第6話

文字数 2,756文字

 昨日に続けて病室に千夏が訪れると、ひまわりは嬉しそうに微笑んだ。千夏は照れをどう隠したら良い分からずキョロキョロした。あちこち目をやると、写真立てが3つ飾られてるのに気付いた。ひまわりの両隣に父と母が立って3人で笑って居る写真、誕生日にケーキのロウソクをふき消す姿のひまわり、海の家で水着でおでんを頬張るひまわりの写真だ。
「あっこの海、伊部島海岸? 」
この味噌おでんと皿と海の家の古びた内装に見覚えあった千夏は尋ねた。
「あっ、行ったことある? 」
嬉しそうに声を弾ませてひまわりは応えた。
「うん!あの味噌おでん、美味しかったー!いっぱい泳いだ後に食べたの」
「私も!美味しくてバクバク食べてたらお店のおばさんが、もう一本サービスしてくれたの!」
細いひまわりから想像できない食べっぷりの話だ。
「あっ、私もサービスされた!きっと同じオバさんだよね」
「うん!だよね! 」
「懐かしいな…伊部島海岸。お父さんとお母さんと行ってね、お父さんとイソ蟹を捕まえてお母さんに見せたら、お母さん『蟹の赤ちゃんみたいに小さいね』って」
千夏がイソ蟹の話をすると
「そう、イソ蟹居たよね!私もお父さんと捕まえてバケツに入れたの」
とひまわりも同様の思い出を話し、楽しい時間が流れた。
 千夏は
「こんなに楽しく話したの 数ヶ月ぶりかもしれない…」
とポツリと言った。
「私もこの写真を見てたら、体調が悪くても父と母が私をいつも楽しませてくれたことに『ありがとう』って思えるの。ありがとうと思うとね、幸せな気持ちになるの。辛いのがどうでも良くなって…」
ひまわりが満たされた様な嬉しそうな顔で微笑んだ。
「…ありがとうって暫く言ってなかったし、思う事もなかった…」
千夏は『ありがとう』の言葉を忘れていた事に『単純で大切な物を忘れて居た』様な思いになった。
 ひまわりはそっと優しく千夏の手を取り、
「ありがとうの大切さ、千夏ちゃんは分かってるのね」
と言った。千夏の心は救われた様な気持ちになり、温かくなった。
「思い出させてくれてありがとう。うん、私にも楽しい思い出があるんだね…。お父さんの死に方は酷かったけど、心から愛されて育ったのよね…」
 病室を出た千夏は埃に塗れて忘れて居た宝物を思い出したかの様に、ひまわりとの話しを大切に味わっていた。その時にふと思い出した。
『鈴野美緒はあの時、本当に心配して私に声を掛けてくれたんだ…。なのに私はそれを疎んじて あんな乱雑な言葉を投げつけてしまった…。
 命は生活環境等関係ない。誰にとっても何よりも大切な物』と美緒は感じて居たからこそ、私の父の死を知って労ってくれたのだと、ひまわりとの二日間の関わりで千夏は思い直す事が出来た。
「私…美緒に本当に何て酷い事を言ってしまったのだろう」
千夏は後悔した。

 次の日、千夏は学校に登校してから美緒の到着を待った。美緒は皆んなに穏やかに『おはよう』と言いながら教室に入って来た。千夏は美緒を見ると直ぐに駆け寄り頭を下げた。
「ごめんなさい!この前は酷いことを言ってしまって…。温かく理解を示してくれたのに、本当に無礼だったと思う。許されなくても仕方ないと思うけど…申し訳ないことを言ってしまったのを謝りたかったの。本当にごめんなさい」
千夏は更に頭を深く下げた。
 美緒は言葉を発しようとした時に、柚が遮って
「今更何言ってるのよ!あんなに酷い事言っといて!謝るなら土下座しなさいよ! 」
と怒鳴った。美緒は止めに入ろうとしたが、夢香と綾乃が
「こう言うのは思い知らせるのが一番。一緒に見てれると良いよ。柚が解決してくれるから」
と止めた。
「で、でも…」
美緒はオロオロした。そこへ担任の岩野が朝のホームルームの為に教室に来た。柚を見て岩野はニヤリとほくそ笑み、柚に目配せした後
「細谷、それでも土下座のつもりか! 」
と怒鳴り、千夏の頭を踏みつけた。それを千夏は自分への罰と捉えて、抵抗せずに顔をピータイルの冷たい床に擦り付けて『御免なさい』と謝り続けた。
 美緒は事態に怯えて何も出来なくなっていた。柚達と岩野にとって美緒の事はどうでも良かった。千夏をいたぶれるこのチャンスを思う存分楽しんだ。
 千夏の右の頬骨の付近や目尻、手の甲には青アザが出来た。
 千夏の手のアザに気付いた岩野は教頭や校長にこの事がバレたら不味いと
「良いか、シッカリ反省しろよ! 」
と言い捨て千夏への攻撃は終わった。美緒は恐怖で何も出来なかった事に不甲斐なさを感じ俯いて項垂れた。
「ほら!皆んな席につけ。ホームルーム始まるぞ! 」
と一日が始まった。
 1時間目の授業が終わった休み時間。千夏は トイレに行き、髪で青アザを隠せるように整えた。そして何事も無かった様に授業を受けた。

 千夏は授業が終わるとひまわりの病室に向かった。病室にはひまわりの母も居り挨拶を交わした。
 髪でアザを隠しながら千夏は必死に笑いながら過ごそうとしていた。
 しかしこの二日間とは違う硬さがある事に不思議に思ったひまわりが、千夏を注意深く見ると 手のアザが少し見えた。
「どうしたの⁉︎このアザ! 」
とひまわりが声を上げた。
見つかってしまった。千夏は思わず手を隠しながら
「私が悪いの…。以前に美緒が優しさで声を掛けてくれたの。でも父の死の事を話したくなくて『放って置いて!守られてるくせに』って怒鳴っちゃったの。私が悪いの。これは罰なの」
と千夏は必死に訴えた。
「でも美緒ちゃんはこんな事しないでしょ!やったのは柚とか先生とかじゃないの? 」
「でも私が…」
その場を見て居たひまわりの母は背中から千夏を優しく抱きしめた。
「こんなに良い子が痛い思いをして…。それなのに謝ってるのね。自分で何でも抱えて…。お母さんを支えて…。そんな子を痛め付けるなんて悪い人達だね」
優しく頭を撫でた。
「いや、私が悪くて…」
千夏は温かい腕の中で自分の責任を訴えた。
「良いのよ。ちゃんと謝って言い訳しないで、良くやったわ。貴女は充分頑張ってるわ。良い子ね」
抱きしめられながら撫でられて千夏は今迄張り詰めて居た物が途切れて、堰を切った様に涙を初めて流した。
「うっ、私が…うっ…」
「うん、話さなくても大丈夫。思い切り泣きなさい』
「うん、ここでは泣いて良いから」
決して強要せずに受け止める二人の優しさに包まれて、千夏は暫くひたすら泣いた。その間
「うん、頑張って来たのよね。」
と二人は千夏が心の咎が洗い流されるまで温かく見守った。
 泣き止むといつもの千夏に戻った。そして元気に病室を出て新聞配達をこなした。
 いつもの様に周囲の人達の噂話の囁きが聞こえる。帰れば大家に文句言われながらドアの落書きを消す。そして母の世話と家事をする。それでも温かく抱きしめられた温もりを味わいながら一日を終えた。

 

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