第8話

文字数 10,150文字

 あの子豚が隠し持っていた薬は、ごく軽い睡眠薬のようだったが、あの人には覿面だったようだ。
 眠り込んだ侵入者が、主の寝室へと運び込まれる様を見守りながら、辻ながれは思った。
 薬に弱いとは聞いていたが、ここまで弱くて今迄障りはなかったのかと、他人事ながら気にしてしまう程の効きっぷりだった。
 所詮他人事なので、これ以上気にかける程でもないが。
 ながれには、今からやらなければならない事があった。
 先程退場した、今回の囮の男にも言ったが、この邸を家探しし、まずはあの狐を封じていたはずの絵画を、見つけなければならなかった。
 宮本繁は勘違いしているが、今は亡き辻ながれの作品は、生き物がメインの絵でも、抽象画でもない。
 大体が建物や道具をモデルに、立体的にリアルな絵を描いていた。
 そう、高値で取引される理由は、その絵の中の建物や道具が、強力な封印に使える為だった。
 ちなみに、宮本繁が穴を開けたあの絵画は円方形の檻で、中には本当に番犬がいる。
 オーナーにうまく躾けられているので、あの後も普通に暮らしているようだが、もしも荒ぶる妖怪だったら、穴を開けた時点でその加害者たちは食い殺されていた事だろう。
 護衛仲間たちが悶々と、主の部屋を気にしている中、ながれはすぐに目的の物を見つけていた。
 額縁のガラスに罅が入ったそこに描かれているのは、写真と見まごう出来の、ペット用のキャリーバックの絵だった。
 罅が入る事で狐が隙間から逃げ出し、自由に行き来しているのだが、絵の出来が尋常ではない為、絵画を住みかとした小さな範囲でしか動けない状態のようだ。
 ながれの祖父は、額縁に適当な封印を施し、絵画を保護するだけで大丈夫と、いい加減な太鼓判を押して放置し、孫の自分もその言を信じて放置してしまっていた。
 絵画が無くなっているのに気づいたのは、数年前だ。
 ながれが死に、身辺整理が済み、残された絵画を整理していた時だ。
 丁度休日が重なり、絵画の包みを確かめていた友人が気づいた。
 あの絵がないと喚く男を宥めながら、ながれも探したのだが、どこにもそれらしい絵がない。
「……何で、あの絵だけ、無くなっているんだ?」
 頭を抱えた友人を尻目に、疑問に思った。
 盗まれた痕跡はなく、他の絵画には一切手が付けられていないのに、あの絵だけが忽然と消えていた。
「まさか、あの親父……」
 有名な服装飾の製造と販売を手掛ける男は、恨めし気に声を籠らせた。
「今更、何かやらかしたのかっっ?」
「そうと決まった話ではないだろう? まあ、暇だから、少し探してみよう」
 四十を超えて落ち着いたと思っていたのだが、父親の事となると、この男はこれ以上ないほどに取り乱す。
 その父親とやらも、そこまで遊び心がある人ではないだろうと、軽く考えていたのだが……まさか本当に、やらかしていたとは。
「うちのくそ爺と、どちらが質悪いかね」
 今、辻ながれの姿を借りているこの男の実の祖父は、妖怪の中では名の知れた狸だ。
 絵画を探して歩き回っていた孫に、この家の事を教えてくれたのはいいのだが、いささか遅すぎた。
「済まなんだな。今迄動ける立場ではなかったのだ。これからは、情報を流してやるぞ」
 そう言って接触してきた祖父は、何故かスーツを着た小柄な女だった。
「あんた、何をやってるんだ?」
「弁護士だ。難しい注文をされているのだ。弁護している者たちを、重い有罪に持ち込むよう、脅されておる」
「ふうん」
「……信じておらんな?」
 この爺を、簡単に脅せる奴が、何人もいるはずがない。
 話半分で聞き、こちらの情報を聞き出す。
 そして、呆れた。
「……つまり、あんたがここに移った頃から、その家でやりたい放題し始めているのか、その狐の残骸が?」
「こちらはこちらで、別な狐の相手があったのでな。放置するしかなかったのだ」
「放置していい代物じゃないだろうっ。見る者が見たら、あんたが封じた気配位、分かるだろう? そうなったら……」
 力のないこちらの親族にまで、害が及びかねない。
「うちの親族は、平凡に暮らしている。その生活を、壊されては困る」
「そう思うのなら、お前が全力で潰すのだな。たかが、狐の残骸くらい一人でどうにかできないのでは、儂の後継ぎの名が、廃るぞ」
「ちょっと待て。いつの間に、後継ぎ扱いになってる?」
 というより、その残骸を跡形もなくかき消せるこの爺が、最初から面倒がらずにそうしてくれていれば、こういう事にはならなかったはずなのだが。
 そんな文句が浮かんだのは、祖父と別れた後だ。
 何かいい手立てがないかと考えながら、取りあえずはその絵のありかを見つけようと、この邸への侵入を試みたのだった。
 問題の絵画を見据えながら、ながれは後悔していた。
 初めの闖入者の女、あのまま捕まえておけばよかった。
 友人と同じで、狐と人との間にできた娘らしいと、会った時に分かったが、珍しいと思っただけにとどまった。
 恐ろしい事に、腕力で勝てなさそうだとひしひし感じたせいで、そんな無謀を思いつかなかった。
 だが、あの若者をどうにかできたように、もしかしたらあの女も、何かしらの方法で捕らえられたのかもしれない。
 そうしていれば、話は楽だった。
 目の前にある絵画を見ながら、確信する。
「あいつと、同腹だったか」
 友人と同腹の姉なのなら、友人と違い、永くあの姿で生きているのなら……あの女の体に押し込めば、解決したのではなかろうか。
 まあ、それを実行するにはまず、押し込みやすい状態にまで、あの女を無我状態にしなければならないので、そこから難題なのだが。
 今、この額縁の絵の中は、無人に近い。
 僅かな気配は残っているが、大半は増谷と共に行動しているようだ。
 餌が豊富なのか、手当たり次第に狩っているからなのか、行動範囲は徐々に広まっていると、増谷大吾の話題を調べると分かる。
 この地域に止まっている内に、この狐を抑え込む、いい方法はないものか。
 廊下の前でたたずんで考え込んでいると、不意に何かが動いた。
 顔を上げてその何かを伺うべく振り返るが、何が動いたのかがよく分からない。
 違和感を感じながらも、再び絵画に視線を戻した時、主が入っていった寝室から声がかかった。
「お前たち、入ってもいいぞ」
 増谷大吾の声だ。
 先輩に当たる護衛達は、歓声を上げて部屋に近づいていくが、ながれは顔を引き攣らせてしまった。
 いくら何でも、早すぎる。
 いや、眠っている相手に気遣いなど不要と、そう感じているのは分かるが、それでも早すぎる気がした。
 内側から開かれたドアから、男たちが部屋へと誘われるのを、緊張して見守っていると、男たちが入ってドアを閉じた途端、今度こそ気のせいではない動きを感じた。
「……」
 その動きをした者は、ながれが様子を伺っているのを承知で、敢て気配を隠さずに動いたようだ。
 証拠に、その後すぐに先程閉じたドアを開いて、顔を出したのだ。
 緊迫して身構える男を見返し、一人の若者が不敵に笑った。
 会った事がないはずだったが、黒い長髪の若者には誰かの面影があった。
 夜目の効くながれは、薄暗いままの邸内で見止めたその若者の正体を、思わず思うままに口にしていた。
「お前、まさか、狸汁大好き坊主の、稚児っ?」
 当時は幼かった若者が、不敵な笑顔に剣を込めた。
「そう言うお前は、狸汁のなりそこないか?」
「誰が、なりそこないだっ」
「お前こそ、誰が稚児だっ。それにな、あの人は別に、狸を汁物にするのだけが好きなんじゃねえぞ。獣全般、大好きな人だ」
「とんでもない、生臭だったんだなっ」
 喚くように言いながら、ながれは後ずさっていた。
 数百年前の恐怖が、一気に蘇る。
 あれから自分も、それなりに強くなったとは思うが、若い頃に体験した恐怖は、トラウマとして根付いていた。
 祖父が間に入ってくれていなければ、今頃この若者とその主格の坊主の腹の中に、納まっていたかもしれないのだ。
「知った気配があるとは思ったが、まさか、ずいぶん昔の知己、とはな。落ち着けよ、今はお前を捌く気、ねえから」
「今は?」
「言葉尻を攫うんじゃねえ。そこまで飢えてねえから、人に化けられる狸を、好んで襲わねえって事だ。お前がここにいるって事は、その絵絡み、なんだろ?」
 警戒心の塊になった男に苦笑しながら、若者は顎で廊下に飾られている絵画を指した。
「事情は知らねえが、妙な気配が漂う絵だな」
「事情は知らない? お前は、何しにここに来たんだっ? あの狐の残骸を放牧した、あの性悪爺に言われて来たんじゃないのかっ?」
 警戒心をあらわにしながらも、そんな事を問う男に目を見張り、若者は呆れて笑った。
「お前な、自分の目的を、そうあっさりと吐くもんじゃねえぞ。オレが無関係だったら、どうすんだ? 実際こっちは、何の事情も知らされずに、ただ、ここにいる奴を起こして来いと言われただけだぜ?」
 窘めるように言われ、ながれは我に返る。
 取り繕う前に、部屋の中を覗いた。
 若者の足元には、先程嬉々として入って行った護衛達が、倒れ込んで動かない。
 さらに奥にある寝台の脇で、この屋敷の主である男が不自然な体制で倒れていた。
 寝台に横たえられた者に馬乗りになっている所を襲撃されたらしく、眠っている者からはがされて、寝台に上半身だけを乗せた状態にまで引き離されていた。
「要らねえ邪魔は片づけてやったぞ。後は、早く用を済ませて出て行きな」
「……そうしたいのは、山々なんだが……」
 本当に、事情を知らないのか。
 男は溜息を吐いて、目を細めた若者に答えた。
「この絵にいるはずの狐は、その男に大部分取り憑いている。簡単に済む代物じゃない」
「……絵に封印されてた狐が、今憑いてる狐と同一ってことか」
 若者の表情が、一瞬だけ曇った。
 それは、男に不信を与えるのに十分な変化だったが、すぐに表情を戻した。
「封じるにしろ消滅させるにしろ、そいつから引きはがさなきゃ、どうしようもねえって事か?」
「ああ。人間の作った科目上では、狐も狸も同じイヌ科らしいが、いかにも悪そうな物を攫みだすのは、躊躇いがある」
「逆に、取り憑かれでもしたら、厄介だな」
 男の言い分に頷いた若者は、寝台の方を一瞥した。
 それから、携帯電話を取り出し、誰かと連絡を取る。
「……相手は全員、眠らせた。警察を入れる前に、処理してえもんがある。力のある術師を、回してくれねえか?」
 名乗らずに切り出した話を聞いた相手は、若者に対し不本意な切り返しをした。
「……いや、そこまで大袈裟にしなくても、人の手でも行ける程度の奴だぜ? わざわざ……」
 取り繕う若者を遮ったのんびりとした声が、剣を帯びて男の方にまで聞こえた。
「おい、事情は、そいつを起こして訊けと、言ったよな、オレは?」
 その言葉で、若者が詰まる。
「何で、お前に声をかけたと思っている? そのまま眠らせておくと、警察と一緒に乗り込んだエンが、どさくさ見紛れて首謀者の首を取りに行った時、止める奴がいないからだ。お前が、責任もって、あいつを止めると言うのなら、そのままでも構わんぞ」
 真剣な問題を並べる声は、続く。
「大体、その狐の本体は、まだ健在だ。消滅させたら、本体にまで影響が及ぶ可能性がある。人間の術師に、器も狐も術師本人も無事にすむ封印を、簡単に施せると思うな」
 そんな難易度の高い三方良しは、初耳である。
 無茶を言う奴がいるなと、ながれは呆れてしまった。
「別にそこまで、白星を極める必要は、ねえだろう?」
 若者も呆れているが、相手は譲らなかった。
「じゃあお前、自信があるのか? 人手を待つ間に、万が一その狐の残骸が眠っているそいつに乗り移り、お前を誘惑したら、耐えきる自信が?」
 もしくは、と若者が何か言う前に続けた相手は、真剣に言った。
「万が一、お前に、その狐の残骸が取り憑いてしまって、眠ったままのそいつを、欲望のまま襲わない自信が、あると言うのか?」
「……」
 口を開いていなくても威圧感がある若者が、何故か静かに考え込んだ。
 寝台の方に一瞥を投げ、話の成り行きが分からず立ち尽くす狸を一瞥する。
 そして、体中の息を吐きだす勢いのまま、若者は電話の相手に答えた。
「前者の心配は皆無だが、後者は限りなく自信ねえ」
 眠っている若者が、何かに取り憑かれる様は、まず想像できないと言う若者に、相手は鼻を鳴らしてから言った。
「なら、四の五の言わず、さっさと叩き起こせ。ついでが少し増えるが、お前が手伝ってやれば、逆に早く済むだろう?」
「分かった」
「仕事が終わったら、好きなだけ二人でいればいい。適当に誤魔化してやる」
 含む言葉には答えず、若者は電話を切った。
「……術師とやらは、来ないのか?」
 話の流れで、そう感じた狸が控えめに尋ねると、若者は首を竦めた。
「こいつを起こせば、万事解決だろうとさ」
「どうやって? 随分強い薬だったようだぞ」
 何故そう思ったかというと、後ろから襲ったと同時に、眠り込んでいたからだ。
 そう言う男を軽く睨んでから、若者は言った。
「うちの叔母が、こいつ相手にどきつい薬を使う筈がねえ。だが、お前がそう感じたのは仕方ねえな。大概の薬での反応は、そんな感じだ」
「……つまり、それだけ薬に弱い、という事か? よく、今迄無事だったな」
 思わず感心してしまった男が見守る中、若者は増谷大吾を寝台からこちらに放り投げ、左手を枕元につけて身を乗り出し、眠り続ける人物を覗きこんだ。
「……」
 何故か、しばし見つめてから、眠る若者の額にそっと右手で触れた。
 眠り込んでいた若者が覚醒し、瞼を震わせる。
 薄っすらと開いた目を見返した若者が、思わず息を呑んだ時、背後で気配が動いた。
「おいっ」
 見守っていた狸の男が、緊迫した声を上げる。
 その声とただならぬ気配に黒髪の若者が振り返る間もなく、増谷大吾から離れた獣の姿をした何かが飛び掛かった。
 咄嗟に寝起きの若者を体で庇い、その気配を全身で受ける。
 邸の主から出た狐の残骸は、生き生きとした体に上手く取り憑けたようだ。
 舌打ちしたながれは、まず増谷大吾を伺い、死んではいないと確かめると、眠っていた若者に覆いかぶさったまま動かない、黒髪の若者を見た。
 術類に弱いが抗う力は強いと、若者の主は言っていた。
 どの位、取り憑かれずにいてくれるか。
 ながれは即席の術の組み合わせを作りながら、新しい器に入った友人の残骸を監視する。
 幼い姿ならまだそこまでではなかったが、今の若者は、男女どちらともとれる容姿に成長してしまっている。
 許嫁と別れてからこっち、色の欲を欠いている狸だったが、この若者の容姿で迫られたら、落ちない自信が持てず、封印どころの騒ぎではない。
 耐えている今のうちに引きはがさなければと、真剣に術に集中し始めた男の耳に、無感情な声が聞こえた。
「蓮? また、寒いのか?」
 見ると、起きた金髪の若者が、身じろぎしていた。
 その声に体をびくつかせ、更に力を籠める若者の腕の中で顔を上げ、再び無感情に声をかける。
「こんなに熱いのに寒いなんて、熱でもあるのか? あんたでも、風邪をひくんだな」
 取り憑かれた若者は返事が出来ないほど、影響が出始めているようだ。
 言いようのない熱が、妖艶な空気と共に若者の体を覆って行くのが目に見えて分かるが、その腕に捕らわれている若者の方は、それよりも蓮と呼びかけた若者の反応のなさに、疑問を持った。
「蓮? 起こしてくれたのはいいけど、少し離れてくれないか? 風邪なら、あんたは早く家に戻らないと……ん?」
 ここで、何かの異変に気付いたのか、若者が目を細めた。
 空いている左手を蓮の背中に伸ばし、何かを攫む。
 まさか。
 そんな思いで見つめるながれの前で、若者の手が狐を引きはがした。
 べりっ。
 そんな音が、狸の所にまで響いた。
「いっっ」
 蓮が大きく体を反らし、思わず声を出してしまう。
「何だ、これ? こんなもの、取り憑けてたのか、あんた」
 呆れたように言う若者の手の中で、突然引きはがされた狐が、がむしゃらにもがいている。
「す、好きで憑けてたわけじゃ、ねえよっ」
 思わずそう反論する蓮と、相変わらず無感情で狐を捕えている若者を見比べつつ、ながれは呆然とどうでもいい事を考える。
「……そうか、こういうモノが引きはがされる時の擬音も、剥がすと痛いシップや除毛テープと、同じだったのか」
 というか、こんなに簡単に引きはがせるものだったのかと、ながれは色々な無駄を実感した。
 体に張り付いたモノを、無理に引きはがされて暫く呻いていた蓮は、何とか腕を若者から離して礼を言った。
「助かった。こんなに気が早い奴とは、思わなかった」
 礼を言われた方は、全く事情が分からずに捕まえた狐を凝視していたが、別な事に気付いて目を丸くした。
「ん、この子……満繁(みつしげ)? 死んだとは聞いてないけど、何で……」
 呟きながら狐を伺い、丸くなっていた目を細める。
「ああ、成程。狐の部分だけ、分けたのか。だから、源五郎(げんごろう)さんの孫が、ここに来たんだな?」
 細めたままの若者の目を見返し、ながれはたじろぎながらも頷く。
「あの子、元気なのか? 年賀状は届くけど、近況は全然書かれてないんだ」
「ああ。元気で服飾業をやってる。あの容姿が受ける様でな、金持ちが離れないから、株も安定している」
 話の見えない蓮に構わず、金髪の若者は頷いて見せてから首を傾げる。
「息子は、後を継いでないのか? さっき、あんたといたよな?」
「あいつ、手先が不器用らしくてな、母親に似て。今は、適職探しの真っ最中らしい」
 いわゆる、無職、という奴だと、ながれは言い切った。
 落ち着きを取り戻し、話を聞いていた蓮が目を据わらせた。
「そっちの狸の事情は大体分かったが、セイ、お前の方の仕事内容を、そろそろ話してくれねえか? 鏡の奴、お前に訊けと丸投げして来たんだ」
「……あんた、シュウレイさんに紹介だけして、引き下がったんじゃなかったのか?」
「あの後、親父に捕まってた」
 偶々手が空いている所に呼び出され、相談を受けた後は父親に引き留められ、だらだらと用事を手伝っていた。
 そろそろ退散しようと考えていた時に、鏡月から連絡があったのだと、蓮は説明した。
「あの人一人でもできるような仕事だってのに、何だってオレを頼ったのやら」
「……親心、なんじゃないのか?」
 セイはそう答えたが、言った若者本人がそれに懐疑的なため、蓮を納得させるには至らない。
「どうだかな」
 首を竦めて返し、蓮は説明を促した。
 それに答えて、セイは順を追って説明する。
「……と言う事で、子供を邸から出して、これからその母親を探す作業をするところだったんだ」
 本当は、眠ったままで行おうと思っていたのだが、何故か蓮がやって来たと言う所まで話し、セイは何とも言えない表情を浮かべる若者を見た。
「鏡も、この狐の存在に気付いたんだろうな。だから、早々にお前を起こすことにしたんだろう」
「獣の個々の判別をするのは、結構難しいからな。私も、今知ったところだ」
「……」
 蓮は捕まえたままの狐を見つめるセイを見て、低い声をかける。
「満繁ってのは、誰だ?」
 見返したセイの目は、真ん丸になった。
「知らないのか?」
「まさか、高野家と迫田家に押し付けられた、あの旦那の娘の、兄弟か?」
 狐の姿をしたモノを見て、そう判断した若者に、セイはあっさりと頷いた。
「ミヤのところと違って、全員が人型で生まれたんだ。出来れば普通に、人間としての生を全うして欲しいと、それぞれ養子に出した」
 何故か、カスミよりも寿の方が、その想いが強かったようだ。
「私が三人揃った子供を見たのは、本当に生まれた直後だったんだけど、その時から一人だけ男だった満繁は、どちらかというと狐の方に近かった」
 大きくなるにつれ、人間として生きるのは難しくなるのではと思っていたのだが、意に反して結婚し、子供も無事に育っていた。
「嬉しい予想外だったから、それ以降は気にしていなかったんだけど、こういう手段を使ったから、何の問題もなく今まで来れていたんだな」
 宮本満繁の方は。
 封印された狐の部分は、こういう事態になった。
「……爺さんの名誉のために言っておくが、あの人が施した封印は、そんじょそこらの奴が、簡単に破れる代物じゃない」
「だろうな。……あいつ、親心を見せるのはいいけど、もう少し別な見せ方をすればいいのに」
 どういう見せ方が最良かは知らないが、少なくても他人に取り憑くような今のやり方は、迷惑以外の何物でもない。
「その狸の言う事には、消滅させたら本来のそれの器の方も、死んじまうかもしれねえらしいが、本当か?」
「それは、やった事がないから分からない。ただ、満繁が往生したとしても、これが消える事はなさそうだな」
 別な人間の欲も、ふんだんに吸い尽くしているから、本体とは別物になっている。
 だからと言って、あっさりとこちらを消滅させても大丈夫だと言う保証が、今のところはない。
「だから、封印するしかなかったんだろうけど……破られる心配を考えると、その方法も得策じゃないな」
 セイは考えながら、寝台から這い出て来た。
 同じように寝台を下りた蓮は、傍に転がった増谷を蹴飛ばし、護衛達がまだ転がっているのを確認している。
 そんな二人に、ながれが気になった事と意見を述べた。
「さっき来た女、満繁と同腹だよな? あの女に取り憑かせるのは、どうだ?」
「ああ?」
 説明の中で女は一人しかいなかった。
 蓮はその女を思い浮かべてつい眉を寄せたが、セイは天井を仰いだ。
「普通に考えると、ミヤが呑まれる可能性は低いけど……本人が、望むかな? 仮にも弟の一部だぞ」
 唸る二人に、若者はあっさりと付け足す。
「それに、好物と違って、口にするのを躊躇うかもしれない」
「いや、食わせる気かよ。さっきみたいに、背中から取り憑かせれば、味や歯ごたえは関係ねえだろ。お前の口先八寸で、言いくるめちまえ。弟の一部を、本人の代わりに守ってやってくれとか、言いようがあるだろうが」
「白々しいな。それで本当に、納得する奴なのか、あの女は?」
 ながれが疑わし気に呟くが、それは言い方次第だと、蓮は言い切った。
「守るのが目的なら、母親に任せた方が、よさそうだけど」
「母親とは、純潔の狐か? どういう奴かは知らんが、それ以上厄介な存在になられるのは、困る」
 ただでさえ、狐の妖しは厄介だ。
 狸の妖しであるながれは、それをよく知っていた。
「我ら狸は、人間を一気に驚かして逃げるのが基本だが、狐は違う。驚かすにしても、念入りに周囲を固めて、人間を逃げられないようにしてから、驚かす」
 命の糧となる生気の取り方も、それと似ている。
「我らは、最後は人間も脱力して終わるような、驚かせ方をするのが楽しいんだ。その為には、多少労力を使う事もあるが、狐は労力の使い方が粘着質過ぎて、好きになれん」
 今回のこの件もそうだ。
 友人の捨てた部位とは言え、本当はこんな人間の刑事事件になるような餌場に、関わりたくはなかった。
「ただでさえそうなのに、そんななやり方で解決されるのは、困る」
 現存の純潔の狐に、今以上力を持たれるのは困ると、純潔の狸が主張する様を見ていたセイは、倒れてピクリとも動かない増谷と、手の中でようやく大人しくなった狐を見比べた。
「……戻す訳にも行かないよな。この男、元々叩かなくても埃が待っているような奴だから、重罪で極刑が待ってるだろうし」
 万が一、死刑になって早く執行されてしまっては、中の狐まで死に、本体である男まで急死してしまうかもしれない。
 どうでもいい奴で、この辺りの所を実験して、はっきりさせておけばよかったのだが、生憎、そんな人材は過去にもいなかった。
「……この子の処遇は、後回しにするか」
 セイは唐突にそう決定し、そのまま立ち上がった。
 見上げる頭一つ分低い若者を見返し、ながれは確認した。
「じゃあ、あんたに頼んだと言う事にして、あいつには知らせてもいいんだな?」
「ああ。穏便な方法を考えて見ると、言っておいてくれ。あ、そうだ」
 セイは頷いてからふと思い出し、狐を見下ろした。
 今は首根っこを攫んで手に提げている狐は、子猫のようにおとなしくぶら下がっている。
 いや、大人しくと言うより、ぐったりとしているように狸には見える。
 窒息しかかっているようだ。
「近くのコンビニで、エコバックを買って来てくれるか? 布製で、口が閉じるタイプがいいんだけど」
「わ、分かった」
 承知して外へと向かったながれは、昔の事を思い出した。
 満繁が自分の祖父に、己の半身である狐を封じて欲しいと頼んだ時だ。
 祖父の源五郎は、封印する物がないと言い、売れない絵描きであった亡き友人に、あの絵を描かせた。
 一応、動物を捕まえる物だからと、ペット用のキャリーバックを指定したのだが、今回はエコバック……。
 箱ですらなかった。
 こういう感情を持つほど、あの狐の残骸に情はない筈なのだが、ついつい同情してしまった。
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