したのか、奈由紀を残して帰っていった。悠が去り際にもう一度奈由紀を見ると、表情から先ほどまでの恐れや悲しさは消え、瞳はなんの感情も宿していなかった。彼女の体はもう震えず、ただ時間が止まったように悠の足元を見つめていた。

12月になると町はクリスマスのムードに染まり、商店街にはツリーや電飾がきらめいていた。その日、悠は友達と学校帰りにカラオケに寄った後、家路を急いでいた。ここ数日で急に夜が冷え込むようになり、マフラーと手袋が欠かせない。学校生活は充実していた。運動部に入って朝練は辛かったが少しずつ試合でも勝てるようになり、友達も増えて休日はモールやファーストフード店で楽しい時間を過ごしていた。
…お母さん、もう帰ってきてるかな…
今日は母親が久しぶりに帰ってきて夕食をとる日だったが、友達との時間が楽しく、予定よりも少し遅くなってしまった。住宅街に入り、気の早い近所のクリスマスのイルミネーションを横目に見ながら歩いていく。どこかの家からトマトと肉を煮込んでいるようないい匂いがして、何を作ったんだろう、と考えながら通り過ぎる。
白い息を吐きながら自宅の前に着くと、車庫は空だった。家も明かりはついておらず、母親はまだ帰ってきていないようだ。遅れるなんて珍しい、そう思いながら玄関を開け、真っ暗な家の中に入る。玄関を上がり、そのまま2階に上がろうとして、ふとリビングで緑色の光がひっそりと点滅していることに気付く。電話機の留守電メッセージのライトであることを思い出し、何気なく画面を確認すると、母親からのメッセージのようだ。何か用事が出来て帰れなくなったのだろうか、そう思って再生ボタンを押した。
『悠、晩御飯の約束守れなくてごめんね。実を言うと、しばらく忙しくて、家に帰れそうにありません。でも、大事な話があるのでメッセージを残します。ちょっと長いけど、よく聞いて欲しいです。あと、もし誰かが周りにいるのなら、このメッセージは一人になった時に聞いてください。』
悠は椅子を電話機の方に向けて腰かける。しばらくの静寂を挟んで、母親は話を始めた。
『信じられないかもしれないけれど、本当のことを話します…アジサイがあと3週間で、動作を停止します。』
スピーカーから流れてくる声は妙に落ち着いていて、優しかった。
『それが地球にどういう影響をもたらすか、正確にはわかりません。でも、確実に重力は失われます。おそらく大きな地震も起きます。3週間後の12月25日の夕方、この星は生き物が住めない場所になります。』
母親が語る未来は、今のこの平和な世界とかけ離れている。しかし、みんなが心のどこかで、いつかはそうなるかもしれない、と思っていた未来でもあった。本当は何百年も前に死んでいたはずの星。母親がこれまでアジサイの話をしたときも、言葉のどこかに、今の生活は永遠ではない、という香りを漂わせていた。だから、悠もこれが嘘だとは思わない。
『この話は、一部の人にしか伝えられていません。だから悠も、ほかの人には決して言わないでください。悲しいかもしれないけど、時間が無くて、ほとんどの人は地球に残ってもらわなければなりません。』
暗いリビングで、電話機の放つ光を瞳に映しながら、じっと悠は耳を傾ける。
『お母さん達が所属する大人のグループと、11人の子供だけが、地球から脱出できます。もちろん悠はその11人の中にいます。25日の朝に迎えの車が来るのでその人たちに従って船に乗ってください。お母さんは船で待っています。』
少し間をおいて、これまでとは違う、感情の滲んだ声で母親は続ける。
『ここからが、お母さんが悠に一番伝えたかったことです。…今まで、悠にはお母さんみたいな苦労をしてほしくなくて、社会のルールとか、常識とか、そういうものに従うように言ってきました。まるで大人になることが良いことのように…悠にはそう信じさせてしまったと思います。でも、地球が死んだ後は、世界が変わっていきます。いつか大人はいなくなって、子供が世界の主役になるでしょう。彼らはいつまでも子供のままで、毎日笑って生きることができます。』
『ごめんなさい。今更になって、お母さんは間違っていたことに気付きました。いえ…間違っていると分かっているのに、自分と悠を騙し続けてきました。罪滅ぼしにはならないかもしれないけれど、新しい世界をあなた達に託します。そこで悠を邪魔する物はなにもありません。悠ならまだ間に合います、お母さんとは違う道に進めます。…では、また時間ができたら、電話しますね。体に気をつけて。』
無機質な電子音と共に再生が終了し、静寂に沈むリビング。電話機の画面の微かな光だけが、悠の顔を照らしている。不思議と恐怖や絶望は無かった。自分の今いる場所や毎日笑いあっている友達が、すべて消えてしまい、二度と戻れない。それは確かに衝撃的だが、今この瞬間、悠の心で渦巻くのは純粋な違和感だった。母親の言う新しい世界に選ばれたのが自分?ふと奈由紀の顔が浮かぶ。悠は脱いだばかりのマフラーとコートを掴むと、家を飛び出した。

奈由紀の家は黒を塗りつぶしたような闇に包まれていた。雑草が伸び荒れ果てた庭には、ゴミ袋がいくつか放置されている。あれから奈由紀はほとんど学校に来ていなかった。以前、春に訪れた時よりも荒れている家をみて、悠は目を逸らし続けてきた自らの罪を改めて直視する。ここまでずっと走ってきたので息がまだ落ち着かない。インターホンを1、2回押して誰も出てこないことがわかると、迷わず悠は玄関のドアを何度も叩いた。
…お願い、出てきて。
冷たい金具の音がして、ドアが開く。その向こうには暗い廊下を背にして、少女が立っていた。
「な…奈由紀、ちゃん」
息を整えながら、久しぶりに名前を呼ぶ。汚れた部屋着、生気の無い表情。長くて綺麗だった黒髪は肩の辺りで無造作に切られていた。最初、悠は奈由紀に見つめられているように感じたが、すぐに奈由紀はそこに悠がいないかのように、ずっと遠くをぼんやりと見ているだけであることに気づく。
「夜遅くに、ごめん…伝えたいことが、あって…」
奈由紀は俯いてしまう。しばらくの沈黙のあと、小さな声で、短い言葉が返ってきた。
「…何」
あまり時間がない、いやもう遅すぎたかもしれない。悠はそう感じながら、先ほど母親に伝えられた事を奈由紀に話す。3週間後に地球の外へ逃げなければいけないこと、自分は生き延びることができる11人に選ばれたこと、そしてその後は大人のいない子供だけの新しい世界が待っていること。奈由紀はそれをただじっと聞いていた。全てを話してから、悠はここまできた一番の理由を口にする。
「でも…でもね、わたしが生き延びれるって、違う気がするの。わたし、奈由紀ちゃんに酷いことした。奈由紀ちゃんがみんなに酷いことされてるのに、見ない振りした。助けるために何かやらなきゃって沢山考えたけど、結局どれもできなかった。最初は自分も同じことをされるのが怖くて、でもその内これでいいんだって思い込んでた。小学生のとき、奈由紀ちゃんはわたしを助けてくれたのに…。」
目に涙を浮かべ声を震わせながら、自分が今までしてきたことを懺悔する。もしこんな状況にならなければ、あるいは一生伝えられなかったこと。その考えが悠の背中を少しだけ押していた。
「これじゃあお母さんと同じだよ。わたしに生き延びる権利なんて無い。奈由紀ちゃん、わたしはね…」
「やめて」
奈由紀の声が遮る。それは静かだが、先ほどの力の無い声とは違い、意思のある者の声だった。
「私は早く大人になって、大人がいなくても一人で生きていけるように、自分のことを自分で決めれるようになりたい。そして今、私を苦しめている人たちに復讐する。子供のままなんて絶対に嫌。」
それは悠の知っている奈由紀では無かった。まるで彼女の周りを茨の茎が取り囲んでいるような近づきがたい雰囲気。自分がしたことが、この春から彼女に起こっていたことが、ここまで友達を変えてしまったことに戦慄し、悠は何も言うことができない。
「それにあなたのお母さんは、子供だけの世界をまるで楽しい場所のように考えているみたいだけど、あなたも知っているはず。私の物を壊したり、悪口を言ってくる学校の子達、みんな楽しそう。小さい子が虫や動物を殺して家に帰ってきて、親の作った美味しいご飯を食べる。それが、子供の世界だよ。」
眼鏡の奥の瞳に鋭く見入られて、悠は息を呑む。
「私は逃げない。もし、あなたの言うとおりに、地球が死んでしまうのなら、私も一緒に死ぬ。そんなニセモノの世界、いらないよっ。」
そういい捨てて、奈由紀はドアを乱暴に閉めた。再び訪れた静寂の中、どこか遠くから聞こえてくる救急車のサイレン。悠は反射的にドアに向けて伸ばしていた手を、力なくゆっくりと降ろした。
…わたし、何やってんだろ…
情けない笑いがこみ上げてくる。話を聞いてくれるわけがない。自分は彼女を裏切ったのだ。そんな人間に、今更助けてあげるって言われて…助かってもそこは彼女の望む世界じゃなくて…。救えると思った、自分の浅はかさが可笑しかった。
「わたしに、なっちゃんに生きてって言う資格なんて、ない。」
そう呟いて、悠はドアに背を向け、歩き出した。
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