第10話

文字数 1,587文字

 ある土曜日の日の午前中だった。新聞配達を終えて家事を一通り終えた千夏は、母の啜り泣きを背に勉強をして居た。
 コンコンと、控え目なノックが聞こえた。千夏が扉を開けながら 
「はい」
と出ると、見掛けない中学生位の女の子が立って居た。大家の話から孫が同居しているのは察していたが、この子が孫なのだろう。肩をすくめる様に今にも逃げ出しそうに後退りをしながら
「突然済みません…。林沢の孫です。ごめんなさい。ごめんなさい」
怯えて居る様子を見れば壮絶な虐めが与えた心の傷が垣間見えた。
「あっ、大家さんのお孫さん」
「あ、あの…あの…。本当にすみません。泣いてらっしゃる方の気持ち…分かる気がして…、迷惑でなければお話させて欲しいのですが…。すみません、すみません…」
怯えながらも思う事があって来てくれたのが伝わって来た。どれだけ勇気を振り絞って来てくれたのだろう…。千夏は
「ありがとう、どうぞ中に入って」
と迎え入れた。
「あっ、すみません、ごめんなさい。お、お邪魔します」
ビクビクする様に孫は家に上がった。
 母は相変わらず遺影を持って泣いていた。泣きたくなる辛さや痛みを抱えている時にどうして欲しいかを、気配りと理解を示しながら孫は対応してくれているらしい。斜め後ろから母に優しく声を掛けた。
「あの、すみません突然。あの…苦しいですよね…。自然と泣けてくる程苦しいのですよね。娘さんに力になりたいのに出来ない事が」
孫の言葉に母は心の内を言われてハッと顔を上げ、また俯いて泣き始めた。
 それを見ていた千夏が一番驚いた。
「父が亡くなって悲しくて泣いてるのだとずっと思ってた」
とお茶を出しながら動揺を抑える事が出来なかった。
「あ、…はい。初めはご主人亡くなって悲しくて泣いてたと思います。あの…でも…途中からは『迷惑かけてばかりで力になれなくて』と変わってたと思います。遺影を持って居るのは 亡くなったご主人に、どうしたら良い?と頼ってるのだと思います」
硬く正座をして孫は肩をすくめ、守りの姿勢のままだった。しかし母への共感は鋭かった。
「ありがとう。母の気持ちずっと分からずに居る所だった…。ありがとう」
「いえ、私はそんな…何も…ごめんなさい」
「ありがとう…。ありがとう」
千夏は孫の手を握って頭を下げると、彼女はビクッと驚いた。しかしその後に少し笑みを見せた。
「また来てくれる? 」
「あっ…はい」
肩はすくめたままだったが孫は喜んで帰って行った。
「お母さん、私は大丈夫だからね」
と声を掛けた。母は泣いたままだった。
 泣いてても良い。私を母が思ってくれて居る…。父だけ見て居るのでは無く、それが嬉しかった。


 千夏はひまわりの病室に行き、喜んでそれを話した。
「千夏ちゃん…お母さんずっと千夏ちゃんを思ってたんだ…。千夏ちゃん一人じゃないね。良かった。本当に良かった。もう感動して涙出ちゃうじゃない」
と千夏の手を握った。千夏もひまわりの手を握り返した。
「うん、一人じゃないよ! 」
二人は言葉がそれ以上出なかったが、喜びの心をキャッチボールする様に通わせた。

 千夏は病室を出た後新聞配達をして、いつもの様に帰宅した。すると大家が扉の悪戯書きを消してくれて居る最中だった。
「あっ、すみません。消してもらって。いま私…」
と千夏が言うと大家は
「ありがとう。本当にありがとう」
と深々と頭を下げた。
「大家さん、そんな頭あげて下さい。何も私はしてません」
「何ヶ月か振りだわ、孫があんなに喜んでる顔見たの…。アンタの家から帰って来て喜んで話してくれたのよ。ありがとう」
「いえ、逆にお孫さんに助けられて私も」
「私、アンタの数倍の年齢なのに酷い仕打ちしてしまってたのよね。なのにアンタは孫の事、会う前から大切に思ってくれていた…。私は恥ずかしいわ」
大家は扉を磨き上げ、
「今までごめんね。そしてありがとう」と部屋に戻って行った。
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