第9話:宗田恒夫の結婚と北海道旅行

文字数 1,677文字

 彼女は、5歳の時に両親を交通事故で失い、彼女は、後部座席にいて、怪我だけで助かった。その後、孤児院で育ったと言う。寂しがり屋で、はにかみ屋さんで、現在、無職だと言う。そんな彼女の相談にのっていると愛おしくなって助けてやりたいという気持ちが愛に変わった様だ。

 俺も会社に、勤めていなくて素浪人だけれどと言った。しかし、自分で自立して食べて行くので、気にしなくてくれと告げた。須磨子が、一度、佐光栞さんと会ってみたいと言うと、彼女の予定を聞いて、こっちに連れてきて良いかの言うので構わないわよと答えると助かると語った。そして5日後、化粧っ気のない清楚な感じの娘さんが、やって来た。

 鶴見夫妻と宗田恒夫の4人で車で、元町の霧笛楼で、ランチを食べに行った。その席で、彼女の自己紹介を聞き小学校5年生の時に両親を亡くし、孤児院で12歳まで過ごし13歳から自宅近くの昔なじみの商店のおばあさんのところで働きながら定時制高校の商業科を卒業したと言った。そして宗田恒夫さんには、何かとお世話になっていますと言った。

 奥ゆかしく清楚な感じに好感を持った須磨子が、彼女を気に入って結婚したら良いと告げた。必要なら私も、両親に話して上げるから大丈夫よと言うと涙を流して宜しくお願いしますと言った。弟が、守ってやりたいという気持ちになるのが良くわかる心の優しい娘に感じた。善は、急げと言うから、今度、両親と中華街で食事しましょうと語った。

 日程は、後日、弟を通じて知らせると話した。そして4月18日、聘珍樓に11時45分に待ち合わせた。佐光栞さんと宗田恒夫が一緒に、ちょうど、その時間に聘珍樓に入ると両親の宗田健蔵と織絵さんと姉の須磨子さんが来ていた。そして、佐光栞さんが、宗田恒夫の両親に挨拶して簡単に自己紹介した。

 父の運転する車に両親と一緒に乗っていたが、大きな交通事故にあった。しかし、自分は、後部座席で、助かり、前に座っていた両親が亡くなったという話をした。すると、母の宗田織絵が、その話を聞いて、それはお気の毒にと涙ぐんだ。その後、宗田恒夫さんと結婚したいと言うと、了解しましたと答えてくれ結婚が決まった。

 その後、6月6日、ホテルニューグランドで、結婚式をすることに決まった。結婚式には、昔、世話になった商店のおばちゃんの佐藤典子さんだけが、新婦側の出席者で、その他31人は、新郎側で、合計32人で11時から洋式の結婚式が始まった。12時に滞りなく結婚式が終了してホテルの2階、海の見えるレストランで披露宴が始まり素晴らしい結婚式となった。

 費用も高かったが、みんなが、大いに喜んでくれ、大盛況のうちに結婚式が終わった。そしてハワイ4泊6日の新婚旅行に出発。そして翌日から鶴見夫妻は女子寮の仕事に戻り、1週間後に宗田夫妻が訪れてハワイのお土産を持って来てくれた。そして、宗田恒夫が、女子寮の管理人室の仕事を継続したいと言うので了解した。

 新婚旅行から帰ってきて、新生活を始めた。そのため、鶴見夫妻も旅行に出かけられた。そして鶴見家の長男、鶴見敦夫が、近くの小学校の集団登校の輪に入ってに通い始めた。今年も寮を出る人、入る人がいたが、1人の欠員もなく鶴見夫妻は胸をなで下ろした。そして6月に鶴見家の3人と両親の5人で熱海温泉に2泊の温泉旅行へ出かけた。

 両親もゆっくりと温泉で日頃の疲れを癒やして横浜に帰ってきた。やがて梅雨のシーズンに入り、それがあけると暑くなり始め、夏の到来となる。今年7月末からの夏休みに、鶴見夫妻と長男、鶴見敦夫が8月5日から北海道旅行に出かけ、最初に札幌へ行き、宿泊して、藻岩山ロープウェイ、円山公園、北海道神宮を散策した。

 夜はラーメン横丁で、有名な札幌ラーメンを食べてきた。翌日、小樽に移動して、旧、日本銀行小樽支店跡や小樽運河、オルゴールの店、硝子工芸の店を見て歩いた。昼食は、地元の寿司屋の新鮮な寿司を堪能。そして、小樽のヨット・ハーバーの前の有名ホテルに宿泊した。このホテルの朝食の会場から海が見えて素晴らしい景色で料理も最高。
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