第2話

文字数 2,257文字

 千夏は暮らしの中で不必要な人間関係を築く事はしなくなった。自分の環境を理解してもらう気はさらさら無い。状況を説明したとしても大抵の人はワイドショーの様に『面白いネタ』としか感じ得ない事だろう。それならば自ら孤立して置けば、非難の声が自分の耳に入るのを遅らせられるだろうと考えて居た。
 しかし『父が覚醒剤中毒で死に、母が病んでいる』現状は、自然と周囲に広まるだろうと千夏は考えていた。
 ならば感じない心になって居れば良い。悲しみ、優しさや愛を求める、と云う事を千夏は父が半年前に帰ってこなくなって暫くしてから捨てた。そして朝は新聞配達を他の配達員よりも多くこなした。その他に学校からの帰宅後は『高校生』と偽って校区外である隣町のコンビニでアルバイトをして生計を立てた。
 働いて居る間は父の死の事も母の事も考えずに済む…。ひたすら仕事に没頭して居れば良い。働いて居る時間が、ある意味問題から離れられる時間だった。
 功を奏してなのかそうで無いのかは千夏には判断出来ないが、没頭して貪る様に働いて居る姿勢は雇い主に重宝がられた。
 コンビニの店主は
「千夏ちゃんは気が利くね。どんな仕事も嫌がらないで自分からやってくれるから助かるよ」
と感心して千夏を誉めた。そして
「千夏ちゃん、下げた弁当持って帰るかい? 」と時々廃棄処分品を渡した。千夏は有り難く受け取り
「いつも有難うございます」
と深々と頭を下げた。貰った弁当は母との夕飯となる。店長の心使いに感謝して夕飯の弁当を食べた。

 ある日の事、何か探りを入れたい大家が細谷家の呼び鈴を鳴らした。
「ちょっと!細谷さん! 」
ドアを叩く音と共に大家の声が薄い扉を通して聞こえてくる。
「はい」
扉を開けながら千夏は返事をした。
「ねぇちょっと、お母さんの泣き声どうにかならない?気味悪がって空室が埋まらないのよ。こちらも生活があるからね」
と大家は嫌味を言いながら細谷家の室内を面白がって舐める様に見渡した。
 千夏は
「すみません。母も父を亡くしたばかりなのでショックを受けてて」
と頭を下げながら『空き部屋が有るのは私が幼い頃からなのに。今更イチャモン付けて来るなんて。しかも今丁度泣かないでいたのだし。それしか文句付ける理由が見つからなかったのだろう』と見下してやった。
「ねぇ、突然死って何で亡くなったの?警察も来てたじゃない?お父さんの姿も最近見えなかったし」
大家は千夏に露骨にほくそ笑みながら掘り下げた。
「分かりません。一応突然死だったので調査が入ったのだと思います」
「ふーん…。ねぇ、アンタもお母さんの世話大変なんでしょ!入院させちゃいなさいよ! 」
まるで明暗の様に生き生きと千夏に勧めた。
「いや、何とか面倒見れるので」
千夏が無表情に断った。しかし
「そうよ!入院しちゃえば アンタの負担も減るし、嫌な鳴き声聞かなくて済むでしょ! 」
「母の事は私が考えるので」
再び千夏は断った。
「何言ってるのよ、ほらバスに乗って3つ目のバス停の近くに昔から病院あるでしょ!あそこが良いんじゃない⁉︎ 」
大家の執拗で安易な言葉を聞いていて、千夏はとうとう
「いい加減にして下さい!人の家の中覗き込んで、しまいには母を入院させろですか⁉︎それは私達とお医者さんが決める事です!貴女が決めることではないでしょう! 」
と怒鳴った。
 大家は口をポカーンと開けて呆気に取られた後、段々と眉間に皺を寄せて怒りの表情を見せた。
「人が親切で言ってるのに。何よ無礼な娘ね!ならとっとと滞納した家賃返しなさいよ! 」
怒鳴って扉を乱雑にドタン!と締めて出て行った。
 千夏は鍵を締めながら思った。
「気付けば母を安易に扱われる事が許せなくて守ってた…」
こんなに母の情けない姿を見て溜息を吐いていたのに…。と自分でも説明の着かない感情に頭を掻いた。

 数日後、千夏はコンビニのアルバイトをしていると、客が入店して来た。
「いらっしゃいませ」
と言ってチラッと目を向けると、その客は大家だった。大家は千夏の働いてる姿を見て驚いた様に口に手を当てた後、直ぐにニヤリと不敵な笑みを浮かべた。そして店長に近寄りコソコソと話し始めた。話している内容は千夏も察しが付いた。
『きっと私が中学生だとバラしているのだろう…。私は一つ仕事を失うんだ』と。大家は先日私が母の入院を勧められて怒鳴った事を根に待っているだろう。その仕返しが出来ると喜んでいるに違いない。案の定、店長の
「えっ、そうなんですか⁉︎ 」
との驚きの声が聞こえた。そして大家はジュースをレジまで持って来た。
千夏がレジ打ちをして会計を済ませた。ジュースを片手に大家は千夏の頭から爪先まで眺めてからソッポを向いて店を出た。すると店長が
「千夏ちゃん!君中学生なんだってな!高校生って言うから雇ったんだよ!信頼してたのに何なんだ!こっちだって責任問われるんだよ!もう出てってくれ! 」
と怒鳴った。千夏は職を一つ失った。コンビニバイト程稼げるかは分からないが、新聞配達の夕刊配達を出来るか問い合わせた。すると可能な事が分かった。次の日から朝と夕の新聞配達をする事となった。
 朝は変わらず配達に没頭出来たが、夕刊を配る時には大家が言いふらした『コンビニバイトを中学生でやっていた事』や母の奇妙な鳴き声の噂を耳にした人達の目線が常に刺さった。
 生きる為に止むを得ずした事なのに…。人は簡単に駄目だのタチが悪い等と批判をしたがる。
 やはり何も感じない方が良い。そんな輩は放って置こうと千夏はひたすら新聞を配った。
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