第3話

文字数 2,148文字


  3
 
 鈴野さんは、じっと私を見つめ返す。
「引きこもりって、どうして誕生するのだと思います?」
「どうでもいいです。私は働きたくないです」
「働きたくないのは理解しました。理解しましたので、私の質問にお答え下さい」
 私は唇をすぼめる。
「生まれながらの素質でしょう」
「違います。正解は後天的な要因です。学校でいじめられて不登校だったとか、就職活動に失敗して心が折れたとか、ロックンロールに触発されたとか」
「いや、後天的な要因だけとは言い切れないのでは? 先天的な要因だって……」
「能力差の話はしていません。それとも凛香さんは優生学がお好きなのですか?」
「別にそういう意味じゃないんですけど」
「トンビか鷹かは、ほとんど百パーセント環境によって決まります」
「はあ」
「脱ニートのためには、原因となった環境を脳内から抹消すればいいんです」
「ニートは十把一絡げでトンビと」
 私は先天的な要因がほとんどだと思う。百パーセントとまでは言わないけれど、大切なのはトンビの腹だったか、それとも鷹の腹だったかだと信じている。
「引きこもりを解消するために、「リハビ療法」という療法を用います。これは後天的な記憶を心の奥底に封印する療法です」
 キョトンとする私の様子を見て、鈴野さんは「つまり」と言葉を続ける。
「つまり、凛香さんに「リハビ療法」を受けて貰いたいんです。施術後はニートを卒業して働きたくなりますから」
 私は首を傾げる。全く理解が追い付かない。
「ええと「リハビ療法」とやらを用いれば、私の引きこもりが治る。だから「リハビ療法」を受けて欲しい、これであっていますか?」
 鈴野さんは小さく首を縦に振った。
「マジで言っています? ていうか、そんな魔法のような療法が確立されているんだ」
「処置の許諾が猶予の条件です。生活インフラを取り戻したいのならば、手術を受ける以外に選択肢はありません」
「後天的な要因……ということは、上京前の記憶を封印する感じですかね? 両親と上手くコミュニケーションが取れない訳だし」
「いいえ、上京前には問題がありませんでした。凛香さんが、高校生までは優等生だったのも調査済みです」
「優等生って……まあ、高校までずっと生徒会長をやってはいましたけれど」
「引きこもった原因は大学生時代にあります。大学生時代のトラウマを封印すれば、凛香さんの社会復帰の可能性が非常に高まるはずです」
 自然に瞼が大きく開いた。一瞬にして様々な情念が渦巻いて、心にざらりとした感触が纏わりつく。
「えっと、嫌かもです。手術を受けたくないかも」
 複雑な内面の感情とは裏腹に、言葉は簡単に口をついて出た。
「トラウマが消え去れば社会復帰を果たせます。凛香さんは幸福になれます」 
「あはは。絶対に嫌かもしれないです」
「凛香さんが引きこもったのは、お友達の自殺が原因です。我々はそう結論を付けました」
「いやあ、勝手に断言しないで下さいよ。そんなこと、言い切れる訳がないでしょ」
 ささくれ立って、自然と語気が強まった。私は心理学的分析ってやつが嫌いだ。
「私は、アカリ……友達のことを忘れたくはないです」
 鈴野さんは眉一つ動かさない。その相好が憎たらしいというか、だんだんと冷徹な化け物のように見えてきた。
「私のことは、私が一番よく理解しているつもりです。知らない人達に勝手に、勝手に分析されて決めつけられるのは、何というか、ちょっと不快で」
「……」
 再びの沈黙。換気扇の駆動音がうるさい。
 しばらくして鈴野さんは「どうでもいい話なのですが」と、前置きを措いて口を開く。
「私は「リハビ療法」を選択して中学生の頃の記憶を封印しています」
 彼女は一度言葉を切って、言い募る。
「そのお陰で幸福になれました。トラウマを押し込んで社会復帰を果たせたから」
「いや、そうだとしても……」
「そうだとしても?」
「もちろん私だって、鈴野さんの仰る通り、幸福は素敵だと思いますけれど……」
 接ぎ穂に詰まった。感情のやり場にも困って、大きな深呼吸を挟む。
「すみません、引きこもりの私なんかが苛立っちゃって」
「……」
「幸福は、確かに素敵なことだと思います。でも、やっぱりアカリを忘れるなんて選択、私には取れないです。ごめんなさい」
 奥歯をぎゅっと噛みしめて頭を下げた。私には幸福とアカリとの思い出を天秤に掛けた時に、前者の方が優れているとは到底、考えられない。
 叱責か説得か、鈴野さんの次の言葉を待つ。
「凛香さん、顔を上げて下さい。ネットカフェにまでノコノコと来たのは私の方です」
 耳は絞ったまま、私は恐る恐る顔を上げた。目が合った刹那、一瞬だけ鈴野さんの瞳が怪しく光を放ったような気がした。
「ええ、なるほど。凛香さんのお気持ちは理解しました」
「頑張って明日から……いや、今日から就活を始めてみます。就職さえできれば記憶を封印する必要なんてないんですよね?」
 鈴野さんは静かに立ち上がって、小さくため息をついた。
「分かりました。就労の意志をお持ちならば私の方で電気、ガス、水道の復旧の手配は済ませておきましょう」
「本当にすみません」
「名刺に携帯の番号が書いてあります。もし、気が変わったら気軽に電話を下さい」
 鈴野さんはこっちを見向きもせずに喫煙室を出て行った。
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