<6>ー1

文字数 1,645文字

 美容室の池田さんが来た。商店街の事業局だというインドカレーのお店をやっている人も一緒だった。
 奈々未はその事業局長から、ポスターのモデルになってもらえないかと頼まれた。商店街の大売り出しセールに使うのだそうだ。社長の孝夫も了承してくれたので引き受けることにした。モデル代は出ないというが、これも地域のためである。

 ポスター撮影の日、パン屋、肉屋、自転車屋、クリーニング、スーパーなどを回って写真を撮った。奈々未はお店の看板の前でにっこり笑ってポーズをとったり、店長と一緒に写真に収まった。
 商店街のはずれにあるスナックでも写真を撮ることになった。『雪割草』という店だった。しかし、七十代のマスターは、「もうすぐ店をたたむから」と断った。奥さんが病気になり、一人では店を続けられなくなったそうだ。
「奈々未さん、あなた、ママさんの代わりしてあげたら」
 美容室の池田さんが言った。
「美人ママ、お客さんがドッと来ること間違いないわよ」
 奈々未は以前キャバクラにいたから、お酒を出したり、お客さんの相手をするのは得意である。もっとも、スリットの入ったドレスで男性の膝の上に跨ったりしたら大騒ぎになるだろう。スナック『雪割草』はシックで落ち着いた雰囲気の店だ。

 週末にはラファエル前派の展示を見るためにお客が大勢訪れた。
 新堀画廊には、お馴染みの『魔法にかけられるマーリン』『プロセルピナ』に加えて、今回は『眠り姫』『オフィーリア』『ベアタ・ベアトリクス』や『燃える六月』などが展示されている。英国世紀末絵画の神髄を余すところなく展観しているのであった。
 さらに、本地画伯が描いた奈々未の横顔と、ワッツの『選択』も並んで掛っている。むしろこちらがメインかと思うくらいの人気だった。奈々未は自分がモデルになった絵と同じようなポーズをとった。横顔を見せて、軽く手を添えると、誰からともなく「はああ」と、ため息ともつかぬ歓声が上がった。雑誌の編集長やイラストレーターは「見れば見るほどきれいだ」「魂を抜かれそうになる」などと口を揃えて言った。
 褒めるを通り越して崇め奉られているくらいだ。奈々未は気を良くするどころか、すっかり舞い上がってしまった。

 夕方、映画監督の工藤氏が来店した。工藤監督は、詐欺師をモデルにした映画の宣伝写真を撮るので奈々未にも写真撮影に参加するようにと言った。返事など聞かずに、もう頭からそれと決めているのである。しかも、撮影に選んだ場所は、商店街にあるスナック「雪割草」だった。わざわざ近くで撮影すると聞かされて断れなくなった。
「今回は宣伝用の写真を二、三枚撮るだけ。演技はしなくていいですから、見学するつもりで気軽に来てください」
「主演の俳優さんたちも来るんですか」
「全員揃うよ。五十嵐隼人、今野レイナ、田村美千代も来る。ブラジリエの版画をプレゼントしたのが功を奏したってわけだ」
 奈々未が新堀画廊に売りつけたブラジリエの版画が役に立ったというのである。社長の孝夫には多額の出費をさせてしまったが、これでスッキリできた。
「そこに混じるんですか・・・私が」
 美人だ、きれいだと褒められても、そこはやはり一般人のレベルでのことだ。俳優やタレントと並んだら、とても太刀打ちできないだろう。
「大丈夫、奈々未さんならどこでも輝くよ・・・ただし」
 工藤監督がちょっと厳しい目になった。
「映画のプロデューサーが、奈々未さんのことを自分の目で確かめたいって言うんだ。だから、オーディションを受けてもらうことになった」
「オーディション」
「簡単な、形だけのものさ。審査員の前で演技をしたりセリフを喋るのとは違う。詐欺師の雰囲気だけ出してくれればいいんだ・・・どう、やってもらえないかな」
「詐欺師の雰囲気ねえ・・・」
 工藤監督からは雰囲気を出せという注文である。セリフや演技は経験がないけれど雰囲気だけならなんとかなるかもしれない。
 そもそも、詐欺師の役なのだから、あえて役作りするまでもないことだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み