第2話

文字数 4,672文字

白い、真っ白な神殿が立っている。この教会は、人が天使を信仰するために建てたそうだ。科学で、医学で治らない病を治し、怪我を治し、果てには行き場のなくなった、迷える子羊たちを救ってきた。多くの人が救われ、多くの人が助かった。最初こそあまり大きくなかった教会は、今では人が建築したどの建造物よりも大きくなっている。その大きさは、人がどれほど教会に依存し、なくてはならないか。その権力は、人がどれほど教会を信頼しているかの表れとなっている。今日も、多くの人が教会を訪れ、救い、救われ、助け、助けられている。今では、教会がある事が、いや、天使様がいることがこの世界の全てとなっているのだ。もし、もしもだが、この社会から教会が、天使がいなくなることがあれば、混乱は避けられず、社会の根幹が揺らぐことは間違いないだろう。

月刊教会

「うむ!今回も素晴らしい出来だな!」
「感激にございます。熾天使ガブリエル様」

 その天使がおわす教会の最深層。そこには教会を担当する記者である私と、熾天使がいた。
 熾天使ガブリエル様。天使の中でも最上級の階級であり、天使をまとめる存在でもある。その力は強大で、例えば体中にガンが転移し、医学でもうすでに余命宣告されている患者であろうと、その奇跡で救うことができるほど。欠損した腕は元通りになり、死に瀕してしまった者は一度だけよみがえらせることも可能だそうだ。
 熾天使はガブリエル様の他にミカエル様・ラファエル様・ウリエル様がいらっしゃる。

「ええ、全く。素晴らしい」
「恐縮にございます。熾天使ミカエル様」

 天使がこの世を支配するようになって、私たちの生活は一変した。

「本当かぁ?手ぇ抜いてるんじゃぁねぇかぁ?」
「決してそのような事は。熾天使ラファエル様」

 圧倒的な上下関係が存在し、我々は万が一にでも天使に抗えない。

「人の仕事にケチを付けるな。だが、まるで私達がこの世を支配しているような文言は、良くない。早々に書き直せ」
「申し訳有りません。すぐに書き直しをいたします。熾天使ウリエル様」

 私は知っている。天使に逆らえば、この社会から消されてしまうことを。だが、民衆は知らない。天使に逆らえば、今の社会構造を転覆させようとすれば、天使によって救済が与えられ、獣のような姿に変容させられてしまうことを。

 たまたま見てしまった、人間だったモノが、グロテスクに形を変え、獣のような姿に変えられるところを。体が変形し、物語で出てくる獣人のような姿で、およそ元人間とは思えない形だった。獣人ですらない、見るもおぞましい姿に変えられたものもいた。

 その光景に私は足がすくみ、同時に使命感に駆り出された。私が民衆を天使の暴虐から救ってみせると。ペンで伝えるのだと。

 だがそれは失敗に終わった。遠回しに書いて伝えた教会、天使の異常性。彼らは、私が意図した天使に逆らうべきではないという内容を曲解し、正義感を高め、しまいにはデモを起こそうとした。これは私が意図したものではなかった。

 私は間違えた。だから、天使を称賛し、チープな美辞麗句を並べ立て、天使は安全な存在だと知らしめる。疑いようもないほど知らしめて、私はこの世界の真実を知ってしまった責任を取るのだ。



 そのための取材に私は今来ている。ただ、これは予想外だった。まさか通されたのが天使の中で最上位の階級、熾天使の4位(4人)がおわす最奥の間とは。

「それでは、教会の中の仕事を見て回りたいので、私はこれにて失礼いたします」
「うむ。十全に書いてくれ!」
「ええ、よろしくお願いしますね」
「頑張れよ!」
「フン。手は抜くなよ」
「承知いたしております」

 そう言って、私は最奥の間を後にする。本当に寿命が縮んだ感じがする。部屋を出た瞬間に威圧感のようなものが消えて、体を包み込んでいた緊張が一気にとける。

「さて、教会の仕事を伝えるために頑張りますか」

 まずは治癒の現場を見せてもらうことにした。

「天使様。治癒をしているところを見せていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、構いませんよ」

 そう言った後すぐに治癒を始める。天使が患者の腕があったであろう所に手をかざすと、天使の手から不思議な光が患者の腕があったであろう所に集まり始め、腕の形をなしていく。しばらく腕の形を模した後はしばらく見た目に変化はなかった。

 欠損していた患者の腕が何事もなかったかのように治癒していた。

「治りましたよ。よく頑張りましたね」

 天使がそう言って、かざしていた手をどけると、腕あたりに集まっていた光が霧散する。霧散して光が落ち着くと、そこにはなくなっていたはずの腕が生えていた。

「天使様!ありがとうございます!」
「私はあなたの祈りを、神に代わって聞き届けただけです。祈るなら神に祈りなさい」
「ああ、神よ」

 涙を流して患者が自分の腕を抱える。現代医学でなし得ない欠損した腕の再生。義手でもなく、バイオテクノロジーでもなし得ない本物の腕の回復。まさに奇跡だ。なぜ天使にはこんな力が与えられているのだろうか。

 私はハッとした。天使に逆らわない、疑問を持たないと決めたばかりではないか。もう誰も彼らのような犠牲はいらないのだ。疑問を持つな。疑いを持つな。疑念を抱くな。私は自分にそう言い聞かせて、次の救済を取材しに行く。



 次に来たのは懺悔室だ。救済の都合上、懺悔中は懺悔室の中に入れない。それでも書くことはある。性質上、懺悔を前にした多くの人間たちが控室で待機しているわけだが、彼らは絶望や怒り、焦り、およそ負の感情に支配された人間の顔をしている。話しかければ今にもその感情が決壊しそうな連中が集まっている。しかし、それでも教会に伝えていないはずの自分の名前が呼ばれ、相談を親身に聞いてくれ、更には許しを与えてくださるのだ。懺悔室から出てくる者たちの顔はいずれにしても決まっている。晴れやかだ。

 一度、私も懺悔室には入ったことがある。「神はすべてを知っている」だそうだ。確かに、私の行いは全てバレていた。いや、あれは何か他の技術で私がしたことを推測しただけだろう。今であればそう判断できるが、誰かに話さなければ心を保てない状態では、それが本当だと思ってしょうがなかった。



 さて、教会が主に人間に対して行っている業務はこんなところだ。そのように取材をしていて、教会の行ったことがない所まで歩いていると、知らないところに出てしまった。教会は広く、教会の者でなければ知らない場所がたくさんあるのだ。もちろん増改築を繰り返しているため、構造が複雑化してしまったという歴史も持つ。

 歩かなければ元の場所に戻ることも出来ないため、私はとにかく歩いていたのだが、どうにも違和感がある。はて、何だったか。その違和感は、胸のざわつきとともに、すぐに思い至った。ここは、私が以前迷ったときに通った、人間が獣人に変えられた場所だ!違和感が確信に変わったとき、心臓がどくんと跳ねる。

 早く。

 早く戻らなければ。

 でも、どこに?

 気が動転して、頭がうまく回らない。早くしなければ、私がここにいることがバレてしまえば、天使に見つかっても、教会関係者に見つかってしまっても終わりだ。いや、いっそ迷子だと喧伝してしまおうか。いや、この場所にいることがバレた瞬間に殺されてしまう。早く、どこかに。まずい、足音が聞こえる。身を隠さなければ。この部屋に入ろう。

「今日の反抗者はこちらでございます天使様。よって、これらを獣へ堕とし、聖域へ追放するものといたします」
「む。やけに多いな」
「ええ、最近天使様を貶めようとする輩が多く、こちらの不手際です。申し訳有りません。すぐに処理させますゆえ、お許しを」
「ええ。許しは与えますが、私達を貶める連中は早く処理しなさい」
「おおせのままに」

 なんだと。多くとはどの程度だ。一体、今回で何人の教会の犠牲者が出るのだ。自分の使命と裏腹に、散っていく命が心に苦しい。

 私は彼らを追って、どれほどの人間が獣人になってしまうのかを確認しに行く。そこに、恐怖はなかった。ただただ恐怖にすくんでいた足は、勇気をもって踏み出していた。



 しばらく彼らにバレないように一定の距離を保ちつつ、追っていくと、彼らは部屋にたどり着いた。どうやら熾天使の間のように、場所は反対側だが教会最奥にあるようで、そこは薄暗く、教会の一部だと言われても疑ってしまいそうな場所だった。

 天使様と関係者が入っていくのを見る。100人くらいはいそうだ。恐怖からか、失禁しているものもいるようだし、幼い子供までいた。反対派の連中の家族まで入れらているようだ。可哀想に。家族の中に反対派がいたことすら知らないものもいるだろうに。

 私はその光景を見届けることにした。いや、目が離せなかったという方が正しいだろうか。今から私の目に映る光景が、どれほど残酷で残虐な行為だったとしても、なぜか、私は見なければいけないという正義感や使命感に駆られていた。その行為がどれほどの意味を持っているか今の私には説明がつかない。これからどうにかして会社へ戻って、家へ戻って、冷静になって、そのときの私が判断すれば良いことだ。これはそうに違いない。今危険を冒さずに逃げて、誰が「天使に逆らってはいけない記事を書く」という使命を果たせるだろうか。今から行われるであろう光景を目に焼き付けて、私は記事を書くのだ。

「それでは、懺悔なさい。あなた方が行った背徳行為を、神の前で告白してくるのです」

 始まった。

 肉がちぎれる音や、骨が軋む音。それと比べられないほどの、大きな悲鳴。まさに地獄絵図。阿鼻叫喚の光景を目に焼き付け―――

「おやぁ、記者くんじゃないかぁ」
「しまっ」

 扉がガンという音を立てて開く。

「何事だ!」

 教会の関係者が声を張り上げる。

「これはこれは熾天使ラファエル様。どうなされたのですかな」
「いやねぇ、ネズミが入り込んでいたからねぇ」

 思考が停止する。もはや逃げることは出来ない。
 なぜあの時大人しく帰らなかったのだ。
 なぜあの時身を隠さなかったのだ。
 なぜあの時私は天使の本当の姿を見てしまったのだ。
 なぜ、私は、こんなにも無力なのか。

「ネズミは大人しく処分だよなぁ~~」

 私はラファエルに放り投げられる。

「ラファエル様!待って下さい!私は100人までが限界で、うわああああああ、あああああああああああ」

 私の姿が変わっていく。あれを見てしまった夜から、何度も夢に出てきて私を震え上がらせたあの感覚。肉が裂け、そこから血が勢いよく飛び出す。内蔵が潰れ、裂け、内容物がぶちまけられる。私から出ていく私だったものを私の目で見て、私が考える。私が、考える。少しずつ、わけが分からなくなっていく。違う。チガウ。私が、見たのは、こんなものじゃなかった。こんな、肉が飛び散ったりしなかっっっっった。目線が、落ちる。下がっる。目が、見えない。どうして、なんで。指、指がない。あいつらは、指、あった。足?形がチガウ。なんで。どうして、どうし―――



「いやぁああああああ」
「うるさいなぁ」

 天使の姿が変わっていく。獣人の姿に変わっていく。

「記者くんは耐えられなかったかぁ」
「そのようですね」
「こいつもダメんなったわ」

 ラファエルが倒れ込んで意識を失った天使の髪の毛を掴む。

「獣くさっ」
「熾天使ラファエル様、こやつら獣人共とハフトはどういたしましょう」
「いつも通り聖域に捨ててきてよ。こんなのいても目障りだし」
「御意に」
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