#02

文字数 1,377文字

 今夜、靖幸は遅くなるはずだ。

昼間わざわざ借りに来た1万円は後輩を連れて飲み行くためのものだった。
芸歴4年目の彼にも少なからず後輩ができ、先輩が後輩の分も払うという決まりで出費は嵩んだ。

 一緒に住み始めた頃は靖幸は週4日くらい深夜のコンビニでバイトしていた。
夕方から夜にかけて劇場に行きそのまま朝までバイト。劇場の出番をもらったところで、無名の若手の彼らでは稼ぎは知れていて、それだけでは生活がなりたたず深夜の時間帯をバイトに充てていた。
そのバイト代から家賃の半分を私に渡してくれていた。

だけどそれもでもまだまだ生活が苦しくて、ある日バイトをもっと増やそうかと彼は悩んでいたので、私はこれ以上バイトが増えたら一緒にいる時間が減ってしまうのが寂しくて、

「家賃は私が払うから、芸人に集中しなよ」

とバイトのシフトを増やすことに反対した。
そもそも就職して1人暮らしを始めてから自分の給料だけで生活してきたわけで問題はないと思った。

「売れたら絶対恩返しするから」

彼は私を強く抱きしめるので、

「楽しみにしてるね」

と、私はそれを信じて返事をした。


 しかしそう簡単にはいかない。
靖幸達は少し人気があった。ある時期からファンからの手紙やプレゼントを持って帰ってくるようになった。劇場の出番が急激に増えたおかげか、テレビに出るためのネタ見せなどにも呼ばれて、芸人としての仕事が増えた。それに比例してネタ作りや練習の時間も増えた。

だけど、それらがお金になるわけでもなくバイトは続けなくてはならなかった。そのため睡眠時間が減って私は彼の体調が心配だった。

「バイト辞めたら? 今、芸人としてチャンスの時じゃない?」

と、私が心配して言った。

「でも、まだ芸人の給料だけやと不安だし……」
「大丈夫だよ、私がいるから。どうしても困ったときは言って」
「売れたら絶対恩返しするから」
「楽しみにしてるね」

と、再び私はそれを信じて返事をした。

次の日靖幸はバイトを辞めた。


多分今夜彼は遅くなるはずだけど、仕事を終え家に着いた私は彼の分も夕食を作った。

今日遅くなる
ごめんね
先寝てね

と、メッセージが来た。
(もうとっくに遅いやんけ!)
と、思ったがOKのスタンプを送信して私はお風呂に入って寝ることにした。

 靖幸はそういうことを欠かさない。
遅くなる日は絶対連絡をくれるし、私の誕生日や記念日を忘れない。
ウチで私の作った夕飯を食べるときはおおげさなくらい「おいしい」を連発する。
前の月より給料が上がったときは「いつもありがとう」と言ってちょっとしたプレゼントをくれる。
私は彼のそういう些細な気遣いが嬉しかった。

愛されている実感を持てた。


 私は彼はすぐ売れると思っていた。芸人としてのスキルはどうだかわからないが大学からの経験もあるし、なにより外見がよかった。外見を気に入った女の子のファンが増えて劇場の人気者になって芸人としても注目を浴びて、きっかけはどうあれ意外とスムーズに売れそうだと思っていた。

しかし、素人が思う程そんなに甘くない。ちょっと劇場で人気が出たからといってそう簡単には売れない。靖幸くらいの人気の芸人は他にもいる。
だからといって「いつ売れるの?」なんて聞けない。聞いても誰にもわからないから。


お風呂から上がって髪を乾かした鏡に映る自分を見た。
そういえば最後に美容院いったのはいつだったっけ。
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