打倒フェラーリ!

文字数 1,447文字

翌年のル・マンに向け、シェルビーは7リッターエンジンを載せた新しいマシンにMarkⅡ(マーク2)と名付けた。これが自動車の名前にマーク2が付けられた始まり。トヨタじゃないんです。

(フォードGTマーク2:数年前に幕張で撮影)

シェルビー率いるフォードチームは壊れないクルマ作りを徹底し、耐久性に問題があるブレーキをサスペンションごと交換できるアッセンブリー式にした。誰のアイディアだったかはともかく、この辺りは映画でよく描かれている。

翌年、フォードはシェルビーにホールマン・ムーディーら2チームを加えた3チーム体制で8台のマーク2を送り込む。当に背水の陣。
フェラーリの精密機械のような4リッターV12エンジン比べ、乗用車のエンジンをレース用に改造した古典的なV8ながら7リッターの大排気量に物を言わせ余裕でハイパワーを出すフォード。馬力で優るフォードのマシンは直線ではスピードが出るが、コーナーでは軽量なフェラーリが上回る。それでもル・マンは直線距離が長かったから車重は重くてもフォードは速かった。
実はその年のフェラーリは従業員ストライキの真っ只中で、マシンもギリギリで3台用意できた状態。整備も不十分だったためにエースドライバーのジョン・サーティースがレースを棄権。そんな背景を知っていると、映画のワンシーンにあるシェルビーの悪戯が笑える。
8対3じゃ初めから勝負は決まったようなもの。案の定、フェラーリ330P3はフォードのペースに引っ掻き回されて全滅。
フォードとしては3年目、シェルビーは参戦2年目にして、『騎士団長殺し』じゃないがコマンダトーレ率いるフェラーリに引導を渡した。
もっとも、エンツォ自身はお家騒動が大変でル・マンにはいなかったという話も?

映画には描かれていないが、ケン・マイルズ以外のフォードのドライバーはF1で優勝争いをしていた20代のトップレーサーたち。華も実もある彼らの中に入って、イギリス出身ながらヨーロッパでは全く無名の40代のオジさんドライバーが、F1レーサーに引けを取らないどころかコースレコードを叩き出す走りをしたのは驚異的なこと。クラブワールドカップにキングカズが出場してハットトリックを決めるようなものと言ったら大袈裟か?
ケンと組んだデニス・ハルムもF1で何度も優勝経験のある優秀なドライバーで、速さではケンを上回る。この二人のコンビはル・マンで最強だった。
上層部の指示で社長にいいところを見せるためにペースダウンさせ、3台同時ゴールさせたのは映画で描かれていた通り。
F1など他のレースでは先にフィニッシュラインを越えたクルマが優勝だが、当時のル・マンは違った。レースが終わって慌ててルールブックを読むドタバタ。フォードにとっては誰が勝者でも良かったが、映画では悪役に描かれている副社長のレオ・ビーブ自身が「おかしいじゃないか」と抗議したという話もある。しかし、残念ながら抗議は主催者側に認められず、ドライバーのブルース・マクラーレン(あのマクラーレンの創始者)とクリス・エイモンは、「本当はマイルス&ハルム組のレースだったのに」と戸惑いながら優勝トロフィーを手にしたという。
因みに、3位のフォードはシェルビーではなくホールマン・ムーディーのチームだったが、優勝した二人もシェルビーのチームだったから、勝利が手から滑り落ちた二人……特に開発に尽力してくれたケンに対して複雑な思いを抱きながら、チームオーナーとしてのシェルビーは喜びも得ていたはずである。

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