第8話 二〇一六年

文字数 4,944文字

 【時守たちはカウンターを見た。三十二である】

「希理、後二時間だな。俺が時士朗から送られて来たライブ中継を見ているのだから、七十歳の俺もきっと少し離れたところから画面の中のリッちゃんに、行くなとつぶやいているかも知れないな。それとも、いたたまれなくて散歩しに行ったか?そう思うと胸がつぶれそうだ」

 志麻がやって来た。

「お義母さんは?」

「うん、今カウントが三十二だから、次のコンタクトで最後だな。どうした?」

「さっき、完吾さんが子供たちの様子を見に来た時に教えてくれたの。次は誰?」

「さあ、わからない」

 時守は妻の志麻とリッちゃんの会話を聞いてから、どことなく居心地が悪い。しかし、何も知らない志麻は、いつもと、まったく変わらず、優しい目で時守を見た。

 画面の中で、リッちゃんはバックから腕時計を取り出して満足げに見た。

「携帯は忘れたけど、腕時計くらいは持っておるよ。あらら、ぼちぼちでないと」

 出かける仕度を始めた。

「くそばばぁ、時計を持っているじゃないか」

 思わず時守は悪態をついた。志麻はクスっと笑った。




 【リッちゃんは、パソコンをみながら】

「このままでいいのかしら?どうすればいいか聞かなかったわ。どうしよう」

 パソコンを眺めていると、初老の時士郎が画面に映った。

「お、びっくりした」

「良かった。繋がった。おばあ様、こんにちは」

「はい、こんにちは、どちら様でしょうか?」

 リッちゃんはあきらかに自分より年齢の高い男性に、驚きを隠せない。今までプライベートチャットした中でも断トツに年齢が高い。

「ああ、失礼いたしました。時守の息子の時士朗です。きっと今はお母さんのお腹の中かな?もうすぐ生まれます」

「まあ、さっき、何度か顔をみたけど面影があるわ、おいくつですか?」

「はい、おばあ様、百歳になりました」

「時士朗さん、明らかに私の方が若いので、おばあ様はやめて落ち着かないわ、リッちゃんでいいわ。それにしても百歳?それは長生きですこと」

「おばあ様の活躍で、寿命も人間の限界まで伸びました。記録更新中ですよ」

「だから、おばあ様はやめてくださいな」

「はあ、大変失礼をいたしました」

「さっき、時士朗さんが元気にしゃべっていたけど、さすがに百歳になると落ち着きがあって、話がしやすいわ。今日、生まれるのかしら?私は、もうじき死ぬのよね。百歳っていうと…」

 リッちゃんは少し考えてから

「私が死んでから百年後の世界って、どのようになっているの?」

「少し見てみますか?」

 変わらず、山、川、緑があり日が沈む、三六〇度回転しながら地球上のあちこちの風景が映画のように映し出された。

「きれいだわ、地球は滅亡すると思っていたのに今よりずっと綺麗」

「そうでしょ、これは今の地球です。地球上の過去未来どこでも好きな所をライブ中継できるようになっています。過去と未来がひとつに融合した結果です。リッちゃんさんはすごい事をしました」

「みんな、時守の指示通りにしただけよ。なにがどうなったか、さっぱりわからないけど、地球が元に戻ったのなら、私がやった事の意味があったのね。教えてくれてありがとう、なんだか嬉しいわ」

 笑いながら時計を見ると

「そろそろ出かけないと」

「やっぱり、出かけますか?」

「ええ、出かけます。時守が、あなたのお父さんがね。無理難題を言っては困らせるのよ。最初に画面に現れた時は、未来はこんな風になるんだ。って単純に納得したけれど、当時は荒唐無稽なことでしょ。未来から子供達がコンタクトしてきたなんて話は、誰も信用なんてしてくれない。それに、最後の通信で、約束したから、彼の指示だと言えなくてね。喧嘩ばかりだったけど、実は私はものすごく楽しかったのよ、とっても。それで充分よ」

「今、出かけると事故に遭いますよ」

「ええ、知っているわ。ひ孫さんが来てね、最後の日だって教えてくれた。私が死んでから生まれた、時士朗さんが百歳になった姿を見られるなんて、特別な経験をさせてもらって、とっても満足をしている」

「そうですか?今、こうやって話しているこの時は、実は一族でも謎の三日間と言われていて、一族、最後の謎なのです」

「オーバーな…」

「それぞれが、最後の三日間にリッちゃんさんと話をしたと、ばらばらに証言していますが、正確な内容がわからない。パソコンの受信歴とカウンターは三十三件ありました」

「そんなに来ていたの?」

「パソコン内部に件数と時間は記録されていましたが、録画がされていなかったので」

「そもそも、なんで記録が欲しいのに発信側にはないの?」

「そうですね、録画機能が正常に作動して、記録されるのは、これからでしょう」

「簡単そうだけど」

「それが、信号の録画は出来ますが、互換性がなかなかうまくいかなくて」

「そう、新しい業界はいつでも、市場が安定するのには、時間がかかるものよね」

「はは、そうですね。新しい事はすべて仮説から始まります」

「私も二〇〇〇年前後に、修復不可能なパソコンの不具合の原因が旧タイプのマウスの接続端子だったことがある。笑える」

「新しいものは古いものに対応が出来ますが、古いものは新しいものに対応できないから仕方ありません」

「あら?さっき、過去も未来もライブ中継が出来るって言っていたわよね。なんとかこの状況をあの二人にライブ中継できないの?」

「簡単にいいますね」

「時守にも言われた。発想は誰にでもできるけど、行動しなければ、なにも変わらないって」

「僕も父に言われたことがあります」

「その精神で、ここまでやって来たんでしょ、私はもう時間がないけど君なら出来る。まだ百歳でしょ」

 時士朗は笑った。

「電源を入れたはじから連絡がはいって、今日も何時間も話をしているから疲れたわ、送信側がわからずに受けるのは、しんどいのよね。それも、さっき、四十八歳と話したら次は十六歳って年齢が逆行すると、わけがわからなくなるのよね。あっ、それよりも教えて欲しいのは、どうやったらチャット拒否が出来るの?」

「それは、電源を切ればいいんじゃないですか?」

「えっ」

「ええ」

「そうよね~」とリッちゃんは清々しく大笑いをしている。

「そうそう、時守と希理にさっき言っていた話を伝えてくれる?話が出来るのでしょ?」

 出かける支度をしながら、忙しい様子で早口に言った。時士朗が微笑みながら「ええ、いいですよ」と答えた。

「それから、時守、希理、あなた達の母親にしてくれてありがとう。それと、兄弟、家族みんな仲良くね、じゃあね~」

 気のきいたセリフひとつ言えないリッちゃんは、最後に電源を切る直前に何も変哲もない、ごくありふれた親とかわらないメッセージを残した。




 【ライブを一通り見終わった時守と希理はため息をついていた】

「約十八時間に及ぶ百年間の記録だったな」

「お母さんは、すごい人だよね」

「実験の為にリッちゃんは俺に口止めされていたが、自分が死ぬ事も知っていたし、これから起こる世界の変化を素直に受け入れていた。死ななければ、自分の目で確かめられるのに、なんで死ぬことを選ぶ?不安じゃないのかな?俺には話すべきじゃないか?理解に苦しむ。それに、生きている間に自分の死後がわかるのは、どうなのだろう?」

「兄ちゃんに教わった無言の行をお母さんなりに、一生懸命にしていたから、ああいう受け答えをしていたんじゃない?」

「希理、お義母さんが、そこまで考えているかどうかわからないよ」

「でも、兄ちゃんの指示通りに無理をしていたのは変わらない。この三日間だって可哀そうだよ、布団もない部屋で仮眠しかしていない」

「それは、そうかもな」

「しかし、アメーバー信号体「マミー」を知らぬ間に最大限に活用していたのが志麻さんだったなんて、お母さんの事と同じくらいに衝撃的だったな。ねえ、兄ちゃん、二〇一六年の母さんに、最後のメッセージが届かなければもっと長生きできたよね」

「そうだな」

「送るの?」

「希理、お前はどう思う?」
 
 希理は完吾の顔をみて黙りこくった。完吾はおずおずと

「未来の時士朗はアメーバー信号体「マミー」をプラズマ粒子に変換させ、過去をそのままライブ中継できる技術を開発し、二〇四〇年の私たちに送って来たけど、二〇三六年を生きるお義母さんには、まるっきり、変化はなかったということですよね。あの、慰めやいいわけではないのですが、一連の状況を考えるとお母さんが亡くなってから、すべてが始まっていますよね?」

「そうね。兄ちゃんは確かに過去の母さんにコンタクトをとったけど、死ぬことが前提の話ではないわよね」

「そうだろ、だからさ、何というか…」

「あーでも」

「希理、そこは考えちゃいけないよ。お義兄さんのせいになっちゃう」

「完吾、やっぱり俺のせいだよな」

 時守の頭の中に「くそばばぁ」と叫ぶ声がこだましていた。

「すべての出来事は、俺の指示だった。その指示を出さなければ、リッちゃんは事故で死ぬことはなく、俺たちも含め、何事も起こらない人生を送るはず。しかし、今の俺が考えれば、人類が進化か滅亡の選択が容易に出来るアメーバー信号体「マミー」をいずれ誰かが気が付き、悪用されるなら、リッちゃんが愛する私たち一族で管理した方が良いと考える。そのために権利を誰にも渡さないように画策するだろう。つまりリッちゃんが死んでから、空白の一年間は大学側に賠償請求させるための一年だったはずだ」

 判断を迫られる時守の額には、深く苦悩が現れていた。

 それを見た志麻が突然に話に入って来た。

「あのー。時守や希理さん、完吾さんがやっている事は、死という概念を覆すものなんじゃないの?確かにここにはお義母さんは実在しないけど、このアメーバー信号体「マミー」があれば、また会えるのでしょ?これから先、時々、会って世間話をして、今までとなにも変わりがないような気がするんだけどな~。百年先なら私が死ぬまでお義母さんと話が出来るのよね?どこに問題があるの?」

 時守、希理、完吾はそれぞれ顔を見合わせた。




 【それから】

 時守は時士郎が開発したアメーバー信号体「マミー」をプラズマ粒子に変換させ、二〇一六年の母親とコンタクトを取った。

 つながると、最初は優しく、嬉しそうに、時守に話しかけていたリッちゃんだったが、最初から説明をしていると意味が理解できないのか、だんだん怪訝な顔をし始めた。

「なんで、私がそんなことをしなくちゃならないの?」

「頭が良くないのは知っているから、言われた事だけやればいいんだ」

「えー。嫌よ。あんた達をどうやって、教育しろっていうの?この間も、お祖母ちゃんに子供と対等に喧嘩をするなと叱られて、うんざりなのよ」

「母さん、僕が結婚する時に、僕の名義のクレジットカードを作って、その家族会員になるんだ」

「どこのカード?」

「クレジット会社はどこでもいいから、僕に相談なく作っていいよ」

「なぜ?そんな事をするの?私にどんな特典があるの?」

「お前、母親だろ?」

「ふん、母親だって意思はあるし、疑問も持つの!」

「メモを取れよ」

「そんな、意地が悪い男で結婚が出来るのかね」

「おい」

「クレジットカードの家族会員ね。はい、はい、メモをしました」

「マンションについたら、そのカードで好きなだけ買い物していいぞ!」

「ほんとう!?やる!」

「ふっ」思わず、時守は失笑した。

 その後すぐに画像が途切れたが、そのまま話し続けた。音声だけが届きリッちゃんは文句をいいながら必死になって、その声を拾い、日記の最後に走り書きを残したはずだ。




 【最後の通信が切れると】

 時守は「くそばばぁ」と叫び、その場に崩れ落ちた。

 意味もわからずに息子のことを信じ、真面目にすべてのお金をこの家につぎ込んだリッちゃん。クレジットカードを作り、マンションに辿り着いても、家族の応対に縛られて、欲しかったカーゴパンツを買いに行く暇もなく、コンビニで夜食を買うだけで一生を終えていく自分の母親に、時守は流れる涙と全身が締め付けられるような思いを止める方法がわからなかった。

 物陰から見ていた希理も泣いていた。その彼女をやさしく完吾はなにも言わずに抱きしめた。志麻は時守の傍らにより、時守をただ黙って見つめ続けた。
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登場人物紹介

倉本 時守(くらもと ときもり)

志麻(しま)…時守の妻

唯由(いゆ)…時守の長女

時士郎(ときしろう)…時守の長男

倉本 莉愛(りあ)…時守の母親

孝経(たかつね)…莉愛の夫

平松 希理(ひらまつ のり)…時守の妹

完吾(かんご)…希理の夫

紗也乃(さやの)…希理の長女

江理香(えりか)…希理の次女

玖美子(くみこ)…希理の三女

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