T君と亡霊

文字数 13,949文字

 僕の通っていた小学校は山の上にあり、実家から学校までの道のりの大部分は坂道だった。山辺第四公園はそんな通学路の途中にあった。山を巨大なスプーンで削り取って作ったような公園だが、意外と広く、遊具も設置されている。放課後、よくそこで友達と集まって遊んだ。
 
 家に帰ってランドセルを放り投げる。登下校用の黄色い帽子を自分の帽子に替え、小さなバックに水筒と3DSを詰めれば準備は完了だ。そのまま家を飛び出す。小学生らしい、マジックテープの青い靴を履き、軽快な足取りで公園に駆け込む。

「なんかそっちのゴールの方が狭くね?」

「そんなことないってこっち来てみ。」

「えーほらやっぱ狭いって。」

「今だ!シュート!ウウェーイよんいちー。」

「おまえ、勝ってるときに不正すんなって!」

「いや負けてるときもダメだろ。」

 サッカーやらドッジボールやらに満足すると、3DSを広げる。僕たちの間では妖怪ウォッチが流行っていた。

「おみくじ引こうぜ。」

「そうだね。」

「俺さっき引いちゃったからパス。」

「いくぞせーの。」

 一斉にボタンを押す。おみくじと言ってもプレイヤーにとって大事なことは今日の運勢などではなく、その色だった。

「うわ、また銀だ。」

「銅か。ドウしようもない。しょーもな。自分で言うか。なんでやねん。もうええわ。」

「僕は、、、ちょっと太陽の日差しで画面が見えないな。日陰行こ。」

 僕たちは日陰になっているブランコへと駆ける。

「え?おまえ金じゃね?」

「それな、やったー。」

 ちなみに、それな、という言葉は当時、クラスの背の高い女子が使っているのを聞いてよく使うようになった言葉だ。

「よーし、じゃあバスターズ行こうぜ!」

  バスターズというのは妖怪ウォッチのゲーム内のミニゲームだ。おみくじを引くと、それと同じ色の手形を入手でき、手形を消費することでボスの強さと景品の豪華さがアップするというわけだ。

「そういえばさ、金の手形の上ってあんのかな?」

「プラチナの手形ってこと?」

「あるらしいよ。俺のいとこの父ちゃんが甥から聞いたって言ってた。」

「へぇ。」

 などと会話をしながら、ボスの討伐に没頭した。あと、プラチナの手形など無い。そんでなんだよ、お前のいとこの父親の甥って。お前じゃねえか。

 太陽が傾き始めると、たいてい誰かがこんなことを言い出したものだ。

「秘密基地に移動しない?」

 山を削ってできた第四公園の周りは急斜面となっており、上には林が広がっているのだが、その中に上れそうな、道のようになった部分があった。木をうまく利用して斜面を登り、林を十何メートルか進むと少し開けた場所に出る。その中央には大きな切り株があったので、大木が切られた結果、スペースができたのだろう。三年生の時にたまたま公園に来ていた中学生の兄ちゃんたちに教えてもらって以来、ここが僕たちの秘密基地だった。

 当然、秘密基地のことは大人達に言ってはいけないという鉄の掟があった。太陽の光が当たらないこの場所で僕たちは、時間を忘れ、影が伸びていくのに気づかないまま空の色が夕刻を知らせるまで遊んだ。小学生とはとにかく元気が有り余っている生き物である。僕も腹をすかせて家に帰り、帽子を外してはじめて疲れを感じたものだ。

 五年生の一学期、隣町の小学校から男の子が転校してきた。ここでは転校生のTをとってT君と呼ぶことにする。例に漏れず転校生の登場に興奮した僕は、今となっては考えられないほどのコミュニケーション能力を存分に発揮し、我先にT君と友達になった。T君は慣れない環境で大変だろうと思い、色々なことを紹介した。学校で一番怖い先生の話をし、なぜか六つしかない学校の七不思議の話をし、そして秘密基地にも連れて行った。一ヶ月もしないうちにT君は僕たちの輪にすっかり馴染み、放課後もよく遊ぶようになった。

 夏休みも近づいたある日、僕たちはいつものように秘密基地で遊んでいた。友達がT君に言った。

「T君、増殖バグやらない?」

「いいよ!ちょうど山吹鬼を手に入れたんだ。」

 増殖バグとは妖怪ウォッチの交換機能を使って手持ちの妖怪を一匹増やす方法だ。山吹鬼などの強キャラを増やせる夢のようなバグだが、データが消える危険もあり、大事なものを失うリスクを負いたくないタイプの僕はあまりやらなかった。

「そうそう、この切り株の上で増殖バグをやるとたまに二体増えるんだ。」

「まじで?すご!」

 そう言ってT君と友達は切り株へ向かった。これは当時僕たちの中で広まっていたジンクスだ。そんなわけ無いだろと思いつつ、みんな一応切り株の上で増殖バグをやっていた。もちろん二匹増えることは無かった。どうせあのプラチナ手形野郎が広めたのだろう。

 サッカーの少年団に入ったT君は、転校生とサッカーという最強二大バフを受けて結構モテていたのだが、この話には関係ない。肝心なのはT君が秘密基地でよくリフティングをしていたということだ。あの日、いつの間にか山吹鬼艦隊を完成させていたT君は、いつものようにリフティングをしていた。

「おっと。」

 T君の声がして、サッカーボールが林の奥へと勢いよく転がっていくのが見えた。

「ミスった。取りに行ってくる。」

「それな。いってら。」

 「それな」を誤用した僕を横目に、T君はボールを追いかけていった。数分後、Tくんが青い顔をして戻ってきた。サッカーボールは無事T君が持っていた。

「どうしよう。変なの壊しちゃった。」

「変なのって?」

「ちょっとこっち来て。」

 T君は僕たちをボールが飛んでいった方向に連れて行き、一本の木の前で止まった。

「これ見て。」

 T君が木の根元を指さして言った。その先には五個の石とロープの切れ端のようなものが転がっていた。T君の話によると、ボールを追いかけた先で木の根元に小さな鳥居と地蔵が置いてあるのが見えたらしい。その後すぐにボールが衝突してしまったのでよく見えなかったが、ロープは鳥居に掛かっていたのではないか。とのことだった。なるほど確かに五個の石のうち三個は細長く、うち二つの先端には地面に埋まっていたような跡があった。さらに残りの二つは完全に首の取れた小さい地蔵の頭と体だった。

「こんなところにこんなものがあるなんて、なんか怖いね。」

「ばちとか当たるんじゃね?」

 僕たちは口々に気味の悪さをつぶやきだした。すると突然T君が叫んだ。

「痛った!」

 一瞬でT君に視線が集まる。

「い、今誰か俺の髪引っ張った?」

 後頭部をさすりながら泣き出しそうな顔をするT君。見渡すとみんな自分じゃないという表情だった。そもそもT君の後ろの髪を引っ張ることができるところには誰もいない。

「お化けだー!解散!解散!」

 その叫び声を合図に、皆が一斉に駆け出した。文字通り太陽が沈む速さの十倍の速さで走った。人生で初めてのメロスダッシュ。視界に入るもの、耳に届く音、そのすべてが超常的なものに見え、聞こえ、僕たちは一目散にそれぞれの家に帰った。

 翌朝、公園の前を、気まずい感じになってしまった人の前を横切るかのようにうつむいて早足で通り過ぎた。公園が寂しそうにこちらを見ている気がした。教室の前までくると、何やらざわめく声が聞こえた。いやな予感がした。

 ドアをそっと開き中をのぞき込む。まず後ろの黒板の前の人だかりが目に入った。そしてもうひとつ、T君の席の周りにも人が何人かおり、みんな心配そうな顔をしていた。T君はなぜか机に突っ伏している。黒板の方の人だかりには、ほかのクラスの人達もいた。その中の一人に声をかける。

「なになに。どうしたの一体?」

「いや、やばいんだよ。七個目だよ、七個目。」

「え?何の?」

「ほら、この学校の七不思議の七個目が明らかになったんだよ。」

 どうやらその日、教室に一番乗りで来たT君が後ろの黒板に見慣れない掲示物が張ってあるのを見つけたらしい。その掲示物の内容はT君を震え上がらせるには十分なものだった。
               
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コノ学校ガ建ッテイル場所ハカツテ、戦二破レテ死ンデッタ侍タチノ骨ガ埋マッテイル。
路頭二迷ッテ行キ場ヲ失ッタ魂ガ亡霊トナッテ、人々ヲ襲ッタ。
小学校ヲ建テル計画ガデキタトキ、ヒトリノ優秀ナ霊媒師ガ雇ワレタ。
敵無シダッタ奴ハ、亡霊達ヲ近クノ林ニ封印シタ。
山辺第四公園ガ、アノ憎キ霊媒師ヲ称エルタメニ、近クニ作ラレタ。
類ヲ見ナイホドノ怨念ガ渦巻ク、アノ林ノ近クニ。


「どうしよう。俺、昨日鳥居と地蔵壊しちゃった。」

 T君はうつむいたまま震えた声で続けた。

「今日の放課後、林に行って例の石を元通りにして、謝ってくる。」

「いや、そんなことしなくていいんじゃないかな。」

「うん。あそこに近づくだけで危険だよ。」

「違うんだ。」

 T君は周りの制止する声を遮った。

「何もしないと、林に行こうが行くまいが、命を取られてしまうかも知れない。」

「考えすぎだって。」

「そんなことない。あの張り紙の文章にはっきりと書いてあるんだ。コロシテヤルって。」

 間もなくして掲示物を眺めていた女子の悲鳴が聞こえた。他の人もそのメッセージに気づきだした。動揺が教室中に広がり各々が一通り困惑の声をあげると、急に、しかし自然と教室は沈黙に包まれた。

 その沈黙を破ったのが紛れもない僕だった。当時の僕は怪談話とか、都市伝説の類いが大好きだった。何かこの状況を打開するための策が立てられると思ったのだ。学校の階段も全巻読んでいたし。いざ悪霊退治じゃ、と謎の正義感に突き動かされ、僕はT君に質問を浴びせた。昨日帰った後変なことなかった?肌寒い感覚とか無い?霊感は強い方?夜亡霊に襲われる夢とか見なかった?呪われちゃったね、どんな感じなの?T君は死後の世界とか信じる?

 最後の二つはたぶん言ってないと思うが、とにかくこんな具合で聞いていった。質問を重ねるうちに、あれ?なんかまずくね?という直感が働き、周りを見た。

「T君がさらに怖がるようなこと言うなんてサイテー。」

 ツインテールの女子の目が言う。余談だが彼女はT君ファンの一人だった。

「それな。」

 背の高い女子の目が言う。さすが本家。とにかく、気まずさを感じた僕の口はいつの間にかこんな言葉を発していた。

「ま、まあとりあえず、僕も放課後一緒に行くよ。」

 T君は少し笑顔になって冗談っぽく言った。

「うん。元から誘うつもりだった。」

 午前中の授業、給食、午後の授業。放課後が近づくにつれて緊張が高まり、時間が早く過ぎていくようだった。その間、僕以外にも数名が林行きを志願した。

「明日から、水泳の授業が始まります。健康観察カードを忘れずに持ってきてください。」

 帰りの会で先生がそう連絡すると、クラスはいささか盛り上がった。僕たちに明日は来るのだ
ろうか?にわかに湧き上がった不安が、遠く聞こえるクラスメートたちの歓声のなかで静かに増幅していくのを感じた。

「起立、帰りの挨拶、さようなら。」

 乾いた声で「さようなら。」とつぶやく。放課のチャイムが戦いの始まりを告げた。

 午後五時、山辺第四公園。僕たち数名の少年達は、怨霊の封印という使命を抱え、呪われた林の前に立っている。

「よし、入ろう。」

 誰かが声をあげ、僕たちは一斉に林に向かって歩き出す。頭の中で妖怪ウォッチバスターズのBGMが流れていた。テーテーテレレレテレレレッ♪テレレレッ♪テレレレ~

 西から迫る雲が夕日を遮り始めたが、陽の届かないこの林の中ではあまり関係の無いことだった。切り株の秘密基地を通り、昨日の例の木を目指す。ここまで特に変わったことはない。

「あれ?」

 T君が声を上げた。

「おかしいな、確かこの木だったと思うんだけど。石がない。」

 五つの石の破片がすべて無くなっていた。ロープも見当たらない。

「本当だ。やべえな。」

「とにかく、このあたりをよく探してみよう。」

 僕たちはしゃがみ込み、薄暗い地面を探った。五分、十分。冷たい風が木々を揺らす。みんな逃げ出したくなる気持ちを押し殺して、探し続けた。十五分、二十分。腰がきつくなってきた僕は、いったん立ち上がり軽く伸びをした。そして、木々のうちの一本に何かがくっついているのが見えた。

 それがセミやカブトムシといった、生物ではないことが直感的に理解できた。むしろ生物が持つ活力とは逆の、負のエネルギーを発している気がした。僕はまるで、夜に誰も使っていない建物の中を、歩道に面した大きなガラス越しについ見てしまうときのように、少々警戒しながらその正体を確かめた。

「うわっ!」

 飛び跳ねた心臓がそのまま声帯を突き、僕の悲鳴が鐘のように林に響いた。

「もうびっくりしたー。」

「どうしたの一体?」

 などと口々に言いながら、石を探していた仲間達が若干腰をさすって集まってきた。

「これ!これを見て!」

「・・・・!」

 木に張り付いていたものは、一瞬にして僕たちから言葉を奪った。それは釘差しになった一体のわら人形だった。一人が木から呪物を引き剥がし、遠くへ投げ飛ばしながら早口で言う。

「そういえば昨日、誰かに髪を引っ張られたって言ってたよな、T!?」

「確かに、それで俺ら逃げ出したんだった。」

「じゃあもしそのときに髪の毛を抜かれてわら人形に入れられていたら、、、体におかしなとことかないかい?T君?」

「あれ?どこ行った?」

「T君?」

「ちょっと!」

「T君!」

「おい!しっかりしろ!T!」

 T君は泡を吹いて倒れていた。

「大丈夫か?」

「T君!聞こえてる?」

 みんな額に汗を浮かべながら、懸命に呼びかけた。

「息はしてる。気を失っているんだ。」

「誰か、大人の人呼んできて。あと救急車!」

「そうだな、じゃあ俺が、、、」

 それを遮ったのはT君の声だった。

「大丈夫。もう大丈夫だよ。」

 T君はゆっくりと立ち上がり、少しよろめいた。数人でT君を支えながら、僕たちは全員で林を脱出した。あたりはすっかり暗くなっていた。

「当分、ここで遊ぶのはよそう。」

「そうだね。」

 T君はそう言うと、ペットボトルのお茶を一気に飲み干した。

「しかし、問題はわら人形よな。」

「うん。俺が、木からむしり取ったから良かったものの。」

「あれはマジでナイスプレーだったわ。」

「ありがとう。おかげで助かった。」

 余談だが、わら人形を引き剥がした彼は坊主頭の野球少年で、人気者で、よく同級生から頭をシャリシャリやられていた。とにかく、会話のここら辺で彼の男気を再確認した僕たちは、なんとなくT君を励まそう、いたわろう、守ってあげよう、的な雰囲気になった。

「今日は早く寝るんだぞ。T!」

 いや、お前いつもT君のこと君付けだろ。

「俺、一緒にTの家までついてくわ。」

「俺も!」

 いや、お前ら普通に家に帰ってもT君の家の前を通るだろ。

「じゃあ木の枝改造してT君用の剣作る!」

 シンプルにいらんわ。

 いかんいかんこのままでは乗り遅れる、と思った僕は、ツッコミもほどほどにどうしようか考え始めたが、こういうときに限って何も思い浮かばない。そうこうしているうちにお開きモードになってきた。もうちょっと待ってくれ。

「あ、えっと、わら人形って髪の毛なんだっけ?」

 僕は時間を稼ごうと、苦し紛れに絶妙に変な発言をした。

「うん。そうだよ。」

 心優しい友達が返してくれた。それに続けてT君が言う。

「また、狙われないか不安だなあ。」

 その刹那、脳が一本の勝ち筋をはじき出した。僕はにやけて上がっていく口角とのバランスをとるかのように、かぶっていた帽子のつばを軽く下げ、そのまま腕で顔を隠した。少し前に床屋で読んだワンピースの第一話が脳裏をよぎる。お前ら、チェックメイトだ!

「T!」

 そう呼び捨てにすると、僕はT君に近づいた。そしてゆっくりと帽子を外す。

 パサッ

 手に持った帽子を、前後反対向き、つまりつばを背中側に向くようにしてT君にかぶせた。

「これで大丈夫!髪の毛は取られねえ。」

 決まったぜ。

「ありがとう!しばらく借りるね!」

「おうよ!」

 調子に乗りすぎない。現在の僕の座右の銘である。

 ワン!ワン!その時、にわかに犬の鳴き声が夜の冷たい風に乗って聞こえてきた。実際は近所の犬が吠えた、ただそれだけのことであろう。しかし、その鳴き声はいくらか安堵に包まれていた僕たちを、一気に静まらせるだけの一種の不気味さを纏っていた。僕の頭の中で否応なしに林の中での恐ろしい出来事が再生された。悪寒が、体中の毛を逆立てながら全身を巡るのを感じた。他の人もそうなのだろう。公園の街灯に照らされた皆の顔が青白い。

「うう、ちょっと気持ち悪くなってきた。」

「大丈夫?T君。」

「早く出よう、こんなとこ。」

「そうだね。」

 公園の出口へと向かう。

「おっと!」

「どうした?」

「何かにつまずいたみたい。何だ?」

 そう言うとT君は鞄につけている小さなライトで自分の足下を照らした。

「これって、、」

「何でこんなところに?」

 昨日の地蔵の頭が、そこに転がっていた。この瞬間をもって、僕たちが頑張って押さえ込んできた恐怖は大洪水を起こした。

 そこから自宅にたどり着くまでのことはよく覚えていない。気がつけば玄関先におり、疲れ果てた体でよろよろと、まるで小バエのように明るい家へと飛び込んでいった。夕食は喉を通らなかった。一人きりにならざるを得ない入浴などは速攻で済ませ、寝るときもベッドの壁側に寄り、布団を口元まで掛けた。気を抜いたら落ち武者の幽霊が襲ってくる気がしたのだ。本当に長い一日だった。

 翌日、空には厚い雲が重そうに浮かんでいた。学校に着くと昨日のメンバーの一人がニヤニヤしながら近づいてきた。なんだ、仲間の無事が確認できてうれしいのか、と思ってニコニコしながら近づいて声をかけた。

「おはよう!良かった。無事だったか。」

 彼はそれには答えず、僕の全身をざっと見た。

「お前も忘れたか、水泳の用意。」

「ん?あ!やべ!」

 完全に忘れていた。というか、あの出来事の後で忘れない方がおかしい。

「安心したまえ。T以外みんな持ってきてないから。」

 みんな、というのは昨日のメンバーみんなということだろう。

「T君持ってきてるの?逆に。」

「おはよう。」

 T君の声がした。

「公園に行く前に準備してたんだ。」

 水泳の時間。相変わらず晴れ間はなく、おまけに風が吹いていた。冷たい水中とさらに寒いプールサイド。絶叫のプール日和だ。クラスメート達はシャワーを浴びて悲鳴を上げ、腰洗い槽で悲鳴を上げ、プールに入って悲鳴を上げる。みな唇を青くして震えていた。

 僕たち忘れ物組は、徐々に生気を失っていく彼らを、もっと生気のない表情で眺めていた。

「昨日、夜寝れた?」

「まあ。怖いと逆に寝られない?」

「そうか?ていうか、トイレと風呂が地獄。」

「分かるわー」

 ホイッスルが鳴り一斉にバタ足が始まる。

「、、、あいつ大丈夫かな。」

 T君の方を見る。ゴーグルで顔はよく見えない。

「うーん。無理してないといいけど。」

「とにかく、何があってもTを守り抜くぞ。」

「そうだね!」

 プールから飛んできたバタ足の水しぶきが、数滴ばかり顔にかかった。

 一ヶ月が経ち、夏休みが目前に迫っていた。この一ヶ月間、一度も第四公園で遊ぶことはなかった。僕たちに特に変わったことは起こらなかった。みんなあの一連の出来事をすっかり忘れかけているようだった。

 放課後遊ぶときには、T君はまだ僕の帽子を反対向きにかぶって来た。そのことがなんとはなしに嬉しかった。T君は、以前に増してみんなに対して明るく振る舞った。当時は気にならなかったが彼は少し空回りしていたのではないか、と今になって思う。そして気にかけていたら、と今になって思うのだ。

 そんなある日の夜、僕は家のソファーで特番の心霊番組を性懲りもなくみていた。初夏の恐怖映像66連発!的なやつだ。カメラに写り込む異形が『お分かりいただけただろか』、『もう一度ご覧いただいて』いると、後ろから酔っ払った父親が話しかけてきた。

「またそんなんばっか見てんのか。」

 半笑いで小馬鹿にしたような感じだったので、むっとして返す。

「悪い?」

「そんなもんはどうせ誰かの自作自演なんだよ。それか目の錯覚。もっと中身のある番組を見みたらよいのでは?」

 よいのでは?、腹の立つ言い方だ。

「中身はありますー。実際に幽霊とかもいるんで。」

「ははは、かわいいねえ。そうでござんすか。」

 父はホラー映画なら真っ先に襲われるタイプだ。

「いや本当だから。じゃあ聞かせてあげるよ。」

 そして僕は第四公園の一件について、秘密基地の存在には触れないようにして話した。父は果たして聞いていたのか、途中ずっと枝豆をつまんでいた。

「、、、そういうことだ。実際に近所にも霊はいるんだよ。」

「そうかそうか、それは大変だったな。」

 本心からの言葉とは到底思えない。

「だったらほれ、いっぱい居たろ、お前の妖怪の友達。あれに助けてもらえばいいだろ。なんだっけ?俺の友達、おいでよニャン吉?ギャハハハ。」

 自分の言葉に笑い出した父を無視して、僕はテレビの方へ向き直った。心霊番組を見る気も失せ、ほかに面白そうな番組を探そうとする。

「そういや、あの林、、」

 まだ何か言おうとしている。気にしたら負けである。

「近々、木が全部切り倒されるらしいぞ。」

「え?どゆこと?」

 勝敗は一瞬でついた。

「なんか、太陽光のパネルを設置するとかで。」

「いつ?」

「さあ。とにかく、近々。」

「どこで聞いたのそんな話。」

「まさに公園よ。おとといかな。散歩してたら見かけない作業着のおじさんがいたから、何してんすかーっつって声かけたの。そしたら、ここを発電所にするんすよー、みたいな。で、そうなんすねー下調べっすかっつって。ほんで、そう、そのために最近引っ越してきてーみたいな。やっぱ時代はグリーンエネルギーだよなあ。」

 父は適当に経緯をしゃべり、適当な結論で締め、最後の枝豆を口に放り込んだ。

 これはまずいことになってきたぞ、と思った。僕の仮説によると林の落ち武者の封印の効力は、T君が石の地蔵と鳥居を壊してしまったことで弱まっている。現状、T君が公園以外の場所で被害を受けていないのは林の存在によってかろうじて亡霊の行動が抑えられているからだろう。もし林がなくなってしまったら、ぶち切れ状態の亡霊が完全に解き放たれてしまい、T君の命が奪われるばかりか他の人も呪われてしまうに違いない。

 結局、呪いに立ち向かわなければいけない、そう思うと絶望的な気持ちになった。テレビからまたヒエ-という叫び声が聞こえてきた。恐怖映像のVTRをみて無責任に悲鳴を上げているだけのタレントどもに無性に腹が立った。

 次の日の昼休み、僕は公園に行ったメンバーを集めた。T君は不安そうな表情を浮かべていた。

「お前ら、どうやら僕らは戦い続けければいけねェ運命(さだめ)にあるみてェだ。昨日家で聞いたんだが…」

 余計な導入文句で文字通り”滑り出し”を決めた後、昨日父親から聞いたこと、そして僕の仮説を話した。

「…ということで、林の伐採を止めなければいけないんだ。」

「そうだね…でもどうやって?」

「うーん、こういう作業って僕たちが学校に行っている間の時間帯にやることが多いよね。最悪、交代で見張りをつけるしかないかなあ。」

「やっぱそうなるか。俺ら7人で1時間交代?」

「T君は危ないから6人か。」

「看板を立てかけておくのはどう?木を切ってはいけないって。」

「ああ、それいいね。」

 僕たちは作戦を練り始めた。

「材料とかどうする?」

「運動会のプラカードあたりパクればいいんじゃね。」

「まじかお前!ばれたらオカマに殺されるぞ。あいつ体育委員だろ?」

 オカマというのはこの学校で一番怖い先生である。彼が怒鳴ると学校中のガラスが揺れ、6年生の教室での説教、というより絶叫が1年生の教室まで聞こえてきた。そのため主に高学年の生徒の間では、誰が考えたのか『音圧怪獣マルヤマハザード』と影で呼ばれていた。また、誰が略したのかその短縮形の『オカマ』とも呼ばれていた。

「色々難しそうだね。」

「木にポスター貼るのは?」

「ありあり。それなら手書きで簡単に作れるよな。」

「でも林に貼りに行くたくねぇ。」

「みんなで行けば大丈夫だろ。あ、もちろんTは除いてね。あれ?どうしたの?T?」

 視線がT君に集まった。彼は泣いていた。鼻を啜る音と嗚咽が聞こえる。

「おい、泣くなって。」

「いいんだよ。お前のせいじゃないよ。」

 ああ、なんて素晴らしいんだろう。僕は思った。一人のために一致団結して大きな敵に立ち向かう。これが仲間か、秘密基地でつながった仲間の絆か。なんだかこっちまで泣きそうになった。

「…ちがう…だ。うっ…違うんだ。ごめ…ん。みんな…ごめん。」

「大丈夫だって!仲間だろ?」

 僕はそう言って明るくT君の肩を叩いた。

「そうじゃなくて…うっ…俺みんなを騙してた…全部…全部、演技だったんだよ。」

「え?」

「演技?どういうこと?」

 誰もがT君の次の発言を待った。彼は少し感情が落ち着いたようだった。

「石の鳥居と地蔵なんてもともと無かったんだ…俺が壊したふりをした…七不思議の七つ目の紙を貼ったのも俺だし、わら人形も用意した。」

「は?」

 みんな、すぐには理解できなかった。

「ごめんもう一度言ってくれ。」

「うん。だから石の鳥居と地蔵なんてもともと無くて、俺が壊したふりをした。七不思議の七つ目も俺が考えて紙にして貼ったし、わら人形を用意したのも俺なんだ。」

 T君はもう一度説明を繰り返した。申し訳なさそうな感じではあったし、本人にもそのつもりはなかったのだろうが、僕には少し鼻につく言い方に聞こえた。特に『うん。だから』の部分とか、いちいち『俺が考えて』と最初は言わなかった情報を付け加えたところがイラッとした。

「みんな、本当にごめん。」

 再びT君が泣き出しそうな声になった。しかし、それすら嘘であるかのような気がしてしまった。僕はどうにかしていた。

「信じらんねえよ。だってT、お前泡吹いて倒れたんだぞ。」

「あれは…お茶を振って出した泡なんだ…」

 ちょっと面白いの何なんだよ。それが逆にむかついた。

「なんだよそれ…そんなのって…何でそんなことしたんだよ!」

「みんなに…秘密基地を失う悲しみを味わって欲しくなかったんだ…」

 は?めちゃくちゃにしたのはそっちじゃねえか。

「いや、意味分かんねえよ!」

「俺の…俺の父ちゃんは…太陽光電池を設置する仕事をしてて、それで…ここに越してきた。だから、伐採のこともつまり、俺らの秘密基地がなくなっちゃうことも全部知ってた。」

「それで俺らを秘密基地から遠ざけようと?」

「うん。みんなは転校生の俺に優しくしてくれて、秘密基地に案内してくれて、それで…」

「うるせえよ!!!余計なことすんなよ!」

 僕は我慢ができなかった。

「お前は!僕たちを騙し、最後の秘密基地での思い出を台無しにしたんだぞ!どうせあれだろ?僕が工事のことを知らなかったら、工事を中止させようなんて提案をしてこなければ、丸く収まったのにとか思ってるんだろ?」

「そんなこと思ってないよ。」

「そうだ、お前言い過ぎだよ。」

 みんなもT君を擁護しだした。

「何で僕ばっかり責められるんだよ!秘密基地のことはどうでもいいのかよ?」

「別に責めてないよ。」

「ごめん!ごめんって!」

 T君が鼻を啜った。僕はどんどん自分が悪者になっていってる気がした。

「騙したくせに何なんだよ!T!さっき言ったよな?『俺らの秘密基地がなくなっちゃう』って。あの秘密基地はお前のでは絶対に無いからな!よかったな秘密基地壊せて、金もらえてよ!」
 
 さすがに言い過ぎたかな、少しそう思ったが、その程度だった。

「もういいよ!!!知らないよ!明日木を切るんだってさ!止めたかったら止めれば!?」

 T君はそう言うと泣いたままどこかに駆けて行ってしまった。僕と彼と仲間の関係は本当にもう終わりなんだと悟った。

「最低。」

 誰かが言った。他のみんなの目を見るのが怖かった。僕は一人その場を離れ、昇降口に向かい靴を脱ぎ、思いっきり上履きを廊下に叩きつけ、靴下のまま蹴り飛ばしながら教室へ戻った。

 午後の授業は何も聞いてなかった。自分の言動ではなく、T君と太陽光電池と自分の悲運さを繰り返し繰り返し責めた。T君はずっと机に突っ伏していた。七不思議の時と同じようにみんなも先生も心配していたが、T君は何も言わなかった。

 翌朝、僕は学校には行かず、一人で公園にいた。

 しばらくすると、作業着を着た男の人が何人か入ってきた。気のよさそうな人たちだった。話を分かってもらえるかなとさえ思った。

「おう!兄ちゃん、こんなとこで何してんだ?」

 作業着の人の中では年長の、少し白髪の交じったおじさんが話しかけてきた。年長と言っても若々しく、がっちりした体つきだった。作業着の左胸にはT君と同じ名字が刺繍されていた。

「そこの小学校の子か?怒られるぞ?怖いオカマの先生がいるんだろ?」

「いいんです。」

「うーん、君らみたいな年頃は学校行きたくない日もあるのかなあ。」

 おじさんは僕の顔を優しく見つめてきた。僕は目を合わせることなどできなかった。

「俺んところの坊主も体調悪いとか言い出してねえ。体は丈夫そうなんだけど。」

 やっぱり。僕のせいだ。

「まあ俺は、行きたくねえ日は無理に行かなくてもいいと思ってんだけどな。」
 
 おじさんはゴツゴツした手で僕の頭をポンと叩くと林の方に歩いて行った。

「ようし、始めるぞお前ら!」

「へい!」

 若い作業員が一斉に応えた。

 このまま。このまま何もしなければ、僕はこれ以上傷つかずにすむかも知れない。嫌な思いをせずにすむかも知れない。でもここで諦めたら大切な秘密基地がなくなってしまう。そんな自己中心的なことを考えていた。

 チェーンソーの回る音が聞こえた。僕は呼吸が速くなっていくのを感じた。つばを飲み込み、立ち上がって叫んだ。

「やめろー!!」

 転びそうになりながらチェーンソーをめがけて走り出した。しかし、別の作業員の太い腕にあっけなく捕まった。

「おい!何やってんだ!危ねえじゃねえか!」

 おじさんが血相を変えて飛んできた。さっきまでの気さくな雰囲気からは考えられないほどの迫力があった。

「チェーンソーはなぁ、プロでも危ねえんだ。近づいてんじゃねえよ!」

 予想通りの反応なのに泣きそうになった。

「うるせえ!お前ら何の権利があってこの林を破壊してんだよ!」

「許可ならとった。ここは太陽光発電のパネルを置くことになったんだ。」

「知らねえよ!!!!!!何が太陽光発電だ!!!馬鹿か!!?林を破壊して何がエコだ!!僕たちの遊び場を奪って何がグリーンだ!!僕たちの思い出をめちゃめちゃにして何が次の世代のために、だ!!」

 限界だった。鼻の奥がツンとした。おじさんの顔が少しゆがんだ。涙のせいでそう見えたのかも知れない。僕はさらに続けようとした。そのとき、とてつもない轟音が響いた。その場にいた誰もが一瞬、木が倒れたのかと思っただろう。音がした場所を振り向く。そこには僕の担任と、生徒指導のオカマがいた。

「何をやってるんだこのバカタレ!」

 普段、児童の騒ぎ声を気にせずに生活している近隣住民もクレームを入れるレベルの爆音で吠えるオカマと、その横で作業員達に気まずそうにすみませーんと言っている担任が近づいてきた。

「こら!謝れ!この社会の迷惑が!!」

 オカマは僕の首をつかみ、無理矢理頭を下げさせた。

「T君からはおうちから欠席の連絡いただいたけど、あなたまで学校来てないから、どうしたのかと思ってたけど、そういうことだったのね。クラスのお友達から聞いたわよ。」

 担任が訳知り顔で言った。どうせこいつは何も分かっていない、と思った。

「あの、やっぱり息子達に何かあったんですか?」

 おじさんが心配そうに尋ねた。

「この子がT君に意地悪したらしいんです。申し訳ございません。今思い返せば昨日の午後、T君元気がなかったんです。卑劣ないじめに気づけなかった私の責任です。」

「は?いじめ?違えよ!」

「言い訳すんじゃねえよ!くそガキ!!お前は学校行くぞ!」

 オカマは僕を担ぎ上げ、じゃあ先に、と担任につぶやいた。

「ええ、本当ですか…そうですか…」

 おじさんが悲しそうな顔でこちらを見た。もうどうでも良かった。

「そうやって被害者面かよ!揃いもそろってお前ら親子はよ!引っ越して来なければ良かったのに!出てけ!」

「貴様、次なんか言ったらぶん殴るぞ。」

 オカマが耳元でささやく。いつも怒鳴り散らしているくせに、他の人に聞こえてはいけないことだから小声で言ったに違いなかった。

「黙れ!!体罰野郎!!」

 オカマは小さく舌打ちをして、公園の出口に向かった。

「Tもあの子に何かしたんじゃないですか?」

 おじさんは最悪な暴言を吐く僕の声に耳を傾けようとしてくれていた。

「そんなことありませんよ。都合が悪くなると嘘をつく、小学生ってそうなんです。」

 オカマの肩の上で遠ざかる中、そんな担任の言葉が聞こえた。

 その日は職員室と校長室で昼過ぎまで説教を受けた。T君に意地悪をしたが周りの人にそれを咎められた腹いせでT君の父親の仕事の邪魔をした、ということになった。納得は行かないが、秘密基地の存在を明かすまいと心に決めていた僕にはどうすることもできなかった。というより先生達は僕の話を聞こうともしなかった。先生ってそうなのか。

 目を腫らしながら教室に向かう僕を、下級生達は悪意のない好奇の目で見てきたし、今回の件で水泳の授業が自習になったクラスメートの目はプールの水よりも冷たかった。僕はT君が学校に来ていなくて良かったと思った。こんな姿をT君に見られるのは何よりも嫌だったのだ。

 この一件以降、僕はクラスに居づらくなってしまった。事情を知っている友達とは普通に遊んだりしたが、T君とは目も合わせられなかった。何より担任が嫌いだった。元々そういう気はあったが、授業中や集会など何かにつけて道徳的なことを高説垂れてきた。その度に、あなたに言ってるんですよ、みたいな目でこちらを見てきた。

 その後誰も呪われることなく、無事に木は伐採され、その跡にピカピカの太陽光パネルが並んだ。不思議なことに例の切り株だけは残された。僕は一つ隣の中学校に入学し、それからT君とは一度も会っていない。
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