<4>ー3

文字数 2,215文字

 第三稿はまだ草稿、もしくは構想段階なのだがと断って吉井孝夫が話を始めた。
 印象派の最初の展覧会は1874年だった。その後、スーラなどの新印象派が出てきて、さらにセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどは独自の絵画を制作した。1900年以後は表現主義、キュビズム、ダダ、抽象絵画、シュルレアリスム、さらには、アクションペインテングやパフォーマンスアートが登場してくる。これが一般的な美術史である。
「絵画の傾向、運動は時系列で考えがちだけど、印象派が途絶えた後にキュビズムが出現したのではない。それぞれの画家は活動時期が重なっていたから、印象派のルノアールの晩年にはすでにピカソが「アビニョンの娘」を描いていたのです。つまり絵画の運動は単独で存在したのではなく、相互に関係を持っていたといってもいいんだ」
 抽象的絵画の先駆者ピカソでさえ、サティの弾くピアノに合わせて乱痴気騒ぎをするダダを見て閉口したということだそうだ。
「これらを美術史だけの時系列にとらわれず、視線を変えて、文学や音楽を加えた横軸で考えると、これまでとは違った面が見えてくる」
 たとえば、1850年ごろから70年代には、「共産党宣言」、あるいはマルクスの「資本論」、ダーウィンの「進化論」といった著作物があり、文学ではドストエフスキーの「罪と罰」トルストイの「戦争と平和」も書かれている。「不思議の国のアリス」の出版は1865年である。音楽に関してみてみると、ワーグナーのオペラ「ニーベルングの指環」は1853年に台本が書かれ、作曲が完成したのは1873年頃だった。そして、英国世紀末絵画、ラファエル前派はまさにこの時期と重なるのである。
 絵画は複製版画によって広く知られることもあったが、音楽はそうはいかなない。聴衆の前で演奏されるのは一回だけである。レコードやCDのない時代とあって、これが世の中に伝わるのには大変な時間を要したのだ。
 知的好奇心に富んだ話、大学の授業のようになってきた。
「当時は今のように気軽に旅行はできないし、通信手段は未発達だったから、現代のように芸術家がお互いに行き来したり、影響し合っていたとは思えない。それでも、ディケンズがラファエル前派のミレーの描いた「両親の家のキリスト」を批判したのは有名だ・・・これは樋口先生の方が詳しいですね」
「ディケンズは「オリバー・ツイスト」や「クリスマス・キャロル」を書いた人です」
 樋口先生が話を受け継いだ。
 名前は聞いたことぐらいはある本だが、奈々未はどれも読んだことはない。
 そのディケンズがミレーの描いた「両親の家のキリスト」について、イエスを「みっともない赤毛の少年」、マリアを「イギリスの安酒場でも浮いてしまうほどだ」と酷評したそうだ。
「批評内容はともかくとして、ディケンズがミレーの絵を見たことがあったと推測できますね。ディケンズの著作にはクルックシャンクやシーマーなどの挿絵画家が挿絵をつけているのだけど・・・ちょっと専門的になり過ぎましたかね」
 ますます話が難しくなってきたのでコーヒーを淹れて休憩した。

 この続きは資料を捲りながら版画や絵画の説明だけになった。
 最初の版画は、エッグという画家の描いた『過去と現在・三部作』。
 これは三枚の連作絵画で、妻が不倫をして家庭は崩壊、最後はテムズ川の橋の下で寝泊まりする元妻が夜空を見上げているというシリーズ物だ。ヴィクトリア朝の英国では女性の不倫など許されるものではなかったそうだ。
 次のページにはそれまでとはいささか雰囲気の異なる絵画があった。
 天井の高い大広間に横長のテーブルがある食堂の光景である。
 そのテーブルの両端、短い辺に二人の人物が座っている。画面の右手には初老の男、左側にはうら若き女性だ。女性は椅子を引き、食事には手を付けようとはしない。二人は夫婦なのだが、女性の方は財産目当てで老人と結婚したものの、男性に飽きて、ふて腐れている。この結婚は明らかに破綻しているのである。
 オーチャードソン作『功利的結婚』という絵だった。
 説明文によれば、ヴィクトリア朝の英国の上流階級では、この絵のように夫婦は長いテーブルの短い辺に座り、離れて食事をするのが慣習だったというのである。

 資料集の絵を見ていた奈々未は、
『財産目当てで結婚しておきながら妻は夫に飽き、浮気が発覚して離婚、ついには乳飲み子を抱えて町を彷徨う・・・』
 というストーリーが思い浮かんできた。夫の財産を当て込んだ功利的結婚、浮気の発覚という言葉には身につまされる思いである。
 社長の孝夫は画廊の他にアパート経営をしているので、安定した結婚生活が保障されている。先日は、マンションの家賃まで肩代わりしてもらう約束も取り付けた。功利的結婚を目指して邁進している最中だ。それでも、貯金通帳を見るまでは安心できないと強く思うのだった。
 浮気はバレなければいいのである。パパ活やらホスト遊びはすでに過去のことだ。ホストに貢いだことなどは黙って隠し通すのである。

 難解な美術の話も現実に置き換えれば手に取るようにわかりやすい。
 今夜はピッタリ側へ寄ってご飯を食べることにした。『功利的結婚』の絵のように離れて食事していては愛情が湧かない。食事中からベタベタくっついて愛情をたっぷり振りまいてあげよう。
 ご飯を作りと後片付けが孝夫の仕事であるのは言うまでもない。それが愛というものだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み