電車とタバコと辞表

文字数 4,998文字

 商品開発二課まで来ると、浦山課長が打合せ室の扉近くにいました。
「ごめんね、忙しいところ呼び出して」
「いえ」
そう返すと傍に来て小声でこう言う。
「いつも通り思ったこと言ってくれていいから」
そう言われても困る。

 僕は高校卒業後、実家近くのこの会社の営業所に現地採用で入った。そして営業職として働き始める。四年目になる時転勤。高卒の営業所採用の人間が転勤すること自体珍しい。なのに営業所を管轄する大阪支店を通り越して、東京支店営業部への配属だった。東京支店は本社工場と同じところにある。四人しかいなかった営業所から、百人近くが働く場所に来てしまった。そしてまた三年過ぎた時、本社工場の製造部内にある商品開発課に転属となった。
 うちの会社は建設現場などで使う安全用品を作っている。樹脂製の製品が多いが、ビニール製やウレタン素材の物なども作っている。
 商品開発課では新商品の開発はもちろん主力業務だが、クレームなどの営業職から上がってくる声を聞いて、商品改良をするのも大事な仕事。そして新商品も改良品も、まず課内で実用検証をする。敷地内のモデル現場で実際に使ってみる検証が多い。配属された直後から僕は、そういう場でいつも思った事を言う。そして開発・改良に関わったチームのメンバーから嫌われる。営業での経験から想定される、不具合やクレームになりそうなことを先に言ってるだけなんだけど。
 浦山さんは僕が配属された時は係長でした。半年くらいたったころ商品開発は一課と二課に別れた。その時に浦山さんは課長として二課に。二課は社長に直につながる部署として新設。建設業以外の販路を開拓する商品を作るのが目的。敷地内に新築された専用の建物を使う。開発スタッフは社長が集めた人材らしい。試作品などの製作をする工員も社長が選んだとか。二課は社内のブラックボックスとなった。

 そんなところに呼び出されただけで緊張しているのに、いつも通りなんて出来るわけない。
「何をするんですか?」
課長に合わせて小声で聞く。
「新商品の試作品見せるから意見が欲しいの」
やっとか、二課設立から一年経つが何か作ったなんて話は今まで聞こえてこなかった。
「やっと出来たんですか」
思ったまま口にしてしまった。
「やっとって失礼ね。でもいいわ、その調子で思った通り言ってやって」
「言ってやってって、誰にですか?」
「うちのスタッフに」
おお、実在するのかなんて言われている二課のメンバーに会えるんだ。でも社長が連れてきたメンバーに何か意見を言うなんて気が重い。
 浦山課長が僕の肩に手を置いて身を寄せて来る。女性に接近されて別の緊張が。いやいや、この人独身だけど五十くらいだぞ。でも見た目若いしかわいらしいところもあるし。だからやめろって。なんて思っていると顔の傍でさらに声を落としてこう言われる。
「いつもの相手より手強いと思うけど、何でも言っていいから」
「どういうことですか?」
当然僕もヒソヒソ声で返す。
「私じゃ通用しない子達とだけ言っとく」
少し間があってからそう言うと彼女は体を離す。子達? 私じゃ通用しないってセリフよりそっちが気になった。でも、もう扉を開けて課長は部屋に入ろうとしていた。

 課長に続いて部屋に入ると、「子達」の意味が分かった。男三人、女一人の四人がテーブルの向こうに座っている。最年長と思われる男で三十くらいに見えた。あとの三人は僕と同じくらい。社長が集めたメンバーがこんなに若いとは思わなかった。テーブルには白い布を被せて何かが置いてある。
「じゃ、早速見てもらおうか」
課長がそう言う。え? 挨拶なし?
「いいですよ」
最年長の男がそう言うと立ち上がって白い布をとる。紹介されてないので男Aとしよう。布の下にあった物は、何かわからなかった。いや、分かるけど意味不明。これが新商品?
「どうですか?」
男Aが僕に言う。
「え、これ? どうって、え?」
訳が分からな過ぎて言葉が出ない。冗談なのか? と思ってしまうようなものが目の前にある。
「何に見えるか、そしてそれに対してどう思うか言ってください」
また男Aがそう言う。しょうがない、もう少し観察してから口を開きました。
「食品サンプルですか? でもそれだとしたらちゃっちいですね。これで食品サンプルの業界に参入する気なら見込みなしですよ」
男A以外の視線が僕から外れた。でも男Aはこう言う。
「それだけですか?」
そう言われたのでまた口を開く。
「玩具だとしたら配慮が足らないですね。まずこんなに角があったら危ない。そして子供はすぐ口に入れるので、こんなにエンボス加工が深く細かいときれいに洗えないからダメです」
男A以外の三人は話している途中から退屈し始めたように見えた。そして男Aも何も言わない。僕は最初にするべきだった質問をしました。
「これはどこのどういう需要を見込んで作ったんですか?」
返事がない。
「開発側のそう言う意図が分からないと何も言えませんよ」
返事はない。でも女性が睨んできた。睨んできているけどかわいい顔。いやいやそうじゃない。
「何かしらの調査をして、どこかでこれを買ってもらえると思って作ったんですよね」
四人が顔を見合わせた。言葉は発しないけど会話してるみたい。テレパシーか? やがて女性が隣の男Bを肘で小突き始める。するとその男Bがめんどくさそうに口を開いた。
「調査って言ったけど、それ俺たちの仕事なの?」
「え?」
「どこかで? それ探すのは営業でしょ」
理解できない。何を言おうか考えていると男Bが続けて言う。
「俺たちは土建屋以外に売るもの作れって言われてんの。それ、土建屋に売る?」
「いや、現場には……」
「だったら俺たちの仕事は成立してるでしょ」
ちょっと腹立ってきた。
「だったらどこに売るつもりですか」
「だからそれ……」
男Bが話し始めたところで女性が席を立って扉に向う。意味不明の笑みを見せている。男Bは話をやめて続く、あとの二人も。扉を出るときに男Aが僕に言った。
「あんたも分かってないね」

 課長が横に来てこう言う。
「ありがと」
諦め顔でした。
「いや、いいんですか? あれ」
「この前、営業の谷口課長にも同じこと頼んだんだけど、もっとひどかった」
「……」
「あなたと同じ、当たり前のことを言ったんだけど、彼らにはそれが当り前じゃない」
「ダメですよね、それ」
「分かんない。社長の言う事しか聞かないかも」
なんか呆れてくる。
「社長に言ってもらったらいいじゃないですか」
「言えないの」
「何でですか?」
「社長とは彼らが直接話してるから」

 僕と課長は部屋を出ました、新商品の試作品を残して。










 翌日の朝七時少し前、食堂で紙コップのコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。そこに紙コップを持って浦山課長が近付いてくる。
「おはよう、昨日はごめんね」
そう言いながら目の前に座る。
「おはようございます。あとどうするんですか?」
「それ教えて欲しい」
そう言う課長は去年より痩せて見えた。
「大変そうですね」
「まあね、……」
まだ何か言いたそうでしたが黙ってしまう。でもしばらくしてこう聞かれました。
「いつもこの時間にいるね、なんで?」
昨日の話はしたくないのかな?
「田舎者なんで満員電車苦手なんですよ」
「わかる、東京の満員電車って異常よね。自分の足で立ってないもん」
少し身を乗り出してそう言う彼女。
「ですよね、課長も地方から?」
「うん、北の方から」
「そうですか」
どのくらい北なのかな?
「でも、東京の電車はいいこともあるでしょ」
「いいこと?」
「本数の多さ。私がいたとこなんて、朝夕以外は偶数時間に一本しかなかったから、乗り遅れたらパア」
「確かに。でも僕の所は一時間に一本はありましたよ」
「変わんないわよ」
こんな話を彼女とするのは初めて。なんだか従妹の姉ちゃんと話してる気分。
「あ、電車で驚いたことまだありますよ」
「なになに?」
「東京に来て初めて乗る時、どうやって開けるんだろうって」

そう言うと思案顔になる彼女。やがて笑顔でこう言います。
「わかった、レバー探したんでしょ!」
「正解」
「あ~私も最初焦った。バスみたいに降りますボタンがあるのかなって探したなぁ」
「僕は乗る時でした」
「じゃあ一瞬だけでしょ? すぐに開くから。私は乗ってからだったから、次の駅までずっとハラハラしてたわよ」
「でも、レバーもボタンもないから焦りましたよ。人がいる扉まで走ろうかと思いました」
朝から田舎者トークで盛り上がった。
 その数日後くらいから、二課の連中が社長に何か言っているという噂が聞こえてきた。僕には良くない噂が。





 三か月ほど経ち、明日が年内最後の出勤日って日に製造部長から辞令を渡された。四月から転籍の辞令。三か月先のことなのに内示ではない。これは退社勧告だ。転籍先は房総半島にある子会社。仮設資材のレンタルをやっている子会社の下請け。返却された資材・機器の洗浄や修理をするだけの会社。

 仕事をする気にならない。三時の休憩後に誰もいなくなった食堂でタバコをふかす。二本目の煙を吐き出してたら後ろから声を掛けられた。
「その様子だと私と一緒かな?」
僕の目の前に座ったのは浦山課長でした。タバコを消そうとするとこう言われる。
「消さなくていいわよ。と言うか、私にも一本頂戴」
「吸うんですか?」
タバコとライターを差し出しながら聞きました。
「だいぶ前にやめたんだけど去年くらいからまた」
そう言ってタバコに火をつける。
「一度やめれたんなら吸わない方が」
「ストレスよ!」
そう言って笑う。去年と言えばあの連中の上司になったころだ。
「やっぱり二課はストレスですか」
「まあね、それに男の子にこんな話するのも変だけど、去年くらいから更年期で辛いのよ」
聞き慣れない言葉だ。
「更年期?」
彼女はいたずらっぽく笑う。
「分かんないね。ま、女にはいろいろあるのよ」
そう言ってまた小さく笑う。
「で、どこに島流し? まさか辞めろとか言われてないわよね」
「辞めろってのとおんなじです。房総でした」
微妙な表情をされる。
「そっか、会社出て行けってことだから実質解雇だね」
「ですね」
「ごめんなさい、私の所為だね」
「関係ないですよ。それより課長はどこに?」
しばらく僕の顔を見た後、またいたずらっぽい笑みを見せてくれた。
「知らない」
「え?」
「見なかったから」
意味が分からない。
「辞令渡された時聞いたの、左遷ですか? って、そしたら当然って顔された」
「……」
「移動はいつからか聞いたら笑っちゃう、新年からだって。準備の時間もないでしょ? 辞めるだろうって確信してるのよ」
「それで?」
彼女はまたいたずらっぽい笑みを見せて言う。
「部長の前で辞令を破った。細かく破って部屋に撒いてやった」
「え?」
「そして辞表を出した」
「辞表用意してたんですか」
そう言うと彼女が僕の顔を覗き込むようにしてくる。
「あんたは上司じゃない、勘違いするなよ。って、あのあとあいつらに言われたの」
ひでえ、ひどすぎる。
「あいつらこそ根本的に何か勘違いしてるぞ」
声に出てしまった。彼女は少し笑ってから言う。
「でもね、その頃気付いたの、あの子社長のコレみたい」
そして左手の小指を立てて見せる。僕は言葉が出なかった。
「だから辞表書いてたの、つき合ってらんないと思って」
しばらくしてからまた聞きました。
「辞めてどうするんですか?」
「とりあえず実家に帰ってから考える」
この人がいなくなるのは寂しい、と、今更だけど思ってしまう。
「親も高齢だから、傍にいられるならその方がいいだろうし」
自分の親は? いや、まだまだ元気だ。
「あなたはどうするの? 海を見ながら暮らすのは悪くないかもだけど」
「辞めますよ、つき合ってらんないです」
笑顔でそう言いました。彼女も笑ってくれた。
 そのあとは世間話。終業の音楽が流れるまで、二時間近く話ていた。彼女は母より少し若いくらいの年齢。でも話ていて楽しかった。この人ともっと早く会いたかった。そして一緒に仕事をしたかった。そう思った。

 食堂に一人残って考えた。何年経っても馴染めないこの都会に住み続けるかどうか。故郷の海が見たいな、帰ろうかな。春には四国が本州とつながる。そしたら電車で帰れる。あ、決める前に母には相談しよう。親父に言うと、帰って来るなときっと言われる。この時間なら家には母しかいないな。僕は腰をあげた。




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