第1話 最近、嵐が来ない

文字数 3,228文字


「今日もいい天気だなぁ」

 サージャは空を見上げて伸びをした。少し冷たくて乾いた空気が肺の中に広がり、寝ぼけ眼がはっきりしてくる。

 乳白色に、少しブルーを混ぜたような色の空。うっすらと浮かぶふたつの月は、パウダーブルーとコーラルピンク。昼間でも見えるこれらの月は、惑星エタニティの衛星だ。

 いや、正確にいうと違う。ブルーとピンクとエタニティは、それぞれの重力で干渉しあい、複雑に巡りあいながらこの星系の太陽の周りを回っている。三つでひとつの惑星のようなものなのだ。

「最近、嵐が来ないよね。どうしたのかな。来ないほうがありがたいけど」

 サージャはいつのまにか癖になってしまった独り言を呟いた。

 首を巡らせれば、風に削られてなだらかな丘が見える。ここからは見えないが、そこに十九個の墓標があるのをサージャは知っていた。

「あーあ、どうして僕だけが生き残ったかなぁ……」

 拗ねたように呟き、視線をクリームイエローの地面に落す。剥き出しの岩盤には浅い風紋が刻まれて、それはまるで穏やかな波の連なりのように見える。子供の頃遊びに行った海の、凪いで静かな浜辺。

 知らず、溜息が出た。座り込んで膝を抱え、爪先で意味もなく動かない<波>の縁をつつく。

「こんなんだったら、僕ひとりだけが死んで他のみんなが生きてるほうが良かったよ」

 深宇宙調査殖民船アルゴー号。それがサージャをこの惑星エタニティに運んできた宇宙船だ。サージャの他に十九名の仲間を乗せていた船は、今は打ち上げられた魚のように、エタニティの風の浜辺にその巨体をさらしている。

「まさか大気圏突入にあんな衝撃があるなんて、誰も想像しなかったよなぁ」

 サージャはアルゴー号がエタニティの大気に触れた瞬間のことを思い出していた。

 惑星大気は当然分析済みだった。地球に似た組成、密度。気圧。間違っても、あんないきなりの大嵐のような現象が起こるはずがなかったのだ。

 その瞬間、アルゴー号の船体はまるで巨人の大きな手に捕まり、揉みくちゃにされたようだった。振り回され、放り投げられ、叩きつけられて。──現実離れした感覚だが、サージャには惑星全体から拒絶されているような気がした。全く予期していなかった衝撃に、皆悲鳴を上げる余裕もなく、そこらじゅうが嵐の海の木造船のように不気味にきしむ中、主電源が落ち、補助電源に切り替わる。その直後、サージャは気を失った。

「びっくりしたよなぁ……」

 意識を取り戻したとき、広いブリッジは竜巻でも通り過ぎたかのような様相を呈していた。何もかもがめちゃくちゃで、なのに海の底のようにとても静かだった。──そしてサージャ以外の全員が、それぞれのシートの上か、あるいはそこから放り出され、叩きつけられたようになって絶命していたのだ。

 サージャが放心から覚めたのは、それから数分後なのか、数十分後なのか、あるいは数時間後なのかはわからない。惑星エタニティには明確な昼夜の区別はなかった。大気圏突入から不時着までのあの地獄のような混乱の中、サージャだけが掠り傷程度で済んでいたのは、何の奇跡だったのだろう。

「そんな奇跡、いらなかった……」

 我に返ったサージャが最初にしたことは、動かなくなった乗組員全員の遺体を検めることだった。一等航宙士のミドリカワは、あの恐慌と混乱の中でもとっさに船の制御モードを通常制御から緊急自動制御に切り換えたらしく、手の中に割れた制御盤保護カバーを握り込んでいた。その彼の手を取り、脈を診る。頚動脈を探す。瞳孔を調べる。命の痕跡はどこにもなかった。

 他の乗組員たちにも同じことを繰り返した。ただ機械的に身体を動かしているだけで、まるですべてが夢の中のように現実味がなかった。死んだ仲間たちの眼はどんよりと濁っており、正気ならばとうてい耐えられなかっただろうが、その時のサージャの精神は何も感じなかった。感情が麻痺していた。

「そのままにしておくわけにもいかなかったし……」

 その時の感覚がじわり、と戻ってきそうで、サージャはぎゅっと目を瞑り、両膝の上に重ねて置いた手の甲に額を押しつけた。そろそろと長い息をつき、傍らにいる作業用ロボットを見上げる。サージャがエディと名づけたロボットは、知能型ではない。単純作業用で、いわば農作業に用いるトラクターや収穫機と変わりなかった。

 それでもエディがいてくれてよかったとサージャは思う。強い風の吹く中、十九名もの遺体を運び出して埋葬するには、自分ひとりだけでは何日もかかっただろう。エディのお陰で一日で済んだのだ。

「地球時間で、だけどな」

 サージャは独り苦笑した。埋葬を終えるまで、サージャはまったく空腹を感じなかった。その後も食事どころではなく、ただもうひたすら眠りたかった。なんとか壊れずにいた居住区にある自分のキャビンに戻ると、寝台を埋めた瓦礫を機械的に除け、疲れた身体を埃まみれのシーツにもぐり込ませて昏々と眠り続けた。

 喉の渇きに耐えられなくなって目覚めたとき、サージャは悪い夢を見たんだと思いたかったが、剥がれ落ちた天上パネルに、床を埋める瓦礫に、そんな希いは脆くも打ち砕かれた。

「あんなに眠ったの、生まれて初めてだったかもな」

 覚醒後、食料貯蔵庫に行くまでのあいだも、サージャは散々障害物に悩まされた。エディが瓦礫を除けてくれなければ、たどり着くまでにどれだけの時間がかかったかわからない。

「ホント、なんで俺だけ生き残ったんだろう……」

 エタニティの風が、サージャの頬をやさしく、くすぐるように吹きぬけていく。

 初めて惑星表面に降り立った頃には、文字どおり吹き飛ばされるほどの突風にたびたび見舞われて、煽られて転んで小さな怪我が絶えなかったが、このごろは収まっている。どういった大気現象か、熱風や冷風がいきなり吹きつけてくることもあり、それが原因で体調を崩すことがあったが、そういうことも今はなかった。

 エディとともに竜巻のような風に巻き上げられ、死ぬかと思ったこともあった。しかし不思議なことに、その時は怪我ひとつせず地面に降りることができた。エディにも故障はなかった。

 もっとも奇妙な体験は、いきなり風に吹き飛ばされ、空高く持ち上げられたかと思ったら、横になったままでトランポリンをするように、空中でふわんふわんと上下したことだ。風によって作られた造形、地球のウエーブ・ロックに似た大波の形をした岩石を見下ろしながら、サージャはそのとき、誰かにお手玉されているみたいだな、と思った。パニックのあまりぼんやりそんなことを考えているあいだに、いつの間にか地面に降りていた。

 エタニティの風は、なんだか変わっている。今サージャのいるあたりは比較的平坦で、地球の山岳地帯のように複雑な地形をしているわけでもないのに、風向きが刻々と移り変わって強弱も一定しない。温度さえも秒単位で高温から低温に変化することがある。

 それは季節的なものなのか、あるいは全体的な地形のせいなのか、それとも他に何か要因があるのか。

 この星は三連惑星のため、他のふたつの星からの重力の干渉が複雑なのかもしれない。惑星気象学に詳しい隊員が生きていればさぞ解明に燃えたに違いない。だが今は、まるでただ慰撫するかのようなその風の感触が、サージャの心を穏やかにするだけだった。

「ま、考えても仕方ないか」

 サージャは立ち上がり、尻についた砂をぱんぱんとはたいた。

「エディ、今日も農作業に精を出すぞ!」

 その言葉に頷いてみせたエディは、アルゴー号の瓦礫でつくった小さな家に隣接する粗末な作業小屋から、土地を耕す器具を取り出してきた。
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