第9話 菫と楡

文字数 1,498文字

彼女の愛情はどこか歪んでいるように映る。
それでも彼女自身は至って純粋に、その人を愛しているのだ。無邪気であどけない恋を大切にしているだけなのだ。

城の中で、彼女は窓から外を眺めている。柔らかい日差しと、水色に近い青空と、パステルで描いたような雲。森の向こうにある丘の上には、古い城の塔が見えている。その景色を見ながら、彼女は深くため息をついた。
「悩み事かい?」同じ部屋にいる楡が、開いている本に目を落としたまま、先ほどのため息を拾って尋ねる。
「ええ。人の心って、難しいわよね」しみじみと言う彼女に、楡は笑顔だけで答える。

彼女の名は菫《スミレ》と言った。可憐な花の名前とは違い、菫の容姿は薔薇のように艶やかだった。本人もそれを自覚し、胸元を大きく開けたタイトなドレスで男性や、流行に敏感な女の子を魅了していた。

「姉さん。もう少しまともな服はないのか」3つ年下の梛が菫の格好を見ながら眉を寄せる。
「みんなが持っているような服なんて、着ていてもつまらないでしょ?」
「でしょ?と言われてもな。せめてその乳くらいはもっと隠せ。人に舐めるように見られて、気持ち悪くないのか?」
「とっても気持ちいいわ」菫は弟の梛に、胸の谷間を見せつけながらそう答えた。梛は「オェ」と舌を出す。

王子だった頃の楡と結婚し、時が経ち王妃となっても、菫は服も行動も何ひとつ変えようとはしなかった。先代の王の従姉妹たちが扇の下で、菫を貶す言葉を口にしても、菫は少しも変わろうとは思わなかった。
「楡は、このままの私が好きよね?」
「ああ。そのままでかまわないよ」
「良かったわ」菫は本当にほっとしたと胸を撫で下ろす。親同士が決めた縁談だったが、楡の事は嫌いではなかったし、今の生活に不満を感じる事もなかった。

結婚式の前日、菫は丘の上の古城を訪れた。
1人で馬を走らせ、どれくらい前からここにあるのか誰も知らない、古めかしいその城の門をくぐる。
城の入り口までの小道は綺麗に整備されており、両脇には薔薇が植えられていた。
「お待ちしておりました」無機質な顔をした女の子が出迎えてくれる。
その子の後をついていきながら、胸の高鳴りを抑えるように大きく息を吸い、ゆっくり吐き出す。

「ご主人さま。お客さまをご案内いたしました」
「ありがとう。さあ、おはいりなさい」その声に吸い込まれるように、菫は部屋に入りソファに腰を下ろした。部屋中に薔薇の香りが充満している。その中で、城の主人は向かいのソファにゆったりと腰をおろしていた。
「明日は結婚式だね」
「ええ。とうとう結婚式の日が来たわ」
「おめでとう」
「本当にこれでいいのかしら」
「キミは未来の王とずっと一緒にいる。それが1番良い未来なんだよ」
「愛していないのに?」
「愛なんて幻想だよ。ちょっと甘い香りがする、甘美な幻想。愛より、相性の方が大事だと思うのだけれどね」
「ねえ。私に楡と結婚してもらいたい?」
「ええ。この国の為にも。キミの未来のためにも。そして、私の未来のためにも」城の主人はそう言って微笑むと、目の前のカップに手を伸ばし、コーヒーをゆっくり味わった。

2人の結婚式は、国中の人が祝ってくれた。誰もが喜び、踊り、酔い、歌い、祝宴は1週間続いた。その光景を見ながら、菫は自分の選択は少しも間違ってはいないと思う事にした。
自分のために。愛のために。

「ねえ、楡。あなたは最高のパートナーね」
楡は見ていた本をパタンと閉じて、菫に目をやり「ありがとう」と答えた。
「菫も良いパートナーだよ」
「私たち、結婚して良かったわね」
午後の日差しと心地よい風の中で、菫はゆっくりと目を閉じる。
あの丘の上にある古城の主人を思いながら。
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登場人物紹介

葵 アオイ

主人公。魔法使い。

楡 ニレ

水恵の現国王。葵の兄。妹思い。仲間想い。お人好し。

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