第7話

文字数 4,099文字

 虎夫は微動だにせず、腰を下ろしたまま、高野内を睨みつけている。その目は座っていて、動揺している感じではなかった。
 取りあえず推理を進めることにして、高野内は再び口を広げた。
「皆さんご存知の通り、これは亀蔵さんが護身用にと金庫に保管してあった物です。虎夫さんは菊江さんを殺害したあと、これを持って窓から逃走したのです。――ところが後になって自分が持っていると疑われると思い、書斎に入るために、自ら表に回る事をかって出たのです。そして鍵のかかっていない窓を、この拳銃で叩き割ると、死体の傍に置いてからドアを開けたのです」
「違う。俺は殺してなんかない!」しかし虎夫の声は震えている。先ほどまでの堂々とした振る舞いは影を潜め、怯えながら冷静さを失いかけているようだった。
「ではどうやって窓を割ったのですか? まさか素手で割ったとは言わないですよね。見たところ手にケガは無いようですが」
 虎夫は黙りながら、その拳をさすっている。当てずっぽうで言ってみたが、どうやら的を射ていたようだ。
 すると波多野が、虎夫の肩を撫でながら静かにつぶやいた。
「虎夫様、もしかしてあれをお使いになったのではありませんか」
「波多野、黙れ!」
「もしそうでしたら、ここは正直に打ち明けた方がよろしいかと思います。このままでは犯人にされてしまいますよ」波多野は何やら事情がありそうな気配を見せる。
 もし虎夫が犯人ならば、波多野の容疑は晴れるというのに、なんと見上げた執事魂だと感心せずにはいられない。
「……判った。正直に話そう」
 観念した表情を浮かべた虎夫はジャケットを開くと、肩から下げられたホルダーから銀色に光る大型の拳銃を取り出し、テーブルに放り投げた。
「44マグナムだ。ダーティー・ハリーが使っていたのと同じやつさ」
「まさか……本物ですか?」
「ああ、もちろん弾は抜いてあるが、違法に手に入れたものだからね、見つかると少々厄介な事になる」
 虎夫が映画マニアであり、グッズを集めているという話は、昨日のパーティーで出ていたが、まさか本物の拳銃まで手に入れる程だとは思っていなかった。ただ、口径のサイズからみて菊江の殺害に使われた物ではない。
 高野内はすぐにピンときた。
「なるほど。それで窓ガラスを割ったんですね」
 虎夫はマグナムを持ち上げるとそれを振りかざす仕草を見せる。「銃身を持ってグリップをこう振ったのさ」
 たしかにこれならガラスは易々と割れそうだ。
「これで判ってもらえたでしょうか? 虎夫様は犯人ではございません」波多野は勝ち誇った顔で声を上げた。
 まさか現場に石が落ちていなかったというだけで、虎夫を犯人扱いする事には無理があると、高野内は自らの推理を反省した。
 だが、高野内には奥の手があった。
「……そう思わせるのが犯人の狙いでした!」全て計算ずくだと言わんばかりに声を張り上げる。
 高野内の言葉に、その場にいた全員が騒然とした。すぐさま虎夫の罵声が飛ぶ。
「どういうことだ! ちゃんと説明しろ、このヘボ探偵!!」
 委縮した高野内は、うなだれながら、やや小声で言い訳をする。
「……つまり、真犯人は自分の容疑をそらすために、敢えてそのような推理を行うように、私を巧みに誘導したのです。だから、あえてその真犯人の目的を知った上で今の推理を披露したわけです」
 高野内は背中に冷や汗を感じていた。まさか、今さら時間稼ぎのために適当な推理をでっち上げたとも言えない。
「じゃあなにか? あんたは、全てを承知の上でワザと俺を犯人に仕立て上げたのか!」
 虎夫の拳がブルブルと震えている。このままではいつ手が出てもおかしくない。
「申し訳ございません。ちょっと悪ふざけが過ぎましたね」
「ちょっとどころじゃない。もう少しで刑務所行きになるところだったんだぞ」
「安心してください。ちゃんと警察が調べれば、あなたの無罪はいずれ証明されますから」
「それじゃあ遅いから、あんたに頼んだんじゃないか。もし警察が本格的に捜査して俺のマグナムがバレたらどうするんだ」
「大丈夫です。もしそうなったら、そのマグナムは私の物だと主張しますから。それを一時的に虎夫さんに貸したことにすれば問題ないでしょう」
 虎夫の怒りはなんとか収まったようだ。
「……なんだかはぐらかされた気がするが、まあいいだろう」
「いたみ入ります」すかさず波多野は頭を下げる。
「それじゃあ、犯人は結局、波多野って事になるのかしら?」
 鶴美は目を細めて波多野を見つめている。
「そうです。真犯人は――波多野さん、あなたしかいません!」
 指さすと、波多野は眉ひとつ動かさず、黒ぶちメガネの奥の目を怪しく光らせた。

 すっかり容疑者リストから外された虎夫は、挑戦的な目を高野内に向けた。
「ほほう。では波多野がどうやってふたりを殺害したのか、名探偵の推理とやらを聞かせて貰おうじゃないか」
 これが最後の勝負だと自分に言い聞かせ、高野内はカップに残っている紅茶をすべて飲み干す。本音をいえばアルコールが欲しいのだが、まさかここでウイスキーをがぶ飲みするわけにもいかない。せめて煙草でも吸いたいところだが、とてもそんな雰囲気ではかなった。
軽く咳払いをし、高野内は“あてこすり”の推理を披露するため、改めて三人の方に向き直った。
「私はずっと疑問でした。あれだけの大きな銃声がしたにも関わらず、なぜ亀蔵さんが起きてこなかったのか? 彼の寝室は書斎の向かい側の部屋です。当然、銃声も、より間近に聞こえた筈です。いくら酔っていたとしても、二階にいるにもかかわらず、私を含めて虎夫さんや鶴美さんもその銃声を聞きつけて、すぐに書斎までやってきたというのに。その後も虎夫さんが話しても、ずっと寝ぼけていたと言いますし、鶴美さんを運び入れた時も高いびきでした」
 自分が犯人と指摘されたにも関わらず、波多野は飄々と疑問を返してきた。
「それはどういう事です? 旦那様はその日、とてもお疲れのご様子でしたので、熟睡されていたのでしょう」
「果たしてそうでしょうか? ご存知の通り亀蔵さんは首を絞められて殺されています。鶴美さんの証明の時にも説明しましたが、いくら熟睡していたとはいえ、寝ているところをいきなり首絞められたら、必ず抵抗するでしょう。ところが彼の死体には、争った痕跡はありませんでした」
「それであなたの推理は?」
 全員が固唾を呑んで高野内を見つめている。
「亀蔵さんに、こっそりと睡眠薬を飲まされたのです」
 一瞬場が凍り付く。確信など微塵もなかったが他に思いつかず、以前推理小説で読んだくだりをぶちまけた。
 破れかぶれの高野内は自分でコーヒーを入れると、気持ちを整理するため、もったい付ける様にゆっくりとそれを傾ける。
「……私の推理はこうです。波多野さんは、亀蔵さんの食事に睡眠薬を混ぜ、彼が寝静まった頃を見計らい、菊江さんを書斎に呼び出した。そして事前に盗んでおいたトカレフで彼女を殺害し、ドアから出ると、同じように前もって盗んでおいた鍵で施錠した。後は気絶した鶴美さんが寝室を出るのを待って、亀蔵氏を扼殺し、これまた事前に盗んでおいた鍵で、ドアをロックした。――そして自分の容疑を鶴美に向けるため、隙を見てこっそり鶴美さんのハンドバッグに鍵を入れた……」
 リビングに重苦しい空気が流れる。高野内を除く三人は呆然とした表情を浮かべ、ただ時の過ぎゆくのをじっと待っているようだった。
 やがて波多野がその沈黙を破り、時を進める。
「……高野内さん、降参します。あなたのおっしゃる通りです」波多野の告白に高野内は耳を疑った。
「波多野!」虎夫と鶴美は波多野に顔を向けると、同時にその名を叫んだ。
「虎夫様、お嬢様、お二人とも申し訳ございません。私がお二人を殺しました」
 え? うそ? マジで? 
 自分で言ったにもかかわらず、高野内は震え上がらずにはいられない。正直、根拠の薄い思い付きの推理だったが、思いのほか的中したようだ。
「どうしてこんな真似を……」高野内は唾を飲み込み、波多野の弱々しく光る目をゆっくりと見つめた。
 そして“彼女”は語り出した。それまでの毅然とした口調からは一変し、女性らしい物腰の柔らかな声で。だが、これまでが表の顔に過ぎず、今の姿こそが彼女本来の姿かもしれない。
「……私がこの万代羅家にお仕えして十年になります。その間、この家の為に懸命に尽くしてまいりました。しかし、私はいつの日か、旦那様に恋焦がれる様になっていました。そして気が付けば禁断の関係になったのです。――いくら仕事とはいえ、私も女の端くれ。報われないと判っていても、愛する旦那様を諦めることは、とても出来ませんでした。ところが、先日、私たち二人の関係が奥様にバレてしまったのです。――追い込まれた私は、昨日の夜、旦那様の食事に睡眠薬を混ぜました。奥様が寝室を抜け出す時に、目覚めないようにするためです。そして『旦那様と別れます』と言って奥様を書斎へと呼び出し、拳銃の引き金を引きました。――それから発見を遅らせるためにドアに鍵をかけ、皆さんを待ちました。最初は、旦那様まで殺すつもりはありませんでしたが、鶴美様が寝室を出られた後で、様子を見に入った時に、私の中の悪魔が目覚めたのです。旦那様の寝顔を見ているうちに、段々と殺意が芽生え、気が付いたら首を絞めていました。――すぐに自首しようと思ったのですが、何だか怖くなって、結局そのドアにも鍵をかけて部屋へと戻ってしまいました。――それから隙を見て、手元に残ったふたつの鍵を、ついお嬢様のハンドバッグに入れたのです」
 喋り終えた彼女は、自らの罪を告白して気が楽になったのか、安堵のため息を見せた。
「衛星電話を壊したのもあなたですね」高野内は確認するように問い詰める。
「そうです。申し訳ございませんでした」
 波多野は目に涙を滲ませ、深々とお辞儀をした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み