羽田の告白、おさきの注進

文字数 4,718文字

羽田は奉行所内で治療を受け、騒動のあった次の日には話せるまで回復した。
それに合わせて吉沢による取り調べを受ける事となった。

悠長に構えると荒巻を追えなくなる。
取り調べには伝之助も同席した。

「荒巻先生……いや、荒巻は近江の方へ逃げたと思います」

羽田は床に臥せながら誰を見る事も無く天井を見て言った。

荒巻を呼び捨てにして言い直したのはもう師範と認めず決別したと考えてのことだろう。
そのまま続ける。

「一度、同席した事があります。荒巻と藤井殿と言う武家の方が会うと言い、僕も同席しました。あれは鈴味屋に圧力をかける前の事です」

優之助にはそんな素振りを見せなかったが、羽田はずっと葛藤していた。

羽田はそこに至るまでを、時折悔しさに歯を食いしばりながら話し出した。

羽田は荒巻に心酔していた。
荒巻のやり方を疑いはしなかった。

正義の為には過度な脅しも必要であると思っていた。

奉行所は頼りにならない。

正義の心を持つ者が正すべきであると本気で考えていた。
そこまではまだ良かった。

鈴味屋の件は今までの過度な脅しとは違った。

荒巻は言う事を聞かなければ、火を放って奉行所を引き付けるよう言った。

荒巻の言葉に耳を疑った。

今までの脅しとは明らかに違う。
火を放てば多数の罪のない人々が死ぬ。

羽田の説得で何とか火を放つことは免れ、鈴味屋で騒ぎを起こして誘導し、奉行所を一網打尽にすると言う事でまとまったが、初めて荒巻に対して疑念が浮かんだ。

果たして本当にこの人に着いて行っていいのだろうかと。

荒巻が江戸で悪徳豪商を斬り殺した時も思わなかったのに……本当は江戸にいた頃に気付くべきであった。

一部の京の人々の要望の為に罪も犯していない京の人々を虐げる。
恥ずかしながら鈴味屋の件でその構図が見えて、自分のしていた事がそれと同じ類である事に気付いた。

荒巻に心酔していた事で周りが見えなかったが、疑念を抱いた事で初めて客観的に荒巻のする事を見る事が出来た。

荒巻は自分を利用しようとしているのではないだろうか。
場合によっては自身の為に羽田だけでなく、理精流の道場生を見捨てようとしているのではないだろうか。

話が進む内、今までの事も考えてみるとそれは確信に変わっていった。

荒巻は目的を達成する為に計画を立てているが、同時に失敗に終わった時、自分だけは何とか逃げ果せるように考えているようであった。

振り返ると最初からそうであった。

当初は荒巻が率先して時に強引に物事を解決してきた。

そして皆に奉行所は役に立たない事を吹き込み、道場生達が真に正義の心を持ち合わせており、強引であっても皆を正しい道に導いてやらなければならいと言った。

理精流が評判となり相談事が持ち込まれるようになると羽田を中心に道場生に任せた。

荒巻は表向き、強引なやり口の道場生を嗜めると言う姿勢を取りつつも、裏では皆を肯定した。

優之助を取り込み利用し、奉行所に相談すると言う事で羽田を中心とした道場生を餌にして油断させた。

奉行所乗っ取り計画の端緒となる鈴味屋の件では、羽田を中心として物事を進め、荒巻自身は一番危険が及ぶ事には手を付けない。

上手くいけばよし、いかなければ羽田が中心となって仕組んだ事として道場生に全てをひっ被せて逃げ果せる。

しかしそれに気付いたとしてももはや手遅れだった。
もう羽田自身には抗えない程流れに巻き込まれてしまっていた。

道場生は気付く事無く荒巻に心酔している者ばかりで手の付けようがない。

自分だけが足抜けする事ももちろん叶わない。
奉行所に駆け込み全てを話した所で、羽田が主犯と認識されている段階では通用しない。

何とか手はないかと先延ばしにしていたが、ずっと荒巻に発破を掛けられていた。

そんな羽田を見てか、会わせたい人がいると連れて行かれ、藤井と会う事になった。

藤井は羽田の働きによって今後の事が左右されると熱心に説得してきた。
荒巻にも奉行所に取って代わる存在は我々しかいないと諭された。

やがて羽田はもう考える事を諦め、流れ行くまま身を任せる事にした。

「もう、後悔してもしきれません。皆さんには本当にご迷惑をおかけしました」
「羽田どん、おはんの裁きはどげんなっかわからん。じゃっどん最悪の事態は免れた。そいにおはんのお蔭で逆に荒巻は手掛かりを残すこつんなった」

そう。こうなった今、荒巻の行動は裏目と出ている。
羽田に手掛かりを残したのだ。

「話はわかった。悔やむ気持ちはわかるけど今は荒巻を討つ事先決や。それが出来てお前の事情を斟酌するよう上に交渉出来る」
「いえ、僕はもういいんです。どんな罰も受ける覚悟です」

羽田は吉沢の方へ顔を向けて言う。
それを見ると益々羽田を死なせたくない。

「わかったわかった。そう言うのは後や。それでどこで会ったんや」

吉沢が手を振って言う。
羽田は頷くと話し出した。

「京から近江へ向かう道の途中、脇道を逸れたあばら家、荒巻はそこに向かったと思います。僕が荒巻に連れられ藤井殿と会ったのはそのあばら家です」

羽田はそう言うと地図を持ってくるように言い、詳しく道を教えた。

「京の外れやけど近江までやない。ここやと急いで一日、普通に歩いて二日もあれば十分辿り着く距離や」
「で、どげんすっとじゃ。おいが荒巻を追うとして、首を持ち帰っとか」

伝之助がにっと笑う。
吉沢は腕を組む。

「奉行所としては今回の事、面子に関わる言う事で落とし前をつけたい。だからどんな形でも荒巻を討つ。荒巻の首を持ち帰ってもええし、荒巻自身を捕まえて連れ帰ってもええ。なんやったら俺らで確認さえ出来たら斬り捨ててもええ。生死は問わん」
「ほう、そいは上の意思か」
「そうや」
「報酬は弾むど」
「なんぼや」
「二十両」

伝之助が言うと吉沢は難しい顔をした。

「ないじゃ。火付けを捕えた褒賞金が二十両程じゃろ。そいを考えっと奉行所の面子を潰した荒巻を捕えるんは安いもんじゃ」
「お前の言う事はわかるけど薩摩にも幾らか金を流してる。二十両は難しいかもしれん」
「そうか。まあ薩摩に流しちょるち言われっと仕方んなか。吉沢さあの顔を立てて半値の十両にすっかの。そん代わり経費は別じゃ」
「わかった。上に話は通す。現実的に荒巻を捕えるか倒すかてなったら誰かに頼まな出来ん。しかも失敗は許されへん。大山なら確実に討ち取ると説得したら多分十両なら出す」
「多分では困るど」
「言質を取ったら言う」
「よか」

伝之助は再びにっと笑った。

「あの、すみません。荒巻はやはり……」

羽田が言葉を濁す。

「おはんの言うこつわかっど。荒巻との日々や荒巻自身に対し、悔恨、憎悪、悲哀、そげん感情んとは別にどげんかなるなら元に戻りたい、生きてまたやり直したい、思っちょる。じゃっどん荒巻はどげんしても討ち取られる」

伝之助が言うと羽田は目を瞑る。
そしてゆっくり目を開けると、歯を食いしばった。

「大山さんの言う通りです。僕は荒巻の死を望みながら荒巻の死を惜しんでいる。荒巻に対して恨み憎しみの気持ちと荒巻との日々を懐かしむ気持ちがある」

羽田は言うと一筋の涙を流した。

「おはんは今まで荒巻の人生の為に動かされちょった。じゃっどんおはんの人生はおはんのもんじゃ。荒巻から解放されおはんの人生を歩め」

伝之助の言葉に羽田は頷き、その後吉沢が聞く事に対して素直に全て答えた。
 


同日、優之助は鈴味屋に訪れていた。鈴味屋は早くも通常通り営業している。

「お鈴さん、もう大丈夫なん?」

優之助は玄関で出迎えるお鈴に言う。
お鈴は涼しい顔で答える。

「大した事おまへん。それより優さんこそ大丈夫ですか。今日はおさきに詫びに来たんでしょ。おさきには一応話しておきましたけど」

そう、今日はおさきに謝ろうと思ってなけなしの金を持って来たのだ。

お鈴からおさきに弁明してもらっているが、直接謝っていない。
早い方がいいだろうと鈴味屋との事が片付いた次の日に早速来たのだ。

「俺は大丈夫や。いや、大丈夫ではないけど自分で蒔いた種や。やるしかない」

今こそ泣くよりひっ飛ぶ所だ。
おさきを逃してはならない。

「わかりました。頑張って下さい」

お鈴は言って微笑むと、案内係の女を呼び、優之助を一室に案内した。
優之助は女に、形だけの料理と酒を頼んだ。

落ち着かない様子で部屋をぐるぐるしていると、料理が運ばれてくる。

料理を運んできた女はりんではなかった。
こんな時りんが来てくれれば多少取り成してもらえたのにと考え、人に頼っては駄目だと考え直した。

女が料理を運び終え、下がるのと入れ替わるように、酒を持っておさきが来た。

「お、おさ……」
声が掠れる。

おさきは部屋に入るなり挨拶も無く座ると、そのまま酒を注ぎ、つんとして優之助と目も合わせない。

優之助は狼狽えた。

「お、おさき。俺どうかしてた。俺、鈴味屋の事が好きで大切で思うあまり、本末転倒な事言うてた。申し訳ない」

優之助は言って頭を下げる。
もちろん料理にも酒にも手を付けない。

おさきはつんとしたまま立ち上がると、窓辺に行って座り、外を見た。

優之助はこういう風に女を怒らせた事が無いのでどうすればよいかわからなかった。
出来る事は兎に角謝る事だ。

「おさき、すまん。許してくれ。この通りや」

手を合わせて頭を下げた。
おさきは横目で優之助を見ると、再び外を見やって言った。

「鈴味屋の事はまだ分かります。優さまなりに守る方法を考えた結果であって、間違えてたとしても鈴味屋の事を思ってくれた事なんで分かります。けど私に会わへんかったんはどういう事ですの」

「う、それは……」

その事で怒らせているとは思いも寄らなかった。

「私の事が嫌になったんですか」

おさきが目を伏せて言った。

「そんな訳あらへん。俺はずっとおさき一筋や。最近では他の女にもなびいてへん」

坂谷の一件で気持ちを伝えてからは極力おさき一筋だ。
嫌いになる訳がない。

「へえ、じゃあなんで会いに来てくれへんかったんです。鈴味屋は無理でも茶屋には来れたんちゃいますの」

確かにそうだ。

金が無く鈴味屋にいは行けなくとも茶屋ぐらいなら行けた。
しかし優之助はおさきに会いに行かなかった。

「それは……」
「私は何度か行きましたよ。優さま、お金が無くて鈴味屋に来られへんなら茶屋しかない思て。でも優さまは来てくれへんかった」

おさきは優之助を真っ直ぐ見て言った。

そうだったのか。
おさきは通ってくれていたのだ。
それ程思ってくれていたのだ。

「すまんおさき。俺、逃げてた。おさきに会ったらまた人々からの依頼引き受けなあかん。いや、引き受けるんは嫌やない。寧ろ有難い。けどあの状況やと理精流の奴らにどう掻き回されるかわからんかった。だからおさきに迷惑かけん為にも、おさきの仲介する依頼は引き受けられへん思った。でもおさきがそない思ってくれてるて気付かんで俺が阿保やった」

優之助がそう言うとおさきはまた外を見た。

「確かに依頼は来ていましたのでまた優さまに言おう思ってました。けどそう言う事情なら言うてくれたらよかった。そしたらお客さんにも事情を伝えられた」

幽閉状態の時は不可能であったが、軟禁状の時はおさきに一言伝える方法はいくらでもあった。

正直言うと、荒巻に心酔していて鈴味屋の事は頭から抜けていた。

それでか茶屋でおさきと会うなど思い付きもしなかったし、またおさきの所に依頼が来ている事など考えもしなかった。

おさきには心配も迷惑もかけた。

「おさきの言う通りや。悪かった」

優之助はもう一度頭を下げた。
おさきは優之助の元へ寄る。

「事情はわかりました。さ、料理が冷めん内に食べて下さい」
「許してくれるんか」
「ええ。ただ一つ条件があります」

おさきは口元を覆ってにこやかに言うと、その条件を話し出した。
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