第1話 一話完結

文字数 1,999文字

「幸吉、舂米屋(つきまいや)の岩田屋を知っているだろう。そこの主人がお前の真面目な仕事ぶりに感心してな、一人娘の婿に欲しいと言ってきた。いい話じゃないか、進めても構わないだろう」
 主人の部屋に呼ばれたので、何かと思えば縁談だった。この米問屋に十歳で奉公にあがってから十二年、脇目も振らず働いてきた。それを認めてもらったのは嬉しいし、身に余る縁談もありがたい。だが、私には受ける資格がないのだ。
「申し訳ありませんが、断っていただけませんか」
「どうしてだい? 娘さんは美人だし、ゆくゆくは一国一城の主になれるんだ。こんないい話、滅多にあるもんじゃない。もしかして、好いた娘でもいるのか?」
「そんな相手はおりません。手代のままで十分なのです」
 主人は納得しなかった。色々言ってきたが、御用聞きに行かねばならないことを伝え、逃げるように部屋を出た。
 私には、幸せになってはいけない理由がある。子供の頃に友達を殺しているのだ。生きていれば、楽しいこともいっぱいあっただろうに、私はそれを奪ってしまった。それなのに、自分だけ幸せになるなんてことはできない。いや、あってはならないのだ。

 店を出て、いつも通る道を歩いて客先へ向かっている時だった。町屋が建ち並ぶ通りで、躓いて転んでしまった。直ぐに立ち上がると、目の前に広がっている風景がいつもと違っていた。だが、知らない風景ではなかった。子供の頃に住んでいた町の街並みと同じだったのだ。
 何が起こったのか分からぬまま、取りあえず近くにあった茶店で訊いてみることにした。入口の脇に暦が貼ってあったので見てみると、天保十年と書いてあった。今は嘉永五年だから十三年前だ。古い暦を貼りっ放しにしているのを不思議に思いながらも、店主に声を掛けた。反応がない。耳が遠いのかと思い、店主の肩を叩こうとしたら、手が店主の体を通り抜けた。
「うわっ! 幽霊だ」
 驚きのあまり店から飛び出ると、歩いている町娘が目の前にいた。
「ぶつかる!」
 そう言った瞬間、町娘が体を通り抜けた。呆然として道の真ん中で突っ立っていると、通行人が次々に私の体を通り抜けて行った。
 ようやく分かった。幽霊なのは、店主ではなく自分なのだ。転倒した時に死んでしまったらしい。
(私の姿は見えていないようだし、声も聞こえないようだ。これから、どうしたらいいのだろうか……)
 改めて周りを見回してみた。よく見ると、この町を出る少し前に廃業した店もあった。育った町とそっくりというより、育った町そのものだ。それも十三年前の。
 兎に角、住んでいた長屋へ行ってみることにした。長屋へと続く裏路地を歩いていると、風車を持った子供が目の前を駆け抜け、もう一人の子供が「待ってよー、久ちゃん」と言いながら後を追って行った。
(友達の久太郎と子供の頃の自分だ)
 嫌な記憶が蘇る。
(あの日だ。久太郎を殺してしまったあの日だ。間違いない)
 この後、私は久太郎を土手から川へ突き落とし、溺死させてしまう。遺体は翌日川下で見つかったが、自分が殺したとは言えなかった。
(止めなければ)
 二人の後を追い、土手の上で追いついた。何とか二人を引き離そうとするが、どうにもならない。
「幸ちゃん、綺麗な石を持ってるんだって」
「うん」
 子供の自分は、お守り袋から石を取り出して久太郎に渡した。
「青い中に白い筋が入っていて、空に浮かぶ雲みたいだ。ねえ、風車と取り換えっこしようよ」
「ダメだよ。死んだ父ちゃんが『幸せになれる石だから、大切に持ってるんだぞ』って言って、くれたんだから」
「どうしてもダメなの?」
「うん」
「こんなのただの石じゃないか。何だい、こんなもの!」
 久太郎は川へ石を放り投げた。
(ああ、久太郎を殺す場面を見ることになるのか)
 何て残酷なんだと思いながらも、幽霊になった理由が分かった気がした。自分の犯した罪から目を背けるなということなのだろう。
 怒った子供の自分は久太郎を突き飛ばし、泣きながら走って行った。久太郎は土手を転げ、川に落ちた。しかし、直ぐに土手へ這い上がった。
(私が殺したのではなかったのか)
 安堵し、へたり込んだ。
「幸ちゃん、ごめんよ」
 川岸で泣いていた久太郎は川に入り、石が落ちた辺りを捜し始めた。だが、直ぐに水の中に消えた。浮き上がったものの、どんどん流されて行く。
 助けなければならないと思い、川に入った。もう少しで久太郎に追い付くというところで、深みに嵌ってしまった。水の中でもがいているうちに、意識が薄くなってきた。
「やっと見つかったよ。これで幸せになれるね」
 消えかかる意識の中で、久太郎の声を聞いた。

 意識が戻り、目を開いた。真っ青な空に、雲が浮かんでいた。仰向けになった体を起こして周りを見渡すと、嘉永五年の見慣れた風景だった。
「夢か……」
 ふと何かを握っているのに気付き、手を開く。父がくれた青い石があった。

<終わり>
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