第14話:沖縄旅行と東日本大震災

文字数 1,232文字

 秋には、会社の福利厚生施設の熱海と箱根の温泉に7泊して、ゆっくりと温泉三昧した。しかし、今回は、タエさんは参加せず、老人施設にいた。最初に熱海の老舗温泉ホテルに行くと、同じ年くらいの男性3人組と仲良くなり、カラオケに誘われて、歌を歌って、同年代とわかり、ホテルのスナックで昔の武勇伝やバブルの頃の話、ディスコの話を夢中になって聞いた。すると勘定の方は、全て、その紳士達が払ってくれ、楽しい一時だった。

 その後、東京で開かれるディナーショーに、摩子と久美子が正装して出かけて、その元・大スターの歌声を聞いて、食事をして、会話を楽しんで楽しい一時をすごした。その他、摩子の好きな、サザン・オールスターズのを見に行き、翌週には、久美子の好きなユーミンのショーを2人で見に行き、日比谷の帝国ホテルで、美味しい食事をして泊まって帰って来た。

 やがて2010年となり避寒のために1月23日から5日間の旅行を計画した。1月23日羽田発11時の飛行機で那覇空港に14時前に到着して、モノレールで市庁前で降りて、近くのホテルにチェックインした。その後、近くのリウボウデパートへ行き、パンとスティック・コーヒー、ビール、果物を買ってきた。その晩20時40分にタクシーを呼んで、ケントス沖縄へ出かけた。

 2011年3月11日、午後14時57分、東日本大震災が起きた。その時、戸塚の家には君島輝男と摩子と久美子の3人がいて、3人とも玄関から飛び出してきた。そして10分して地震が収まると、家の中に入った。すると、電気が切れており電池式の小さなトランジスタラジオで状況を聞いた。すると、宮城県沖の太平洋の海底ででマグニチュード9という大地震が起こったことがわかった。

 まず、家に入って、ブレーカを落として、台所に入ると、食器棚には内側からドアロックがかかっていて、食器類が飛び出して散乱することはなかった。電話も携帯電話も繋がらない状況だった。まず、ソニーの藤沢に勤めている摩子の長男の一郎が16時前に家に帰ってきた。17時頃にテレビが復旧して、東北の惨状が放送された。

 その頃には、電話がかかり、橫浜の三井物産に勤める、久美子の子供、シンディとジョンが家に戻ってきた。関内から戸塚まで徒歩で1時間かけて16時に帰って来た。その後、和子が東京から徒歩で19時前に帰って来たので風呂に入って直ぐに、休んでもらった。これで全員が、我が家に帰ってきた。その後、摩子の経営する、カラオケ屋とレストランから食器類が落ちただけで、従業員に怪我はないと報告が入った。

 今日の営業は中止して、鍵を掛けて自宅に帰ると言うので、ご苦労さんと摩子が言った。翌日。3月12日は土曜で全員休みで、家の片付けをした。そして摩子と久美子と君島輝男が、東日本大震災の募金の話をしていた。すると、摩子の長女の和子が、ちょっと無理しても奮発して募金してよと言った。その代わり、株で儲けられるように、私が情報を入れると言った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み