第4話 中宮

文字数 687文字

 その日は、あまりにあわただしく、何をどうしたのか、よく思い出すことができない。儀式は、父道長の権勢のまま、にぎにぎしく行われ、一条帝からも、一条帝の母君で国母であり父の姉でもある一条帝の母君東三条院様からも、定子様からも、祝いの品が次々と届けられ、美しい絹を何重にも着せられ、とにかく大変な一日だった。そのうえ、一条帝の一の皇子様までお生まれになり、そちらにも祝いの品を贈り、寿ぎの言葉が飛び交い、何がどうしたのか…。十二歳の頭では、理解しきれなかった。
 まさか、この時お生まれになった皇子様が、わたくしのお子になられるなど、思ってもいなかった。
 翌長保2年(1000年)2月25日に、わたくしは中宮になった。このとき、天皇の配偶者(妻)・母・祖母に与えられた「皇后・皇太后・太皇太后」の三后はすでに埋まっていたので、本来ならわたくしが中宮になるのはおかしい。父道長は、強引に、定子様は皇后なので、わたくし彰子を中宮にする、というわけのわからない理屈を述べたらしい。それが通ってしまったのも、皇后定子様、皇太后遵子様、太皇太后詮子様の三人が三人とも出家して仏道に帰依し、神事にかかわれなくなっていたことが大きい。神を祭る者こそ天皇であるのだから。
 わたくしは、中宮としてのお役目を務めることとなる。これは、大切なお役目であるから、ずいぶん緊張したものだ。
 一条帝はお優しく、まだ子どもで対等なお話などできないわたくしのところにも訪れてくださり、何くれと気を使ってくださった。定子様にも、お文をいただいたり、季節の花や珍しい菓子などを贈ってくださったりとよくしていただいた。
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