第3話 寂しさに溺れそう

文字数 3,437文字


「これは罰なのかなぁ……」

 深く考えるのが億劫で、ただそれだけの理由でふたりの前から逃げ出そうとした。これは、その罰なのだろうか。サージャは自問する。

「──早く花が咲かないかなぁ」

 ループする思考を断ち切るように、サージャは空を見上げた。ブルーとピンクのふたつの月。ここは、地球ではない。

「花が咲いたら、きれいだろうな。挿し木で増やすことができるから、ここに薔薇園をつくろう。培養したらもっと早くに実現するかな」

 簡単な培養ならできる程度の機器は使える。異星の風に、たおやかな花弁を揺らす薔薇。サージャはうっとりとその光景を思い描く。そんな美しい白昼夢の中にいたサージャを呼び戻したのは、無粋な腹の虫の鳴く音だった。

「あ? お腹が鳴ってる。何か食べなくちゃ」

 家に戻ろうとしたとき、エディが食べ物と飲み物を持ってきてくれるのが目に入った。つい食べるのを忘れてしまうので、地球時間を基準にした朝・昼・夕食を用意するよう、エディに命令してあるのだった。

「ありがと、エディ」

 エディから昼食のトレイを受け取りながら、サージャは礼を言った。作業用ロボットに礼を言っても仕方がないが、たとえロボットとはいえ、自分のために何かをしてもらったら、感謝の言葉を述べるのが当然のことだとサージャは思っている。

「毎日がピクニックみたいだって言ったら、死んだみんなに怒られるかなぁ? どう思う、エディ?」

 エディは作業用ロボットだが、簡単な会話くらいならできる。その無骨といっていい長身のボディを屈めて給仕しながら、エディはロボット特有の極端に穏やかな声で答える。

「死んだ人はすべての生命活動を永久に停止しているのですから、怒ることは不可能です、サージャ」
「はは、そうだね……」

 サージャは自分にたったひとつ残された“仲間”を見上げ、苦笑いをする。今のサージャには、このエディしかしゃべる相手がいない。知能型だったら良かったのになぁ、と少しだけ思う。知能型ロボットなら、もう少し会話を楽しめるのに。

「エディ……」
「はい、何でしょう、サージャ?」

 穏やかな声と、サファイヤ色の表情のない眼。

「ちょっと僕を抱きしめてくれないか? ──人間のように」
「わかりました」

 サージャの頼みに何のためらいもなく、エディはその細い身体を抱きしめる。力強く、やさしいが、そこには何の感情もない。サージャは温かくもないが冷たすぎもしないエディの背中に腕を回し、しばらくじっとしていた。

「ありがと、エディ」

 サージャはエディのサファイヤ色した瞳に笑いかけたが、つい、と下を向いて唇を噛んだ。涙が出そうだった。

「寂しいね……」

 目尻ににじんできたものを指先で拭いながら、サージャは呟く。

「でも、きみがいてくれて、よかったよ、エディ」

 そして、抱擁のお返しに、エディの頬に親愛のキスを捧げた。

「お役に立てて光栄です」

 穏やかで、心地良い声。抱擁にも、キスにも、何も感じた様子はない。当たり前のことだけど──。大きく息をつくと、サージャは気合を入れるようにぱぁんと両手を打ち鳴らした。

「さ、ごはんも食べたし、またひとがんばりするか」

 小さな畑の中をわざと踊るように歩き、サージャは地球の古い歌を口ずさむ。ナージャとルシンダと三人で歌った、懐かしい歌。

あなたたちの声、区別がつかないわ、とルシンダは笑ったものだ。しゃべったら口調でわかるけど、歌はまったく同じ声に聞こえるもの。──そう言ったルシンダの楽しそうな声を思い出す。ナージャの悪戯っぽい瞳も。

 そうだ、ナージャったらバカなこと言って、もっとルシンダを笑わせたんだ。何ならきみの右と左に俺とサージャが立って、ステレオごっこでもしようか、って。

「ホントにステレオだもの、笑えちゃうよね」

 そのあと、ナージャがサージャの背中から肩を抱きこんで頬を寄せ、「これでモノラルだよ」なんて言うから、ルシンダが吹き出しちゃったんだ。

 ああ、あの日の空は前日の雨が嘘のように晴れて、抜けるようなスカイブルーだった。高い樹の上で小鳥がさえずり、いろとりどりの花たちが風に揺れる。公園の噴水に小さな虹がかかり、ふざけてつかまえようとしてみせたナージャが転んで噴水に落ちて、引っ張られたサージャまで落ちてしまった。大きな水しぶき。二人を見て笑うルシンダの周りに虹が映って、とてもきれいに見えて──。

「……」

 思い出は、後から後から湧きでてくる。目を伏せて、サージャはしばしその奔流に耐えた。



 午後──“昼食”の後だから──からは畑をもう少し広げるために、新しい地面を耕すことにした。地球での楽しかった日々を思いつつ、サージャは船の残骸でエディに作らせた鋤を一心に引っ張りはじめた。

 アルゴー号がこんなことにならなければ、最新の整地用機械が使えたのに。でも、これやってると余計なことあまり考えなくて済むからなぁ、などと思いつつ、額に汗してサージャは鋤を引く。エディも食器の後片付けをした後は、もうひとつの鋤でもっとパワフルにこの力仕事をやっつけてくれるはずだ。

 ひと息入れてサージャが額を拭ったとき、さあっと爽やかな風が吹いた。じっとりとかいていた汗が引いて気持ちがいい。──あまり砂埃が立たないのが、不思議といえば不思議だった。

「ここには何を植えようかなぁ」

 サージャはまた独り言を呟いた。

「今度は根菜がいいかな。でも、大根はこの土じゃダメだ。もっと深くまで軟らかくしないと、大根も伸びようがないもんな。うーん、取りあえず似た味でラディシュくらいが適当かな。それよりジャガイモだよ。あ、菜の花の種を播いてもいいかも。菜の花畑かぁ。魅力的だ」

 何を植えようかと考えながら土地を耕すのは楽しい。効率なんか考えずに、好きなものを植えることができる。無計画でも批判されることはない。──ここには、人間はサージャしかいないのだから。

「寂しいなぁ……」

 口には出すまいと思っていた気持ちが、唇からあふれてしまう。抑えていた気持ちが弛んだ拍子に、涙がぽろりとこぼれ落ち、それを風がさらっていった。







 その朝、朝食のあと外に出て、いつものように伸びをしながら畑のほうを見たサージャは、欠伸の口を開いたまま固まってしまった。

「な、何、あれ……」

 眼を擦ってみる。きつく目を閉じて、それからゆっくり開けてみる。それでも目の前の光景は変わらない。サージャは無言でくるりと踵を返し、家の中に戻った。ドアを閉じる。しばらく茫然とそこに佇んでいたが、深呼吸してもう一度ドアを開けると、意を決したように外へ出た。

 エタニティの風が、くすぐるようにサージャの頬を撫でていく。だが、いつもなら心地いいはずのそれを、感じる余裕は今のサージャにはない。

 畑の作物たちが、いきなり生長している。昨日はたしかにまだまだ小さな葉っぱたちだった。それが、成長促進処理を施したわけでもないのに、いつの間にどうしてこうなったのだろう。

 サージャはふらふらと畑に近づいていった。トマトが真っ赤に熟している。茄子もキュウリも立派な実を実らせている。──もしかして、僕が眠っているあいだに何週間か過ぎたとか? そんなはずないよね、サージャは自問自答した。

「あ……」

 サージャは立ち竦んだ。

「ピンク色だったんだ……」

 唖然として呟く。白いマーガレットの花群の向こうに、いつの間にかサーモンピンクの薔薇園が出現していた。

「……」

 夢を見ているとしか思えない。でなければ幻。でも、幻ならこんな甘い香りは漂って来ないだろう。

 風に葉を、重たげな花弁を揺らせる薔薇。サージャの肩ほどに伸びた茎は頑丈で、すでに幾つもの季節を経ているように見える。

 「……どうして?」

 サージャの問いに、答える者はいない。

 ふわり、とはためくように風が動いた。それはまるで大きな柔らかい布のようにサージャの全身をやさしく包み込む。遠く囁く潮騒のような風の音が、畑の変容に気づいてからの当惑と混乱を一瞬忘れさせてくれる。ぼんやりと咲き乱れる薔薇を眺めていたサージャの耳に、誰かが歩いてくる音が聞こえてきたのはその時だった。
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