S・ストールン②

文字数 1,854文字


「誘拐犯A・アップルパイ氏の卑劣を描いていない、正義のQの苦悩を理解していない。
 敵にこそ同情すること、多くの友に護られていること、日々の大事なことが抜けている。
 死の苦しみと喜びの愚かしさを無視している。

 だから、このお伽噺は、現実じゃない」

 僕はいつものように、雀のお伽噺を否定した。

 昼下がりのことだ。
 快晴の空は水晶雲一つ過らず、小丘に立つ金剛樹の影は、僕と雀を覆うには小さすぎた。
 光混じる淡い影が優しい。

「順々に訊くね」

 雀は緑の草原に寝っ転がり、四肢をうんと伸ばす。

「アップルパイ氏は誰を誘拐したの?」
「S・ストールン」
「それはSだよ。濡れ衣はよくないよ」

「そう決めつけたのは氏だ。
 彼は両親の慌てた声を捜さなかった。
 S・ストールンをアップルパイにする為、Sに罪をなすりつけたんだよ。
 レモンパイだったかもしれないのに。おっちょこちょいな母親が、うっかり忘れただけかもしれないのに」

「森に放っておくより、善いことじゃないの?」

「より善い道があった。
 それを描かず、誘拐を保護のように扱うのは、非現実的とは思わないかい?」

 小丘の麓に蜂蜜河が流れている。
 岸辺の木苺は黄金色に輝き、ルビーフィッシュが撥ねれば、飴蛙が歓びの歌を歌った。
 雀は羽繕いを始め、腕から伸びる羽の向きを整えていく。

「氏はアルファベット諸氏に追われていた。
 急がなければS・ストールンの命も危うかった。
 限られた時間内の最善を考えれば、氏の選択は間違ってないよ」

「また捜しに行けば良かった。
 迷子の届け出が出ていないか、確認すれば良かった。
 そうしなかったのはつまり……」

「君の描かなかった悪辣理論を採用するなら、そうしなかったかどうかは、わからないんじゃない?」

「わからないように描いたのは、氏の善性が危ぶまれると判断してだよ」

 水晶雲が流れていく。突発的に飴蛙が降ってくる。

「露悪的に解釈し過ぎ」

「可能性の一つだよ。
 氏が善意を持ってS・ストールンを連れ去った、という解釈もまた、一つの可能性であって、確定的とは言えない。
 お伽噺は視野を狭くする。
 特に君のような、お伽噺を愛し過ぎている子にとっては、何より危険だ」

「別にいいでしょ。だって、好きなんだから」

 小丘に飴蛙が溢れる。
 日差しを浴びて、ちょっと溶けていた。
 雀は飴蛙を追い払い、これ以上べたつかないように立ち上がる。
 僕は金剛樹の幹に寄りかかり、飴蛙の跳躍を目で追った。
 雀も僕の横に避難し、麓を見下ろす。

 蜂蜜河が貫くのは、ガラス芦原。
 宝石虫が飛び交い、多彩な光の反射を見せている。
 物見櫓にはA・アップルパイやB・ベリーパイが集まり、アルファベット諸氏を警戒していた。
 金剛樹の森に隠れるのは、Sだろうか。
 当然だが、幹からはみ出ている。

「Qのどこが正しいの?」

 雀はSを見つめていた。

「アルファベット諸氏は本能的にアップルパイを襲う。
 理屈じゃない、魂に刻まれた習性なんだって。
 心ない存在、生き物ですらないっていうのが定説でしょ?」

「アルファベット諸氏に知り合いいる?
 心無いかどうか、研究した事例はあるの?」

「ううん、知らない」

 Sが幹から飛び出る。
 パイ類がガラス芦原に紛れ込む。
 真っ直ぐ立った葦に阻まれ、Sは思うように進めなかった。
 あたふたした様子に、僕は微笑みを隠さない。

「なら否定はできないよ。
 仮にQを心ある存在とすれば、Qの襲撃はむしろ……
 誘拐犯A・アップルパイ氏からS・ストールンを取り返す善行と解釈できる。
 S・ストールンの両親から頼まれて、捜索に駆り出されたとかね」

「どうしてアップルパイの天敵と、S・ストールンの両親が手を組んだの?」

「追う追われる間に仲良くなったんだよ」

 雀は少し考えてから答えた。

「それは魅力的な展開だけど……そしたら子ども達は、悪者ってこと?
 なんだか、それはそれで寂しいような……」

「子どもだからって、主人公だからって、悪でないと誰が決めたの?」

 チャイティーがぷるぷると風に流れてくる。
 スパイスたっぷりで、舌を出せばぴりりとした。
 草原からオレンジティーの泡が浮かぶ。
 雀は泡に包まれ、割れれば爽やか過ぎる香りに顔をしかめる。

「あれ? でもQって、四等分にしようとしてなかった?」

 小鼻がぴくっと動く。

「しつこく追っていたし、激怒もしていた。
 仮にそういう事情があったとしたら、説明してくれれば良かったのに。
 アルファベット諸氏って話せないのかな?」

「どうだろう」

「ちょっと確かめてみるね」
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