討伐ー後編ー

文字数 6,098文字

どれ程時が経ったろうか。
もう日は完全に沈んでいる。

優之助は冷える体をさすった。

「遅いな……」

そう漏らす荒巻の呟きには苛つきが感じられる。

ちくしょう、はよ帰ってこい。
これ以上怒らせたらまた殴られる。

優之助が願っていると、ようやく部屋に灯りがともった。

「やっと帰ったか。さあ、もう少し様子を見たら行きますよ」

荒巻が言うと、優之助はいよいよかと心臓が跳ねた。

早く帰ってきてほしかったが、帰ったら帰ったで自分の命運も尽きるかもしれない。
荒巻は優之助を盾にどう出るか分からないが、伝之助がやられるとそこでおしまいだ。

寒さとは別に膝が震え出す。

「あ、荒巻さん。出来るだけ長く様子を見て――」

そこまで言って咄嗟に口をつぐんだ。
目の前に刀をかざされている。

目だけで荒巻を見ると、血走った目を向けていた。
喋るなと言いたのだろう。

優之助はごくりと唾を飲み込むと、小さく頷いた。

部屋の中で伝之助がどうしているのか分からない。
寝る準備でもしているのだろうか。

荒巻はどうするつもりだろう。

人質を取っていながら寝込みを襲うとは考えられない。
荒巻もいつどのようにして行くか考えているに違いない。

「前に出ろ」

荒巻が言うと、優之助は言われるまま荒巻の前に出る。

荒巻は優之助の左肩に刀の刃を横向きにして乗せる。
荒巻が手を払うと優之助の首が斬れる。

優之助は体を硬くした。

「ゆっくり前に歩け」

優之助は呼吸の仕方を忘れたかのように息が詰まった。

万が一、何か手違いで荒巻の手がずれる事があれば斬られる。
そう思うと動けない。

「早くしろ」

苛立つ荒巻の言葉に、ようやく地面から足を引き離し、そろそろと歩く。

荒巻はぴったりとくっついて歩き、合わせて刀もぴったりとくっついてくる。

「よし、止まれ」

言われて止まる。
止まるが刀は止まらず刃が前に出て来る。

荒巻は優之助の背後に来ると、右手を後ろ手に取り、左肩に置いていた刀を右側に持ってきて首筋に当てた。
荒巻が手を引くと、優之助の頸動脈が斬られる。

先程より恐怖が増した。

「動くなよ」

動きたくても恐怖で竦んで動けない。

なぜ先程左肩に刀を置かれている時に走って部屋に飛び込まなかったのだ。
あの時が逃げる最後の機会だったかもしれない。

「部屋に向かって大山を呼べ」

荒巻は羽田に輪をかけたような二重人格振りで、声に凄味を出して小さく言う。

「大山さん」ではなく「大山」と言う荒巻の、先程までの丁寧な物言いは無い。

荒巻の様子に、優之助は逆らう気持ちなど欠片も湧かない。
優之助は願いを込めて伝之助の部屋を見た。

「じぇ、じぇんのひゅへはん!」

極度の緊張と恐怖に加え、顔中が腫れている事も相まって舌が縺れた。
おまけに声が裏返り、変に高い声が出た。

「お前、ふざけているのか」

荒巻が怒り出す。

「ち、ちち、違います。怖いのと顔の腫れでうまく呼べんくて……」
「今は普通に話せているじゃないか」
「いや、急に声を張って出したから」
「もういい。もう一度呼べ」

今度こそしっかり呼ばないどうなる事か分からない。

大きく空気を吸い込んだ所でさっと障子が開いた。
帯刀した伝之助が立っている。

「お前らないしちょっとか」

伝之助は言うなり外に出て近付く。
薄く笑みを浮かべている。

「それ以上近付くな。動けばこいつを殺す」

荒巻が言うと伝之助は歩を止めた。

伝之助の踏み込みは鋭く、遠間をものともせずに距離を詰める。
納刀した状態とは言え、天地流の抜刀術もあり、荒巻は警戒して大きく距離を取っている。

この距離では簡単に詰められない。
荒巻はそれも見越している。

「荒巻、そいはだいじゃ」
「見ればわかるだろ。優之助だ」

「見てもわからんから聞いちょる。そいは優之助とちごう。優之助は自惚れる程顔が自慢じゃ。そげん幽霊みたいな顔しちょらん」
「躾けの為に頬を張ったからこんな顔になっただけだ」
「どげん程張ったらそげん顔になっとか」
「うるさい奴だ。さあ刀を捨てろ」

荒巻が言うと、伝之助は袖に手を入れて腕を組む。
大した余裕である。

「うんにゃ、捨てん。こん刀は大事な刀じゃ」
「こいつがどうなってもいいのか」
「優之助ち言う証拠がどこにあっとか」
「本人を前にして証拠も何もないだろう」
「そん顔で本人もないもなか。ないか喋らせてみ」
「いいだろう。何か話せ」

荒巻が言うと、優之助は必死に訴える。

「じぇ、伝之助さん、俺です。優之助です。お願いやから荒巻さんの言う事聞いて下ひゃい」

優之助が言うと伝之助は笑った。

言葉は発したが優之助の声は先程同様、裏返っていた。

「さっき変な動物の鳴き声がするち思たらお前じゃったとか」

伝之助は一頻り笑うと、続けた。

「よか、こいで分かった。そいつは優之助とちごう」

「お前、ふざけるなと言っただろう」

荒巻が怒って腕を締め上げる。

「痛い痛い!だからあんたが首に刀を当ててるから怖くて声が裏返るんや!」

伝之助が声を上げて笑う。

ちくしょう、あいつ何がおもろいねん。
状況わかってんのか。

荒巻が手を緩め優之助を睨みつける。
伝之助は組んでいた腕を解く。

伝之助の右拳が膨らんでいる。
その右手の指が動いている。

どこか指差しているようにも見える。
どう言う事だ。

伝之助の顔を見ると、笑いながらも首を動かしている。

逃げろと言う事か。
だがどうやってこの状況で逃げると言うのだ。

優之助は僅かに首を振った。

「そいつは知らん奴じゃ。斬りたければ斬れ。そいならお前を心置きなく斬れっど」

伝之助が言うと、荒巻は逡巡する。

優之助を切り捨て真っ向勝負に挑もうと言うのか。
もしそんな事を考えているとすればもう事態は逼迫している。

「じぇ、伝之助さん。いらん事言わんといて下さい。間違いなく優之助です。助けて下さい」
「声だけ似せようちしても無駄じゃ。お前は優之助とちごう」
「こんな芋引き俺ぐらいでひょ」
「うんにゃ。確かに優之助は芋引きじゃ。じゃっどんここじゃち思たら、ひっ飛ぶ勇気もあっど。お前にはなか。じゃっでお前は優之助とちごう」

ち、ちくしょう、こいつ……

伝之助は自分で荒巻から逃げろと言っているのだ。
助ける気は更々無いらしい。

「もういい。こいつが優之助でも誰でもいい。一町民だ。お前は侍だろう。町民を助けてやろうと言う気はないのか」

自分で危害を加えておきながら事も無げに荒巻は言う。

「よう言うの。お前がそん町民ん首筋に刀を当てよっとじゃ。曲がりなりにも人々の為ち思っちょった奴がやるこつか」
「今だって思ってる。だからそれに邪魔となる者を排除しようとしているだけだ」
「藤井にない言われた。大山を消せ言われたか。そいならもう一度機会を与えるとでも言われたか」

荒巻は伝之助を睨み据えるだけだ。

「お前、藤井がそげん約束守るち思うか。藤井は利用価値が無くなれば切り捨てる。お前がおいを討てればよし、討てんでも藤井は痛くも痒くもなか。お前がおいを討っても藤井はお前に手を差し伸べんど」

「挑発か」
「挑発とちごう、事実じゃ」

ぎりっと音が聞こえた。
荒巻を見ると歯を食いしばっている。

挑発なら荒巻は耐えたかもしれない。

しかし事実を並べ立てられ、もう自分はどうしようもないと言う現実を突きつけられる。
これは耐え難いだろう。

荒巻は伝之助を睨みつけ、伝之助に気を取られている。

逃げるなら今しかないのではないだろうか。

「どげんした。ないも言い返せんか」
「お前を倒して藤井さんから金を貰い、この地を離れて身を隠す。新天地でもう一度――」

荒巻が言い終わる間もなく、優之助は腕を振り解き走った。

荒巻は捕まえようと左手を伸ばすが届かない。

伝之助は左手で刀の鍔元を持って駆け出す。

荒巻は慌てて刀を持ち直す。

伝之助が右手から何かを放つ。
銭だ。

荒巻は左手で顔を覆い防ぐ。

周囲に銭が散らばった。

その僅かな隙に優之助が逃げる間を与え、伝之助の踏み込みを持ってすれば一歩で踏み込める間合いまで僅かとなる程詰める。

優之助は伝之助が抜き打ちを食らわせ、荒巻が仰向けに倒れて勝負はつくだろうと思った。

しかしそう油断した所で力が緩む。

優之助の足は絡まり、その場に突っ伏した。

「しもた!」

優之助は振り返る。

荒巻が苦し紛れではあるが態勢を立て直し、優之助に襲い掛かった。

優之助は立つ事も忘れて後退る。

伝之助が荒巻に斬り掛かれば荒巻は斬られるだろう。
しかし優之助に狙いをつけている今、例え荒巻を斬ったとしても優之助は無事に済まないかもしれない。

振り返り伝之助を見ると一瞬目が合った。

再び前を見ると荒巻が刀を横に構えて斬り掛かってくる。
横に斬り払う軌道だ。

逃げる相手に対し、実に理に敵った軌道だ。
このままだと確実に斬られる。

伝之助は鍔元から手を離すと、斬り掛かる勢いそのままに飛び込み、優之助の首元を掴むと思い切り後ろに引いた。

優之助は後方に飛ぶ。

荒巻はそのまま横に斬り払う。

空を斬ったかと思う一撃は、伝之助の左足を斬った。

伝之助は一呼吸遅れてその場で抜き打ちを放つ。

荒巻は易々と飛び退いて躱す。

「これは思わぬ収穫だ」

荒巻は口角を上げて喜んだ。

これで確実に勝てると思ったのだろう。
伝之助の左大腿から瞬く間に血が滲みだす。

「伝之助さん、助けてくれたんですか」

あの伝之助が助けてくれたと言うのか。

「依頼主は吉沢じゃ。お前が斬られたら重要参考人を失うこつんなっとじゃろ」
「俺、知ってる事は大体吉沢さんに話しましたけど……」
「一々こまかこつ、うぜらしかのう。黙って見ちょれ」

そうだ。
荒巻と斬り合いが始まる。

優之助は立ち上がると、更に距離を取った。

「こげん怪我、丁度よか。こいでちいとは勝負になっとじゃろ」

伝之助は片笑みを浮かべるが、心なしか声に張りがない。

傷はどれ程の深さなのか。
左足からは血が流れ続けている。

「理を持って説いてやろう。天地流の一撃はそれはもう恐ろしい。対象の袈裟を狙うから、誤魔化しは効かないし受け流しようもない。受けようものならそのまま押し込まれて斬られる。避けようものなら素早く間合いを詰められ斬られる。刀の重みをものともしない体使い、何よりその洗練された精神により、斬り合い独特の命のやり取りとなる緊張感や硬さがない。相手が動いて自分がどう動くかではない。恐れず斬り掛かるのみだ。理屈では通らない恐ろしさのある剣だ」

荒巻は一旦区切ると、普段の穏やかな様子からは見られない厭らしい笑みを浮かべた。

「しかし一定以上の腕を持つ者からすればいかに組みし易い事か。天地流を知っていれば、袈裟の軌道に気を付ければいい。それにあなたは今、左足を負傷している。天地流の踏み出す足は右足だ。右足が前に出る場合が多い。と言う事は左足が踏み切りの足となる。その踏み切りの足を負傷してしまった。踏み込みは甘くなり、威力も落ちる。一撃を外して対処するのもいいが、万が一、力を振り絞り二撃目の踏み込みが鋭く入ると後れを取る」

荒巻は一度区切ると、耳障りな笑い声をあげ、続ける。

「では確実に討ち取る方法を取ろう。普段なら受ける事は危険だが、負傷した今なら可能だ。袈裟の軌道を読み、強靭な精神を持って最初の一撃に合わせて受け、跳ね上げてその首を斬ってやろう。これぞ理精流と言うものを見せてやる。それを思い知りながら絶命していくがいい」

荒巻が言い終わるなり、伝之助は隼人丸を握り締める。
行く気だ。

「おもしろか。ご高説は仕舞いか。わざわざ教えてくれよっとはの」
「怪我をしたあなたへの配慮だ。これで勝負になるだろう。どちらにしても天地流の技は限られている。愚直にも同じように――」

今度は荒巻が言い終わる事なく、伝之助は刀を天に突き上げ駆け出した。
左足の怪我の分、いつもより速さが劣っているように見えるが、それでも素早い。

荒巻は不意を取られたがすぐに立て直し、刀を構える。
宣言通り伝之助の一撃を受ける気だ。

瞬く間に距離が詰まる。

伝之助が鋭い飛び込みで距離を詰める。

左足は大丈夫なのか。
動きからは何も読み取れない。

「無駄だ!」

荒巻は叫ぶと刀の柄を自身の右側に、刃先を左下にして伝之助の一撃に備える。

宣言通り伝之助の袈裟斬りを受け、返す刀で斬る気だ。

伝之助は袈裟に斬り掛かる――

いや、飛び込んだ瞬間、刀の軌道が変わる。逆袈裟だ。

踏み込みと同時に右上に上げていた刀を、振ると同時に左上に変えて斬り下ろす。

荒巻は瞬間、驚いた顔をするがもう遅い。
隼人丸を扱う伝之助の一撃は負傷していようが神速だ。

荒巻は受けようとしていた軌道と逆を突かれ、両腕の前腕から鎖骨、胴にかけて逆袈裟に斬られる。

荒巻の刀は両手がついたまま宙を舞い、首からは血が噴き出す。

「なっ……」
と言ったのみで口からごぽごぽと血を吐き崩れ落ちる。

「ないごて袈裟とちごうたてか。お前、実際の斬り合いで思い通りに運ぶち思たとか。羽田との竹刀の打ち合いで天地流を知った気になったとか。道場剣術なら通用したかもしれん。じゃっどんこいは本物ん斬り合いじゃ。剣の技を研究するだけじゃと通用せん。天地流じゃち、袈裟に来る決めつけた時点でお前の負けじゃ」

荒巻は痙攣し、絶命寸前だ。
言葉を発する事も出来ない。

「天地流の真髄はそん技でなか。天地両断の気概じゃ。天地両断の如く袈裟に斬り掛かるんは、天地流の基本で最も強烈な技じゃが、そいはあくまで一場面じゃ。天地流はどげん斬り方でも力ん全てを注ぎ斬り込めるよう、体ん使い方を考えられちょる。そん場で最適な太刀筋で斬り掛かるよう、瞬時な判断をし、実行すっとじゃ。お前は、天地流は単純な剣の流派ち決め付けたんが敗因じゃ。天地流はそげん底の浅か流派とちごう」

荒巻の痙攣は収まり、目は虚空を見つめている。

「もう少しお前に教えてやりたかが、もう聞けんようじゃの」

伝之助はそう言うと顔を歪めた。
左足の怪我が響くようだ。

「伝之助さん!怪我は」

荒巻の方を見ないようにして優之助が駆け寄ると、伝之助はその場に座り込んだ。

「京に帰っど。薩摩ん抱え医者、淳巳(あつみ)さあんとこ連れてけ」
「今から京にですか。そんな無茶な……」
「はよう駕籠を手配せえ」
「駕籠代は伝之助さん持ちですか。俺持ちですか」

駕籠を呼ぶにはそれなりに金がかかる。
金欠の優之助にとっては聞いておく必要がある。

「そげなもん、吉沢に請求せえ。経費は奉行所持ちじゃ」

伝之助がうんざりしたように言う。

そう言えばそうだった。

「わかりました。すぐ手配します」

伝之助はいよいよ厳しいようで顔も青白い気がする。

「伝之助さん、しっかりして下さい。意識をしっかり保って下さい」

確か大腿部には大きな血管、動脈なるものがどこかに通っていると聞いた事がある。
そこを斬られると出血多量で死ぬ。
出血量から考えるに、それは無さそうだが分からない。

ここで死なれると寝覚めが悪い。
伝之助は優之助を庇って負傷したのだ。

「おいに構っちょる暇があればはよ駕籠呼べ」

それもそうだと優之助は駆け出し、宿屋の主人に怪我人が出たので駕籠を手配してほしい旨を伝えた。
宿屋の主人は詳しい事情も聞かずに、すぐに手配してくれ、人を呼ぶと伝之助の傷を確認し、応急処置を施してくれた。

間も無く籠が到着すると、伝之助は京へと運ばれた。
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