第1話

文字数 13,010文字

ーー元々、人間の街というものは色々な場所にわたってあった、が、しかしここまで栄えていなかった。現代のように空を飛ぶ車も、AI搭載ロボットも、街に溢れかえってもいなかった。車は道路をただ走るだけであるし、ロボットは、まあ、少なくともAIを搭載しているやつはかなり用途が限られていた。今のように世話や掃除、全てを行ってくれる家庭用ロボットなんてものはなかったんじゃないかなあ。
君たちには想像がつかないだろうが、現代の科学技術は、昔の人にとってほんの一握りの天才が考えたようなものだったんだよ。
そうやって栄えていったわけだが……さて、ここ、私たち人間が住む街がここまで繁栄したのは一体どうしてだろうか。誰がここまで発展させたのか。
ーーそう、正解。君の言う通り、"天使"様だ。ちゃあんと"様"を付けるんだよ、とっても凄い人たちだからね。……ご覧、窓から、大きな時計塔が見えるだろう。あそこは昔の人たちが天使様からの啓示を受けーーまあ、「こうすれば良い」というアドバイスみたいなものかなーーそして、その啓示通りに物事を進めていくと何もかもが成功した、そんな話が伝えられている場所だ。昔の人は天使様に感謝、尊敬、畏怖の気持ちを込めて、称え崇め奉る場所として教会を建てた。中心より離れた地方にも行ったことがある子は分かると思うけれど、各地に教会があるだろう。あの場所はそういった啓示があった場所だと言われている。教会の中にある聖火も、同じように天使様に捧げるものだね。
そして、その中でもこの街の大きな時計塔は特別だ。一番力の強い天使様が降り立った場所だと伝えられている。一番大きな教会でもあるんだ。他にも三つ、この街の中心地には大きな教会がある。合わせて四つの教会、それぞれ四人の天使様が崇め奉られている。その四人の天使様の名はーー

先生が口を開こうとした瞬間、チャイムが鳴り響く。先生は困ったような笑みを浮かべた。
「喋りすぎたみたいだ。次回は続きから授業をしよう」
先生は授業を切り上げ、そのまま帰りの挨拶を行う。どうでもいい事しか話していなかったので、僕は窓の外を眺めていた。そこでとても目立つ大きな時計塔をじっと見つめる。
先生の言っていた天使様を、僕は実際に見たことがあった。姿形はあやふやだが、確かに神々しく、そして優しかった。
僕は昔大怪我をして、親に時計塔に連れて行かれた。痛くて苦しくて泣いていた僕に、天使様はゆっくりと近づいて何か言葉をかける。すると、みるみるうちに怪我は治っていき、苦しみも、痛みも無くなっていく。僕の目の涙を拭って、にこりと優しい笑みを浮かべたその姿を忘れたことはない。
「……それでは皆さん、また明日」
先生のその声にはっとすれば、周りはもう帰る用意を始めていた。僕が慌てて準備を始めると、後ろからおそーい!と言う女の子の声が聞こえた。
「マティ、いつまで準備してんのよ!」
女の子目の前までやってきて、赤髪を揺らしながら、腰に手を当てる。
「……アメリー、ごめんねもうちょい時間かかるかも……」
「もう、仕方ないわね!……私ここで座って待ってるから!」
そう言って、僕の目の前の人の椅子に座る。いつもならばうるさいくらいに早くしてよ、と急かされるのにどうしたのだろう。不思議に思いつつも、僕は数冊の本とタブレットをリュックにしまい、背負う。
「よし、出来た。帰ろう、アメリー!」
そう言って僕はアメリーの方を見る。しかし彼女はどこか浮かない顔でうつむいていた。もう一度呼びかけると、彼女ははっとした顔になり、慌てて立ち上がる。
「……何でもない!行きましょ!」
「……うん」
今日あったことを話しながら帰路に着く。先ほどの暗い顔は見せず、楽しそうに話しているのを見て僕はほっとした。きっとお腹が空いているとか、そんなものだろう。
今日の授業の話になり、アメリーはぼそりと呟く。
「……天使様ってどんな姿をしているのかしら」
「天使様の姿?」
「ほら、像は立てられているけど、実際の姿は見たことがないから。……気になって」
「ふうん」
僕は頭の中に天使様の姿を思い浮かべる。ううんと唸っても詳しい姿は思い出せない。
「でもきっと、優しい人の姿だよ」
「優しい?」
「そう!だって僕が昔小さい時にね!怪我したことがあって……」
「もうその話は何回も聞いたわよ!はあ、もう、天使様大好きなんだから……」
話し始めようとした僕を遮ってアメリーは大きな溜息をついた。呆れたように笑って、じいっと僕を見る。
「……どうしたの?」
僕の言葉に、アメリーのうす茶色の瞳が揺れる。口を開いて、何かを言おうとしたのだろうか、でも何も言わず閉じた。
笑顔を浮かべて、僕から離れる。気づけば、いつも僕たちが別れる道であった。
「……ばいばい、マティ」
「うん、また明日……」
僕の言葉に手を振り返し、別れていくアメリー。なんだか胸騒ぎがして、僕は彼女の姿が小さくなって見えなくなるまで、じっと彼女を見ていた。


家に帰ると、家事ロボットがお辞儀をし、お帰りなさいませ、と僕に言う。ただいまと返すと、もう一度お辞儀をし、去っていく。
「お父様がお呼びです。すぐにお父様の部屋に来るように、とのことです」
いつものようにと思ったが、ロボットはそこにとどまり、伝言を伝えてから去っていった。
僕は言われた通りにお父様の部屋に行き、ノックをする。入りなさい、と言われ扉を開けると、お父様だけでなくお母様もそこにはいた。
お母様はお父様と何かを話していたが、僕に気づいたのか振り向いて綺麗な黒髪を耳にかけながらも近づいてくる。
僕と同じ緑の瞳の中に、僕の姿を映す。
「おかえりなさい、マシュー。今日も変わりないかしら?」
「……はい、お母様。でも一体どうしてここに……」
よく2人の姿を見てみると、いつもと違った服装をしていた。それは、教会に行く時の服装であった。
「これから教会に行くんだ。マシュー、お前も連れて行こうと思っている」
「……!いいの?」
教会でのお仕事の時はいつも僕はお留守番をしていた。お父様とお母様が仕事の邪魔になるから、と連れて行ってくれなかったからだ。思わず敬語を外すと、両親は特にそれを咎めることもせずにこりと笑う。
「お前は、次期イグレシアス家の当主だ。見ておいた方が良いと思ってな」
「……わかった!準備をしてきます!」
思わず興奮のままに部屋を飛び出し、自分の部屋に駆け込む。そしてクローゼットに大事にしまい込んでいた服を取り出した。それは、教会での正装だと、僕の誕生日に渡された神父服。抱き締めて、はあと息をつく。
「ようやく……!」
僕の憧れ、天使様に会えるかもしれない。もしそこに助けてくれた天使様がいたならどうしよう、感謝の言葉を言わなければ。
逸る気持ちを抑え、服に袖を通し、鏡で髪を整えているとノックの音が響く。
「準備は出来たかい?」
お父様だ。外に出ると、両親が部屋の前に立っていた。
「ふふ、話の途中だったのに飛び出してしまうなんて!ほんとに天使様が好きなのね」
お母様の言葉に僕の顔が少し熱を持つ。しまった、と思っていると両親は優しく笑って、僕の頭を撫でる。
「ふふ、きっと気に入るわよ。天使様の"奇跡"を見れるのだから!」
どこかうっとりしたかのようにお母様がそう言った。僕の期待は高まり、体がそわそわと落ち着かなくなる。
「じゃあ、行こうか」
その言葉に僕は勢いよく頷く。
その選択を後悔する事になるとは知らずに。


街の中心、大教会の中に入ると、いつもと違ってしんと静まり返っていた。ごくり、とつばを飲み込む音もよく聞こえる。
真ん中のカーペットを歩く僕たちに向かって、お辞儀をする人達がいた。通路の端で僕たちと同じような服装をした人が、フードを目深に被って、ずらりと並んでいる。
聖火が捧げられている祭壇の前まで着いた時、お父様とお母様は何かを呟く。何を言っているかは分からない。周りの人も同様に何かを呟き、その声が重なり、余計に聞き取れなくなっていく。
声が止むと、目の前から光が降り立ち、その眩しさに目を瞑る。
「天使様、あなたの救いの御業を、どうかお与え下さい」
目を開くと、そこには白い羽根をゆっくりとはばたかせ、宙に浮いた人の姿が見えた。天使様だ。逆光で顔は暗く見えなかったが、明らかに他の人とは違う空気をまとっており、どこか圧を感じた。
「……私の前に、連れてきなさい」
天使様の言葉にお父様が後ろに振り向き手を振る、と同時に、後ろの扉が軋みながら開いた。
「……アメリー?」
教会の人が乱雑に鎖を引っ張る。同時に手枷を付けられた男の人と女の人、少女の姿が映った。少女は俯いていたから顔は分からなかったが、特徴的な赤髪だから、そう咄嗟に思った。そして、顔を上げた時、うす茶色の瞳を見て、そうなのだと確信した。祭壇の前までやってきて、近くにいた僕とアメリーの目が合った。アメリーが口を動かす。
ばいばい、マティ。
別れた時の、彼女の言葉が思い出される。
どこか、全身の毛が逆立つような、寒気がする。
「……ねえ、お母様。今から何が、」
「見ていなさい。そうしたら、分かるわ」
何言か言葉を交わした後、天使様が、アメリーとその両親に向かって手を振り下ろす。天使様の目が赤く、妖しく、光った。
静寂の後、アメリーの父親が叫び声を上げた。次に母親も。アメリーは叫び声を上げなかったものの、頭を抱え、苦しそうに胸を押さえている。
「アメリー!!」
思わず叫び近寄ろうとすると、お母様に腕を掴まれる。痛い。ぎりぎりと音がしそうなくらいに強く掴まれている。
「……マシュー。駄目でしょう、天使様が愚か者に救いを与えているのよ?」
救い。どこがだ。あんなに苦しそうにして。その時、一際大きな唸り声が響いた、アメリーの方を見る。目を見開く。
彼女はもはや人の姿をしていなかった。身体が蠢き、変形する。教科書で見た、"ケモノ"の耳のようなものが頭から生え、鼻は飛び出し、口は大きく割れ牙のように歯が鋭くなっていく。うす茶色の瞳だけが、唯一彼女だと分かる特徴だった。
そして、アメリーの両親は、もはや何物でもなかった。身体が溶けていく。全てが溶けて、不定形になっていく。
「なんで……」
うす茶色の瞳が、また僕を見た。
溶けていく顔と、身体が、その瞳を覆い隠して。
そこで、僕の意識は、ぷつん、と途切れた。




「はッ……?!」
勢いよく起き上がる。
激しい動悸、流れる汗。張り付いた部屋着が不快で、気持ち悪い。手で口を押さえ、込み上げる吐き気をなんとか抑えようと深呼吸を繰り返した。
もう数年経つというのに、忘れられずに、あの時の事を今でも夢に見る。あの時から僕にとって、天使という存在は恐怖だとしか思えなくなった。
色々な思いが渦巻き、処理ができなくなった僕は、あの後倒れてしまった。
目を開けると、そこは僕の部屋の天井で、隣にはお母様とお父様がいた。何を言っていたかは、覚えていない。
ただ、僕を案じる言葉をかけ、心配そうな顔をしていた2人の瞳が忘れられない。暖かな雰囲気とは裏腹に、どこか冷たげに、僕を眺めていた、緑と青の色が。
コンコン、と扉をノックする音が響く。
「……時間でございます、お支度を」
無機質なロボットの声。僕はもう一度深呼吸をした。
「……今行く」
起き上がって制服に手を通し、扉を開ける。
「行ってらっしゃいませ」
ロボットの声に頷いて長い廊下を歩き下に降りる。途中、お父様の部屋の前で立ち止まる。が、扉の前にはロボットがいた。
「今はお仕事中でございます。ご用がある際は私が承ります」
「いや、いい」
あの時がきっかけかは分からないが、僕とお父様の会話は減った。天使や教会に関わるような仕事はあの時以来連れて行かれることは無かった。一度も。
あの瞳の冷たさは、失望だったのだろうか。
玄関の扉を開ける。
「行ってきます」
返事は無かった。
それが、もう当たり前であった。
学校に向かうと、段々と周りが僕と同じような制服の人の塊になっていく。
僕はそれがとても苦手であった。元気もなく、笑い声もなく、ただ皆無表情に歩いている。面白くもなければ、昔の教会の人達を思い出し、思わず顰め面をしそうになる。
「イグレシアス様!おはようございます!」
その癖、僕に会った時はやけに明るくおかしく振舞おうとする。でも僕はそれを振り払えない。失望されてようと、期待をされていなかろうと、僕は"イグレシアス家の一人息子"だから。
優しい顔をしているお父様とお母様、一体問題を起こしたらどうなるのだろう。
天使も怖くなった。でも、どうしてもそれ以上に両親が恐ろしくなった。
「……ああ、おはよう」
近寄ってきた女の子、男の子、友達になりたいなんて言うんだ。でもそれって、僕が"イグレシアス"だからだろう。その友人というポジションが欲しい、それだけだろう。
なんて、虚しい。
その時、僕の耳に女の子が叫ぶ声が入ってきた。思わずその方向を向けば、同じ制服を着た女の子がチラシを配りながら何かを伝えるように必死に叫んでいた。僕の視線に取り巻きは気づいたのか、取り巻きはしかめっ面をした。
「最近、天使様の事を悪く言う集団が多いんですよ、なんと罰当たりなんでしょうね」
「天使様は私たちを陥れようとしてるとかなんとか……言ってることも訳の分からないことばかり!」
「あの銀の髪も普通とは違って汚らわしい……」
「まあ、イグレシアス様は関わることは無いと思いますが」
取り巻きは口々にそう言って、さっさと離れようとする。僕はそれに流されるように歩く、けれど、必死に何かを訴え、叫ぶ銀髪の女の子から目を離せないでいた。


学校から帰る途中、僕の視界に銀色が映り込む。辺りを見回せば、遠くのベンチで座り込んでいる、銀髪の女の子を見つけた。
思わず近寄ると、彼女は疲れたように溜息をつき、配っていたチラシを見ていた。
「……ねえ、君」
そう声をかけると、銀髪の女の子はひゃ、と悲鳴をあげ驚いたように僕を見た。
「え、と……イグレシアス……?」
しどろもどろにそう言う女の子に僕は目を見開く。
「名前、知ってるんだ」
「そりゃあ……イグレシアスのお坊ちゃまだし」
少し調子を取り戻したのか棘のある言い方をする。僕は思わず苦笑いをした。
「まあ……そうか。僕のことはマシューって呼んでよ」
「はあ……マシュー、さん。一体何の用事でしょうか。」
「僕、それに興味があるんだけど」
チラシを指さすと、また面食らったかのように目を見開いて僕とチラシを交互に見る。
そして怪しいとでも言いたげに、僕をしかめっ面で上から下まで眺める。
「あなたが?」
頷くと、僕をまたじっと眺めて、また溜息をついた。
「……では、後日こちらに来てください」
そう言って、一切れの紙を渡される。
「そこは私が住む場所です。……ひとまず話はそこで聞きます」
そう言って去っていく彼女。さっさと逃げていくその姿をただ見守り、ふと気づく。
「名前、聞き忘れたな……」
まあいいか、ともらった紙切れをポケットに突っ込み、帰路についた。
家に着いて着替えた後に、僕は書斎へと向かう。
あの時からの習慣だ。僕は天使という存在に疑問を覚えた後、図書館や書斎にこもり本を読むことに没頭した。天使や教会の事を、知らなければと思ったから。
だが、思ったよりもそれらに関しての書物は少なく、あったとしても学校で習う歴史とほぼ同じことが書いてある。
今日明日で書斎の書物はほとんど読み切ることとなる。何かあればいいけれど、と半ば諦めた気持ちで本を漁っていた。
背表紙を眺めていると、厳つい分厚い本の間に毛色の違う薄い本が挟まっているのが見えた。取り出すと、埃かぶった文字がかすれている、古ぼけた本だった。
いや、本というよりかは日記のようだ。
「……科学者、の偉業……?」
科学者の後に書いてあるのは名前だろうか。ただ文字がかすれて読むことが出来ない。表紙では内容が判別出来ず、それを開いて読もうとすると、書斎の扉が開く音がした。思わずその本を閉じ元の場所に咄嗟に戻す。
「マシューか」
お父様だ。僕にゆっくりと近づいてくる。
「久しぶりだな、元気か?」
「え、ええ……」
お父様が僕を見る。久しぶりに会話を交わしたかのように思う。
「勉強か?」
お父様の言葉に、おそるおそる頷く。
「……僕も、お父様の跡を継ぐのでしょう。それならばきちんと勉強しなくては」
その言葉にお父様は目を見開いて、ふっと笑う。
「……そうか、なら仕事の事を教えなくては、な」
そう言って頭を撫でられる。久しぶりのその感覚に思わずぎょっとした顔でお父様を見る。その顔は、小さな頃僕を見る顔とそっくりであった。
胸の中が、ちくりと刺されたような感触。
「期待しているぞ」
その言葉に胸が跳ねる。
「あ、ありがとう、ございます……」
久しぶりに頭を撫でられる。
そう言った後にお父様は書斎から出ていく。
正直、嬉しかった。今まで存在を無視されていたように思っていたから。認められたような、そんな気がした。
同時に、心の中に靄が広がっていく。それなのに、僕は天使に反対している、お父様や教会に仇なす事をしようとしている。
いいのだろうか。
しかし、僕はアメリーの事を思い出した。大切な友人を、人ならざるものに変える天使の姿を。ただ無表情にその姿を眺めていた天使のことを。
やはり、怖い。
でも、知らなければ、そして、伝えなければ。また、アメリーのようになる人が増えてしまうのかもしれない。
ポケットに閉まった紙切れを取り出す。書かれている住所は中心の外れにあるようだ。
「行かなきゃな……」
僕は書斎を出て、部屋に戻った。


翌日休みだった僕は書かれていた場所に出向くことにした。そこに行くと、周りは閑散としており少し古そうな住居が並ぶ。その中でも彼女が渡した紙切れが指す場所は、古ぼけた屋敷のような建物が建っていた。
ノックをすると、少し経った後に銀髪の少女が出てくる。
「……来たんだ」
びっくりしたように目を見開き、扉をこっそりと開く。
「いいですよ、入って」
中に入ると、手入れはされているらしく外見よりはきちんとした内装だった。案内された部屋は客室なのか、古いが上等なソファとテーブルがあった。どうぞ、との声掛けにソファにおずおずと座る。
「……お茶、用意するから待っててください」
そう言って部屋を出ていき、僕は一人残される。する事もないので部屋を見渡していると、一つの写真立てが目に入った。
小さい頃の彼女とその家族と思われる写真。幸せそうに笑う三人と、少し離れた場所に焦茶色の髪の毛の男の子が映っていた。
扉が開く音に視線を戻せば、目の前に紅茶が置かれる。
「さて、何が目的ですか?」
目の前に座り、単刀直入にそう切り出した彼女に面食らう。
「目的って……話を聞きに?」
「本当に?」
僕のことを不審げにじろじろと見る。明らかに信じていない。ううんと悩んだ後に、僕はあの時の事をかいつまんで話した。きっと、彼女になら話しても大丈夫だろうと思った。
最初の方は話半分に聞いていた彼女だったが、段々と身を乗り出して聞くようになっていく。
話し終えた後には彼女は感動したかのように泣きながら謝る。
「ずみまぜんでじだぁ…うだがっでじまっでぇ……」
泣きじゃくりながらそう言う彼女。僕は少し引き気味に笑う。
僕はあの時のことを誰にも話したことがなかった。誰も分かってくれないだろうし、そもそも口に出すことが怖かったから。けれど、彼女の真摯な表情を見ているうちに、その苦しさが安らぐように思った。
「分かってくれたようで、良かった。」
そう言うと、彼女はぶんぶんと首を縦に振る。涙を拭き鼻をすすって一呼吸置く。
「…よろしい!私はあなたを受け入れます!」
そう言って手を差し出される。僕はその手を取って、握手をした。
「……あ」
そして思い出す。そういえば彼女の名前をまだ知らないことに。
「ごめん、あの……」
「はい?」
「君の名前は?」
あれ、という表情をするも、はっと気づいたようにあわあわとしだす。
「あれ、もしかして名乗ってませんでしたか?!」
彼女は立ち上がり、頭を下げて謝る。
僕も思わず立ち上がり、慌てぶりをなだめた。恥ずかしそうに彼女は笑い、そっとまたソファに座る。
「…すみません、名乗るのが遅れました。私はソフィアって言います!」
陽の光を浴びて、きらりきらりと輝く銀髪。意志の強い紫色の瞳。僕は少し見惚れてしまう。
「よろしくお願いしますね!マシューさん!」
僕はその言葉に強く頷いた。


そうして天使に反対する集団ーーレジスタンスのいるアパートに案内された。しかし、やはりと言うべきか、僕が教会関係者の息子というのは知ってる人がいた。冷たい態度を繰り返されることもあった。なんなら酷い言葉を投げかけ、追い出そうともしてきた。その度にソフィアが割って入り、僕もそのイメージを払拭できるよう色々な人に話しかけた。
誠意が伝わったのか、根気強さに負けたのか。数週間もすれば、僕はそのレジスタンスの人達に受け入れられていた。
その中でもソフィア以外に年齢が近い男の子が1人いた。くすんだ緑髪とクマの目立つ暗い黒い目は、最初見た時はぎょっとしたが、僕はその男の子に話しかけ続けた。彼ははっきりと人が言えなさそうな物事を言い、僕をお坊ちゃまと呼ぶ。しかし僕はその度に少し嬉しかった。僕のことをそんな風に言う人なんて誰もいなかったからだ。男の子は僕の顔を見て、なんだこいつという顔をしていたが。
僕は見てくれているようで嬉しかったのだ。イグレアスというタグを貼り付けた僕では無い、素の僕を。
ある日、男の子が僕を呼んだ時の一言が忘れられない。
「僕はクラン。…次からそう呼んでよ、マシュー」
告げてくれたのは男の子の名前であり、その時初めてクランは僕の名前をしっかりと呼んだ。思わず顔を綻ばせると、クランは可笑しそうに笑った。
いつもクランが引きこもっていた部屋に案内され、入るとパソコン、モニターが所狭しと並んでいる。地べたには飲み物のボトルが散乱していた。
彼はハッカーであり、ここで様々な情報を収集しているようだった。僕が凄い、と興奮すれば彼は得意げな顔をする。僕は笑顔を返すが、地べたのボトルを蹴り、思わず顰め面をした。
「……でもね、クラン。掃除はした方が良いよ」
そう言う僕に、クランはこう返した。
「まあ、気が向いたらな」

学校で秘密裏にソフィアと会うことが増えた。昼食の時間になるとついて行こうとする取り巻きを巻いて、学校の裏でソフィアと落ち合う。僕はこの時間が好きだった。
「私ね、デモを起こそうと思うの」
ある日、裏で落ち合って食事を取っている時に、ソフィアがそう切り出した。
「今の皆を揃えるのって、相当大変だったの。ここの人達って基本は天使を崇めているから」
そうやって笑うソフィア。きっと苦しい思いを何度もしただろう、それでも折れず、気丈に元気な姿を見せている。
「でもね、マシューも入ってくれたし。…そういう人たちは何人もいるって分かったから」
「これから酷い目にあうかもしれない人達を、救わなきゃ」
その言葉は、表情は、僕の胸を撃ち抜いたかのようだった。ソフィアはそう言った後に、僕をじっと見つめる。
風が吹いて、銀髪がなびいた。それでも紫の瞳は僕をしっかりと見据えている。
「…ソフィア?」
声が裏返りつつもそう呼びかければ、ソフィアは可笑しそうに控えめに笑い声をあげた。
「…マシュー、変な顔」
「…僕のこと、からかったね?」
「からかってないよ?」
「じゃあなんで僕をそんなに見るのさ」
そう問うと、ソフィアは口に手を当てて考え込む素振りをした。しかし少しすると立ち上がった。
「ないしょ!」
振り返ってそう言ったソフィアは、とても可愛らしい笑顔を浮かべていた。
僕は顔が熱くなるのを感じながらも、立ち上がり、先に歩いていったソフィアを追いかけた。
その翌日、ソフィアはデモを起こす事を皆に告げた。不安そうにしながらも皆は固く決意したような表情で頷く。
アパートで詰めながらも準備を整えていると、気づけばデモを起こす日が翌日になっていた。
前日ということで皆はたくさんの準備をしており、チラシや段幕、そういった手伝いをしていたら帰らなければいけない時間が迫っていた。
僕は渋々作業を切り上げ、帰ることをソフィアに伝える。いつもはそれでまたねを交わすだけだが、今日は違った。
「…帰り、ついて行っていい?」
ソフィアの言葉に僕は困惑しながらも頷く。
二人揃って外を出ようとした時、クランとすれ違う。クランは僕らを見てにやりとし、僕の肩をぽんとして去っていく。
絶対何か勘違いをしている。
明日ちゃんと言おう、そう思いながらもこっそりと外に出た。外は満月で、暗い道のりを薄く淡く光で照らす。
「…ついに明日、だね」
僕の言葉にソフィアは頷く。
「成功、させなきゃね」
ソフィアの言葉に僕は頷く。
どこか重い雰囲気が漂い、話題を口にしては言葉少なに消えていく。ソフィアがいつもより大人しく、僕は少し不安になった。
「…どうしたの、ソフィア」
僕がそう声をかけると、ソフィアは歩きながらも深呼吸をする。少し経って、ソフィアが口を開いた。
「…私ね、お兄ちゃんがいたの。と言っても、本当のお兄ちゃんではないんだけどね」
ほとんど一人だった私を育ててくれた人なのだと、ソフィアは言う。その瞳には懐かしむような、慈しむような感情が見えた。
僕は話が見えなくて、頷くことしか出来なかった。
「マシューはお兄ちゃんにそっくりなの。その焦茶色の髪とか姿とか!瞳だけは色が違うけど……」
ソフィアが立ち止まり、僕の方を向いた。そして、僕の頬にそっと触れる。月の光が差し込んできらきらと光る銀髪、僕を優しく見つめる紫瞳。
綺麗だ。
「綺麗な緑」
言葉が詰まる。胸がばくばくと大きく跳ねて、顔が赤くなっていくのを感じた。
「ふふ」
ソフィアは穏やかな笑みを浮かべて、また深呼吸した後に、口を開いた。
「……好きよ、マティ」
「ソフィ……!」
僕も、と返そうとした所でソフィアが離れていく。もうそろそろ僕の家の近くだった。
「じゃあね。……返事は明日終わってから聞くから!」
そう言った後駆け出していくソフィア。僕はその姿を呆気にとられて、見ていることしか出来なかった。


「今日は朝から教会の仕事があるんだ。着いてきてはくれないか」
朝起きてすぐに部屋を出ると、向こうからやってきたお父様がそう声をかけてきた。
「今日は、用事が……」
デモの日だ、とは言えず誤魔化す。しかしお父様はすぐ済むと言って、後に引かなかった。
「……分かりました」
そう言って部屋に戻ろうとすると、お父様が僕の名前を呼んだ。
「何か、隠してることがあるのか?」
「!……いえ、何も」
そう言って扉を閉じた。どくんどくん、と鼓動が早くなる。もしかして、バレているのか。
ふう、と息を吐く。落ち着かなければ、表情に出てしまう。何か隠していると言っているようなものだ。
何度か呼吸をし、落ち着きを取り戻す。そしてクローゼットからしまわれていた服を取り出す。
袖を通し、身支度を少し整えると、お父様が入ってくる。あの時の服装を着ていた。
「用意は出来たか?」
「はい」
それを聞くと、お父様は僕に背を向け歩き出した。僕はそれについて行くように足を踏み出す。
「それで、仕事というのは」
「……行けば分かる」
お父様は振り返らない。
その態度に不安が胸の内に広がっていく。何かが起こる前かのような静けさが僕たちを包む。
嫌な予感が、する。
家の前に停めてある車に乗り、空を飛ぶ。
時計台の前で降ろされ、大きな扉をお父様が開けた。賑わっている人々はいない、いるのは祭壇の前にいる数人の教会の人と入ってきた僕たちだけだ。
嫌な予感は的中した。
数人に囲まれたその隙間から、銀色の髪が見えた。瞬間、僕は走り出していた。
「ソフィー!!」
僕の声に集まっていた教会の人たちが顔を上げる。ソフィーもその声に顔を上げる。
銀髪に紫の瞳、間違えようもなくソフィーその人だった。僕を見た瞬間、顔が崩れる。
「……マシュー、残念だよ」
絞り出したかのように、低い声が背後から聞こえる。
「こんな奴に騙されるなんて」
カツン、カツン、足音を響かせて僕に近寄る。と思えば僕を通り過ぎて、教会の人達の前に立つ。教会の人達はお父様が近づいた瞬間にはけていく。現れたソフィーは口と手を拘束されていた。
僕を見たソフィーは何かを伝えようと言葉を発している。くぐもって聞こえない。
「本当に、残念だ」
僕を見ないまま、お父様はそう言い放った。
「……天使様。どうか、この愚か者に救いを」
天使様の姿は見えなかった。けれど、その声を合図に、ソフィーが苦しそうにもがき始める。
「そんな……」
嫌だ、嫌だ、いやだ。
必死に僕は否定しようと、頭を振る。現実は変わらない。あの時のように、アメリーのように、ソフィーの身体が変形を始める。
ソフィーの苦しむ声、厳かで静かな教会ではよく響く。変わっていく姿。人ならざる姿。
一際大きな唸り声をあげて、ソフィーは僕を見た。その目には憎悪が浮かんでいた。許さないと、強く強く言うかのように。
段々と、ソフィーの紫瞳が光を失う。憎悪をにじませたその目が、皮膚が溶けて覆い隠された。それでも、解けた紐であらわになった口が、微かに動いた。
僕は叫びながら教会を飛び出した。後ろから追ってくる気配も足音もなかった。
ただひたすらに走って、走って。気づいたら、レジスタンスの皆がいるアパートにいた。外にいたクランが気づいて飛び出してきて、僕に声をかける。
「……どうした、そんな顔をして」
ただならぬ雰囲気を感じとったのか、僕におそるおそるそう聞いた。
僕は曖昧な返事を返し、突き進む。
僕は頭を巡らす。
ーーああ、駄目だった。また、失った。
皆がいる前を突っ切り、ソフィーの立っていた台に立った。
「今日のデモは中止だ」
僕の放った言葉に皆が動揺し、文句を言う。が、しかし、僕の顔を見た瞬間に黙り込んだ。
皆の顔は不安に満ちている。
ーー救えなかった。
それを見て、僕は一言、こう言った。
「皆、ソフィーは天使によって殺された」
皆がざわめく。
「……天使なんて存在は、僕たちを助ける存在なんかでは無い。僕たちは、支配されているだけだ」
拳を握りしめる。皆は黙っているものの、もう困惑した様子ではなく、僕をしっかりと見据え、次の言葉を待っている。
ーー僕は、腑抜けていた。
僕は。
いや、私は。
天使のことを絶対に許さない。
アメリーを、そしてソフィーを、大切な人を2回も奪った天使という存在を。
ーーもう、失わないためにも。僕は、私、は。
頭を振る。そうではない。皆をしっかりと眺めて、宣言した。
「……私たちは、天使と徹底的に交戦する!!」
その宣言に人々は沸き立つ。意気込むものは拳を振り上げ、今皆の前に立った私を、誰かがリーダーと呼んだ。
もう、ソフィーはいない。
その事実を突きつけられたかのようで、少し苦しくなった。
「ただ今は準備が必要だ。……仕掛けるのは感謝祭の日。」
ちらと近くにいたクランのことを見る。
「クラン、頼みたいことがある。……良いかな?」
「……ソフィアがやられて黙っているわけにはいかない。何でも、する」
そう言ったエルの顔は凛々しく、でも足が少し震えていた。ああ、でも心強い。
「……そう!来たる感謝祭の日!私たちは革命を起こす!天使という邪悪を、人々に思い知らせるのだ!!」
その宣言にまた人は沸き立つ。私はソフィーの形見であるブレスレットを握った。

ーーソフィー、僕、成し遂げるから。見ていてね。

私は、固く固く、ソフィーにそう誓った。
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