第2話 素晴らしい耳の持ち主

文字数 1,151文字

「……ま…おき……さ……」
意識の向こう側で誰かの声がする。多分、自分を呼んでいる。自分を呼ぶ人。自分に声をかける人。
葵は微睡の中でゆっくりと思考する。そしてこの世で1番どうでもいい答えに辿り着く。
『茜《アカネ》が自分を起こそうとしている』葵は眉を寄せながら寝返りをうつ。もう一度深い眠りに潜り込もうと、聞こえる声から意識を外す。体を揺らされるが、丘の上の草のように逆らうことなくやり過ごす。そのうち諦める事を待ちながら。

パァァァンッッッ!!!と、何かが破裂した。これには流石に目を覚ます。しかし体を起こすまでには至らない。
何が起こった?と目を左右に動かすと、茜が何かを持ってニコニコとしている。
「なに?」「おはようございます姫さま」「いや、なに」「何がですか?」「手に持ってるの、なに」茜は自分の左手を見ると、その手をゆっくり上にあげた。
「風船です」またニコニコとして答える。

つまりは、風船を破裂させて葵を起こしたのだ。
「昨日、市場でお祭りがあったんですよ。で、私も少しだけ見に行ったら、男の子が風船を割ってしまいまして。すごい音だったので、周りの人もビクッと立ち止まってたんです。私、それを見て閃いたんですよ!」
世紀の大発見をしたかのように、茜は自慢げにそう言った。

「そんな音を出したら、梛達が奇襲かと驚くだろ。怒られろ」「あ、事前に報告済みなので大丈夫ですよ」「え?」こんな馬鹿なことを、誰も止めなかったのか?と言いそうになったが、葵はソレをため息として吐き出した。

茜には何を言っても通じない。どんな嫌味も、真正面からの激高も。茜を葵の侍女と知る者なら、そのことは周知の事実だった。

彼女の耳は良いことだけを脳に届ける。嫌味や文句はその2つの耳が浄化し、茜の意識に届くことはない。世界に良いこと。自分に良いこと。都合のいいこと。しかし、元来そんな人間がいるはずもなく、それは茜が葵の侍女として働くと誓った決断の結果だ。

怖がられる姫。嫌われる姫。罵られる姫。自分の主の悪口に即座に反応するのは相手の思うつぼ。何よりそうゆう事態にこそうまく立ち回れない侍女など、主に迷惑をかけるだけの存在なのだと、ある日思い知らされたことがあった。

「不必要なものは手放せばいいのですよ」
この世界で1番の力を持つと言われている魔術師であり星詠みでもある睡蓮《スイレン》が、茜の耳にささやいた。
にこやかに穏やかに親しみが持てる声で。人魚が漁師を食らうために歌うような、美しくも怪しく、獲物を取り込み飲み込むような声で。

追い詰められていた茜は、睡蓮の声に従い手を取った。そして見返りに素晴らしい耳を手に入れた。
悪意と判断されたものは茜の耳に届くころには浄化される。水恵の国随一の頭脳の持ち主と
謳われた茜は今では国随一の・・・。
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