上の巻
文字数 2,358文字
武士が現れた。
「やあやあ我こそは○○○○○、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」
武士だった。赤糸縅 の大鎧 を身にまとい、馬上から大音声 で叫びつつ、槍 を振りかざしていた。
名前のところは伏せよう。いまいち聞こえなかったし。それに、本名が知れ渡ると武士の恥 になりそうだ。割と、いいところの武士だったということだけ述べておきたい。
俺はコンビニから出てきたところに、いきなりその武士と遭遇した。
夕方の、うっとおしく小さな虫が飛び回る時刻で、俺は部活の帰りだった。それで、弓を背負っていた。それがまずかったのか。
弓道部だった。
「名うての武士 とお見受けいたす」
武士が馬上から言った。
「いいえ、ただの高校生です」
俺は謙遜 でなく言った。
成績は中の中、身長も中の中、顔はというと、集合写真から自分で自分の顔を見つけられないくらいの、平々凡々で、存在感の希薄な青少年だった。
「ここで会 うたも何かの縁。手合わせ願おう。男と男の命がけでの大勝負 じゃ」
やる気まんまんの武士は顔が濃かった。歌舞伎 の舞台か浮世絵から出てきたみたいな大見得 を切っていた。
それに対する俺は猛烈に顔の薄い男だ。
「手合わせとか無理っす。だって俺、弓しか持ってねえし。それにこれ、別に上手いわけじゃないんす。部活だから、持って行ったり持って帰ったりしてるだけで。第一、矢がねえし」
それ以前に、人間に矢なんか射掛けて、万が一当たったらどうすんだよ。死ぬかもしれねえじゃん。そんなことしたら俺はどうなるの。平々凡々な高校生生活に終止符が打たれちまうじゃんかよ。
「逃げるとは卑怯なり」
別にまだ逃げてねえのに武士にはそう言われた。
「いや、だって、ほんとに下手だし。その槍 、ほんまもんですよね。俺、負けたら殺されちゃうの?」
「無論」
それって殺すってこと?勘弁 してくれ。
「勘弁 してくださいよ。俺、なんつか……弓道部に入ったのは、女の子目当てなんす。弓とか、モテるかな……って。渡辺さんに……」
「渡辺さんとは誰ぞ」
武士が真剣に俺の恋愛相談に乗っていた。
「中学ん時から、好きで。ちょっといいな、って思ってた女の子っす。子供の頃からずっと弓やってるとかで。高校も、弓道部あるところをって志望して受験してて。俺、その時は別に渡辺さんとどうこう、って思ったわけじゃないんすけど……高校とか、別にどこでもよかったし。でも、その割には、けっこー頑張って、勉強もして。なんとか受かったんで良かったですけど。それで弓道部入って……」
ぶつぶつ喋 る俺の長 え話を、武士は頷 きながら親身に聞いていた。
「入ったのはいいけど。渡辺さん、すっげー上手くて。そりゃそうですよね。子供の頃からやってんですもんね。ぽっと出の俺とは違って当然っすよね。それで何か、高嶺 の花っつーんですか。近寄れねえっつうか。声もいまいちかけられないっつーか。……可愛いんですよね。渡辺さん」
段々落ち込みながら、俺は語っていた。どうしようもなく蚊 が俺の足を刺していた。
「かわゆいのか」
武士然とした顔つきで武士は硬派に言い切る。
「かわゆいです……」
俺は渡辺さんの、ポニーテールにしたまっすぐな黒髪や、きりっとしててもサクランボ色で可愛い唇とか、ばら色のほっぺたとか、弓道部の紺色の袴 に包まれているお尻のことなんかを思い出していた。
渡辺さんはたぶん可愛すぎる。
「渡辺の、なんと申す姫じゃ」
「姫って、別に姫じゃないですけど。渡辺、春奈 さんです」
女子たちには、はるっちとか呼ばれている。
はるっちって雰囲気じゃねえじゃんと思うけど。ガサツな女子どもに、はるっちオハヨーとか言われて振り向く時の渡辺さんの、控えめだけど美少女そのものの笑顔が俺の胸に毎朝ガツンと来る。
でも通りすがりのエキストラのふりして、俺はいつも通り過ぎる。たぶん渡辺さんに実在の人物として認識されてすらいない。
「そなたはその、春奈姫を、我が物にせんと欲するのじゃな」
「我が物にっつーか、そんな……」
我が物にした場合のことがいろいろ邪 まに心をよぎって、俺はじたんばたんしていた。
もちろん内心だけだ。人通りのない田舎のコンビニ前とはいえ、本気でじたんばたんしてたら通報される。武士が通報されないのが謎なくらいだ。
「助太刀 いたそう」
武士がまた断言した。
「えっ、助太刀 って……なんのことっすか」
ポカーンな俺の前で、武士はきりっと夕日を睨 みつけた。
「これも何かの縁 。そなたの恋心に打たれた。そなたの想いを見事 、遂 げさせてみせようぞ!」
宣言する武士に、俺は慌 てて両手をぶんぶんしていた。弓もぶんぶんした。
「いやっ、そんなっ、いいっす!遠慮 します。そんなの俺、自分でしますし! ほんと間に合ってますから!」
「いざ共駆 けせん!」
俺は武士に拉致 られた。ぐわっと片腕で馬上 に胴 を抱えられて、ものすごいスピードで、もと来た高校までの道をパカラッパカラされた。
待っていてください、渡辺さん。今行きます。
渡辺さんはまだ、部活のあとも居残って、自主練しているはずだった。
「やあやあ我こそは○○○○○、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」
武士だった。
名前のところは伏せよう。いまいち聞こえなかったし。それに、本名が知れ渡ると武士の
俺はコンビニから出てきたところに、いきなりその武士と遭遇した。
夕方の、うっとおしく小さな虫が飛び回る時刻で、俺は部活の帰りだった。それで、弓を背負っていた。それがまずかったのか。
弓道部だった。
「名うての
武士が馬上から言った。
「いいえ、ただの高校生です」
俺は
成績は中の中、身長も中の中、顔はというと、集合写真から自分で自分の顔を見つけられないくらいの、平々凡々で、存在感の希薄な青少年だった。
「ここで
やる気まんまんの武士は顔が濃かった。
それに対する俺は猛烈に顔の薄い男だ。
「手合わせとか無理っす。だって俺、弓しか持ってねえし。それにこれ、別に上手いわけじゃないんす。部活だから、持って行ったり持って帰ったりしてるだけで。第一、矢がねえし」
それ以前に、人間に矢なんか射掛けて、万が一当たったらどうすんだよ。死ぬかもしれねえじゃん。そんなことしたら俺はどうなるの。平々凡々な高校生生活に終止符が打たれちまうじゃんかよ。
「逃げるとは卑怯なり」
別にまだ逃げてねえのに武士にはそう言われた。
「いや、だって、ほんとに下手だし。その
「無論」
それって殺すってこと?
「
「渡辺さんとは誰ぞ」
武士が真剣に俺の恋愛相談に乗っていた。
「中学ん時から、好きで。ちょっといいな、って思ってた女の子っす。子供の頃からずっと弓やってるとかで。高校も、弓道部あるところをって志望して受験してて。俺、その時は別に渡辺さんとどうこう、って思ったわけじゃないんすけど……高校とか、別にどこでもよかったし。でも、その割には、けっこー頑張って、勉強もして。なんとか受かったんで良かったですけど。それで弓道部入って……」
ぶつぶつ
「入ったのはいいけど。渡辺さん、すっげー上手くて。そりゃそうですよね。子供の頃からやってんですもんね。ぽっと出の俺とは違って当然っすよね。それで何か、
段々落ち込みながら、俺は語っていた。どうしようもなく
「かわゆいのか」
武士然とした顔つきで武士は硬派に言い切る。
「かわゆいです……」
俺は渡辺さんの、ポニーテールにしたまっすぐな黒髪や、きりっとしててもサクランボ色で可愛い唇とか、ばら色のほっぺたとか、弓道部の紺色の
渡辺さんはたぶん可愛すぎる。
「渡辺の、なんと申す姫じゃ」
「姫って、別に姫じゃないですけど。渡辺、
女子たちには、はるっちとか呼ばれている。
はるっちって雰囲気じゃねえじゃんと思うけど。ガサツな女子どもに、はるっちオハヨーとか言われて振り向く時の渡辺さんの、控えめだけど美少女そのものの笑顔が俺の胸に毎朝ガツンと来る。
でも通りすがりのエキストラのふりして、俺はいつも通り過ぎる。たぶん渡辺さんに実在の人物として認識されてすらいない。
「そなたはその、春奈姫を、我が物にせんと欲するのじゃな」
「我が物にっつーか、そんな……」
我が物にした場合のことがいろいろ
もちろん内心だけだ。人通りのない田舎のコンビニ前とはいえ、本気でじたんばたんしてたら通報される。武士が通報されないのが謎なくらいだ。
「
武士がまた断言した。
「えっ、
ポカーンな俺の前で、武士はきりっと夕日を
「これも何かの
宣言する武士に、俺は
「いやっ、そんなっ、いいっす!
「いざ
俺は武士に
待っていてください、渡辺さん。今行きます。
渡辺さんはまだ、部活のあとも居残って、自主練しているはずだった。