(起)

文字数 1,913文字

 あの日、僕の普通だった高校生活は突然誰にも言えない不思議なものに変わった。
それは月曜日の朝だった。通学路でこの週末に交通事故があったらしく道端に花束やジュースが供えられていたが、昨晩の風雨で無惨に散らかっていた。僕は亡くなった人を悼む気持ちが散らかされているような気がして、それらお供え物を拾い集めて整えた。その時ふと誰かの視線を感じた。しかし周囲には誰もおらず、気のせいだと考え直すと急いで合掌し学校に向かった。
 学校でのいつも通りの一日を終え、すっかり日が暮れた帰宅の途中、例の交通事故現場にやってきた。朝にはなかった花束が増えていた。僕は朝したように合掌し、知らない誰かに『安らかに眠ってください』と心の中で唱えた。その時だった、後ろから誰かに話しかけられた。
「ねえ君、私のカレシになってくれない?」
振り向くと綺麗な女性が立っていた。僕はびっくりしてすぐに返事をする事は出来なかった。しかしその女性は僕の返事なんか待たずに続けた。
「私の名前はユイナ。君の名前は?」
「僕?僕の名前はリョウヘイですが…」
「質問。リョウヘイ君にはカノジョはいますか?」
「…い、いませんけど。」
「じゃ決まり、リョウヘイ君は私のカレシ。よろしくね。」
ユイナさんが右手を差し出した。綺麗なしかも年上のお姉さんと話した事がない僕は〝カレシ“という言葉が耳奥でリフレインし、フワフワとした気持ちの中、言われるままに右手を前に出していた。
「ハイ、契約成立!」
彼女が私の手を握った。その瞬間、僕の右手に静電気が走ったような痛みが走った。僕は「右手を反射的に引っ込めた、その時だった、遠くから僕を呼ぶ声がした。
「おーい、リョウヘイ、何やってんの?」
僕は慌ててそちらに向くと同じ町内に住むクラスメートだった。何かバツが悪く、ユイナさんを見た…と、そこに居たはずのユイナさんの姿はどこにも見えなかった。
 その夜、僕はなかなか寝付けなかった。〝幻を見た〟というにはさっきの女性との会話はあまりにリアルすぎた。精神的な変調をきたしているのかと自分を疑い、病院に行くにあたって両親にどう切り出すかに考えが及んだ時だった。耳元で囁くような小さな声が聞こえた。
「リョウヘイ、大丈夫よ。あなたがおかしくなったんじゃない。私は霊ではあるけど実在してる。」
「わー!」
僕はベッドの上に飛び起きた。見るとベッドのヘッドボードに両肘をついて、頬杖をついた女性がこちらを見ていた。それは紛れもなく先ほど交通事故現場近くで会った女性だった。僕はその女性を指さしながら『あわあわ』と言葉にならない声を発していた。
「ユ・イ・ナ。女性に何度も名前を言わせるなんてデリカシーが無いわね、リョウヘイ君。」
「…ユイナさん、霊って言ったけど幽霊って事?本当に??」
「んー、幽霊って生きている人間にわざわいをもたらすイメージあるよね。私は多分そういうのじゃない。ていうか人間みんな亡くなると霊になるんじゃないかな。私の目にはあちこちに霊が見えてる。ただその中には余程の恨みがあるのか人格を失って狂暴化しているように見えるものもある。そういうのが幽霊なんじゃないかな。」
整然とした霊と幽霊の違いをユイナさんから説明されているうちに、僕は少し落ち着いてきた。
「…あのー僕、生前のユイナさんにお会いしてます?」
「いいえ。リョウヘイに会ったのは今日が初めてよ。私、交通事故にあって気が付いたら霊になってて、あの場所から動けずにいたの。その時あなたがそこへ来た。私は散らかったお供え物を直しているのを見たわ、そして霊感っていうのかな、あなたは私がいることを察したわ。そして思ったのあなたとなら意思疎通ができる、そしてあなたなら私の願いを叶えてくれるって思って…」
「…願いってなんですか?」
「その前に…ねえねえリョウヘイは女の人とデートしたことある?」
「ないですよ!」
僕は照れからかついつい大きな声を出してしまった。
「あらあらそんな事自慢げに言っちゃだめよ。」
ユイナさんは笑いながら続けた。
「明日は日曜日でしょう、都庁の展望室って行った事ある?」
「…ないけど。」
「ではリョウヘイ君の人生初デートは新宿にしましょう。日中は私の姿は見えないわ。でも私はあなたの傍にいるから。ひとけがないところで話しかけてくれれば応えるから。」
「えっ?えっ!」
僕は一方的な会話についていけなかった。でもそんな僕を見てユイナさんは笑っていた。最高にかわいい、いたずらっぽい笑顔だった。
「では明日ね。」
そう言うとユイナさんの姿が急速に見えなくなってしまった。
 その夜は目前で起こった事が頭の中で整理できず、なかなか寝付くことができなかった。
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