I can’t taste it 

文字数 1,991文字

 一人で定食屋に入る連中、頼んだ定食が運ばれてきたら、はしを拾い上げる前にスマホで撮影。ありゃ一体何の為だ?俺にはさっぱり分からん。カロリー計算でもしているのか?多分違う。「こんなご飯を食べたんだよ!」って何らかのアピールを世間様にしてんだ。でもさ、なんでいちいち、食べたものを世間様に報告する必要がある?どうだっていいじゃねーか!撮影した後は、美味いのかまずいのか知らんけど、大概が背中丸めてコソコソ独りで食ってんだ。そっと誰にも知られないようにね。
 「チキンカツ定食です。」
 店員さんがうすら笑いを浮かべてトレーを目の前に置いた。見た瞬間、去っていく店員を目で追った。行かないでくれ!しかし、女性店員は結構な速度で遠ざかっていく。
 なんだよこれ?
 真っ赤なチキンカツに緑色のソースがかかっている。付け合わせは紫色の何か。白いご飯だけがまともに見えて、あとは見たこともない色になっているし、形も妙だ。汁椀には湯気が立っていて、アスパラガスと真っ赤な苺が浮かんでいる。ほんのりフルーティーな香りが漂う。目がチカチカする。八百円のチキンカツ定食の写真と見比べる。メニューが白黒ってそういうことか。
 これ、誰かに見せたい。
 ポケットからスマホを取り出し、撮影を始めた。ああ、そういうことだったんだ。この奇妙な体験を誰かに知らせたくての行動だったんだ。チラリとさっき撮影してた連中を見る。作業服の男が俺の挙動不審な状況を見てフッと笑いやがった。くそ、俺の負けだ。すぐに嫁さんに画像を送った。
 「何それ!どんな味w」
 既読スルーが多いけど、今日は秒速で返信があった。そりゃ、気になるわな。目の前に何かふざけたものを置いておくと冷めてしまう。冷めるとたぶん食えたもんじゃないだろうから、まず、味噌汁から手をつける。お椀を寄せると、いちごの甘酸っぱい香りとソテーしたアスパラのまろやかな青臭さが鼻腔に迫る。具から食べる勇気はなかったので、汁からすする。「?」一瞬、パニックになる。口の中で広がる苦味と芳醇な甘味、これ、あれだ、アフリカで取れるやつ・・チョコだ。シナプスがバグった。知ったものが違う形で出てくると判断できない。これはチョコの汁粉だ。それに苺と、甘みを際立たせるために塩で炒めたアスパラを添えている。チョコと苺はよく合う。アスパラの青臭さは舌に残る苦味をさっと取り消してくれる。あったかいスイーツとしては完璧ではないか?
 「すげえ。」
 思わず口から感想が漏れる。俺の声に反応して、作業服の男と、メガネをかけた年上と思われる女性が少し笑った。あいつら、先に食ってやがったんだ。同じ体験をわかりやすくリアクションした俺に対して笑いやがったんだ。まあ、俺だってそうするだろう。チラリと作業服の男を見ると、奴の皿に乗ったヘンテコなメインメニューに指差してやがった。ありゃなんだ?真っ青なクリームがかかった何かだった。野菜やら肉やら、あれがエビか・・八宝菜だ!薄いブルーの八宝菜だ!あれは、クールミントの味がするんだろうか?どんなのか知りたい。メガネかけた女性の方を見ると、柔らかに小さく手を降っている。彼女の目の前にはピンク色した鮮やかな野菜炒めが湯気を出していた。あれは、たぶん、いちごミルクと思わせて、たらこだ。うわ、気になる。あの連中が食ってるのはなんだ?俺は気になりながらも、目の前の真っ赤なチキンカツを一切れ箸で摘んだ。断面が見えた。黄色かった。恐る恐る口に含む。衣はサクサクだった。油の香ばしさは申し分なく、歯が喜びそうな噛み心地。赤色の正体はトマトだった。ケチャップのような風味が口に広がる。懐かしいチキンライスをたべたような風味がサクサクした中に味わえる。緑のソースはバジリコとグリンピースを練ったものだった。チキンの黄色みは卵だった。口の中はバターが効いたオムライスの味になっていた。肉はしっとりとして、しかし、歯切れ良く食べやすく調理してあった。これは、驚くほど美味しい。これ、独りで味わいきれない体験だ。
 俺は店員を呼ぶチャイムを鳴らす。女性店員はうすら笑いで急いで駆けつけてくれた。
 「すみません、席移動していいですか?」
 「かしこまりました。空席もあるので、ご指定ください。」
 「じゃあ、あそこに移るよ。自分で持っていくからいいよ。」
 俺はへんてこな色した料理を載せたトレーを抱えて立ち上がる。ツカツカと窓際の席に歩み寄り、そこの主に声をかける。
 「邪魔じゃなかったら、ご一緒したいのですが?」
 作業着の男の見上げる顔は笑顔に変わった。俺は男の隣に料理を置いた。それから、メガネの女性のところに行った。
 「一緒にどうですか?」
 女性は少し驚きつつもトレーを持って席を立つ。三人は席を一緒にした。全く知らん三人だが、同じ体験をしていた。だから会話には困らなかった。
 
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