#18 これは不可抗力これは不可抗力

文字数 5,050文字

 少し唇を尖らせた姐御の横顔は不覚にも可愛かった。

 整った憂い顔。犯罪組織の女ボスとは信じがたい。いや、本物見たことないけど。
 ……そもそも、俺がジャックニコルの(海苔)を剥がさなければ……いやいや、(ほだ)されるな。見た目は女優みたいでも中身は犯罪組織のトップだぞ?

「あなたが……」

 深呼吸を深くして、俺は「勃起」の方の(海苔)を剥がす。
 途端に、股間が過去一の主張を再開し、穿()きかけていたジーンズのボタンが閉まらなくなる。

「あなたが魅力的だからこそ、勝利に価値があるんです。信じてください。あなたほど素敵な人にも耐えられた俺が言うことを……チョウヒ・ゴクシは清らかな淑女のままであると」

 姐御は俺の顔を見上げる。頬が少し赤い。

「エマワト……私は『あなた』ではなくエマワトって名前なの」

「姐御!」

 さっきのモヒカン女性始め何人かが俺と姐御……エマワトの間に割って入る。

「大丈夫。この人は……ノリヲだっけ……ノリヲは、他の人に漏らしたりしないから」

 にわかに緊張して、股間に集まっていた血液が少し頭へと戻る。
 今だとばかりにグラさんとラッカさんのラブシーンを思いだし、股間を落ち着かせてボタンをしっかりと留める。

「周りに人が居るときは、姐御と呼ばせていただきます」

 するとエマワトは立ち上がり、モヒカン女性たちを制しながら俺の触れるか触れないかの距離まで近づいてきた。

「わかった。二人きりになれる時間はちゃんと用意してあげる」

「そ、そういうわけじゃ」

 反論しかけた俺の唇が何かで塞がれる……冷たい……金属?
 エマワトが、俺の唇からその銀色の何かを離す。
 懐中時計?

「ノリヲの勝利は、単なる解放だけじゃ割に合わない。これを受け取るだけの価値がある……私に耐えた、というのはそういうこと」

 こちらの世界では時計はまだ全て職人の手作りで特にこんな小さな物はかなりの高価なモノのはず。
 いや、宮廷ギルドって一応公務員だよね。もらっちゃマズいんじゃないのかな……そこまで詳しく社員規約は読んでない、というかその手の規約はあるのかな?

「これはポストモ団とは関係ない。一人のエマワトからノリヲへの贈り物。私が価値ある女だと言ってくれるのならば、受け取って」

 ズルいよ、こういうの……でも結局、俺はその懐中時計を受け取った。
 そして時計を見て驚く。もう午後二時を回っていたから。



 ハーレーダビットさん……さっきのモヒカン女性が、恐竜車で俺を送ってくれたおかげで、チョウヒさん宅に外交省の制服を取りに行く時間もできたし、ひげ剃り用の折りたたみナイフやトランクスなど自分じゃないと買えないものも揃えられたし、オススメされた防具屋は店内こそSM女王様風の革装備でいっぱいだったが、安くて良い防具を調達できた。
 それから道中、最新の犯罪組織事情も教えてもらった。

 このサクヤでは三つの大きな犯罪組織が争っていて、賭博と娼館が主な稼ぎの彼らポストモ団、麻薬と暴力が売りのタイリクカンダンドウ団、詐欺と密輸が主なシノギのジュウサンカイ団、この三つが互いを牽制し合ってバランスを保っている。
 今回、ジャックニコルが逮捕されたのも、他の二団のどちらかが絡んでいると思っていたらしい……というか、実際、その可能性はまだあるわけなんだけど。
 ポストモ団は姐御が女ボスで、ジャックニコルがお飾りボスだったのは彼女と同郷だったからというのもあるらしい。
 ハーレーダビットさんもそうだが、ポストモ団はオウコク王国西部地方出身者が少なくないようだ。
 本名を隠すようにしているのは、オウコク王国民ならば、名前を聞いただけで出身地方がわかるとのこと。
 なのでエマワトさんやハーレーダビッドさんが本名を俺に教えてくれたのは、あくまでも組織とは関係ない個人の付き合いだという証らしい。エマワトさんのことはエマ、ハーレーダビッドさんのことはレダと呼んでほしいとのこと。

「この御者は本名はモンティパイっていうんだけどよ、生まれは」

「もしかして西部ですか?」

「お、わかるねぇ」

 語感というか、何となくで言ってみたけど、本当にそれで合っているのかな?

「ノリヲの兄さん、着いたぜ」

 俺が冒険者ギルドのすぐ近くまで送ってもらったのは午後四時頃。
 ゲンチの今の季節は初冬あたり。日没まであまり時間がない。

「兄さん、何か困ったことがあったら賭博場か娼館に声かけてくんな。ダチとして頼ってくれよ」

 地球で人に必要とされることにずっと飢え続けていた俺は、相手がどういう連中か分かっていても、こういう申し出には感謝を感じる。防具屋だってやけに安い所を紹介してもらったし、本当にありがたい。
 俺の顔を見たレダは嬉しそうに笑う。
 恐竜車に手を振って(きびす)を返す……と、何だ?

 冒険者ギルドの入口がやたらと混んでいる。
 並の混雑じゃない。満員電車の乗車口かってくらいの混み様で、とてもじゃないが中に入れない。

「あっ! 会長!」

 人混みの中から一人、マッチョが出てきた。
 見覚えがある。真チョウヒ様ファンクラブの中で一番インテリそうな顔してたやつ。

「ども! コリンウィルです」

 ……彼も西部出身かな……じゃなくて。

「やあ……で、どうなってるんです?」

「チョウヒ様ファンクラブに入りたいって連中が押し寄せてまして……というのもですね、ジコハに酷い目に合わされた冒険者が実はけっこう居たらしくてですね。そんなジコハに天誅を食らわせたチョウヒ様の人気が爆上がり。しかも今まで居なかった女性の参加希望者もけっこう多くってですね。ファンクラブ会員同士でパーティーを組めば安心して冒険できるじゃないですか。いやぁ、僕らも女性と会話経験ない奴が多いんで、なんというかありがたいんですよ」

 物凄い早口でちょっとびっくりした。

「そればかりかですね、ダットさんの人気も爆上がりなんです。チョウヒ様ほどじゃないにせよ、あの子可愛いのに健気でがんばり屋さんじゃないですか。目立つ戦竜でタクシーやってて、戦竜に乗りたいって仲間もけっこう多かったんですよ……貴族に目をつけられていなければって心の中でしか応援できなかったんですけれどね。それがチョウヒ様のお抱え運転手になったことで、堂々と応援できるって喜んでいるのが五人や十人じゃないんですよ」

 ダットもそんなに人気なのか……というか早口過ぎてツッコミどころか相槌を打つ隙間もない。

「それに加えてなんと元会長の姉上が、あの有名な赤い(あぎと)が冒険者復帰ってことで、それはそれでまた大騒ぎで! モーパッさんは筋肉仲間以外にも大人気なんですよ。三年前に引退って噂が流れて、中には死んだとかいう酷い噂を流す馬鹿もいて……でも僕らはずっと信じてたんです。あれだけの美しい筋肉が何かに負けるようなことは決してないと! そしたら今日、とうとう復帰のニュースが! というより、チョウヒ様と同じパーティーなんですよ! なんでしょうねこの女神と天使と英雄の激アツパーティーはっ!」

「道を開けてくれないか」

 コリンウィルの話を愛想笑いでずっと聞き流している俺のすぐ横から声がした。
 綺麗な通る声につられて真横を見ると、美しい白い光沢を放つ鎧を着た人がそこには立っていた。
 全身を包むその鎧は、西洋の全身甲冑ではなく、日本の武者鎧のように大事な部分を守ることと馬にも乗れそうな軽量化とを両立させているようなデザイン。
 その下にはちゃんと動きやすい衣服をまとい、肌の露出はほとんどない。その顔も、兜の一部かアイシールドのようなものを下ろしていて、すっと通った鼻筋と、桜色の唇、形の良いあごしか見えない。

「こっ、孤高姫(ここうひめ)!」

 コリンウィルが感極まった声を出すと、絶対に乗れない満員電車としか思えなかった冒険者ギルドの入口が、まるで具合の悪い人を優先的に通そうとでもするかのように、人が通れるだけの幅をきっちりと空けた。
 有名な人なのかな?

「さ、行きましょ。急がないと」

 孤高姫は俺の右手をぎゅっと握る……え? なんで?

「真会長! 孤高姫さんともお知り合いなのですかっ?」

 コリンウィルが俺を見る。道を空けた両脇の群衆も俺を見る。俺の右手を握りしめたままの孤高姫も俺を見る。
 呆然としている俺の目の前に、通知が浮かんだ。

『再生しますか?』
『はい』『いいえ』

 パーティー内通知じゃない。通知を録音しておける魔法具か?
 もしかして、孤高姫と呼ばれるこの人が? とりあえず俺は『はい』を選択した。

『私はマリーローラン・ニヤカー。冒険者としては本名は秘密なので孤高姫と呼んでもらいたい。ドバッグ家を追放されたコウが貴殿らを狙っているという情報を入手した。彼には辱めを受けたという私的な恨みもあるため、これから出る調査の旅に同行させていただきたい。戦力的にも役立てる自信はあるが、どうだ?』

 なるほど。俺にしか聞こえないメッセージってやつか……ちょ、ちょっと待て。この顔の下半分……そして、鎧で覆われていてもなお感じさせる胸部のボリューム感……あのときコウに下着をさらされていたお洒落セレブっぽい感じの美少女か?

『再生しますか?』
『はい』『いいえ』

 また表示される。試しに『はい』を選択すると、もう一回同じメッセージが流れた。

「は、はい。よろしくお願いします、孤高姫」

「良かった」

 孤高姫は口元に笑みを浮かべ、俺の手を握ったまま割れた人混みの中へ踏み込んでいく。
 必然的に、俺も連行されるがごとく冒険者ギルド内へと入ることができた……けど。周囲の「何だあのオッサン」とでも言わんばかりの視線とざわつきがチクチクする。
 そんな中、ひときわ鋭く俺を見つめる目があった。
 チョウヒさんだ。





● 主な登場人物

・俺(羽賀志(ハガシ) 典王(ノリヲ)
 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。
 エマとの勝負に勝ったし、期限までに冒険者ギルドに間に合った……けど、チョウヒさんの目が怖い。

・チョウヒ・ゴクシ
 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した白魔術師。
 本日の日没までに行う冒険者ギルドへの再出発の報告には間に合ったはずなのに、視線が怖い。

・ダット
 ゴルゴサウルスを操る御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。十三歳。ゴクシ家のお抱え運転手。
 コウが逮捕されて貴族でなくなった後、実はダットを心の中で応援していた人たちが居たことが発覚した。

・ニッ
 ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。ヘッドライトの効果がある眉毛型の魔法具を装備している。
 ニッさんの「揺れ」の(のりしろ)を探して(海苔)を貼ったら全く揺れなくなった。

・コウ
 ドバッグ家の三男坊だった性犯罪者。ダットの弱みにつけ込み卑猥な行為を繰り返していたソバカス小太り男。
 (海苔)を剥がしたところ、その犯罪的欲求が暴発し逮捕。現在はドバッグ家を放逐され、貴族ではない。

・モーパッ
 真チョウヒ様ファンクラブ副会長デッの姉。感嘆するほどの筋肉を持ちながら小顔で美人。
 三年前までは赤い(あぎと)の二つ名を持つ冒険者として活躍していた。今回の依頼に同行してくれる。

・ジャックニコル
 オウコク王国内では屈指の犯罪組織ポストモ団の表ボス。
 (海苔)を剥がしたおかげで逮捕できた……せいで、俺は拉致されることに。

・エマ
 若くて美しくてエロい天啓を持ってるっぽいポストモ団の表ボス「姐御」。ジャックニコルは戸籍上死亡しているので元妻。
 ベッドの上での勝負に勝てたおかげで、いろいろと良くしてくれる。本名のエマワトは秘密にする約束。

・レダ
 筋骨隆々でモヒカンの明るい女性。犯罪組織ではエマの右腕らしいが、気さくで親切。ちなみにモヒカンはオレンジ色。
 本名のハーレーダビッドはエマ同様秘密にする約束。

・モン
 主にエマやレダなどポストモ団の重要メンバーを運ぶ恐竜車の御者。本名はモンティパイだが当然、秘密。
 エマやレダ同様、欧米人とのハーフっぽい顔している。きっちり揃えられたヒゲがダンディなナイスミドル。

・コリンウィル
 真チョウヒ様ファンクラブの中で一番インテリっぽい顔していたマッチョ。
 情報通っぽいが、話し始めるとだんだん早口になりつつ声のトーンも上がってゆくタイプ。

孤高姫(ここうひめ)
 本名マリーローラン・ニヤカーを隠して冒険者をしている。公衆の面前でコウに恥をかかされた被害者。
 コウへの復讐が目的のようだが、今回の依頼への同行を申し出てくれた。
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