『法廷遊戯』書評
文字数 1,998文字
これは一筋縄じゃいかないな。
最初の数ページを繰りながら、早くも格闘を強いられている自分に気づいてそう思った。
法律用語を駆使した文章に目がくらむ。知識のない身ではかじりつくように読まざるを得ず、しかも冒頭から「なぜ?」の連続なのである。
登場するのは、法律家を目指してロースクールに通う学生たち。鋭い言葉をぶつけ合う彼らの間には、何やら不穏な空気が流れているが、その理由はまだわからない。
読者の前には、静かな法廷の姿が示される。
学生用の模擬法廷。しかしこれが戦いの舞台である。
あえて感情を排した描写がなされている。主人公の青年「セイギ」の心の内も、なかなか明かされない。やけに挑戦的な言葉を吐く彼だが、その切実な背景を知るには辛抱強く物語の進行を待たねばならないのだ。
そして戦いは一つのゲームの姿を取って、その号砲が鳴らされる。
「無辜ゲーム」。
それはロースクール内で行われている、学生たちの私的制裁である。ほんのお遊びに過ぎないが、本物の法廷に準じた形式で開かれ、「目には目を」の同害報復の論理で罰が下される。
同じ学生身分の者が、他の学生に罰を与えることができる。その事実だけでも衝撃的だが、告訴者は負ければ自分が罰せられるし、審判者もまた不正を働いたと証明される際には彼自身が罰せられるというのだから、実は生半可な覚悟でできるゲームではない。
峻厳な物語のテーマは、じわじわとその姿を現すのである。
この物語は久我清義(セイギ)、織本美鈴、結城馨という三人の学生を中心に描かれる。しかし三人とも本音を語ることのないまま時は経ち、全員が社会人となり、やがて血まみれで倒れた馨と、返り血を浴び、凶器を手にした美鈴の姿によって第一部は唐突に終わりを告げる。
そして第二部は、殺人の容疑をかけられた美鈴と、彼女の弁護人となったセイギを中心に、その舞台を本物の法廷に移す。
この作品については、法廷ミステリーの系譜の中で読み解く方が素直というものだろう。
だが私はむしろ、この作品を美しいヒューマンドラマとして捉えたい。硬質な文章の間隙からわずかに覗く慈しみの感情が、他の何より心を打つからだ。法律という厳格な黒雲の彼方にある人間性が、ここでは燦然たる光を放っている。
セイギと美鈴の過去が悲しい。
庇護者もなく、施設で育った二人に、あるときおぞましい運命が降りかかる。美鈴は施設長から性的虐待を受け、彼女を救おうとしたセイギは施設長に大怪我を負わせてしまうのだ。二人は真相を語ることができず、セイギは加害少年として世の中から闇を背負わされてしまう。
この世は何と無慈悲で不公平であることか。それを身に染みて悟った子供たちが、世の中を信じられなくなったとて誰が責められよう。
ここに一点だけ救いがあるとすれば、二人が法律という、理不尽な世界と戦うための武器の存在を知ることだろう。
だがそれを手に入れる前に、傷ついた二人は過ちを繰り返す。これが次なる悲劇を生んでしまうのである。
やはり傷つけられた結城馨の、深い悲しみと怒り。
しかるべき者にしかるべき制裁を与えようとするその執念は、やがて彼自身の命を犠牲にし、神聖な司法の場を一つのゲームに変えてしまう。
馨の本当の思いは最後まで伏せられているが、彼の起こしたこの行動こそが、命がけの「法廷遊戯」なのである。
ところで弁護士バッジは、ひまわりと天秤の組み合わせである。ひまわりは「自由と正義」、天秤は「公正と平等」の象徴だという。
この物語にもそれらのモチーフが登場する。セイギの弁護士事務所の名前、そして馨が無辜ゲームで使った小物。それぞれ胸に秘めた信念の表れである。
そのバッジをつける身となったセイギが必ずしも正義の味方でないことも、切ないパラドックスだ。美鈴を守りたいがゆえに正道を外れてきた彼も、今は誠実な弁護人であろうとしている。
なのになぜ、美鈴はセイギに冷たく接し、大事なことを語ってくれないのか。
読んでいて何度も何度も、もどかしい思いに駆られる部分である。
しかし美鈴もまた、かけがえのない存在であるセイギを守ろうとしたことが次第に見えてくる。胸を震わせる、この上ない感動が読者を待っているのだ。
この判決は、決して甘くはない。
だが戒めを背負って生きていくと決意した主人公たちには、明るい未来も残されている。自分のためではなく、自分以外の誰かのために戦った者たちの前には、十字架に象徴される救済の念が光り輝いているのだ。
高度な専門知識を駆使し、人を裁く司法の問題点を取り上げつつ、それらはすべて今を懸命に生きる人々へのエールに昇華されている。この物語は人の善意を神のごとく描いた、至高の法廷劇と言えるだろう。
最初の数ページを繰りながら、早くも格闘を強いられている自分に気づいてそう思った。
法律用語を駆使した文章に目がくらむ。知識のない身ではかじりつくように読まざるを得ず、しかも冒頭から「なぜ?」の連続なのである。
登場するのは、法律家を目指してロースクールに通う学生たち。鋭い言葉をぶつけ合う彼らの間には、何やら不穏な空気が流れているが、その理由はまだわからない。
読者の前には、静かな法廷の姿が示される。
学生用の模擬法廷。しかしこれが戦いの舞台である。
あえて感情を排した描写がなされている。主人公の青年「セイギ」の心の内も、なかなか明かされない。やけに挑戦的な言葉を吐く彼だが、その切実な背景を知るには辛抱強く物語の進行を待たねばならないのだ。
そして戦いは一つのゲームの姿を取って、その号砲が鳴らされる。
「無辜ゲーム」。
それはロースクール内で行われている、学生たちの私的制裁である。ほんのお遊びに過ぎないが、本物の法廷に準じた形式で開かれ、「目には目を」の同害報復の論理で罰が下される。
同じ学生身分の者が、他の学生に罰を与えることができる。その事実だけでも衝撃的だが、告訴者は負ければ自分が罰せられるし、審判者もまた不正を働いたと証明される際には彼自身が罰せられるというのだから、実は生半可な覚悟でできるゲームではない。
峻厳な物語のテーマは、じわじわとその姿を現すのである。
この物語は久我清義(セイギ)、織本美鈴、結城馨という三人の学生を中心に描かれる。しかし三人とも本音を語ることのないまま時は経ち、全員が社会人となり、やがて血まみれで倒れた馨と、返り血を浴び、凶器を手にした美鈴の姿によって第一部は唐突に終わりを告げる。
そして第二部は、殺人の容疑をかけられた美鈴と、彼女の弁護人となったセイギを中心に、その舞台を本物の法廷に移す。
この作品については、法廷ミステリーの系譜の中で読み解く方が素直というものだろう。
だが私はむしろ、この作品を美しいヒューマンドラマとして捉えたい。硬質な文章の間隙からわずかに覗く慈しみの感情が、他の何より心を打つからだ。法律という厳格な黒雲の彼方にある人間性が、ここでは燦然たる光を放っている。
セイギと美鈴の過去が悲しい。
庇護者もなく、施設で育った二人に、あるときおぞましい運命が降りかかる。美鈴は施設長から性的虐待を受け、彼女を救おうとしたセイギは施設長に大怪我を負わせてしまうのだ。二人は真相を語ることができず、セイギは加害少年として世の中から闇を背負わされてしまう。
この世は何と無慈悲で不公平であることか。それを身に染みて悟った子供たちが、世の中を信じられなくなったとて誰が責められよう。
ここに一点だけ救いがあるとすれば、二人が法律という、理不尽な世界と戦うための武器の存在を知ることだろう。
だがそれを手に入れる前に、傷ついた二人は過ちを繰り返す。これが次なる悲劇を生んでしまうのである。
やはり傷つけられた結城馨の、深い悲しみと怒り。
しかるべき者にしかるべき制裁を与えようとするその執念は、やがて彼自身の命を犠牲にし、神聖な司法の場を一つのゲームに変えてしまう。
馨の本当の思いは最後まで伏せられているが、彼の起こしたこの行動こそが、命がけの「法廷遊戯」なのである。
ところで弁護士バッジは、ひまわりと天秤の組み合わせである。ひまわりは「自由と正義」、天秤は「公正と平等」の象徴だという。
この物語にもそれらのモチーフが登場する。セイギの弁護士事務所の名前、そして馨が無辜ゲームで使った小物。それぞれ胸に秘めた信念の表れである。
そのバッジをつける身となったセイギが必ずしも正義の味方でないことも、切ないパラドックスだ。美鈴を守りたいがゆえに正道を外れてきた彼も、今は誠実な弁護人であろうとしている。
なのになぜ、美鈴はセイギに冷たく接し、大事なことを語ってくれないのか。
読んでいて何度も何度も、もどかしい思いに駆られる部分である。
しかし美鈴もまた、かけがえのない存在であるセイギを守ろうとしたことが次第に見えてくる。胸を震わせる、この上ない感動が読者を待っているのだ。
この判決は、決して甘くはない。
だが戒めを背負って生きていくと決意した主人公たちには、明るい未来も残されている。自分のためではなく、自分以外の誰かのために戦った者たちの前には、十字架に象徴される救済の念が光り輝いているのだ。
高度な専門知識を駆使し、人を裁く司法の問題点を取り上げつつ、それらはすべて今を懸命に生きる人々へのエールに昇華されている。この物語は人の善意を神のごとく描いた、至高の法廷劇と言えるだろう。