中の巻
文字数 3,543文字
武士が俺に提案した計画はこうだった。
学校の弓道場にいる渡辺さんを武士が襲 う。そこに颯爽 と現れる俺。渡辺さんを救う。武士は俺を恐れて逃げ出す。渡辺さん、俺に惚れる。ハッピーエンド。
そんな流れだった。
そんな計画が上手くいくはずはない。俺は反対した。
弓道場にいる渡辺さんを武士が襲 ったら、それはもう、その時点で犯罪だ。芝居だとしても、渡辺さんは怖い思いをするだろう。なにしろ槍 持った鎧武者がいきなり現れて襲 いかかってくるわけだから。
俺は反対した。
したことは、したが、本当のところを言うと、内心ちょっと、これで上手くいくならそれはそれで、仕方ないんじゃないか、運命なんじゃないか、俺と渡辺さんの恋のキューピッドさんが、この鎧武者ということなんじゃないか、と思った。
そして反対しようがしまいが、俺は武士にわっしと拉致 られ、駆 け抜ける馬の鞍 の辺りでたなびいていることしかできない、無力な高校生男子だった。力の差がありすぎる。
麦茶がビールになるほど揺 さぶられ、俺はグデングデンで高校に到着した。
武士は槍 と俺とを抱えたまま、のっしのっしと高校の廊下を行った。
部活の後も居残っていた生徒たちは、ぎゃあっと悲鳴をあげて驚 いていた。
俺は死んだように見えたし、実際ほぼ死んだような気分だったし、武士の槍 はどう見ても本物だった。ぶっ殺された高校生を抱えた鎧武者が学校内に乱入してきたように見えたのだ。
弓道部の練習場に入るまで、俺と武士とを留 め立てした者はいなかった。
いや、それも本当のことを言えば、何人かいたようだ。
慌 てた教師が何人か、武士を足止めしようと現れたが、槍 を持った腕で軽く払われただけで、ごろごろドスンと廊下を転がっていって、戦闘不能の状態になったという。
ほぼ無抵抗状態の学校内を抜け、渡辺春奈姫の待つ弓道場へと、俺たちは辿 り着いた。
そこにいたのは渡辺さん一人ではなかった。
何人かの先輩男子がいたし、顧問 の先生もいた。居残って自主練習する連中と、それを監督 する教師。
渡辺さんもいた。練習用の道着 と袴 を身につけて、胸当てをして弓を引いていた。
弓弦 を引き絞 り、今まさに射 ようとしていた弓を、ぽろんと取り落とすほど、渡辺さんは驚いたようだった。
悲鳴の形にサクランボ色の小さな唇 が開き、実際に悲鳴をあげたのは、武士が抱えているグデングデンの俺を、弓道場の床に情け容赦 なく放り出した時だった。
いてえ! と思いながら、俺は渡辺さんの悲鳴を聞き、弓道場の床板に全身を叩 きつけていた。
その場にいた皆は、俺が死んでるんだと思ったらしい。渡辺さんもそう思ったという。
次は誰が殺 られるのか。弓道部に恨 みを持った武士の犯行か。
あの槍 は本物か。なぜ武士がここにいるのか。
なぜ自分たちが殺されなければいけないのか。そんなような事が皆の頭を駆 けめぐり……。
不思議だ。それでも皆、武士に矢を射かけようとは、これっぽっちも思い付かなかったらしい。
弓道場にいて、たった今まで矢を射 ていた連中がだ。
手には弓があり、弓道場には矢もあった。弓につがえたままの矢を持っている奴までいた。
それでも弓道部員・居残り組のできたことといえば、その場でパニくることだけだったのだ。
「やあやあ我こそは○○○○○、遠 からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」
槍 を振りかざして、武士は大音声 をあげた。名前はやはり伏せることにする。この乱入の時点で武士は立派な犯罪者だ。名前が公 になるのはよくない。
その大声を聞いて、弓道部・居残り組はますますパニックを深めた。
チビってるのかと思えるような奴もいた。誰とは言わない、部長の木下 先輩だ。いつも渡辺さんへの指導がやたらと粘着なのが疑問でならない。
その、しょんべん垂れ木下を除き、あと三人の先輩と顧問 がいたが、誰一人助けなかった。渡辺さんを。
動けたのは、俺だけだった。
当たり前だ。俺は武士が本気じゃないことを知っていた。だから動けた。それだけの事だ。
武士は槍 をぶん回しながら、渡辺さんに襲 いかかっていった。そして絹を裂 くような渡辺さんの悲鳴。
俺はとっさに、しょんべん垂れ木下が取り落とした弓を拾 い、それに矢をつがえた。本音を言えば、武士が本当には渡辺さんを襲 わないという確信はなかった。
大体なんなんだ、この武士。なんでこんな奴が現代にいるんだ。
俺にも迷いはあった。武士とはいえ、たぶん人間と思うけど、そんな的を射 たことなんかない。
当たったら一体どうなるんだ。どこを狙 って射 たらいいんだ。そんなこと全然、誰も教えちゃくれなかったよ。
的 なら丸が書いてある。輪の中心だったら大当たり。
でも武士の体に的 が描いてあるわけじゃない。どこを的 にするか、自分で決めなくちゃいけないんだ。
俺は狙 いはしなかったと思う。とにかく矢を放った。
そしてそれは、武士の背中から、心臓の裏側を射 ぬいた。
ように見えた。
「おのれ背後からとは卑怯 なり」
芝居がかった怒声 で武士は俺を罵 った。
槍 を振りかぶったままの、赤糸縅 の大鎧 が振り向くと、泣き顔の渡辺さんが弓道場の床にへたり込んでいるのが見えた。
だって背後からって、どうすりゃよかったんだよ。前まで回り込んで行って射ろっていうのかよ。そんな暇 なかっただろ、お前が本当にその槍 で渡辺さんをぶっ殺すのかと思ったんだよ。
正直に言おう。俺も98%ぐらいはバニっていた。何だか訳がわからないうちに、矢を放ってたんだ。
武士はそんな俺を脅 しつけるような、ケダモノかっていう雄叫 びをあげて、槍 を構え直し突進 してきた。
矢が無い。矢が無い。と、俺はじたばたと焦 り、なんとかもう一本、矢をとってつがえた。
二射目 もどこも狙 ってなかった。
……いや、それも正直に言おう。俺は焦 り、そして迷っていた。
本当に当たっちゃっていいの? これ芝居だろ?
当たっても、できるだけ当たり障 りのないところを、狙 っておこうな、って、とりあえず武士の肩のあたりを狙 ったつもりだった。
なのに、それか、大当た~り~。
矢は深々と、武士の心臓を正面から射抜いた。
その瞬間、武士はにやりと笑って俺を見たような気がする。
「見事じゃ……敵ながら、あっぱれな腕よ」
掠 れた声で、武士はそう言い、どうっと倒れた。大鎧 が床を叩 く、ものすごい音がした。
その音と衝撃に驚 いたんだろう。渡辺さんはまた泣き叫ぶような悲鳴をあげた。
俺も少々、チビりそうだった。
しかし、チビってる場合ではない。
「大丈夫だ。逃げよう、渡辺さん」
俺が声をかけると、渡辺さんは涙でうるうるした目をして、こくりと頷 いた。
そして半分、腰抜けてるのかなと思うような足取りで、よろよろと俺に駆 け寄ってきて、縋 りついた。
渡辺さんが俺に縋 りついた。
いや、単によろけただけだったか。袴 の裾 でも踏 んで。
いやいや、そうじゃない。渡辺さんが俺に縋 りついた。震えている細い肩が押しつけられる感触がした。その他、諸々 の感触も。
顧問 がやっと我に返って、逃げろと部員に指示した。言われなくても皆、逃げていた。
俺は渡辺さんを抱きかかえるようにして、皆といっしょに部室から逃げた。
扉をくぐる直前、振り返って見ると、武士は仰向 けにぶっ倒れたまま、ぴくりとも動かなかった。
まさか死んでないよな。
俺の体に震えが来たのは、実は、それからのことだった。
学校の弓道場にいる渡辺さんを武士が
そんな流れだった。
そんな計画が上手くいくはずはない。俺は反対した。
弓道場にいる渡辺さんを武士が
俺は反対した。
したことは、したが、本当のところを言うと、内心ちょっと、これで上手くいくならそれはそれで、仕方ないんじゃないか、運命なんじゃないか、俺と渡辺さんの恋のキューピッドさんが、この鎧武者ということなんじゃないか、と思った。
そして反対しようがしまいが、俺は武士にわっしと
麦茶がビールになるほど
武士は
部活の後も居残っていた生徒たちは、ぎゃあっと悲鳴をあげて
俺は死んだように見えたし、実際ほぼ死んだような気分だったし、武士の
弓道部の練習場に入るまで、俺と武士とを
いや、それも本当のことを言えば、何人かいたようだ。
ほぼ無抵抗状態の学校内を抜け、渡辺春奈姫の待つ弓道場へと、俺たちは
そこにいたのは渡辺さん一人ではなかった。
何人かの先輩男子がいたし、
渡辺さんもいた。練習用の
悲鳴の形にサクランボ色の小さな
いてえ! と思いながら、俺は渡辺さんの悲鳴を聞き、弓道場の床板に全身を
その場にいた皆は、俺が死んでるんだと思ったらしい。渡辺さんもそう思ったという。
次は誰が
あの
なぜ自分たちが殺されなければいけないのか。そんなような事が皆の頭を
不思議だ。それでも皆、武士に矢を射かけようとは、これっぽっちも思い付かなかったらしい。
弓道場にいて、たった今まで矢を
手には弓があり、弓道場には矢もあった。弓につがえたままの矢を持っている奴までいた。
それでも弓道部員・居残り組のできたことといえば、その場でパニくることだけだったのだ。
「やあやあ我こそは○○○○○、
その大声を聞いて、弓道部・居残り組はますますパニックを深めた。
チビってるのかと思えるような奴もいた。誰とは言わない、部長の
その、しょんべん垂れ木下を除き、あと三人の先輩と
動けたのは、俺だけだった。
当たり前だ。俺は武士が本気じゃないことを知っていた。だから動けた。それだけの事だ。
武士は
俺はとっさに、しょんべん垂れ木下が取り落とした弓を
大体なんなんだ、この武士。なんでこんな奴が現代にいるんだ。
俺にも迷いはあった。武士とはいえ、たぶん人間と思うけど、そんな的を
当たったら一体どうなるんだ。どこを
でも武士の体に
俺は
そしてそれは、武士の背中から、心臓の裏側を
ように見えた。
「おのれ背後からとは
芝居がかった
だって背後からって、どうすりゃよかったんだよ。前まで回り込んで行って射ろっていうのかよ。そんな
正直に言おう。俺も98%ぐらいはバニっていた。何だか訳がわからないうちに、矢を放ってたんだ。
武士はそんな俺を
矢が無い。矢が無い。と、俺はじたばたと
……いや、それも正直に言おう。俺は
本当に当たっちゃっていいの? これ芝居だろ?
当たっても、できるだけ当たり
なのに、それか、大当た~り~。
矢は深々と、武士の心臓を正面から射抜いた。
その瞬間、武士はにやりと笑って俺を見たような気がする。
「見事じゃ……敵ながら、あっぱれな腕よ」
その音と衝撃に
俺も少々、チビりそうだった。
しかし、チビってる場合ではない。
「大丈夫だ。逃げよう、渡辺さん」
俺が声をかけると、渡辺さんは涙でうるうるした目をして、こくりと
そして半分、腰抜けてるのかなと思うような足取りで、よろよろと俺に
渡辺さんが俺に
いや、単によろけただけだったか。
いやいや、そうじゃない。渡辺さんが俺に
俺は渡辺さんを抱きかかえるようにして、皆といっしょに部室から逃げた。
扉をくぐる直前、振り返って見ると、武士は
まさか死んでないよな。
俺の体に震えが来たのは、実は、それからのことだった。